Archive for 4月, 2019

Date: 4月 13th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Hallelujah(その1)

不意打ちのような出逢いがある。
ケイト・ブッシュとの出逢いが、
まさにそうだったことは、以前「チューナー・デザイン考(ラジオのこと)」で書いている。

FMエアチェックしたカセットテープから聴こえてきたケイト・ブッシュに、
まさしく背中に電気が走った──、という感覚を味わった。

ケイト・ブッシュのことは知っていたけれど、
歌謡音楽祭でケイト・ブッシュの歌っている写真をみて、
こういうタイプは苦手だなぁ……、と思っていたくらいだった。

そんな偏見をもっていたにもかかわらず、である。

音楽との不意打ち的な出逢いは、他にもある。

テレビは持っていないので、
日本のテレビドラマを見ることはほとんどないけれど、
海外のテレビドラマは、MacやiPadで見ている。けっこう見ている。

アメリカのドラマ、
クリミナル・マインド FBI行動分析課(原題:Criminal Mind)、
FBI失踪者を追え(原題:Without a Trace)などを見ていると、
毎回ではないが、事件は解決するものの、そこでは人が死に、
決してハッピーエンドでははなく、エピソードによっては、重い後味を残す。

そういう時に流れるのが、“Hallelujah”だ。

レナード・コーエンの曲である。
けれどドラマで使われていたのはレナード・コーエンによるものではなく、
ジェフ・バックリィによる“Hallelujah”だ。

“Hallelujah”との出逢いも、不意打ち的だった。
しみいる、とは、こういう時に使うといえばいいのか。
そういう感じの不意打ちだった。

“Hallelujah”は、ジェフ・バックリィだけでなく、
けっこうな数の人がカバーしていることを、その後知った。

ジェフ・バックリィの“Hallelujah”は、“GRACE”で聴ける。

ケイト・ブッシュにしても、
“Hallelujah”にしても、
カセットテープにFMを録音した音(しかもチューナーもデッキも普及クラス)、
パソコンからの音であったりして、たいした音で出逢ったわけではない。

それだから、よけいに不意打ちと感じるのだろうか。

Date: 4月 12th, 2019
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(ディフューザーの未来・その1)

川崎先生が「ディフューザーは音響の実は要だと思っている」というタイトルのブログを書かれている。

そこでの写真は、JBLの4343のスラントプレート型の音響レンズである。
現在JBLのホーン型スピーカーに、音響レンズを採用している機種はない。

一時期は、音響レンズといえばJBL、といえるくらい、
音響レンズに積極的なメーカーだった。

以前書いていることだが、
JBLはこれからも音響レンズ付きのホーンをつくることはまずない。

日本のハーマンインターナショナルが、4343の復刻モデル、
もしくはリファインモデルを、という要望をJBLに出したところ、
音響レンズ付きのモデルは、過去の遺物──、
そんな返事があった、ときいている。

これは、日本からのリクエストが音響レンズつきのモデルを、であったことを語っている。

4348を見てみればいい。
4343の最終的な後継機種といえる4348。
音を聴けば、4344よりも4348こそが4343の後継機種と納得できるところはある。

あるけれど、ホーンを見てほしい。
そこには音響レンズはない。

ホーンの開口部に、音響レンズのたぐいをおく。
そのことのデメリットをJBLは承知している。
おそらく、現在のJBLのホーンの開発者たちは、
過去の音響レンズつきのホーンを全否定するであろう。

確かに音響レンズに問題がないわけではない。
例えば4343にもついているタイプの音響レンズ。
一枚一枚の羽の両端は、ほぼフリーといえる状態である。

羽と羽のあいだに、消しゴムを小さく切って挿んでいく。
これをやるだけで、羽を指で弾いた時の音が大きく変化する。

音を鳴らしてみても、変化は誰の耳にも明らかである。
4343、4344、4350などのスタジオモニターを鳴らされている方のなかにも、
音響レンズを外してしまった、という人がいる。

外すことによって、音響レンズが介在することによる付帯音はなくなる。
羽と羽とのあいだに消しゴムの小片を挿むのも、付帯音を減らすためである。

Date: 4月 11th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その9)

