Archive for 10月, 2019

Date: 10月 15th, 2019
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その12)

「デコラゆえの陶冶」というタイトルで書いている。

けれど、今回、「デッカ デコラ」で検索してみて、
やっぱり人さまざまなんだ……、と歎息するしかなかった人たちがいた。

デコラはナロウレンジである。
そんなことは測定データを示されなくともわかっている。

それでも、デコラの音を聴いてご覧なさい、といいたい。
聴けばわかる。

そう思っていた、というより、信じたい気持があった。

でもGoogleが示す検索結果のいくつかを見ていくと、
聴いてもわからない人がいる──、
そのことを知らされるわけだ。

デコラのトゥイーターはコーン型である。
口径からして、年代からして高域が上の方までのびているわけではない。
当時でも、採用されたトゥイーターよりも、
周波数特性の優れたユニットはあったように思う。

それでもデッカの開発陣は、EMI製のコーン型を選択している。

ある人は、高域をのばすために、
コーン型トゥイーターの前に、国産の安価なホーン型トゥイーターを設置している。

確かに周波数特性的には,そのホーン型トゥイーターの方がのびている。
でも、なぜそんなことをする?

その行為を、どう理解しようとしても、私にはまったく理解できない。
この人には、音の品位ということが、まったく理解できないのかもしれない──、
そうとしか思えなかった。

Date: 10月 15th, 2019
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(silver version・その6)

その1)は、三年前の春である。
先日、やっとシルバーパネルのLNP2と対面できた。

当り前のことだが、写真そのままの印象のLNP2だった。

その2)でも書いているのだが、
LNP2にはいくつかの特別なLNP2がある。
シリアルナンバー1001のLNP2、シルバーパネルのLNP2の他に、
私には特別なLNP2が、もう一台ある。

瀬川先生が愛用されていたLNP2である。

(その2)でも書いているように、
瀬川先生愛用のLNP2とは、
私がステレオサウンドで働き始めたばかりのころ、
1982年1月、試聴室隣の倉庫に、置かれてあった。

ツマミに触れるのさえ憚れる──、
そんな気さえした。

いずれ、倉庫から誰かの手に渡っていくLNP2であることはわかっていた。
いまどこかに、誰の元にあるのか。
何もわかっていない。

シリアルナンバーも記憶していない。

それでもシリアルナンバー1001のLNP2、シルバーパネルのLNP2が集まっているところに、
いつの日か瀬川先生愛用のLNP2も来るのかもしれない。

Date: 10月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦(その1)

別項で、無線と実験のことについて書いた。
いくつもの書店をみてまわると、無線と実験が書店から消えてなくなる日は、
そう遠くない──、と感じるからだ。

無線と実験に対して、冷たい奴、と思われたかもしれない。
たしかにそういうところは持っていると自覚しながらも、
無線と実験が消えてしまうと……、と思うところがある。

佐伯多門氏が無線と実験に長期連載されていた「スピーカー技術の100年」が、
昨年夏に一冊にまとめられて出版された。

この手の本を出してくれるところは、いまでは無線と実験ぐらいしかない。
こういう本は、売れてほしい。
だから、ここでも紹介した。

昨年の「スピーカー技術の100年」は、連載のすべてを収めたものではなかったから、
続編を出してほしい、そのためにも売れてほしいからである。

先日、「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」が出た。
待望の二冊目である。

これも売れてほしい、と思う。

Date: 10月 15th, 2019
Cate: ジャーナリズム, 広告

「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事(その3)

(その2)で、「タイアップ記事なんて、なくなればいい」へのアクセス数が、
10%に届かないことを嘆いた。

(その2)によって、少しアクセスは増えたけれど、
それでもトータルで10%に満たない。

私のブログだけなのか、と思っていたら、
多くの、しかも大手のサイトでもリンク先をクリックする人は、ほんとうに少ない──、
というコメントをfacebookでもらった。

