Archive for 12月, 2014

Date: 12月 9th, 2014
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(その1)

ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記。

オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生──、
五味先生のことをそう書かれている。

17歳のときにこれを読んだ。
たしかにそうだ、と「五味オーディオ教室」でオーディオにはいってきた私は思った。

だが、このときは、原田勲氏が「音の〝美〟」ではなく「オーディオの〝美〟」とされたことを、
深くは考えはしなかった。

けれど、いまは違う。
確かに五味先生はオーディオの「美」について、多くの示唆を与えつづけられていた。
いま強く実感している。

だからこそ、オーディオの「美」について書いていかねば、とおもう。

Date: 12月 9th, 2014
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その3)

どれほどつきあいがながくても、その人が出している音に対して、
ほんとうに感じたことを話してはいけない、という体験を私もしている。

彼とは20年以上のつきあいだった。
彼の音はことあるごとに聴いている。
彼がどういう音を好むのかも知っている。

ある時、自信たっぷりに聴いてほしい、と連絡があった。
だが、そこで鳴っていた音は、彼自身の好みを知っている私が聴いても、間違っている音であった。

いくつかのディスクを聴いた。
彼が自信たっぷりに鳴らすディスクも聴いた。
持参したディスクも聴いた。

あきらかに間違っている音だった。
とはいえ、さすがに「間違っている音ですよ」とはいわなかった。
彼は遠慮なく言ってくれ、という。

だからそうとうオブラートに包んだつもりで、「ちょっとおかしい」と答えた。
これが彼のプライドをそうとうに傷つけたようで、
彼は後日、自身のブログで、私のことを書いていた。

どんなことを書いていたのかは、ここではどうでもいい。
ただ、どんなにつきあいが長かろうと、かなり遠慮気味に言ったとしても、
ネガティヴな表現を使ってしまうと、相手を傷つけてしまう。

そんなことはわかりきったことだろう──、
たしかにそうなのだが、彼は悪いところはそういってくれ、と日頃から私にいっていた。
そういう人でも、そうではなかった、というだけの話である。

そういうこともあって、聴かせていただいても、音の形については、聴かせてくれた人に言ったことはなかった。

Date: 12月 9th, 2014
Cate: 無形の空気

いま、空気が無形のピアノを……(その2)

音を聴きに来ませんか、と誘いがあれば、時間の都合がつくかぎりは行くようにしている。
一ヶ月前から決められているよりも、前日、当日に誘いがあったほうが都合がつきやすいことが多いので、
当日でも行けるのであれば行く。

そんなふうにして、決して多くはないけれど、オーディオマニアの方たちの音を聴かせてもらっている。
聴いたあとには、どうでしたか、ときかれることが多い。

そんなとき、感じていながらもいままで言わなかったことがある。
それは、音の形のことだ。

意外にも、というか、ほとんどの人が、音の形ということに無関心・無頓着なように感じている。
これは音像定位が悪い、といったことではない。

そこでピアノが鳴っているとする。
どんなにいい音で鳴っていたとしても、
目をつぶれば、すぐそこにグランドピアノがあり、そこから音が発せられているという感じがない。

これは音場感がよく再現されている、といったことともまた違う。

私は「五味オーディオ教室」からオーディオに入ってきた人間だから、
そこに書かれていた「いま、空気が無形のピアノを……」ということがまず気になる。

そう書いているけれど、私もまだまだではある。
けれど、音の形に、他のことよりも重きをおいている。

重きがおかれていない音に出あうと、
音の形について語りたくなるけれど、いままでは黙っていた。
それは失望を語ることに近いわけで、そうとうに親しい人であっても、そんなことをいえば角が立つ。

よく、忌憚なき意見を聞きたい、といわれる。
けれど、実際はそうではない。

Date: 12月 9th, 2014
Cate: 老い

老いとオーディオ(その2)

オーディオについて語るさいに、性的なことを極端に拒否する人がいるのを、
ステレオサウンドにいたときに知った。

菅野先生がある座談会で、射精という言葉を使われた。
そのことに関して、編集部に手紙が届いた。

30年ほど前のことだから正確に記憶しているわけではないが、
その手紙には、ステレオサウンドはオーディオマニアにとっての聖書である、とまず書いてあった。
聖書に性的なことをイメージさせる言葉が載っているのは許し難い、
そういうことだった。

この手紙は意外だった。
いまこうやって書いていると、そのころ意外と感じた理由以外でも意外と感じてしまう。

ステレオサウンドの作り手であったころに、そのステレオサウンドを聖書として読まれることは、
喜んでいいことなのだろうか、とも考えさせられる。

ステレオサウンドを聖書と捉える人が他にもいるのかどうかはわからないけれど、
ひとりいたということは、そう思っている人は他にもいて不思議ではない。

音楽を聴くという行為は、官能的な行為でもある。
人によって、いろいろな聴き方があるけれど、
音楽を聴く際に、まったく官能的なものを拒否している(できている)人はいるのだろうか。

ステレオサウンドを聖書と捉えていた人からすれば、
この項で書いていこうとしていることは、オーディオを侮辱するものだ、ということになるのかもしれない。

それでも「老化とオーディオ」は書いていきたいテーマである。

Date: 12月 8th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(SL10のこと)

