Archive for 10月, 2017

Date: 10月 11th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その9)

Silver Signature 25は2ウェイのスピーカーシステムで、
砲弾型のトゥイーターがエンクロージュアの上に乗っかるスタイルだ。

このスタイルのB&Wのスピーカーシステムは、
ユニットはインライン配置になっているが、Silver Signature 25はトゥイーターがオフセットしている。

このことはトゥイーターの逆相接続とも関係しているように思える。
銀リードのコンデンサーの容量が3.3μFだけということで、
ネットワークの設計にそうとうに苦労していることが、
トゥイーターのオフセットとも関係しているのではないだろうか。

他の値の容量の銀リードのコンデンサーが用意できていれば、
ネットワークの定数も違ってきたはずだし、
トゥイーターも正相接続で、インライン配置になっていたであろう。

そこまでして銀の使用に徹底的にこだわっているのがSilver Signature 25であり、
銀は導体抵抗の低い金属であるが、そのことだけが、
ここまで銀にこだわらせた理由ではないはずだ。

音的にあきらかなメリットを感じていたからこそ、の、
Silver Signature 25の誕生であったはずである。
(ハンダもやはり銀入りなのだろう)

銀銭の音については、メリットもデメリットもいわれてきている。
それが事実なのかどうかは、ケーブルの音は、それ単体で評できるわけでもなく、
はっきりとしたことは誰にもいえないのだが、
一部否定的な意見としては、本来あるべき音の力がわずかとはいえ損われる──、
そんなふうにいわれている。

もっともこのことさえも、
当時から、銀の純度があまり高くないからだ、という説もあったし、
銅があたりまえのシステムに銀をわずかに持ち込むからであって、
銀線化を徹底していけば、そういう面もなくなる──、
そんなこともいわれていた。

Date: 10月 10th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その8)

久しぶりに買っていた無線と実験の6月号に、
B&Wのスピーカーシステムの記事(柴崎功氏による連載)が載っていたことに気づいた。
Silver Signature 25のネットワークの回路図も載っていたはず、と、
ひっぱり出して開いてみると、載っていた。

ネットワークを構成する部品は、
コンデンサーが三個、コイルが二個、抵抗が一個である。
コンデンサーは三個とも3.3μFである。

これは銀線リードのポリプロピレンコンデンサーが高価なため、
3.3μF一種類しか確保できなかったため、と記事にはある。

そのためネットワークの設計には苦労があったようだ。

ウーファーは28mHのコイルが直列に入るだけの、スロープ特性6dBの構成、
ウーファーに対し、1Ωの抵抗と3.3μFのコンデンサーを直列にしたものが並列に接続されている。

記事には抵抗については触れられていないが、
抵抗は並列接続されていること、
ローパスフィルターを形成しているわけでなく、
ダンピング抵抗として作用することもあってだろう、
どうも銀線リードではないようにも受け取れる。

Silver Signature 25のカタログのスペック欄にも、純銀ワイヤー・インダクター、
純銀リードポリプロピレン・キャパシターとはあるが、
純銀リード・レジスターの記載はない。

トゥイーター用のハイパスフィルターは、
3.3μFのコンデンサーが二個直列に挿入されている。
ふたつのコンデンサーの中点に0.12mHのコイルが並列に接続されている。

トゥイーターは逆相接続となっている。

Date: 10月 10th, 2017
Cate: 表現する

音を表現するということ(間違っている音・その9)

間違っている音を出していた男は、
オーディオの使いこなしに自信をもっている。

何故、彼が自信をもつに至ったかについては書かないが、
その自信は、本当の実力に裏打ちされたものだったのか。

本人はナルシシストであるから、きっと、そう思っているはずだ。
だがオーディオは、その場で、スピーカーから鳴ってくる音だけ、である。
肝心の音が、実力に裏打ちされていなければ、
彼がどんなに使いこなしに自信をもっていようと、
それは自己満足の技術でしかない。

数年前の私だったら、これがオーディオの罠だ、と書くところだが、
結局は本人の未熟さゆえである。

何故未熟なのか。
自己満足の技術しか持たないからである。

何故自己満足の技術から脱することができないのか。
ナルシシストだから──、だけがその理由ではないと思う。

Date: 10月 9th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その7)

(その6)で書いているように、
オルトフォンのSPU-Gold、SMEの3012-R Proを組み合わせて、
出力ケーブルも3012-R Pro付属のモノを使えば、
カートリッジの発電コイルからトーンアーム内配線、出力ケーブルまで、
すべて銀線ということになる。

