Archive for 12月, 2015

Date: 12月 29th, 2015
Cate: オリジナル, デザイン

コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その2)

別項で、無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)である、と書いた。

何を書いているのだろうか、と思われたかもしれない。

無機物(デジタル)であり、有機物(アナログ)である、なら、わかるけれど、
なぜ、無機物のところに客観、有機物のところに主観が加わっているのか、と。

コピーについて考えてみる。
アナログの場合、テープを例にとってみる。
録音テープ、録画テープ、どちらでもいい。

オリジナルのテープがある。
それをダビングする(コピーする)。
コピーしたものをさらにコピーする。
これを何度もくり返す。

オリジナルのテープの音質、画質よりも、
一回目のコピーの音質、画質は誰の目(耳)にもはっきりと違いがわかる。

コピーを二回、三回……と何回も続けていった音質、画質を、
オリジナルと比較してみるとどうだろうか。

ダビングに使用する器材のクォリティ、テープのクォリティによって多少結果は違ってきても、
オリジナルからは大きな劣化であり、
仮に百回もコピーをくり返したものならば、何が映っているのかわからないくらいになっても不思議ではない。

これは多くの人を集めての伝言ゲームに似ている、というか、そっくりではないか、と思う。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その1)

“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに、私がつくった。

具体的にどういうことを書いていくのか決めていない。
それでも新たに書き始めたのは、
来年は、この“plain sounding, high thinking”を考えていきたいし、
実践していきたいからである。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ(アンプを愉しむ)

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

すでに告知しているように、1月のaudio sharing例会はアンプをいくつか集めての音出しを行う。
アンプ試聴と書かなかったのは、厳密な比較試聴ではなく、アンプの音を愉しみたいという目的からである。

アンプの大半は常連のKさんが用意してくださる。
トランジスターアンプだけではなく、真空管式アンプも加わる予定である。

毎回例会は19時から始まり、23時くらいまでやることもある。
今回は音を出すのが中心になり、しかもアンプを切り替えてということもあるので、
おそらく23時くらいまでやまことになると思う。

四時間やっている。
途中入場も途中退場も自由である。
堅苦しい雰囲気にはしたくない、と思っている。

アンプを愉しむ、といっても、基本は試聴であるから、
かけるCDは何枚かは同じものを使うことになる。
ただ、その数枚をくり返しかけるのではなく、リクエストがあれば応じていきたいとも思っている。

実際にはやってみないことにはなんともいえないが、
できるだけ臨機応変にやる予定である。

リクエストには応じる予定でいるので、聴きたいCDを持ってきていただきたい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その5)

いまではなくなってしまった企画だが、
以前のステレオサウンドにはスーパーマニアという記事があった。
52号から始まった。

スーパーマニアに登場する人は、ひとりずつである。
基本的に複数の人が一度に登場されることはない。
けれど、52号の一回目は違う。

福島県郡山市のワイドレンジクラブの方々が登場されている。
ワイドレンジクラブとは、
3Dシステム(センターウーファー)によるワイドレンジ再生を目指すマニアの集まりである。

52号は1979年秋に出ている。
このころは各地にオーディオのグループがあった。
ある共通項をもったオーディオマニアの人たちの集まりがあった。

ステレオサウンドでも、その人たちの集まりを取材している。
スーパーマニアが個人を、
64号からスタートした「素晴らしき仲間たち」では、オーディオマニアのグループを取材している。

一回目は博多のJBLクラブ、二回目がマッキントッシュXRT20ユーザーの方たち、
三回目がタンノイクラブ、四回目がエレクトロボイスのウーファー30Wのユーザーの方たち、である。

購入後という視点でステレオサウンドの企画・記事を見直していくと、
この「素晴らしき仲間たち」は、他の訪問記事よりも、購入後ということに一歩踏み込んでいる。

いまは、こんなことを書いているけれど、当時はそういう視点で捉えることができなかった。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その8)

ここまででスピーカーシステム三機種、ヘッドフォン・イヤフォンを二機種、
パワーアンプが一機種、本が一冊、ドローンという話題でもうひとつで、八つあげた。

あとふたつで十なのだが、ひとつは決っているが、もうひとつが思いつかない。
結局、あとひとつしか書けそうにない。

なので、これが最後のひとつとなる。
それは10月から始まったKK塾である。

オーディオとは直接関係のないことのように思われるかもしれないが、
今年、これほどオーディオに関して刺激的であったことは、他にない。
私はオーディオマニアだから、KK塾できいたこと(学んだこと)をオーディオに変換して考えてしまう。

そういう私にとって、KK塾はオーディオに直結している。
オーディオそのものである、といえる。

ここであれこれ書くことはできるけれど、とにかく五反田のDNPホールに来てほしい。
来年の春までにあと四回開催される。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その21)

再生音とは何かについて考えていくうえで、再生音の定義もはっきりさせていく必要がある。

再生音の定義とは? と問われ、はっきりと答えられるだろうか。
そんなの簡単じゃなないか、という人もいるが、
その人たちが再生音の定義について答える。

それに反論がある。また答える。
さらなる反論がある……。そういうことをくり返していって、どこまで答えられるだろうか。

再生音の定義。
ひとつには、記録されたものを元に出した音がある、とする。
アナログディスク、CD、カセットテープなどに記録されているものを元にして、
アンプで増幅しスピーカーを鳴らす。これも再生音であるなら、
作曲家が残した楽譜を元に演奏家が音を出すのもまた、再生音といえないだろうか。