そういうものなのか……、と諦めなければならないのだろうか。
「タイアップ記事なんて、なくなればいい」という記事を読んでいない人の方が、
圧倒的に多いわけで、そういう人たちに対して書くのか、
どうやって書こうかな、と思っていたら、数ヵ月経っていた。

オーディオ業界では、いま、デノンのタイアップ記事を、
夏ごろからいろんなところで見かけるようになっている。

プリメインアンプのPMA-SX1 LIMITED EDITIONと、
SACDプレーヤーのDCD-SX1 LIMITED EDITIONのタイアップ記事である。

オーディオ雑誌だけでなく、
オーディオ関係のウェブサイトでも、デノンのタイアップ記事は行われている。

もちろんオーディオ評論家を巻き込んでのタイアップ記事である。
そのどれかを目にされていることだろう。

このタイアップ記事を、タイアップと思わずに読んだ人はどのくらいいるのだろうか。

Date: 10月 14th, 2019
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その3)

無線と実験が書店から消えてしまう日が来ない、と誰がいえよう。
ラジオ技術は書店から消えてしまった。

秋葉原の書店には置かれていても、
一般の書店からは消えて、けっこう経つ。

図書館に行けば読めることもある。
とはいえ、ラジオ技術という誌名すら、知らないという人たちが増えてくることは間違いない。

無線と実験もラジオ技術と同じようになるのか。
休刊という名の廃刊にならずに、
一般書店からは消えて、定期購読か秋葉原の書店での販売に限定される可能性は、
決して低くない、と私は思っている。

そんなことにはならないよ、という人もいるだろうが、
楽観視はできない状況にすでになっているのではないか。

それに無線と実験がなくなっても、別に困らない──、
そういうオーディオマニアの方もいよう。

それこそステレオサウンドだけあればいいや、という人だろう。

けれど考えてみてほしい。
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌が、すべてなくなった状況を。

そうなると、ステレオサウンドが、
それまであったオーディオ雑誌の役割を担うことになろう。

Date: 10月 14th, 2019
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・その2)

今週半ば以降に、喫茶茶会記にメリディアンの218が導入される。
通常の使用では、マッキントッシュのMCD350のデジタル出力を218に接続することになる。

218と同時に、USBをSPDIFに変換するD/Dコンバーターも導入予定である。
これで来月以降のaudio wednesdayで、218を、MQA-CDを聴けるようになる。

Date: 10月 14th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その2)

ヤフオク!が、すすめてきたアナログプレーヤーは、Collaroだった。
コラーロの、古いアナログプレーヤーだった。

どこかのオーディオ店ではCollaroをコーラルと表記していた。
とにかく古いメーカーである。

私もコラーロのことはほとんど知らない。
なんとなく知っているくらいで、
いまもイギリスにはCollaro Audioがある。

古さを感じさせるロゴからして、同じコラーロなのだろう。
ただコラーロという会社は一度なくなっていると記憶している。

なのでブランドだけの復活なのかもしれない。
いまのところ、ターンテーブルマットを売っている。

そのコラーロの古いアナログプレーヤーが、ヤフオク!でおすすめとして表示された。
私が検索してきたものと、どういう関連付けから、このプレーヤーを表示してきたのか、
まったく理解できない。

私はコラーロのプレーヤーを欲しい、と思っていたわけではなかった。
ふつうだったら、ヘンなモノを表示してきたな、で終ってしまう。

でもコラーロのプレーヤーだけは違っていた。
コラーロのプレーヤーは、ごく初期のデッカのデコラに採用されていた。

一般的にデコラにはガラードの301が使われている、と思われがちだ。
私もデコラの存在を知ったばかりのころは、301がそうだ、と思い込んでいた。

初期のデコラは違っていた、ということを知ったのは、数年経っていた。

ヤフオク!で、コラーロが出てくるのは、過去にどれくらいあっただろうか。
しかも動くコラーロが出品されるのは、かなり稀なのではないだろうか。

私にしてもコラーロのプレーヤーを見たのは、
デコラについているモノと、数年前にオーディオ店に中古として入荷していたモノぐらいだ。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 「ネットワーク」