マークレビンソンのML6は、銀線使用ということでも話題になったが、
それはあくまでも内部配線材だけであって、プリント基板のパターンまで銀になっていたわけではない。

マークレビンソンのラインケーブルも銀線のモノもあった。
それらを使ったとしても銀以外の金属が存在しているし、
銀以外の金属の方が割合としても多い。

徹底的に銀を採用したオーディオ機器といえば、
B&Wの創立25周年記念モデルとして登場したSilver Signature 25がある。
(Silver Signature 25も、KEFのModel 107と同じで25周年モデルなのか、と思う)

スピーカーシステムで銀線使用と謳われていれば、
せいぜいが内部配線材が銀線になったくらいだと思いがちだ。
もう少し徹底した場合であれば、ボイスコイルも銀線にするかもしれない。

それ以上となると、かなり実現は困難といえよう。
スピーカーシステムを構成する部品で、信号が通過するところうすべて銀にするには、
接点を含めて、コンデンサーや抵抗のリード線までも銀線とする必要がある。
B&WはSilver Signature 25において、それを実現している(はずである)。

少し曖昧な書き方になったのは、
実物を見たことはあるけれど、その内部まで見たわけではないからだ。
それでも、これ以上、銀ということに徹底したオーディオ機器は、いまのところないはずだ。

Date: 10月 9th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その5)

スピーカーのボイスコイルは、数Ωという直流抵抗を持つ。
この直流抵抗によって、ボイスコイルは熱を持つことになる。

熱を持てば、直流抵抗の値は高くなる。
高くなれば、その分さらにパワーのロスが生じる。
ということは、そこでまた熱が発生する。

ボイスコイルの温度がさらに上れば、直流抵抗はさらに高くなる……。
つまりリニアリティの低下である。

JBLの4343から4344へのモデルチェンジにおいて、
ウーファーが2231から2235へと変更されている。

JBLの発表によれば、
約30Hzの低音での1W入力時と100W入力時の出力音圧レベルは、
ボイスコイルの温度上昇とそれによる直流抵抗の増加、
それ以外にもダンパーなとのサスペンションの影響により、
2231では100Wの入力に対してリニアに音圧レベルが上昇するわけでなく、
3〜4dB程度の低下が見られる。

2235での低下分は約1dB程度に抑えられている。
2235は確かボイスコイルボビンがアルミ製になっている。
ボビンの強度が増すとともに、放熱効果もそうとうに良くなっているはずだ。
このことが、100W入力時の音圧の低下を抑えている、といえよう。

1970年代後半に登場したガウスのユニットは、
磁気回路のカバーがヒートシンク状になっていた。
これせ放熱効果を高めるためである。

大入力も瞬間的であれば、さほどボイスコイルの温度の上昇も気にすることはないだろうが、
連続して大入力がユニットに加われば、ボイスコイルの熱の問題は顕在化してくる。

ラウドネス・ウォーといわれるような録音を、大音量で鳴らしていれば、
ボイスコイルの温度は高くなっていくばかりだろう。
その状態でさらなる音量を求めてボリュウムをまわしていっても、
悪循環に陥ってしまうだけで、頭打ちになってしまう。

こうなってしまっては、もう大音量再生とはいえないし、
スピーカー破損への道まっしぐらであり、
喫茶茶会記のアルテックの806Aは、ダイアフラムがダメになってしまった。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その4)

音質を音量の大きさでごまかす、
こんなことがずっと以前からいわれてきている。

音を大きくしさえすれば、いい音に聴こえる、と、
こんなことを言っている人は、本気でそう思っている(信じている)のだろうか。

世の中には、大音量で聴く人を蔑む人がいる。
それは知的ではない、とか、野蛮だ、とか、そんなことをいう。

大音量で聴くことは、ほんとうに知的でない行為なのか。
これは大音量再生を真剣にやったことのない人のいいそうなことだ。

大音量再生は、大音量再生ならではの知的な行為である。
ただただボリュウムのツマミを時計方向にまわしていけば、
それで済むような行為ではない。

私は、大音量再生は、知的でスリリングな行為だ、と考えている。
どこまでボリュウムをあげていけるのか、
音が破綻してしまったら、それは大音量再生とは、もういえない。

破綻させず、そしてスピーカーを破損させずに、
どこまで音をあげていけるのか。
そのぎりぎりのところを見定める。

一度やってみると、これぞオーディオだ、と心で叫びたい気持になる。
それにハマってしまう。

今回、喫茶茶会記のアルテックのドライバーを壊した人は、
大音量再生を知的な行為とは、少しも思っていないのだろう。
ボリュウムを時計方向にまわしていけば、でかい音が出る、くらいの認識であり、
自分のスピーカーではない、という気持がどこかにあったはずだ。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その3)