ウェストレックスのA10は、初段が6J7(五極管)で、
位相反転回路が一種のオートバランス型で、ここには6SN7が使われている。

そして出力段が350Bのプッシュプル(五極管接続)となっている。
350Bを四本使用のパラレルプッシュプルがA11である。

実際には6J7による前段回路が、初段の前にあるが、
一般的なオーディオアンプとして、A10のレプリカの製作記事では、
この6J7による回路は省かれる。

伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプは、
初段がEF86、位相反転回路がE82CC、出力段が349Aとなっていて、
やはり前段の6J7の回路は省かれている。

NFBは出力トランスの二次側からではなく、出力段からでもなく、
位相反転回路から初段へとかけられている。

A10そのままの回路では、300Bの深いバイアス電圧に対して十分な電圧とはならない。
6SN7による位相反転回路の出力電圧は上側の6SN7が30V程度で、
下側は2V弱高くなる。

30Vちょっとでは300Bには足りない。
だから位相反転回路と出力段のあいだにE80CCによる増幅段を挿入する。

信号部には、300Bの二本を含めて、計五本の真空管を使う。
電源部もダイオードではなく整流管にするから、
真空管は六本使うことになる。

この回路で300Bプッシュプルを作りたい、と考えている。
300Bは固定バイアスではなく、自己バイアスにする予定。

NFBのかけ方も、A10に準ずる。
出力トランス、出力管からNFBを戻すようなことはしない。

もちろんそうしたほうが周波数特製も歪率も良くなるのはわかっていても、
そういうことは、ここでの300Bプッシュプルアンプには必要ない、と決めてかかっている。

Date: 4月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その4)

ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”は、
通常のCDでもあり、MQA-CDでもあり、SACDでもある。
ハイブリッド盤であり、一枚で三つの音が楽しめる。

その3)で、
“FAIRYTALES”が、MQA-CDとSACDのハイブリッド盤であるということは、
自信のあらわれであろう、と書いた。

3月のaudio wednesdayで、“FAIRYTALES”をかけた。
このときはマッキントッシュのMCD350でかけた。
SACDとして鳴らした。

この時の音もなかなかよかった。
アルテックのスピーカーとは思えないほどしっとりした感じで鳴ってくれた。
その鳴り方に、少し驚きもした。

4月のaudio wednesdayで、ULTRA DACでMQA-CDとして鳴らした。
ラドカ・トネフの声が聴こえてきた瞬間、
アルテックって、こんなふうに鳴ってくれるのか? と心底驚いた。

別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた(その17)」で引用した瀬川先生の文章を、
今回もまた強く意識していた。

アルテックのスピーカーに、こういう面があったのか、
認識不足といわれようと、ラドカ・トネフが、こんなふうにしっとりと鳴ってくれるとは予想できなかった。

SACDで聴いた音を、しっとりと表現しているけれど、
MQA-CDとULTRA DACで「しっとり」は、虚と実といいたくなるほどの違いがある。

もちろんMCD350とULTRA DACとでは、製品の価格帯が大きく違う。
同列に比較できないのはわかっている。

わかっているけれど、ここでの音の違い、
それもしっとりと表現したくなる音の違いは、そんなことを超えている。

3月のaudio wednesdayでのSACDのラドカ・トネフの歌(声)は、よかった。
よかったけれど、ステレオサウンドの試聴室で、
山中先生が持ってこられたときに聴いているラドカ・トネフの印象とは、やや違っていた。

その違いは、いろいろなところに要因があるから、そういうものだろう、という、
ある種の諦め的な受け止め方もしていた。

けれど、どうもそうではないようだ、と気づかされた。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(5G通信)

アメリカで5G通信が開始になったというニュースがあった。
日本では2020年開始の予定らしいが、
5G通信が本格的に普及となってくると、オーディオ機器の受ける影響はどう変化するのだろうか。

5Gでは、3.6〜6GHz帯と、28GHz帯が使われるらしい。
4Gが3.6GHz以下だったから、28GHzはそうとうに高い周波数となる。

28GHzという高い周波数が、オーディオ機器へどういう影響を与えるのかは、
高周波の専門家ではないから見当がつかないが、小さくない変化ではあるはずだ。

このくらい高くなると無視できるようになるのか、
それともいままで以上の影響が発生するのか。

さらに何年後かに登場するであろう6G、7Gとなっていくと、
周波数はますます高くなっていくのか。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その7)

