Archive for 8月, 2016

Date: 8月 15th, 2016
Cate: 五味康祐

近頃思うこと(続・五味康祐氏のこと)

自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。
(ゲーテ格言集より)

これだけだから、ゲーテのいうところの一生の初めが、どこなのか定かではないが、
五味先生の
《人間の行為は──その死にざまは、当人一代をどう生きたかではなく、父母、さらには祖父母あたりにさかのぼってはじめて、理由の明らめられるものではあるまいか。それが歴史というものではないか、そんなふうに近頃思えてならない》
と、ゲーテも同じに捉えていたようにも思えてくる。

そうおもえてくるだけなのだが……

Date: 8月 15th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その27)

アンプは増幅器と呼ばれている。
この「増幅」という言葉が、アンプが不平衡でも成り立つことの理解を阻んでいた。
あくまでも私の場合ではあるが。

増幅ということは、入力された信号が大きくなっていくことだと、まず思った。
増幅の原理がわからなくとも、無線と実験やラジオ技術に載っている回路図を見ては、
入力信号が出力されるまで、回路をどう経由していくのかはわかる。

初段のトランジスター(FET)でまず増幅される。
二段目でも増幅される。
いかにも入力信号が初段でまず大きくなり(増幅され)、
二段目でも大きくなるように理解してしまった。

初段の増幅率が10倍、二段目も10倍だとすれば、
この回路の増幅率は10×10で100倍である。
ということは出力信号の1%は入力信号である──、
でもこれは間違っている。

増幅とは、入力信号に応じて直流を変調していることに気づく必要があった。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その51)

読みはじめた41号からのことを順を追って書いている。
50号まで来た。
こうやって書いていると、三つ子の魂百まで、を感じる。

本来の意味とは外れてくるのはわかっているが、
私にとってのステレオサウンドの最初の三年は41号から52号までとなる。
この三年間の12冊と年末に出ていた「コンポーネントステレオの世界」、
それ以外の別冊(こちらはそうそう買えなかった)によって、
私にとっての「ステレオサウンド」は形成されていて、
それが「三つ子の魂百まで」的になっていることを、この項を書きながら確認している。

私が現在のステレオサウンドに否定的なことを書いているのを面白く思っていない人はいる。
中には、トンチンカンなことを書いていると思っている人もいても不思議ではない。

そういう人にとっての最初のステレオサウンドは何号だったのだろうか。
「三つ子の魂」にあたる読み始めからの三年間は、どの時期なのだろうか。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その4)

2405の位置調整に使ったCDは、
ピエール=ローラン・エマールの“African Rhythms”で、
このディスクの二曲目、スティーヴ・ライヒの“Clapping Music”を鳴らした。

手拍子のみ、プリミティヴな曲である。
マーラーを鳴らすための、
いいかえればオーケストラを鳴らすためのスピーカーのトゥイーターの位置を、
正反対といえる手拍子だけの曲で決めた。

2405の位置を横にスライドしていくと、手拍子の音がよく変る。
こんなにも変るの……、と少し驚くほどに、手拍子の音、
つまりは叩いている手の状態が変化していく。
ペシャとした手拍子になる。
なるほど手拍子とは、こういう気持ちのいい鳴りをするものかと思えるふうにも変化する。

2405の位置調整には、どのディスクを使うのかは考えていなかった。
開始時間の19時までのあいだ、スピーカーの鳴りを少しでもよくしたいと思って、
あれこれ鳴らしていた(マーラー以外の曲ばかり)。

その過程で、この曲ならばよくわかるのでは、と思ったのが“Clapping Music”だったわけだ。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343・続なかばこじつけ)

さきほどの「JBLの型番(4343・なかばこじつけ)」に、facebookでコメントがあった。

「示唆(43)に富む話」とあった。
この発想はなかった。

いままで43を予算と読めるな、とは思っていた。
4300シリーズは、つまり予算シリーズであり、末尾二桁の数字が大きくなるほどに予算も必要となる。
4343は予算予算となるわけだ。

でも43を示唆ととらえることで、スタジオモニターにふさわしい数字とも思えてくる。
さらに43(しさ)には、視差もある。

視差とは辞書には、カメラのファインダーの像とフィルム上に得られる像との差異、とある。
スタジオモニターとは何かを考えるうえで、
視差(オーディオでは聴差というべきか)の存在を示唆してくれる。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343・なかばこじつけ)

