Archive for 12月, 2018

Date: 12月 6th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その1)

別項「私は、マリア・カラス」で、ULTRA DACでマリア・カラスを聴きたい、と書いた。

昨晩のaudio wednesdayで、マリア・カラスの「カルメン」を聴いた。
通常のCDだから、ULTRA DACのフィルターを切り替えながら聴いた。

まずshortで聴いた。
それからlongにして、mediumにした。

どの音をとるのかは、人によって違うだろうし、
聴き方によっては、その日の気分によっても、どれを選択するかは変ってこよう。

マリア・カラスの声、そして歌い方に焦点を、そこだけにあわせて聴くのであれば、
圧倒的にshortがいい。

プロの歌手を目指している人であれば、shortの音をとるはずだ。
そう思えるほど、よくわかる。

よくわかるだけに、どうしても耳の焦点は、マリア・カラスのみにあわせてしまう。
マリア・カラスの独唱のみならば、これでもいい、と思う。

でも「カルメン」はいうまでもなくオペラである。
オペラという舞台を聴きたい、と思うのであれば、shortの音はマリア・カラスに近すぎる、と感じる。

もう少し引いて距離をとりたい、と思わなくもない。
longにすれば、その傾向になる。
けれど、shortを聴いたあとだけに、よけいにその距離がやや取りすぎたようにも感じる。

longの音だけ聴いていれば、これで満足しただろうに、なまじshortの音を聴いているだけに、
距離とディテールの再現が反比例するかのようにも受けとれる。

mediumの音が、昨晩の音では、「カルメン」というオペラが楽しめる音だった。
マリア・カラス一人だけのオペラではない。

ドン・ホセ役のニコライ・ゲッダ、エスカミーリョのロベール・マサール、
ミカエラのアンドレア・ギオーなどがいて、コーラスも加わる。

そういう舞台を楽しみたいのであれば、mediumの距離感が、私にはちょうどいい。

もちろん、これはあくまでも、
マリア・カラスの「カルメン」を、しかも喫茶茶会記のシステムで鳴らして、の話である。

他の録音、他のシステムでは、その選択も変ってこよう。

Date: 12月 6th, 2018
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE (with ULTRA DAC)

JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)のサウンドトラックを、
今回もかけた。

9月、ULTRA DACをはじめて聴いたときにもかけた。
今回も、基本的にシステムは同じだ。

トランスポートがスチューダーのD731になったぐらいの変更である。
こまかなところはいくつか変更している。

別項で書いているように、アンプの脚を交換したし、
前回のaudio wednesdayから、アルテックのホーンにバッフルをつけている。
他にもこまかな変更点はいくつかある。

それにしても、昨晩はよく鳴ってくれた。
1曲目の“EVERYBODY KNOWS”もよかった。
それ以上に23曲目の“COME TOGETHER”はよかった。

やや大きめの音量での“COME TOGETHER”。
ビートルズではなく、歌っているのは、Gary Clark Jr. and Junkie XL。

これが、ほんとうにかっこいい。
いままでいろんな音を聴いてきた。

その他にもいろんな感想をもってきた。

けれど、昨晩初めて「かっこいい」と口に出してしまった。
私だけがそう感じていたのではなく、聴いていた人も「かっこいい」と感じていた。

ほんとうに、音がかっこいい、のだ。

Date: 12月 6th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(アンプの脚・その7)

11月のaudio wednesdayで、
マッキントッシュのMCD350とMA7900の脚に少しばかり細工したことはすでに書いているとおり。

昨晩のaudio wednesdayでは、脚そのものを交換した。
別に高価なアクセサリーとして売られてるモノにしたわけではない。
東急ハンズで売っているモノを使っている。

たったこれだけの変更なのだが、トータルでの音の変化はけっして小さくない。
昨晩のaudio wednesdayではメリディアンのULTRA DACを、
9月に続いて、再び聴くことができた。