その6)でふれたTOWER VINYL SHINJUKUに行ってきた。

オープン告知のイラストには、アルテックのA7らしきスピーカーが描かれていた。
実際にあったのはA7ではなくA5だった。

JBLのスピーカーもイラストにはあった。
こちらは4429で、イラストにあったモデルよりも小型モデルである。

広い売場であっても、アルテックのA5ならば、一組で十分な音量ですみずみまで音を届けられよう。
そんなことをすると、スピーカーの間近ではけっこうな音量となるから、
売場全体を均一の音量に揃えるためだろう、A5がメインで、
サブ的(補助的)に4429が離れて配置されている、という感じである。

配置的にはそんな印象だが、実際に4429の音を聴いているのかも──、
という印象が残る。

A5は音的には不要か、といえば、
現状の鳴らし方だとそうともいえる。
それでもA5がエスカレーターを降りて、すぐに目につくところにある。

人によっては黒くて異様な物体という印象を受けるかもしれない。
武骨なA5である。

いまのところひっそりとしか鳴らされていない。

丸善ジュンク堂に住んでみる」ツアーというのがある。
今年も行われるであろう。

こういうツアーをタワーレコードもやってくれないだろうか。
TOWER VINYL SHINJUKUで一泊する。
A5がひっそりとではなく、堂々と鳴る音で、アナログディスクを朝まで聴く、というツアーである。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: きく

似ていると思う感覚の相違(その2)

ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」が、昨年秋に出た。

書店で、この本を見た時、
ティム・クック? と最初に思った。

ティム・クックはAppleのCEOであって、
そのティム・クックの写真が、音楽関係の書籍の表紙に使われることはないのはわかっていても、
ブロムシュテットの自伝の表紙の写真をみると、まずティム・クックを思い出す。

今日もそうだった。
ブロムシュテットの自伝をみて、やっぱりティム・クックだ、と思っていた。

このことを昨秋に書こうと思っていたけれど、書かずにいたのは、
ティム・クックとヘルベルト・ブロムシュテットが似ているということに、
誰かの同意が得られるとは思っていなかったのと、
なぜ似ていると、ブロムシュテットの自伝の写真を見る度に思うのか、
その理由が掴めずにいたからである。

今日ここで書いているからといって、似ている理由が掴めたわけではない。
私と同じに感じる人はどのくらいいるのだろうか。
それを知りたいわけではない。

ブロムシュテットとクックを、私と同じように似ていると感じる人は、
音の聴き方において、私に近いところがあるのか──、
そんなことを考えるようになったからである。

初めて聴くスピーカーがあったとしよう。
そのスピーカーの音を、誰かに伝える。
その誰かが親しい人で、音についてよく語り合っている人ならば、
そのスピーカーが、
例えば過去のスピーカーのどれかに似ているところがあると感じたのならば、
あのスピーカーに似ていて、ここがこんなふうに違う、といった伝え方ができる。

それでなんとなく伝わるところが、オーディオにはある。
でも、それはあくまでもなんとなくなのだろう。

Date: 4月 8th, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

5月1日のaudio wednesdayは、メリディアンの218を聴く。
218で、私が聴きたいと思っているのは、ベンジャミン・ブリテンによる演奏だ。

以前書いているように、私はブリテンの演奏が好きである。
ブリテンのモーツァルト、バッハ、シューベルトも美しい、と思っている。

メリディアンもブリテンもイギリスである。
だから「三度ULTRA DAC」ではブリテンのモーツァルトをかけた。

もっとじっくりブリテンの演奏を聴きたい、と感じていた。
だから218でも、ブリテンを聴きたい、と思う。

2013年夏に、“BRITTEN THE PERFORMER”がデッカから出た。
27枚組の、このボックスは演奏家(指揮者、ピアニスト)としてのブリテンが聴ける。
このボックスについては、「BRITTEN THE PERFORMER」というタイトルで書いている。

218で、“BRITTEN THE PERFORMER”をじっくりと聴けたら、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 8th, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その39)