JBLのスタジオモニターで、中高域にホーン型ユニットを搭載したモデル(4300シリーズ)は、
型番に法則があった(いまは完全に崩れてしまっている)と思っている。

4320の2はユニットの数だと思う。
4320は2ウェイで、ユニットの数は2つ。

4350は4ウェイで、ダブルウーファーだからユニットの数は5つだから、下二桁目が5になる。
4340、4341、4343なども4ウェイだが、シングルウーファーでユニット数は4だから、
40、41、43となっている。

4331、4333は2ウェイと3ウェイだが、
同時期に発売され2405を後付けすることで43331は4333にすることができるため、
下二桁目は3となっている。

型番的に捉えれば、4331にトゥイーターをつけ加えたのが4333ではなく、
4333からトゥイーターを取り除いたのが4331ということになる。

4320にも2405を後付けできるようにバッフルに加工がなされている。
けれど4320はもともと2ウェイのスピーカーシステムであり、
同じ2ウェイであっても4331と、この点がはっきりと違う。

井上先生がステレオサウンド 62号に書かれているが、
4320に2405を追加してうまくいったのは、
例外なく小容量のコンデンサーを直列に挿入した場合だった、と。

こういう法則があったから、4365が登場したときは少々ビックリした。
どういう構成のスピーカーシステムなのか、と想像した。
型番からいえば6ユニットということになる。

ダブルウーファーなのだろう。
4ウェイだとしても、あとのどの帯域をダブルにしたのか。
そんなことを想像しながら、詳細を見たら3ウェイでがっかりしたことを思いだす。

ところで今年は2016年。
4343は1976年に登場している。
今年は4343登場40年目にあたる。

ということは下二桁目の「4」は、ユニット数だけでなく40周年の「4」という意味も、
今年にかぎり持つことになる。

そして4+3=7である。
今年はJBL創立70周年にあたる。

このへんからは、なかばこじつけである。

さらに4+3+4+3=14で、14を1と4に分けて1+4=5となる。
4343が登場した1976も、1+9+7+6=23となり、23は2+3=5。
どちらも5になる。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

型番について(続・三つの数字の法則)

一週間ほど前に、JBLのD130、ガラードの301、デンオンのDL103など、
型番に1と3と0がつくモデルについて書いた。

facebookにコメントがあった。
SAECのトーンアームの型番についてのものだった。
SAECのトーンアームの大半は三桁の数字がついている。
WE308、WE407、WE506のようにだ。

この三桁の数字に意味があるとはいままで思っていなかった。

WE308 3+8=11
WE506 5+6=11
WE407 4+7=11
WE317 3+1+7=11

三桁の数字の合計はすべて11になる。
別の方のコメントによれば、11は「いい」の当て字とのこと。
つまり「いいトーンアーム」ということで、数字の合計が11になるように型番がつけられている。

WEは、おそらくSAEC独自の構造のダブルナイフエッジを表しているのだろう。
double knife edgeそのままだとDKEとなってしまうが、doubleをWにして、
ダブルエッジにしてしまえばWEとなる。

WEは、Western Electric(ウェスターンエレクトリック)にしか見えない人もいるだろうけど。
私もそのひとり。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 型番

JBLの型番(4343)

4343の前身は、4341(4340)である。
4341の改良モデルといえるわけなのだが、なぜ4343なのか。

4320がその前にあった。2ウェイのスタジオモニターである。
4320の改良型は4325である。
これに倣えば、4341(4340)の改良モデルは4345となろう。

けれど4343である。
4342でもない。

末尾の「3」は、JBL創立30周年をあらわしているのだろう。

Date: 8月 14th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その2)

組合せの記事は昔からの定番である。
いままでオーディオ雑誌全体で、
どれだけの数の組合せがつくられてきたのかは数える気にもならない。
とにかく多かった。

参考になる組合せもあれば、ほとんど参考にならない組合せ、
自分の音楽的嗜好とは違うけれど、興味深い組合せなどがあった。

予算別の組合せもけっこうあった。
予算というのは現実的なものである。
そして、オーディオ雑誌に載った組合せそのままを買える(買った)人は、
いったいどのくらいいるのだろうか。

