コピー技術としてのオーディオ、コピー芸術としてのオーディオ(その2)
別項で、無機物(デジタル、客観)であり、有機物(アナログ、主観)である、と書いた。
何を書いているのだろうか、と思われたかもしれない。
無機物(デジタル)であり、有機物(アナログ)である、なら、わかるけれど、
なぜ、無機物のところに客観、有機物のところに主観が加わっているのか、と。
コピーについて考えてみる。
アナログの場合、テープを例にとってみる。
録音テープ、録画テープ、どちらでもいい。
オリジナルのテープがある。
それをダビングする(コピーする)。
コピーしたものをさらにコピーする。
これを何度もくり返す。
オリジナルのテープの音質、画質よりも、
一回目のコピーの音質、画質は誰の目(耳)にもはっきりと違いがわかる。
コピーを二回、三回……と何回も続けていった音質、画質を、
オリジナルと比較してみるとどうだろうか。
ダビングに使用する器材のクォリティ、テープのクォリティによって多少結果は違ってきても、
オリジナルからは大きな劣化であり、
仮に百回もコピーをくり返したものならば、何が映っているのかわからないくらいになっても不思議ではない。
これは多くの人を集めての伝言ゲームに似ている、というか、そっくりではないか、と思う。