3月のaudio wednesdayでは、電源コード、
4月のaudio wednesdayでは、ラインケーブルを自作して聴いてもらった。

自作に必要なモノは昨年末に買っていた。
私のやる気まかせのため、1月に聴いてもらう予定が2月になり、
2月がさらに3月になってしまった。

しかも3月ではラインケーブルもいっしょに聴いてもらおう、と考えていたが、
それも4月に延期してしまった。

実をいうと、ラインケーブルはアンバランス用とバランス用、
両方作る予定でいた。
コネクターも必要な分買っていた。

けれどアンバランス用を自作して、
構造上作るのが少々やっかいなところがあって、
バランス用はさらに先延ばしにした。

ケーブルの自作といっても、
単に切り売りのケーブルを買ってきて、コネクターを取り付けただけではない。
使えそうなケーブル(構造)を見つけ、一工夫加えている。

どんなことをやっているのかは、audio wednesdayに来た方で、
会が終ってから訊いてきた人には教えている。

ケーブルの自作も、やり始めると楽しい。
めんどうな作業もあったけれど、
ケーブル作りは、もっとも失敗の可能性の低い自作であるな、と改めて思いながら作業していた。

けれど工夫のしがいがあまりない。
そんなふうに思われるかもしれないが、ほんとうにそうだろうか。

オーディオは2チャンネルである。
モノーラルを二本用意すれば、ステレオ用となると考えるのはやや早計といえる。

いまではヨーロッパのオーディオ機器もコネクターにDINが使われることはなくなった。
以前はQUADもそうだったし、ヨーロッパのオーディオ機器はDINコネクターだった。

DIN用のケーブルを自作していて気づいたことがある。
それが今回自作したケーブルの発想のもとである。

Date: 4月 7th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その6)

(その5)に、facebookで二人の方からコメントがあった。

「DEBUT AGAIN」での大滝詠一の歌(声)を聴いて、
私はlongでの音が、大滝詠一の声に近いと感じたように、
コメントをくださった方は、shortでの声に、
これが大滝詠一の声じゃないか、と感じ、懐しくてグッと来た、とあった。

懐しく、とあるように、ずっと大滝詠一の歌を聴き続けてきた人と、
ほとんどといっていいほど聴いてこなかった私とでは、違ってきて当然であろう。

そこで鳴っている音楽に対しての心象風景が、一人ひとりみな違う。
同じところがあったとしても、こまかなところでは一人ひとりみな違う。
根本的なところで、大きな違いがあることだってままある。

そういう人たちが何人か集まって、毎月第一水曜日に音(音楽)を聴いている。
音楽は独りで聴くものだ、と思っている私でも、
月一回、こうやって聴くのは、毎回楽しみにしている。

今回はULTRA DACを聴くのに夢中で、
audio wednesdayの途中で、来られた方たちと話すことはあまりなかった。
19時から23時半ごろまでの四時間以上聴いていても、そうである。

だからこそ、facebookでのコメントがあると、
そのへんのことが少しは知ることができて、興味深い。

shortでの音にグッと来た人も、longでの音が、
作品としてはしっくりときた、と書かれてもいた。

そうだろう、と思う。
人には、その音楽の聴き手としての歴史がある。
その歴史が、グッと来た人と私とではかなり違う。

これまで大滝詠一のアルバムは何枚か聴いている。
けれど、いずれも誰かのリスニングルームにおいて、である私は、
「DEBUT AGAIN」が初めて買った大滝詠一のアルバムである。

大滝詠一の音楽に対して、聴き手としての歴史が浅すぎる私には、
懐しくてグッと来た、という感情はもとよりない。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その5)

何枚かのディスクをかけたあとで、もう一度「DEBUT AGAIN」を鳴らす。
ULTRA DACでの通常のCDをかけるときは、フィルターを三通り聴くことになる。

short、medium、long、どれにしてもたいして音が変られなければ、
さほど気にすることはないが、
ここでの音の変化は、音楽好きにはたまらない機能といえる。

「DEBUT AGAIN」をshort、medium、longの順で、野上さんに聴いてもらったあとに、
「longでしょ」と訊いた。
「longが、大瀧くんの声にいちばん近い」との野上さんはいわれた。
根拠のない私の確信が確認できた。