音符という記号を使い、作曲家が作曲したものを残している。
それを演奏家が楽器を使い、自分の声によって、音にする。

それは実演であって、再生音とはいえない、と反論があるだろうが、
厳密に考えていくと、ほんとうにそういえるのだろうか……、と私は自信を失っていく。

そんなことまで考えていく必要があるのだろうか。
そういう疑問も持たないわけではない。
けれども、再生音について考えていくとは、そういうことだと私は思っている。

Date: 12月 28th, 2015
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その20)

facebookを通じて、あるページを知った。
一関ベイシーの菅原正二氏のインタヴュー記事である。
聞き手は一関きらり氏。

この記事にこうある。
     *
一関 いやいや。一関市のアピール不足ですよね。実は私が住んでいる東京の日野市に国宝の高幡不動尊がありまして、新選組の土方歳三の菩提寺なんですが、その土方歳三を讃える石碑の選文が大槻三賢人の一人、大槻磐渓なんですよ。こういった事も、一関市がもっとアピールしていけば、面白いと思うんですがね。
菅原 ううん、日野市・・・。
一関 誰かお知り合いでも?
菅原 日野市に山口孝というオーディオ評論家をやってた強者がいたんですよ。ここにも、しょっちゅう来てたんです。本も結構、出してますよ。ただ、介護していたおふくろさんが亡くなって、断筆したんですよ。
一関 それほど、ショックだったんですかねえ。
菅原 すごい、とんがった妥協のない男だったからねえ。なあなあという部分が一切ない男だったから、折れやすいんだよね。たぶん・・・。
一関 何か、お仕事はされてるんですよね。
菅原 ううん、一人で座禅でも組んで音楽でも聴いてるんじゃないかなあ。
一関 いやあ、すごいですね。
菅原 聞き方が半端じゃないのよ。音楽と面と向かって、座禅でも組むような感じで聴いてますからね。
     *
もとのページでは色によって発言者を区別してあったけれど、
それではわかりにくいので、発言の頭にそれぞれの名前を入れているだけで、
あとはそのまま引用した。

これを読んで、どう感じ、何を思い、何を考えたかは、あえて書かない。
読まれた方がそれぞれに感じ、思い、考えれば、いいことである。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その7)

2014年にくらべて2015年の今年、頻繁にニュースに登場してきた言葉に、ドローンがある。
インターネットのニュースサイトでも、ドローンのことが取り上げられることが多かった。
それだけ、いろんなドローンの写真を見た。

そうやってドローンの写真を見るたびに連想していたのは、アナログプレーヤーのことである。
ドローンとアナログプレーヤーが重なって見えてくる。

アナログプレーヤーにはハウリングという現象から完全に逃れることはできない。
ステレオサウンドにいたころ、水銀のプールに浮べてみてはどうなんだろう、というアイディアも出た。
面白いと思ったけど、これでハウリングから逃れられ音が良かったとしても実用的とはいえない。

ドローンのように空中に浮んだらどうだろうか。
実際には空中で静止させることの難しさにぶつかるだろうから、そう簡単にうまくいくとは思えない。

それでもドローンの形は、アナログプレーヤーの形につながってくる。

アメリカのドラマ、マイノリティ・リポートでは、2065年のアナログプレーヤーが登場する。
ソニーやオーディオテクニカが以前販売していたポータブルプレーヤーを垂直に立てて使うようなモノ。

このアナログプレーヤーよりも。さまざまなドローンの形のほうが、
未来のアナログプレーヤーの形を、何か示唆しているように感じている。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その6)

その人がおかれている環境や諸事情を境遇という。
境涯ともいう。

境涯の「涯」は生涯にもついている。
涯という漢字は、切り立った崖のことである。それも水辺の崖である。

ここに水がある。
研ぐために必要な水がある。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(古人の求めたる所)

四年前、「古人の求めたる所」というタイトルで書いた。
四年前はまだ五十になってなかった。

もう五十を過ぎた。
一月には、またひとつ歳をとる。

松尾芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」──、
どれだけ古人の求めたる所を求めてきたのかだろうか……。

誰かが答えてくれるわけではない。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(続マイクロの広告)

マイクロと岩崎先生によって一年間続いた広告は、the re:View (in the past)で公開している。

1972年12月号
1973年1月号
1973年2月号
1973年3月号
1973年4月号
1973年5月号
1973年6月号
1973年7月号
1973年8月号
1973年9月号
1973年10月号
1973年11月号

上記のリンク先をクリックすれば、マイクロの広告が表示される。
1973年8月号は入手していないため、公開できずにいる。

この一連の広告を、どう感じるかは人それぞれだろう。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(マイクロの広告)