入力側の機器がこれだけよくなると、
脚による音の変化はそれだけ大きくなる。

パッと見て、脚が変っていることには気づきにくい。
私が言う前に気づいた人はいなかったが、
音の違いは、ほぼ全員が感じていた。

アンプの脚を交換しただけで、
しかも費用は千円もかかっていない。
たったそれだけで、どれだけの音の変化か、と疑う人は疑っていればいいし、
オリジナルに手を加えるなんてけしからん、と思う人も、そのまま変らずにいてくれればいい。

井上先生がよくいわれていたように、
情報量が増えれば増えるほど、ささいなことで音は少なからぬ変化をする。

結局、そういうことである。

Date: 12月 6th, 2018
Cate: audio wednesday

第96回audio wednesdayのお知らせ(マリア・カラスとD731)

メリディアンのULTRA DACを再び聴けた昨晩のaudio wednesdayはよかった。
よかっただけに、翌月のテーマは考えてしまう。
9月に聴いたあともそうだった。

今回も何にしようかと悩んだけれど、
マリア・カラスを聴こう、と考えている。

いま喫茶茶会記にはトランスポートとして使ったスチューダーのD731が、来月まである。
このD731でマリア・カラスのCDをたっぷりと聴こう、と思う。

マリア・カラス以外はかけないつもりだ。
1月の第一水曜日は2日。
こんな日に来てくれる人はそういない。
少しわがままを通しての、マリア・カラスとD731である。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 12月 5th, 2018
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その4)

昨年、(その3)でラックスのアンプのプロポーションについて書いた。
ずんぐりとしたプロポーション。

私には、こんなプロポーションにする理由がわからずにいた。

別項「2018年ショウ雑感(その25)に、facebookでコメントがあった。
そこには、ミニヴァンをかっこいいと思っている人たちが多いのは嘆かわしい、とあった。

ミニヴァンをかっこいい、と思う人がいるのか、と驚くとともに、
そうか、そういう感覚からすれば、
ラックスのいまどきのずんぐりプロポーションもかっこいいのか、とも思った。

ラックスのずんぐりプロポーション・アンプのデザイナーが、
どういうクルマをかっこいいと捕えているのかは知らない。
ミニヴァンをかっこいい、と捉えているのかどうかもわからない。

それでも、そこにつながっていく何かがあるような気はしている。

Date: 12月 5th, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(その25)

オーディオはかっこいい、と思われること。
それが大事だと書いてから思ったのは、
いまの時代、かっこいいは、昔ほど、その輝きを失っているのか、とも考えてしまう。

スーパーカーと呼ばれるクルマが走っているのをみれば、
かっこいい、と感じる。

大阪ハイエンドオーディオショウの会場を出て、しばらく歩いていたら、
ランボルギーニのアヴェンタドール(黄色)が走っていった。

東京にいても、アヴェンタドールが走っているところは、なかなかお目にかかれない。
かっこいいな、と目で追っていた。

若者のクルマ離れがいわれている。
その理由について、あれこれいわれているようだ。

どうしてクルマ離れなのか、
別にクルマ離れに限らず、若者の○○離れは話題になっている。

それは、かっこいいの価値が薄れてきているのかも──、と私は思う。

Date: 12月 4th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その5)

上原晋氏のリスニングルームは、ちょっと変形なため広さをややつかみにくいが、
20畳はあろう。

私だったら、これだけのスペースがあればためらうことなくSuper Red Monitor(SRM)を入れる。
もっと狭いスペースでも、SRMを鳴らしたいと思ったなら入れる。
たとえ六畳間であっても、SRMを設置できるのだから、SRM12Xを含めて、
SRMシリーズの他の機種はもう目に入らない、とでもいったほうがいい。

結局、欲しいと思えたスピーカーの大きさなんて、ほとんど気にしない。
もちろん物理的に部屋に入らないほどの大きなモノならば、あきらめるが、
部屋に入る以上は、そこを、それを目指す。