ULTRA DACのlongフィルターで聴く大滝詠一の「熱き心に」は、
別項「MQAのこと、潔癖症のこと」で書いたことに関係してくる。

その冒頭に、
“See the world not as it is, but as it should be.”
「あるがままではなく、あるべき世界を見ろ」
と書いている。

ULTRA DACのlongフィルターで聴く大滝詠一の「熱き心に」は、
あるべき世界(音)で鳴ってくれた、という印象が私にはある。

あるがまま、ということでは、もしかするとshortフィルターでの音がそうなのかもしれない。
そんな可能性があるのを無視できない。

マイクロフォンを通して、そしてさまざまな録音器材を経て録音された、
いわば原音での大滝詠一の歌(声)は、どうなのか。
それを知る術はないけれど、もしかするとshortフィルターでの音が、
あるがまま、ということでは近いのかもしれない──、と思わないわけではない。

けれど聴きたいのは、あるべき世界(音)である、私の場合は。
そうなるとlongフィルターでの音を、
私は大滝詠一の「熱き心に」を聴くのであれば選択する。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その3)

一人での試聴もあれば、そうでない試聴もある。
オーディオ雑誌の試聴では、オーディオ評論家が一人で聴くこともあれば、
複数のオーディオ評論家が並んで聴くこともある。

オーディオ評論家一人の場合であっても、
試聴室には編集者が同席しているわけであって、厳密には一人での試聴なわけではない。

オーディオマニアがオーディオ店での試聴することもある。
一人での試聴の場合もそうである。
店員が同席しているから、一人で試聴するという機会は、
自宅での試聴以外にはそうそうない。

つまり自宅以外の試聴では、誰かが隣にいる。
編集者、店員であろうが、誰かが最低でも一人はいる。

名目上一人での試聴だから、好きなディスクを鳴らしても、
誰かから苦情がくるということはない。

編集者にしても店員にしても、
「へぇ〜、こんなディスク(音楽)聴くんですか」と心では思っていたとしても、
それを口に出すことはまずないし、
試聴している人にとっては、編集者、店員は黒子に近い存在と受け止めているのかもしれない。

それでも、そこでかけるディスク(音楽)を聴いているのは、自分一人ではないのは変らない事実だ。
だからこそ、どんな時であれ、試聴であるならばかけるディスクの選択に無頓着ではいられない。

同席している編集者、店員に積極的に聴かせたい、という気持があるなしに関係なく、
誰かが同時に聴いている。
このことを無視してのディスク選択はありえない。

その2)を書いたのが2017年12月。
この(その3)を書こうと思い立ったのは、
先日のaudio wednesdayで、来てくださった方たちが「青春の一枚」を持ってこられたからだった。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その1)

駅からの帰り道、
「瀬川冬樹というリアル」、
こんなことを思いついた。

なんのきっかけもなしに頭に浮んできた思いつきである。
思いつきではあるものの、たしかにそうだな、と思いつつ歩いていた。

「瀬川冬樹というリアル」。
「虚構世界の狩人」でもあっただけに、
このことばに、ある種の手応えのようなものを感じてもいた。

同時に、「菅野沖彦というリアル」、
「岩崎千明というリアル」……、などについても考えてみた。

思いつくオーディオ評論家の名前のあとに「というリアル」をつけてみる。
しっくり来る人、来ない人がいる。

少なくとも、現在オーディオ評論家を名乗っている人の名前のあとに「というリアル」をつけても、
なんともピンとこない。

ピンとこない理由を考えてみたわけではない。
私にとってピンとくる人こそがオーディオ評論家(職能家)であり、
ピンとこない人はみなオーディオ評論家(商売屋)ということ、
そのことに気づきながら、
最初におもいついた「瀬川冬樹というリアル」というタイトルで、
なにか書けそうな予感だけはある。

Date: 4月 5th, 2019
Cate: audio wednesday

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その4)

2016年1月から、audio wednesdayで音を鳴らすようになった。
2016年春に大滝詠一の「DEBUT AGAIN」が出た。

5月のaudio wednesdayだったと記憶しているが、その時に鳴らしている。
トゥイーターがJBLの075ではなく、グッドマンのDLM2だったし、
CDプレーヤーはラックスのD38u、アンプはマッキントッシュのMA2275だった。