人工知能的な存在を感じた出来事(その1)

現在の人工知能と呼ばれているものの実態は、
ディープラーニングだ、といわれている。
処理速度が劇的に向上したからこそのディープラーニングである、とも。

そうなのだろう、となんとなく理解していても、
人工知能と呼びたくなるような機能が、すでにあるような気もしている。

別項「ダイレクトドライヴへの疑問(その34)」で、こんなことを書いている。
     *
ヤフオク!は、「お探しの商品からのおすすめ」をしてくれる。
PL30Lや50Lを眺めていたときに、そこにテクニクスのSL01が表示された。

SL01を検索してもいないのに、それまでの履歴からSL01を表示する。
なんなんだろう、この機能は? と感心するとともに、
少しばかり空恐ろしくなるところでもある。
     *
この時は、パイオニアにしてもテクニクスにしても、
どちらも近い時期に発売されていたダイレクトドライヴ型のアナログプレーヤーである。
価格的にも近い。

なので「お探しの商品からのおすすめ」として、SL01が表示されるのは、
わからないわけではない。
それでも驚いたし、感心もした。

9月、iPhoneにインストールしているヤフオク!を眺めていたら、
「お探しの商品からのおすすめ」に、あるアナログプレーヤーが表示された。

イギリスの、とても古いモデルである。
例えば私が、ガラードのプレーヤーをヤフオク!で検索していたら、
このプレーヤーが表示されても、不思議ではない。

パイオニアのプレーヤーを検索していて、
テクニクスが「お探しの商品からのおすすめ」として表示されるのと同じであろうから。

けれど、私がヤフオク!で、
ここ数ヵ月検索していたのは、
ステレオサウンド 56号での瀬川先生の組合せに関係してくるものばかりである。

なのに、ヤフオク!は、
そのイギリス製のプレーヤーを「お探しの商品からのおすすめ」と表示してきた。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その3)

三度目のデッカ・デコラの音だった。
三度目にして、ほんとうにじっくりと聴くことがかなった。

そしてグラシェラ・スサーナを聴くことができた。

デコラを手に入れて十数年、
一度もクラシック以外のレコードはかけたことがない──、
そのデコラの鳴らし手(使い手)は、そういわれた。

なのに、そのデコラでグラシェラ・スサーナをかけてもらった。
ずうずうしい、あつかましい、
そんなふうに思われようと、
一度でいいからデコラで、グラシェラ・スサーナの、
それもタンゴやフォルクローレといったスペイン語による歌ではなく、
日本語の歌、いわゆる昭和の歌謡曲を聴かせてもらった。

この機会を逃せば、二度とデコラでグラシェラ・スサーナの歌を聴くことはない、と思っていた。
だから(その2)を書いて公開した。
読んでくださっていることがわかっているから書いた。

おかげで聴くことができた。
いろいろおもうことがあった。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 音の良さ

完璧な音(その1)

完璧な音とは?
どういう音なのだろうか、ふと考える。

美しい音が完璧な音とイコールとはいえない。
いい音イコール完璧な音なのか、といえば、これも違う。

プログラムソースに収録されている音そのままを再現できれば、
そこに歪もノイズも加わることなく、
何らかの情報欠落もなく、何かが加えられることなく音が、
聴き手の耳まで到達できれば、それが完璧な音なのか。

完璧な音ではなく、完璧な文章だったら、どうだろか。
どんな文章が完璧な文章なのか。

完璧と評されている文章はあるのだろうか。
プロの書き手は、完璧な文章を目指しているのだろうか。

そんなことを考えていた。

素晴らしい文章といわれても、読み手によって受け止め方が違う。
どうしてこんな読み方をするのだろうか、といいたくなる読み方をする人もいる。
どんな文章であれ、曲解されるもの、といっていいだろう。

