メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その6)
(その5)に、facebookで二人の方からコメントがあった。
「DEBUT AGAIN」での大滝詠一の歌(声)を聴いて、
私はlongでの音が、大滝詠一の声に近いと感じたように、
コメントをくださった方は、shortでの声に、
これが大滝詠一の声じゃないか、と感じ、懐しくてグッと来た、とあった。
懐しく、とあるように、ずっと大滝詠一の歌を聴き続けてきた人と、
ほとんどといっていいほど聴いてこなかった私とでは、違ってきて当然であろう。
そこで鳴っている音楽に対しての心象風景が、一人ひとりみな違う。
同じところがあったとしても、こまかなところでは一人ひとりみな違う。
根本的なところで、大きな違いがあることだってままある。
そういう人たちが何人か集まって、毎月第一水曜日に音(音楽)を聴いている。
音楽は独りで聴くものだ、と思っている私でも、
月一回、こうやって聴くのは、毎回楽しみにしている。
今回はULTRA DACを聴くのに夢中で、
audio wednesdayの途中で、来られた方たちと話すことはあまりなかった。
19時から23時半ごろまでの四時間以上聴いていても、そうである。
だからこそ、facebookでのコメントがあると、
そのへんのことが少しは知ることができて、興味深い。
shortでの音にグッと来た人も、longでの音が、
作品としてはしっくりときた、と書かれてもいた。
そうだろう、と思う。
人には、その音楽の聴き手としての歴史がある。
その歴史が、グッと来た人と私とではかなり違う。
これまで大滝詠一のアルバムは何枚か聴いている。
けれど、いずれも誰かのリスニングルームにおいて、である私は、
「DEBUT AGAIN」が初めて買った大滝詠一のアルバムである。
大滝詠一の音楽に対して、聴き手としての歴史が浅すぎる私には、
懐しくてグッと来た、という感情はもとよりない。