ネットワークも現在使っているモノとは違っていた。
つまりかなり違っていたわけで、「DEBUT AGAIN」は満足のゆく音では鳴らなかった。

もっと、こう鳴るはずなのに……、というおもいはあったけれど、
まだまだシステム全体の整備をしているような段階だっただけに、内心口惜しいおもいだった。

それからほぼ三年。
「DEBUT AGAIN」をもう一度鳴らすことはしてこなかった。

今回も持っていくつもりはなかったけれど、
前日の夜、「DEBUT AGAIN」が目に留ってバッグの中にいれておいた。

4月3日のaudio wednesdayでは、
音出しの準備が終って最初にかけたのが、「DEBUT AGAIN」だった。
アンプもCDプレーヤーも電源をいれたばかりだったけれど、
三年前とはいろいろなところが変っている。

それにともない音も、当然のことながら変化している。
三年前とは違う。手応えのある音で一曲目の「熱き心に」が鳴ってきた。

だからメリディアンのULTRA DACにしてから、もう一度「DEBUT AGAIN」をかけた。
通常のCDなので、ULTRA DACのフィルターを三通り試した。

私は大滝詠一の熱心な聴き手ではなかったし、いまでもそうだとはいえない。
大滝詠一の歌(声)のイメージが、
しっかりと自分の裡にある、とは自信をもっていえないところもある。

それでもフィルターを変えていき、longでの音を聴いて、
大滝詠一の声はこれだ! と確信していた。

確信していただけに、確認したかった。
写真家の野上眞宏さんに聴いてもらうという確認が、いまではできる。

実を言うと、そろそろ野上さんが来られる時間だな、という頃合いに「DEBUT AGAIN」をかけた。
でもうまいこといかずに、かけ終ったころに来られた。

すぐに再度かけてもよかったけれど、
せっかくなので、アンプもULTRA DACも十分にウォームアップが済んでからにした。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その1)

先日、あるところにいたら、男性二人組のラーメンの会話がきこえてきた。
二人の会話に出てくるラーメン店は、私も以前食べたことがある。

普段利用することのない駅の近くにある店だから、
わざわざ、そのラーメン店だけを目的で行こうとまでは思わないものの、
近くに行く用事があったら、もう一度寄ってみたい(食べたい)と思う味である。

きこえてきた会話は、一人が、その店のラーメンを、すべてがものたりない、という評価に、
もう一人が、そうかなぁ、という内容だった。

きこえてくるものだから聞くともなしに聞いていると、
どうやら「ものたりない」と感じている一人は、
いわゆるラーメンライスが好物な人のようだった。

白いご飯に合うか合わないかが、彼のラーメンの判断基準の大きなところを占めている。
もう一人は、ラーメンだけを食べて、おいしいかそうでないかを基準としているようだった。

一人が「ものたりない」と感じているラーメンは、
そのラーメンをおかずに白いご飯を食べたくなるものではない。
あくまでもラーメン単体で食べて、おいしいと感じる仕上がりである。

会話をしていた二人はそのことに気づいていないのか、
どちらも納得していないように見えた。
つい横から、赤の他人の私が口出ししたくなる会話だったが、
こういうすれ違いのようなことは、音に関する会話でも生じているのかもしれないなぁ、
と聞きながら思っていた。

伊藤先生は、ステレオサウンド 42号「真贋物語」で、
《とんかつぐらいラーメンと共に日本人に好かれる食いものはない。何処へ行っても繁昌している。生の甘藍(きゃべつ)がこれほどよく合う料理もないし、飯に合うことは抜群である》
と書かれている。

ただしここでのラーメンは、白いご飯と合うことで挙げられているのではないだろう。
あくまでもとんかつが、飯に合うわけである。

白いご飯に合う、といえば、知人もそうである。
彼はステーキよりも焼肉が好きだ、という。
その理由は焼肉は白いご飯がすすむからだ、という。

彼は焼肉店に行くと、肉と一緒にご飯も頼む男である。
彼が焼肉を好む理由は、わかる。

焼肉でも、白いご飯をいっしょに食べたくなる店(味)がある。
肉だけを食べておいしい店も好きだし、ご飯といっしょに食べたくなる店も好きである。