はじめてシステムを一式揃える人、
つまりオーディオの入門者の場合は、オーディオ雑誌掲載の組合せそのままということもあろう。

けれど、そこから先はシステムを一式買い換える人はそうはいない。
最初のシステムのどこかをまず買い換える。
アンプだったり、スピーカーだったりする。
最初にアンプを買い換えた人は、次はスピーカーかもしれないし、プレーヤーかもしれない。

予算に制約がなければ、オーディオ雑誌推奨の組合せを一式、
もしくはオーディオ販売店推奨のシステム一式ということもできるが、
そんな人はそうそういない。

ひとつずつ(少しずつ)、システムのどこかを買い換えてグレードアップしていく。
そのためシステム全体の組合せとしては、一時的にちぐはぐなところができてしまうことだってある。

同じことはスピーカーシステムの構築においてもいえる。
最初から目的とするユニットをすべて揃えられるのならば結構。
でもそうはいかない人(こと)のほうが多い。
構築の過程においては、一時的にちぐはぐなシステム(組合せ)になろう。

audio sharing例会で使うスピーカーも、
ウーファーにJBLの2220、2205、2231あたりが用意できればと思う。
でも、そこにあるモノを鳴らしていく。

制約・制限がある中で、どれだけ自在に鳴らしていけるかで、
鳴らし手の力量が問われるからこそ、面白いと感じる。

それに同じ組合せといっても、
システム全体の組合せを水平的とすれば、
スピーカーシステムの組合せ(自作)は垂直的といえる。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その1)

喫茶茶会記で毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会。
そこでの音出しに使うスピーカーは、既製品のスピーカーシステムではない。

いわば自作のスピーカーシステムということになり、
アルテックのウーファーとエンクロージュアは固定だが、
上の帯域に関してはアルテックの807-8A+811Bであったり、
JBLの2441+2397であったりする。

ネットワークも一般的な12dB/oct.スロープであったり、
6dB/oct.スロープの直列型であったりする。
クロスオーバー周波数もいくつか試している。
先日は別項で書いているように2405を追加して3ウェイにした。

こうやって一月に一回、もしくは二月に一回だったりするが、
スピーカーそのものをいじっていると、なかなか楽しいし、
スピーカーシステムも組合せだということを、いまさらながら実感させられる。

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、
既製品のスピーカーシステムを使うのが一般的といえた。

自作スピーカーの書籍、ムックも、いまより出ていたし、
エンクロージュア製作の会社も、けっこうな数あった。

いまよりも自作スピーカーに向いていた時代でもあったけれど、
それでも最初は既製品だった。

10cm口径のフルレンジユニットを買ってきて、
手頃なエンクロージュアに入れれば、それも自作スピーカーといえる。
これならばそれほど手間もお金もかからない。

たいした音はしないだろう、と思うかもしれないが、
小口径フルレンジには、これならではの魅力があるし、
ここで終ってしまうわけでもない。

次のステップとしてエンクロージュアを変えてみる、という選択もあるし、
トゥイーターをつけて2ウェイにするという選択もある。
あまりしないだろうが、トゥイーターではなく、ウーファーをつけ加えて2ウェイにするのもありだ。

トゥイーターにするか、ウーファーするかは、
つくりあげようとするスピーカーに何を求めるかによって変ってくる──、
というよりも、オーディオを始めたばかりの人にとっては、
特に若い人にとっては予算の都合が、どちらを選択するかを決定する、ともいえる。

トゥイーターならば、ユニットだけでもすむ。
ユニットの価格もウーファーほどではないし、
ネットワークもウーファー用はコンデンサーもコイルも値の大きいモノが必要となり、
同程度のグレードのパーツで組むのなら、トゥイーターの方が安く済む。

プレーヤー、アンプ、スピーカーからなる組合せも予算の都合が影響大だが、
スピーカーも制約があるのは同じであり、だからこそ発展させていく面白さがある。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その5)

伝言ゲーム,つまりコピー技術としてはアナログよりもデジタルが圧倒的に有利である。
けれど、ここでのタイトルは
「コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ」としている。