朝沼予史宏氏は、つまりはダイヤトーンのスピーカーの力量を見誤った。
だからスピーカーを破損することになった。

こう書くと、反論できない故人のことを悪くいうのか、と思われる人がいるが、
私は反対に、ダイヤトーンのトゥイーターを破損してしまったことを、
凄いこと、伝説のように語ることの方が、
朝沼予史宏氏のことを貶めている、とすら思う。

朝沼予史宏氏はプロフェッショナルであることを、強く意識している人だった。
その人が、スピーカーを破損してしまったということは、
そのときはプロフェッショナルではなかった、ということでもある。

オーディオ評論家というオーディオのプロフェッショナルではなく、
オーディオのアマチュアであったと──、
だからダイヤトーンのスピーカーを破損したことを持て囃す人たちこそ、
プロフェッショナルであろうとしていた朝沼予史宏氏を貶めている、と考える。

朝沼予史宏はペンネームであることは知られている。
本名でやっている人もいればペンネームを使う人もいる。

ペンネームを使う人みながそうではないだろうが、
少なくとも朝沼予史宏氏は、
オーディオのプロフェッショナルであろうとしてのペンネームのような気がする。

十年以上前だったか、インターナショナルオーディオショウのあるブースで、
ある人がプレゼンテーションをやったときに、スピーカーをとばした、と聞いた。
その話を私にしてくれた人は、すごい音で鳴っていた、と興奮気味だった。

かもしれない。
けれどスピーカーをとばしてしまうのは、オーディオのプロフェッショナルならば、
特にインターナショナルオーディオショウという場では絶対にやってはいけないことではないのか。

もっともスピーカーをとばした人は、オーディオ評論家でも、
オーディオのプロフェッショナルでもない人だから、
どのブースだったのか、どのスピーカーだったのか、誰なのかは書かない。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの罠(その1)

約7700本ほど書いているなかで、
「オーディオの罠」と書いたのは三本。
2009年12月、2010年3月、2011年8月に書いている。

ここに来て、結局、オーディオの罠は存在しない、と思うように変った。
オーディオの罠と思ってしまうだけで、
それは自分自身の未熟さゆえに、そう思ってしまうだけであろう,と。

また数年したら、やっぱりオーディオの罠はある、と言い出すかもしれない。

Date: 10月 7th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その2)

鳴り出した「THE DIALOGUE」の音に驚いた。
こんなに変化するのか、とやった本人が驚くほどの違いにも関らず、
聴いていると「今日の私のようだ」とも感じていた。

疲労感があって、どこかしゃっきりしない感じにも似た、
この日の私の体調にも通じるような感じがどこかにあって、
納得がいかない、とも感じていた。

10月4日のaudio wednesdayでは、実はドライバーが左右で違っていた。
これまでは806Aだったが、二週間ほどに前にある客が鳴らした際に、
左側のドライバーから異音が発生して、それ以来まともな音が出なくなった、ということで、
左チャンネルは予備(以前鳴らしていた807A)に交換されていた。

この807Aも、別の客が片方を床に落としてしまったせいで806Aになっていたのだが、
806Aも客に壊されてしまった、というわけだ。

話はそれるが、それにしても……、と思う。
今回のドライバーの破損は、ジャズマニアがけっこうな音量を出して、のものだった。
いったいどれだけの音量なのか、と思う。

「THE DIALOGUE」で私が鳴らしている音量もかなりのものだが、
ドライバーを壊すような鳴らし方はしない。

ジャズマニアの、ごく一部なのだろうが、
大音量再生でスピーカーを壊すことを、誇りと思っているフシがあるのではないか。

オーディオマニアとの話で、朝沼予史宏氏がステレオサウンドの取材で、
ダイヤトーンのスピーカーのトゥイーターを破損した話題が出たことが、数回ある。

たいてい、この話をしてくる人は、
朝沼予史宏氏、すごいですね、だったり、
ダイヤトーンのスピーカーって、そんなにヤワなんですか、だったりする。

前者の方が多いけれど、それにしても……、と思うわけだ。

朝沼予史宏氏は、オーディオ評論家であった。
いわばオーディオのプロフェッショナルだ。

プロフェッショナルとは、その定義はいろいろいあるが、
そのひとつには、力量を見極めることが挙げられる。

自分自身の力量、相手の力量を正確に見極める。
それはときによって冷酷に見極めることであり、
オーディオ評論家であれば、この場合、スピーカーの力量を見極めることが求められる。