上原晋氏がSRM12Xを選ばれたのか、その理由はわからない。
リスニングルームの片隅には、いまは鳴らされていないQUADのESLがあった。

おそらくSRM12X導入前は、このESLを鳴らされていたのだろう。
リスニングルームの完成は前にも書いているように1978年だから、
SRM12Xもちょうどその頃からなのだろう。

となるとESLは以前のリスニングルームに鳴らされていたのか。
そのときの部屋の広さはどのくらいだったのだろうか。

狭くはなかったように勝手に思っている。
おそらく空間の広さに応じてのスピーカーの選択ということ、
つまりバランスを重視しての選択をされていたのではないのか。

私もESLを鳴らしていた。
六畳弱の狭い部屋で鳴らしていた。
しかも部屋は横長に使っていた(長辺側にスピーカーを置いていた)。
ESLと私との距離は、ごく短い。
手を伸ばせば、誇張でなくもう少しでESLに届くほどだった。

ESLと壁との距離も最低限しか確保できなかった。
アンプはSUMOのThe Goldだった。
そんな極端なアンバランスな環境のもとで、私はESLを鳴らしていた。

上原晋氏は、こんなことは決してやらない人なのだろう。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: audio wednesday

第95回audio wednesdayのお知らせ(再びULTRA DAC)

二日後のいまごろは、ULTRA DACの音を聴いている。
この時間(21時すぎ)になれば、システム全体の調子もあがってくる。

そんなことを、もう想像している。
多くの人にULTRA DACの音をじっくり聴いてもらいたい、という気持がある。
でも、喫茶茶会記のスペースは、そう広くはないからなぁ……、という気持もないわけではない。

12月5日のaudio wednesdayで、
もう一度メリディアンのULTRA DACを鳴らす。

D/Aコンバーターを鳴らす、と表現するのはおかしいかもしれないが、
そう表現したくなる気持がある。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その4)

こういうことを書くと、
若い人は、アナログディスク再生のノウハウを身につけていないから仕方ないこと──、
そんなことをいってくる人がいるかもしれない。

私より若いスタッフのブースも確かにあった。
私と同世代のスタッフと思われるブースもあった。

若いスタッフのブース(会社)には、何も若い人だけがいるわけではないはず。
私と同世代か、上の世代の人もいよう。
そういう人たちから学ばないのか、とも思うよりも、
全体的に、アナログディスク再生が老いてきているように感じてしまう。

昔取った杵柄で、アナログディスクを再生しての音出し──、
やっている側はそういう意識なのだろうが、
昔取った杵柄は、いつのまにか錆びついているのかもしれない。

それに鍛えていなければ、技能や腕前は衰えていくのではないのか。
そんな空気が漂っているのかもしれない。

個人で、いまも昔取った杵柄をさらに鍛えてのアナログディスク再生の人もいるはず。
けれど、オーディオショウでは、そういう人がアナログディスク再生を行っているわけではない。

昔取った杵柄は、いまでは幻影になっているのに気づかずに……、
そういう空気が、アナログディスク再生が老いてきているように感じさせてしまうのか。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その3)

オーディオショウでも、アナログプレーヤーを使っての音出しは増えてきている。
残念ながら、それらがすべてきちんと調整された音ではなかったりする。

今回のインターナショナルオーディオショウでも、気になるブースがいくつかあった。
あるブースでは、アナログディスク再生時に、ウーファーの振動板が前後にフラフラしている。

ここまで揺れていたら……、と心配したくなる。
そのブースのスタッフの誰一人、そのことを気にしている様子はなかった。
ウーファーの前後の揺れがどういうことが起きて生じているのか理解していないのか。
そんな感じすら受けた。

別のブースでは、凝った構造のトーンアームでの音出しだった。
昨年も、このブースで感じたのは、完全にトーンアームが調整しきれていない、
そんな感じである。

どこかヒステリックな印象がつきまとう。
それにあるレコードがかけられた。

歌手は二人。
なのに二人とも同じところに重なって歌っているようにしか聴こえない。

左右のスピーカーのちょうどセンターにいたわけではない。
席ひとつ分だけ右にずれていた。
その位置では、右側のスピーカーの位置に、二人の歌手が重なるように定位している。