だからデジタルとアナログの関係について考えていく必要がある。

デジタル(digital)とアナログ(analog)の関係性は、
デザイン(design)とアート(art)の関係性に近い、似ているのではないか、と、
この項を書き始めたころから思いはじめていた。

そう思うようになったきっかけはたいしたことではない。
どちらもDとAだからである。
偶然の一致ととらえることもできるし、そう考える人の方が多数であろう。

でもデジタル(digital)とアナログ(analog)もDとA、
デザイン(design)とアート(art)もDとA、
単なる偶然だといいきかせようとしても、無関係とは思えなかった。

8月13日の川崎先生のブログ『アッサンブラージュの進化を原点・コラージュから』を読んで、
単なる偶然とは、ますます思えなくなってきた。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その4)

私も声は大きい方だから気をつけなければならないのだが、
意外な人が話を聞いていたりする。

10年ほど前のインターナショナルオーディオショウでの、
業界関係者の会話も、いまだったらどうなるだろうか。

こんなことを話していた、と、すぐにtwitter、facebookで公開される可能性が高い。
場合によっては目線入りの写真付きでの公開かもしれない。

10年ほど前はスマートフォンはなかった。
いまは多くの人が持つようになったし、すぐに写真が撮れて加工もできて、
すぐさま公開することが、スマートフォン一台で可能になっている。

ある話を当事者の人から聞いた。
オーディオの関係者の人で、CESの取材にアメリカに行ったときのことである。
会場近くのホテルのバーで、アメリカのオーディオ関係者と飲んでいた。
アメリカのオーディオ関係者が、とあるメーカーのことを「あの会社はもう終りだ」、
そんなことを話したそうだ。これもまだスマートフォンがないころの話だ。

そのことを日本のオーディオ関係者は黙って聞いていた。
黙って聞いていたのは彼だけではなかった。
別の、アメリカのオーディオ関係者が近くの席で聞いていた。

その人によって、もう終りだといわれた会社の主宰者の耳に入った。
日本のオーディオ関係者は、「あの会社はもう終りだ」に同意していたわけではなかった。
だが否定もしなかった。

そのことがアメリカでは、肯定したと捉えられ、
その会社の主宰者と日本のオーディオ関係者との親しい仲は終ってしまった、と。

「そうは思わない」と一言発していれば、そうはならなかった。
まわりに別のオーディオ関係者がいなければ、そうはならなかった。
けれど不幸なことに、そこはアメリカであり、沈黙は肯定と捉えられるところであった。

黙っていたこと、はっきりと自分の意見を言わなかったことを後悔されている。

いまは同じことが、もっと簡単に起ってしまうかもしれない。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: ワイドレンジ

JBL 2405の力量(その3)

2405のカタログ発表値では、周波数特性は6.5kHz以上となっている。
4343では9.5kHz、4350では9kHzがクロスオーバー周波数となっている。

今回は計算値では14.4kHzのカットオフ周波数で2405を追加した。
スロープ特性が違うので単純比較はできないものの、かなり高い周波数から2405をつけ足している。

2405はいまとなっては最新設計のトゥイーターとはいえない。
カタログでみても、21.5kHzが周波数特性の上限として発表されている。
ハイレゾ、ハイレゾと騒いでいる現在では、21.5kHzまでのトゥイーターは、
ナロウレンジのトゥイーター扱いされかねない。

けれど2405があるとないとでは大きく音は違ってくるし、
今回は2405の置く位置だけを調整したが、これも大きな違いとしてあらわれた。

できれば台座を組んで、2441の真上にくるように設置することも考えたが、
今回は2441の横に、角材をかまして置いた。
ボイスコイルの位置を、2405と2441で合せて、あとは2405を横方向にスライドしていった。

今回の2405にはバッフルが装備されていた。
計っていないが、20cm以上はあった。
これをエンクロージュアの上で動かすのだから、それほど自由に動かせるわけではない。
エンクロージュアから2405のバッフルがはみ出ない範囲での調整である。

このわずかな移動でも、音はころころ変ってくる。
2405と角材の重量が、新たにエンクロージュアの天板に加重されているのだから、
その位置によって天板の振動モードは変化し、
ひいてはエンクロージュア全体の振動モードも影響を受ける。