どれだけ優れた文章であっても、わずかな人が曲解すれば、
それはもう完璧な文章とはいえないのではないか──、
こんなふうに考えてみた。

だとすれば、どんな読み手であっても、
そこに書かれたことを曲解せずに、正しく受け止めることができる文章こそが、
完璧な文章となるのか。

そうだとすれば、完璧な音も、そういう音ということになるのか。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2019年)

一年が経った。
短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない。

今日は、とあるところにデッカのデコラを聴きに行っていた。
予定では昨日(12日)だったが、台風による今日になった。

偶然によって、10月13日に、デコラをじっくりと聴けた。
じっくりと聴いたのは、今回が初めてである。

項をあらためて、デコラについては書くつもりだが、
いろいろなことを考えさせられた。

だからこそこの一年、
何が変ったのか、とよけいに考えてしまう。

Date: 10月 13th, 2019
Cate: 書く

毎日書くということ(本音を失っているのか・その4)

(その3)で書いている本音とは、
いうまでもなくオーディオに対する本音であって、
オーディオ業界で稼ぎたい──、
というオーディオ評論家(商売屋)の本音ではない。

こんなこと書くまでもないことだと思いながらも、
ずいぶん世の中(オーディオの世界)も変ってきてしまったから、
念のため書いておく。

保身的なオーディオ評論家(商売屋)は反論するかもしれない。
オレだって、オーディオに対する本音は忘れていない、と。

でもそれはほんとうの本音なのだろうか、
いつしか偽りの本音に変り果ててしまっているのかもしれない。

誰が保身的なオーディオ評論家(商売屋)とは書かない。
それに一人とは限らない。

それに、こんな反論もある(実際にあった)。
家族がいる、家庭がある、養っていかなければならない──、と。

そういった時点で、オーディオ評論家(商売屋)と認めているということに気づいていない。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(こんなこともあった、という話・その2)

五年ほど前だったか、
偽ハイレゾ、ニセレゾということがインターネットで話題になっていた。

44.1kHz、16ビットで録音されたデータを、
ソフトウェアでアップサンプリングし、ビット拡張した音源を指してのものだった。

そういう擬装ハイレゾを、ハイレゾ音源としていた。
さすがに、いまではこんなことはどこもやらない、と思っていた。

ところが、どうもそうではないようだ。

これまで圧縮音源のみを提供していたところが、
ハイレゾ音源提供を、急にやりはじめた。
あえて、どこなのかは書かないが、よく知られているところである。

有名なところだけに、擬装ハイレゾなんてやらない、と信じていた。
ところが、ある人から聞いた話では、
mp3音源をアップサンプリングしビット拡張して、ハイレゾ音源としている、とのこと。

44.1kHz、16ビットの音源を元にした擬装ハイレゾではなく、
mp3を音源とした擬装ハイレゾだから、驚くしかない。

そこに音源を提供していた人が、今回の話をしてくれた人の知人である。
だから、いいかげんな情報ではない。

ただし、音源を提供している人と、そこのサイトの間には、
いわゆる問屋的な存在の会社が介在している。

この問屋的な会社が、mp3音源を擬装ハイレゾに加工して、
そこの有名・大型サイトに提供したのか、
それとも大型・有名サイトが擬装ハイレゾに加工したのか、
どちらなのかは現時点でははっきりしないが、どうも前者のようである。

今回のことは、こんなこともあった、という話ではなく、
いまもこんなことがある、という話だ。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その2)