Date: 10月 6th, 2017
Cate: Pablo Casals

「鳥の歌」を聴いて

10月3日に「鳥の歌」を書いた。
翌日はaudio wednesdayだった。

Aさんが、「ホワイトハウス・コンサート/カザルス」のCDを持ってこられた。
私がずっと以前に聴いたときはLPだった。

CDで聴くのは初めてだったし、
前回聴いたのはいつだったのか、もう憶い出せないほどに年月が経っている。

こんなにも感じ方が変ってきたのか、と思うほどに、
記憶にある聴こえ方とは大きく違って聴こえた。

黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることを、心の中でくり返す。
     *
大切なことを大切だといいきり、しかも、その大切なことをいつまでも大切にしつづける、という、ごくあたりまえの、しかし、現実には実行が容易でないことを、身をもっておこないつづけて一生を終えられたあなたのきかせて下さる音楽に、ぼくは、とてもたくさんのことを学んでまいりました。
     *
大切なことを大切だといいきる、こと。
どれだけの人が実行しているのだろうか。
大切なことに新しいも古いもない。
そんなことさえ、いまでは忘れられているような気さえする。

大切なことをいつまでも大切にしつづける、
ということはそれだけの時間が経っている。
大切なことが新しいわけがない。

Date: 10月 5th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その1)

昨晩(10月4日)はaudio wednesdayだった。
喫茶茶会記に向う電車の中、寝過ごしてしまいたい誘惑があった。
空腹だったし、疲労感もあった。

喫茶茶会記に着いたのは18時ごろだった。
それから準備にかかる。
スピーカーの位置を動かし、セッティングを大きく変える。
アンプ、CDプレーヤーのセッティングも同様に変えていく。

しかも今回は前回のテーマであった「結線というテーマ」の続きという面もあり、
外付けのネットワークの配線をさらに変更した。

それからアッテネーターの巻線の可変抵抗を、
無誘導巻線抵抗によるアッテネーターに交換する作業もあって、
音が出はじめたのは19時をけっこう回っていた。

それからCDプレーヤー、アンプの電源を入れて音を出す。
ウォーミングアップをかねて少しの間CDを鳴らしていた。
まだまだ足りないけれど、30分ほどして、いつものとおり「THE DIALOGUE」をかける。

マッキントッシュの電子ボリュウムは、前回と同じ70%にする。
どれだけ音が変化しているのか、それを確認する前に、とにかく驚いた。

聴感上のS/N比をよくしていくと、ローレベルの再現性がよくなるため、
聴感上の音量感は大きく感じられるものだ。
といっても、それほど大きく感じられるものではない。

昨晩の出だしの「THE DIALOGUE」の音量は、
思わず電子ボリュウムの表示を確認してしまうほど、明らかに大きく感じられた。

固定抵抗によるアッテネートだから、最初に減衰量を決めておかなければならない。
できるならば、1dB刻みでいくつもの抵抗パッドを用意して聴いて決めていきたいが、
今回は一発勝負で減衰量を決めて抵抗を用意していた。
ちなみにこれまでの可変抵抗による減衰量よりも3dB近く落としている。

つまり単純に考えれば、800Hz以上のレベルは前回よりも3dB近く低いはずだ。
にも関らず、実際に感じられた音量は3dB以上大きく、だった。

Date: 10月 5th, 2017
Cate: audio wednesday

第82回audio wednesdayのお知らせ(飲み会)

11月1日のaudio wednesdayは喫茶茶会記のLルームもSルームも空いていないので、
会場をかえて行います。
つまり飲み会です。

11月のaudio wednesdayは、喫茶茶会記では行いません。
12月6日のaudio wednesdayは、喫茶茶会記での音出しを予定しています。

一度もaudio wednesdayに来られなかった方が飲み会に参加されることはまずないと思ってますが、
飲み会ならば、という方が、おられないとは言い切れないので、告知しておきます。

参加されたい方は私までメールをお送りください。

Date: 10月 4th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その9)

フツーにいい音が、「毒にも薬にもならない音」だとしたら、
「毒にも薬にもならない文章」は、フツーにいい文章なのかもしれない。

スピーカーを買い換え、謝罪した知人は、
文章のテクニックの向上には、つねに積極的で熱心だった。

けれど、そうしたところで知人は「毒にも薬にもならない文章」を自ら選択した──、
25年目でちょうど切れてしまった縁だが、
知人をみてきた私は、そう思っている。

フツーにいい音もフツーにいい文章も、無害を求めているのだろうか。
無害な文章であれば、
謝罪する(でも、それが間違っている、と思うのだが……)ようなことにはならない。