岩崎先生の著作集「オーディオ彷徨」に、
《「時」そば、その現代的考察》がある。
短い文章である。

巻末の初出誌一覧をみると、スイングジャーナルとある。
これだけを読んだのでは、《「時」そば、その現代的考察》が広告のための文章だとは気がつかなかった。
かなりながいこと広告だったとは知らなかった。

数年前に、ある方がスイングジャーナルのバックナンバー(1970年代)を送ってくださった。
1970年代おわりごろのスイングジャーナルは手にしたことがあったけれど、
それ以前のバックナンバーはほとんど見たことはなかった。

目についた号から手に取りパラパラとめくっていたら、ある広告が目に留った。
そこには、大きく「岩崎千明」とあった。
マイクロの広告だった。

二ページ見開きで、他社の広告とも、それ以前、それ以降のマイクロの広告とも違う。
ステレオサウンドでも見たことのない、おそらくスイングジャーナルにだけ載ったマイクロの広告だと思われる。

一年続いた広告である。
スイングジャーナル1972年12月号から1973年11月まで載っている。
12回目の広告の最後には、参照:三田村鳶魚「江戸物」、と書いてある。

いつのころからか、オーディオ機器の広告は写真がメインになってしまった。
悪いことではない。
でも、そればかりになってしまうと、
このころの読む楽しみがあった広告が、また現れてもいいのではないか、と勝手なことを思ってしまう。

一年間だけとはいえ、マイクロはよくこういう広告をつくって掲載したな、と感心する。
製品の写真は載っていない。

岩崎先生による文章にも、製品紹介のことはほとんど出てこない。
それでも、このマイクロの広告を同時代に見ていた人の印象には強く残っていたのではないだろうか。

こういうマイクロの手法が、理想の広告とはいわない。
それでも、このころのようにオーディオの広告も、もっと挑戦してもらいたい、とつい思う。

埋没してしまっては、広告として機能しているといえるだろうか。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その6)

ステレオサウンド 197号の附録(卓上カレンダー)がもうすこしまともなのものだったら、
購入していただろうし、特集の内容は、このテーマで書くのにぴったりの号だけれど、
購入していないから、記憶に頼ってあれこれ思い出そうとしているけれど、
何があっただろうか……、とキーボードをたたく指が止ってしまう。

そういえば、と思い出すのはオーディオ機器ではなく、本だったりする。
二ヵ月前に「レコードと暮らし」という本のことを書いた。

この本の著者、田口史人氏の本がもう一冊出ている。
日本のポータブル・レコード・プレイヤーCATALOG」である。

リンク先のサイトを見ていただくか、書店にこの本を手に取ってほしい。
私の家にもポータブルレコードプレーヤーはあった。
そのポータブルレコードプレーヤーで、レコードを初めて聴いた。

オーディオに関心を持ちはじめると、こんなモノ、とつい思ってしまっていたが、
あの時代のポータブルレコードプレーヤーは、クリスタル型の高出力カートリッジがついていた。
一般的なMM型、MC型とは違い、振幅比例型のこの発電方式のカートリッジは、
RIAAイコライザーを必要としない。

出力が大きいことと相俟って、ポータブルレコードプレーヤーの内蔵のアンプは小さい。
凝ったものではない。
しょぼい作りといえる。

けれど、このミニマムな構成から出てくる音は、そうひどいものではない。
ポータブルレコードプレーヤーの音でも、鳴ってきた音楽に感動していたのだから。
そういう体験を持っているから、「日本のポータブル・レコード・プレイヤーCATALOG」はおもしろい。

Date: 12月 26th, 2015
Cate: 1年の終りに……

2015年をふりかえって(その5)

アンプで気になっているのは、ナグラのパワーアンプCLASSIC AMPだ。

今年のインターナショナルオーディオショウはわずかな時間しかいられなかった。
なのでナグラの輸入元である太陽インターナショナルのブースに行けなかった。

CLASSIC AMPは、そこにあったのだろうか。
あったのならば、音を聴きたかった、といまごろ後悔している。

私にとってナグラのアンプといえば、MPAである。
ナグラの他のどのアンプよりも、MPAは印象に残っている。

音のそうだが、フロントパネル中央に吹出し口があり、
空冷ファン廻り出すと、ここから熱風が出てくるという、
他のアンプでは、こういう設計のモノはない、といいたくなるところも含めて、である。

MPAの製造中止以降、ナグラのパワーアンプで魅力を感じるモノは、私にはなかった。
けれどCLASSIC AMPは、太陽インターナショナルのサイトで見た時から、
もしかすると、このアンプはMPAの再来かもしれない、と勝手に期待している。

MPA同様、出力段はMOS-FETである。
MPA同様、たっぷりとアイドリング電流を流しているのだろうか。
空冷ファンはないようだ。
ナグラ独自のメーターは、ちゃんとついている。

使用をみて、勝手にこのくらいかなと予想した価格よりも、実際の価格はちょっと高めだった。
それでも、CLASSIC AMPは聴いて見たいパワーアンプの筆頭格である。

ステレオサウンド 197号に新製品紹介の記事が載っているが、
まだ見ていない。

Date: 12月 25th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その29)

つきあいの長い音に官能性を与えるもののひとつが、それも重要なひとつが器ではないのか。