昨晩は神楽坂にいた。
飯田橋駅から目的の店に向う途中、
時間の余裕があったので、書店に寄ろうとした。

(その1)で書いているように、
近所の書店が、今月号から無線と実験を置かなくなったからである。

飯田橋駅近くの書店はすでに廃業していた。
神楽坂に向って歩いて行き、個人経営の書店が見つかった。

オーディオ関係の雑誌はいくつかあったが、
無線と実験は、ここでも置かれてなかった。

無線と実験と同じ毎月10日発売のトランジスタ技術も、その書店にはなかった。
技術系の雑誌は扱わない書店なのだろうか。

初めて入った書店なので、そのへんのことはなんともいえない。
でも、無線と実験の11月号は、まだ見ることができないでいる。

大きな書店に行けばある。
それはわかっている。

でも小さな書店に置かれなくなる。
無線と実験以外のオーディオ雑誌は置いてあるからいいじゃないか、となるのか。

もうラジオ技術も一般の書店では扱わなくなってけっこう経つ。
そして無線と実験も、扱わなくなる書店が増えてきそうな感じである。

技術系というか自作系のオーディオ雑誌が、
大型書店以外では見つけることが大変になる時期が、意外にも早く訪れるのかもしれない。

これは憂慮すべきことだ、と思っている。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(再読したい)

(その18)まで書いてきて、
ここで再読してほしい、と思うのが、
瀬川先生がステレオサウンド 5号、
「スピーカーシステムの選び方 まとめ方」の冒頭に書かれていることだ。
     *
 N−氏の広壮なリスニングルームでの体験からお話しよう。
 その日わたくしたちは、ボザークB−4000“Symphony No.1”をマルチアンプでドライブしているN氏の装置を囲んで、位相を変えたりレベル合わせをし直したり、カートリッジを交換したりして、他愛のない議論に興じていた。そのうち、誰かが、ボザークの中音だけをフルレンジで鳴らしてみないかと発案した。ご承知かもしれないが、“Symphony No.1”の中音というのはB−800という8インチ(20センチ型)のシングルコーン・スピーカーで、元来はフル・レインジ用として設計されたユニットである。
 その音が鳴ったとき、わたくしは思わずあっと息を飲んだ。突然、リスニングルームの中から一切の雑音が消えてしまったかのように、それは実にひっそりと控えめで、しかし充足した響きであった。まるで部屋の空気が一変したような、清々しい音であった。わたくしたちは一瞬驚いて顔を見合わせ、そこではじめて、音の悪夢から目ざめたように、ローラ・ボベスコとジャック・ジャンティのヘンデルのソナタに、しばし聴き入ったのであった。
 考えようによっては、それは、大型のウーファーから再生されながら耳にはそれと感じられないモーターのごく低い回転音やハムの類が、また、トゥイーターから再生されていたスクラッチやテープ・ヒスなどの雑音がそれぞれ消えて、だから静かな音になったのだと、説明がつかないことはないだろう。また、もしも音域のもっと広いオーケストラや現代音楽のレコードをかけたとしたら、シングルコーンでは我慢ができない音だと反論されるかもしれない。しかし、そのときの音は、そんなもっともらしい説明では納得のゆかないほど、清々しく美しかった。
 この美しさはなんだろうとわたくしは考える。2ウェイ、3ウェイとスピーカーシステムの構成を大きくしたとき、なんとなく騒々しい感じがつきまとう気がするのは、レンジが広がれば雑音まで一緒に聴こえてくるからだというような単純な理由だけなのだろうか。シングルコーン一発のあの音が、初々しいとでも言いたいほど素朴で飾り気のないあの音が、音楽がありありとそこにあるという実在感のようなものがなぜ多くの大型スピーカーシステムからは消えてしまうのだろうか。あの素朴さをなんとか損わずに、音のレンジやスケールを拡大できないものだろうか……。これが、いまのわたくしの大型スピーカーに対する基本的な姿勢である。
     *
ボザークの8インチ口径のフルレンジ一発が、
瀬川先生に提示した音の世界こそ、
シングルボイスコイルのフルレンジユニットの、昔から変らぬ魅力である。

《音の悪夢から目ざめたよう》、
《清々しく美しかった》、
《初々しいとでも言いたいほど素朴で飾り気のないあの音》、
《音楽がありありとそこにあるという実在感のようなもの》、
素晴らしい、というより、大事なことではないか。