無害な文章といえば、
別項『「商品」としてのオーディオ評論・考』で書こうとしていることも結局はそうなのかもしれない。

Date: 10月 3rd, 2017
Cate: Pablo Casals

「鳥の歌」

カタルーニャの独立がニュースになっている。
     *
 あなたの録音なさったディスクではほとんどかならず、演奏中のあなたによって発せられる呻き声をきくことができます。「わたしの生まれ故郷であるカタロニアの鳥たちは、ピース、ピース、と鳴きます」とおはなしになってから演奏なさったと伝えられているホワイトハウスでの「鳥の歌」でも、あなたの呻き声がきかれます。きっと、あのときのあなたの呻き声は、平和を願うあなたの祈りが、あなたの大きな胸にあふれ、こぼれ落ちるときにもたらしたものにちがいありませんでした。
 ぼくは、あなたがホワイトハウスで演奏なさった「鳥の歌」をきくと、いつでも、万感胸に迫り、なにもいえなくなります。これが音楽だ、と思い、同時に、これはすでに音楽をこえた祈りだ、とも思います。あの「鳥の歌」は、真に剛毅なペガサスだけにうたえた祈りの歌でした。
 ホワイトハウスでの「鳥の歌」をおさめた「ホワイトハウス・コンサート/カザルス」のディスクには、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディとか、あるいは行儀わるく足をなげだしているジャクリーヌといったひとたちからなる聴衆の拍手にこたえ、チェロを片手に頭をさげているあなたの写真が、掲載されています。一九六一年の十一月十三日、あなたはあの日、特別の事情があってホワイトハウスで演奏をなさったのでしたね。「鳥の歌」はそのコンサートの最後に演奏されました。
 それから半年もたっていない一九六二年の三月二十二日、アメリカに支援された南ベトナム軍はベトコン・ゲリラ掃討の目的でサンライズ作戦を開始しました。それをきっかけに、あなたの平和への祈りも虚しく、あの不幸なベトナム戦争がはじまりました。あなたが平和への祈りをこめて切々とうたった「鳥の歌」も、時のアメリカ大統領にとっては、馬の耳に念仏でしかなかったのです。あなたは、ホワイトハウスで、頭などさげる必要はなかった、と思い、あの写真をみるたびに、ぼくは、柄にもなく義憤を感じてしまいます。
 しかし、さいわいにして、ぼくらは、誰にもまして誠実に音楽で自己を語りつづけられたあなたの剛毅な音楽を、そのホワイトハウスでの「鳥の歌」もふくめ、残されたディスクできくことができます。あなたがあなたの楽器であるチェロでひかれたバッハやベートーヴェンはもとより、指揮をされたモーツァルトやシューベルトをきけば、ぼくは、音楽のむこうに、雷霆をはこんで空を飛ぶペガサスをみて、その勇気に鼓舞され、おのれのうちの軟弱を追放することができそうに思えてきます。
 大切なことを大切だといいきり、しかも、その大切なことをいつまでも大切にしつづける、という、ごくあたりまえの、しかし、現実には実行が容易でないことを、身をもっておこないつづけて一生を終えられたあなたのきかせて下さる音楽に、ぼくは、とてもたくさんのことを学んでまいりました。
     *
黒田先生の「音楽への礼状」から書き写した。

Date: 10月 3rd, 2017
Cate: audio wednesday

中秋の名月

川崎先生の9月30日のブログ「間も無くだろうか、中秋の名月を看るだろう」、
そういえばと思い出したのは、フランコ・セルブリンのことだった。

CDジャーナル別冊「オーディオ名機読本」(1996年発行)に、それは載っていた。
傅信幸氏が書かれている。
     *
 この時の訪問ではもうひとつのエピソードがある。ソナスファベール製品にはスピーカーだけではなく、日本には当時も今も輸入されてはいないが、アンプがある。インテグレーテッドアンプ(プリメインアンプ)とセパレートアンプとがある。そのボディはイタリアンウォルナットとアルミニュームとのコンビネーションで、これまたとても美しく仕上げられていた。そうしたアンプの試作機を見せてもらって時だ。完成するのはいつだと問うと、答えは3ヵ月先という言い方ではなく、「そうだね、あと、満月が3回来る頃かなあ」と言うのである。太陽暦と太陰暦との違いといえばそれまでだが、この「満月が3回」には、わたしにはカルチャーショックだった。
     *
明日(10月4日)は中秋の名月。
audio wednesdayの日でもある。