初めて聴くディスクなので、それが録音のせいという可能性はわずかに残るが、
常識的に考えて、そんな録音のはずはない。
調整不備からなのだと思われる。

あるブースでは、プレーヤーキャビネットのうえに、
スタイラスカバーや針先クリーナーを置いたままでの音出しだった。
スタビライザーも、ディスクによっては使用していなかった。
意図的にそうしていたのか、単にスタビライザーをのせるのを忘れていただけなのか。

細心の注意が払われているな、と感じるブースはなかった(少なくとも私がみた範囲では)。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(補足・来年のこと)

ノアはトーレンス、ハーベス、マイケルソン&オースチンの輸入元であった。
その後、カウンターポイントを扱うようになり、
1980年代に入り、アークという子会社をつくり、
そこでバンデンハルやH&Sを取り扱っていた。

ノアはNoah、アークはArkである。
つまりNoah’s Ark(ノアの方舟)である。

そういうおもいが込められている社名である。

Date: 12月 3rd, 2018
Cate: ショウ雑感

2018年ショウ雑感(余談・来年のこと)

別項「2018年をふりかえって」を書き始めたくらいだから、
もう年内に驚くようなこと、驚くような新製品は登場しないと思っていた。

さきほど知った、ノアとアークジョイアの完全子会社のニュース
驚かない人もいるだろうけど、私は驚いた。

驚くとともに、ふりかえってみれば、なんとなく思いあたることがまったくなかったわけでもない。
それでも、あくまでもこのニュースを知ったうえでふりかえってみて、である。

発表されていることからは、全株式を取得しての完全子会社にした以上のことはわからないけれど、
来年のインターナショナルオーディオショウのノアとアークジョイアのブースは、
完実電気との協同のブースとなるのだろうか。

それとも完実電気が輸入元となっているブランドのいくつかが、
ノアもしくはアークジョイアに移り、インターナショナルオーディオショウで聴けるようになるのか。

そういったことはいまのところまったくわからないが、
2019年のインターナショナルオーディオショウでは、なんらかの変化はあるはず。
おもしろい変化がおこるのではないか、と期待している。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その2)

その1)で書いたイベントでは、プレーヤーの傾きもそうだったが、
ハウリングに関しても、ひどかった。

音楽が鳴っているときにハウリングが起っているのが、はっきりとわかるほどのひどさだった。
プレーヤーを操作している人も、ハウリングが起きているのは少しすればわかるようで、
音量を少し下げる。

こんな再生環境で、オリジナル盤が音がいい、と、
そのイベントの常連の方たちは、本気で思っているのか。
ハウリングが簡単に起ってしまうような状態で、日常的に音を聴いているのであれば、
それもまたすごいことだし、常連の方たちをみまわすと、
ハウリングが起っていることに、どうも気づいていない感じの人も数人いた。

そういう環境でも、オリジナル盤は音がいい、ということなのか。

なんにしても、イベントの準備の段階でハウリングのチェックはしなかったのか。
ターンテーブルプラッターを停止させた状態で、ディスクに針を降ろす。
そしてアンプのボリュウムをあげていく。

この、アナログプレーヤーの設置において最も基本的なチェックをしなかったのか。
10代のころ、国産の普及クラスのアナログプレーヤーを使っていたときでも、
ハウリングには十分気をつけていた。

ボリュウムが何時の位置でハウリングが起きはじめるのか。
2時の位置でも、なんとか大丈夫だった。
フルボリュウムにすれば、ハウリングを起していた。

もういまではハウリングもハウリングマージンということも忘れかけられているのだろうか。

ステレオサウンドで働くようになって、アナログプレーヤーは替っていった。
マイクロの5000番の糸ドライヴも使っていた。
このときもハウリングマージンは十分に確保していた。