そのことはわかっていたにも関わらず、14kHz以上のカットオフ周波数でも予想以上に変化した。
今回2405の位置決めに使ったディスクは一枚だけである。
時間があれば複数枚のディスクを使うけれど、今回のような場合には、一枚に絞って決めた。

「新月に聴くマーラー」がテーマだったが、調整に使ったのはマーラーではない。
全体の音の確認に使ったディスクもマーラー以外のものばかりである。

Date: 8月 13th, 2016
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その4)

デジタルの伝言ゲームであれば、
途中にあるメディアの種類がなんであれ、そこで使う機器がなんであれ、
オリジナルのデータと最終的にコピーされるデータは一致する。
それぞれのメディア、ハードウェアに不具合がなければ、データの欠落は生じない。

ハードディスクにオリジナルのデータがあったとする。
それを別のハードディスクにコピーする。次はDVD-Rにコピーする。
その次はSSDに、さらには昔懐しい光磁気ディスクに、そしてまたハードディスク……。
そんなふうにさまざまなメディアを使ったとしても、処理にかかる時間に変化は生じても、
データそのものに欠落は生じない。

つまりコピーに使われる介在する機械の特有の特性・特徴によって、
データが欠落するということはない。

もちろん再生する段階になれば、
それぞれの機械、メディア特有の特性・特徴によって音は変ってくるけれど、
ここではあくまでもコピーしていくことだけに話を絞っている。

アナログの場合はどうだろうか。
100回の、コピーに使用する機械をすべて同じモノを用意したとする。
たとえばカセットテープだとしよう。
同じカセットテープ、カセットデッキを用意する。交互に使って100回のコピーをする。

その場合、テープ、デッキに固有する特性・特徴がそれだけ最終的なコピーに大きく影響する。
苦手とするところが同じになるわけだから、そうなってしまう。

ではカセットテープ(デッキ)、オープンリールテープ(デッキ)、アナログディスク(プレーヤー)、
これらを複数台用意してのコピーはどうだろうか。
アナログディスクに関してはカッターレーサー(ヘッド)も用意することになる。
しかもそれぞれに違う機種を用意する。

そうなるとそれぞれの機器に固有する特性・特徴は一致するわけではないから、
コピーの順序を変えたりすることによっても、最終的な結果に違いが生じてくる。

それぞれの録音・再生の方式に固有する特性・特徴が違うためである。
もっといえば一台のテープデッキの中でも、録音した時点でなんらかの変質が生じ、
それを再生する時点でもなんらかの変質がまた生じている。

デジタルの伝言ゲームでは、途中で再生というプロセスはない。
録音は記録というプロセスであり、
記録したデータを読みだしてそのまま次の機器(メディア)へ伝送していく。

アナログの伝言ゲームでは録音し再生するというプロセスを経る。

こう考えていくと、
ますます無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)と思えてくる。

Date: 8月 12th, 2016
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その26)

アンバランスという言葉を使ってしまったが、
当時はそんな言葉は知らなかった。
ただただ二本ある信号線の片側が接地(アース)されているのが理解できなかった。

大学で電子工学を学んでからオーディオマニアになった人ならば、
こんなことに疑問を抱かないであろうし、
まわりにオーディオに詳しい年上の人がいれば、
私の疑問に答えてくれたかもしれない(たぶん無理だと思う)。
そのころにインターネットがあれば、誰かに質問して答を求めたかもしれない。

そういう環境ではなかった。
中学校で習うのは理科である。物理ではなかった。
理科の知識では、片側接地の理由がわからなかった。

だからカートリッジでスピーカーを鳴らすというモデルを考えるしかなかった。
ただ運が良かったとでもいおうか、
これがCD全盛のころだったら、そういう考えも起きなかったかもしれない。

1970年代はアナログディスク全盛の時代である。
だからこそカートリッジでスピーカーを鳴らすというモデルの発想ができた、ともいえる。

オーディオ機器のさまざまな動作原理を理解するのに必要な知識が、まだ身についていなかった。
にも関わらず疑問を抱き、その疑問に対して答を求めようとするとき、
こういう極端なモデルの想像は、意外にも、というかかなり役に立つことがある。