次にトーレンスの101 Limited(930st)の時には、
フルボリュウムでもハウリングは起していなかった。

ハウリングを気にしながら、ボリュウム操作はしたくない。
このことも重要なことだが、
ハウリングが起きやすい状態で聴いていて、音を判断できるのか、と、
ハウリングに無頓着の人に問いたい。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その19)

オーディオは、つまるところ感動の再現ではないのか。
いや、生音の再現、原音とおもわれるものの再現という人もいようが、
私は、ここにきて、感動の再現だ、とつくづくおもう。

別項でメリディアンのULTRA DACについて書いているのも、
その理由のひとつ、もっとも大きな理由は、私にとってULTRA DACが、
私が聴きえた範囲では最も感動の再現に近いD/Aコンバーターだからだ。

ULTRA DACよりも、いい音のD/Aコンバーターはある、という人がいる。
あるだろう、とは思っている。
ULTRA DACよりもはるかに高価なD/Aコンバーターはいくつかあるし、
それらとULTRA DACを比較試聴しているわけではないが、
ULTRA DACよりも、一般的にいわれている精度の高い音に関しては、
それらのD/Aコンバーターの方が上だろう。

プログラムソースに含まれている信号の波形再現こそが、最終的なことであるならば、
歪がなくノイズもなく、プログラムソースに記録された信号を、それこそ純粋な形で信号処理して──、
そういうプロセスを感じさせる音、いわゆる精度の高い音こそが正しい──、
そう力説されれば、確かにそれは技術的には正しい、といわざるをえない。

けれど、われわれが音楽を聴くのは家庭において、である。
録音スタジオでもないし、コンサートホールでもない。
音量ひとつとっても、録音の場で鳴っている音とは違う。

これは重要なことだ。
スピーカーもアンプもなにもかも違う条件で、われわれは録音された音楽を再生して聴いている。
そこにおいて、もっとも大事にしたいことはなんなのか。

音楽が美しく響いてくれることであり、
そして感動の再現である。

波形再現の精度をどこまでも追求するのを否定はしない。
けっこうなことだ。

そういう時期は、私にもあった。
けれど、いまはもう違う。
自分に正直になろうとすればするほど、そこからは離れていくような気がする。

Date: 12月 2nd, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その8)

そんな話をきいたのは、昭和のころだ。
いまは平成。しかももう平成も終る。

取次の支払いも昭和のころからすれば改善されていることだろう。
それでも株式会社ステレオサウンドは、物販に積極的だ。
これからもそのはずだ。

そして記事の広告化も積極的だ。
最近の例をあげれば、「老舗ブランドの現在」という連載だ。

この記事の扉には、「創業30年以上」を老舗オーディオブランドの目安と定め、とある。
30年で老舗なのか、と思うわけだが、
東京商工リサーチによれば、創業から30年以上、とあるのは確かだ。

それはわかったうえで、それでも30年で老舗? とおもう。
30年を老舗の目安すれば、いまでは数多くのブランドが老舗にあてはまる。

1988年創業のブランドでも、いまでは老舗となるわけだが、
私の感覚では、単に数字だけで老舗かどうかは判断できないところがある。

「老舗ブランドの現在」は、ほぼ広告とみている。
ここに登場するブランドは、国内・海外問わず、
メーカー、輸入元にステレオサウンド側から積極的に働き掛けてのもののはずだ。

これも憶断にすぎないのだが、
特集記事と、この「老舗ブランドの現在」とでは、記事の成り立ちにずいぶんな違いがあるはずだ。

何も私だけが気づいていることではないはずだ。
編集経験のある方ならば、とっくに気づいていることであろう。

出版社も金を稼がなければやっていけない。
それはよくわかっているつもりだ。
けれど、あからさますぎないか、と感じるわけだ。

やるのならば、もっとうまくやってほしい、と思うし、
そうまでして……、とも感じることから、
原田勲氏自身が、「原田勲氏が亡くなった日が、ステレオサウンドのXデーだ」ということを、
もっとも強く、誰よりも強く、そう捉えていると私はおもっている。