ステレオサウンド 55号の編集後記。
     *
 五味先生が四月一日午後六時四分、肺ガンのため帰らぬ人となられた。
 オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。その何日かまえに、病室でレコードを聴きたいのだが、なにか小型の装置がないだろうか? という先生のご注文で、テクニクスのSL10とSA−C02(レシーバー)をお届けした。
 先生は、AKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。
     *
原田勲氏の編集後記である。
〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟
テクニクスにとって最上の褒め言葉だと思う。

これを読んでいたから、強く印象に残っていたから、
SL15ではなくSL10を選択したのは、予算の関係もあってだが、五味先生がそういわれたことを知ったからである。

そして、ここでもうひとつ重要なことは、オーディオの〝美〟である。
音の美ではなく、オーディオの美。

オーディオのデザインについて語っても、
音の美しかみえていない人のデザインについて語る言葉と、
オーディオの美をみている人のデザインについて語る言葉の違い。

オーディオの美と音の美。
私はオーディオマニアだ。
五味先生の書かれたものでオーディオの世界に入ってきた。

だからこそのオーディオの美である。

Date: 12月 8th, 2014
Cate: アナログディスク再生, 型番

電子制御という夢(テクニクスの型番)

テクニクスのアナログプレーヤーの型番はSLから始まる。
ターンテーブルはSPから始まる。

テクニクスのターンテーブルのフラッグシップモデルはSP10。
SP10を頂点として、SP15、SP20、SP25などがあった。
数字が大きくなるほど価格は安くなっていく。

これはアナログプレーヤーも基本的には同じである。
SLの後に続く数字が大きいほど低価格帯のモデルであり、数字が小さくなるほど価格は高くなっていく。

けれどSL10の登場で、このシリーズに関してだけは変更があった。
SL10は10万円、型番の数字と定価が一致している。
上級機のSL15は15万円で、SL7は7万円。これもか型番の数字と価格の一致。
だから型番の数字が大きいほど価格は高くなるという、それまでの型番のつけ方は逆になっている。

Date: 12月 8th, 2014
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(構造と構成)

構造と構成について考えている。

構造とは、大辞林にはこう書いてある。
 全体を形づくっている種々の材料による各部分の組み合わせ。作りや仕組み。
 さまざまな要素が相互に関連し合って作り上げている総体。また,各要素の相互関係。

構成については、
 いくつかの要素を組み立てて一つのまとまりあるものにすること。また,その組み立て。
 経験によらずに概念・形式・イメージなどを操作することで対象を組み立てること。

英語では構造は(a) structure; (a) construction; (a) make; 〈組織〉 organization; 《文》 constitution、
構成はmaking; (a) make-up; (a) construction; structure; composition;
(an) organization; a setup; 《文》 formation。

構造と構成について明確に説明しようとすると意外に難しいのに気づく。
にも関わらず、ほとんど無意識に構造と構成は使い分けている。

オーディオにあてはめてみれば、いわゆるオーディオ業界は構造であり、
オーディオ雑誌にあるのは構成ということになる。

構造と構成の関係を考えていけば、そうか、と納得がいくことがある。
何に納得しているのかは、いずれ書いていくことになるはず。

Date: 12月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その31)

こんなことを書いているけれど、私がSL10を買ったのは、SL15の登場後である。
SL15が欲しくなかったわけではない。
SL15の150000円は、そのころの私には少し高すぎた。

SL10にしてもSL15でもセカンドプレーヤーとしての使用である。
それに150000円は出せなかった。
だからSL10を選んだ。
そして後悔した。

テクニクスのエンジニアもSL10の任意の曲の頭出しが意外に難しいのはわかっていたはず。
だからこそ蓋にキャリングインディケーターをつけたのだろうし、
ほんとうに出したかったのはSL15だったとも思える。

けれどSP10発表10周年を記念しての10づくしのプレーヤーなのだから、
自動選曲機能は予算の関係で無理だったのだろう。

SL10の附属カートリッジはMC型でヘッドアンプも内蔵されていたのが、
SL15ではMM型に変更になり、ヘッドアンプもない。
それでもSL10の五割アップの価格である。

SL10の仕様で自動選曲機能をつけていたら、もっと高くなっていたであろう。

とはいえSL10は成功である。
SL10はステレオサウンド 53号でState of the Artに選ばれている。
SL10と同時にState of the Artに選ばれたアナログプレーヤーは、パイオニアのExclusive P3。

53号では見開きで、この二機種が並んだ写真が載っている。

Date: 12月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その30)

リンのLP12の初期、ARのTurntable、
どちらもこれ以上部品を省略することはできないところでまとめられているアナログプレーヤーである。

どちらのプレーヤーの回路図にはモーターと進相コンデンサー、それに電源スイッチとなる。
速度切替えもない。

回路図をみれば電子回路というよりも電気回路といったほうがぴったりくる。

リンもARもコンパクトといえるサイズにまとめられている。
それでもテクニクスのSL10と比較すると大きくなる。
しかもリンもARもマニュアルプレーヤーである。
SL10はフルオートプレーヤーである。

ステレオサウンド 57号のSL7、SL15の記事には、SL10の構造透視図が載っている。
この図を見なくとも、リンのLP12、ARのTurntableとは違い、
内部には電子部品を数多く搭載したプリント基板があるのは想像できる。

Sl15にはSL10にはなかった自動選曲機能がついている。
SL15の内部はもっと電子部品が数多く使われている。

SL10のコンセプトと形態からすれば、自動選曲機能は必須の機能である。
SL10を持っていたからわかるのだが、頭出しが慣れないとけっこう難しい。

フルオートプレーヤーということでLPを頭から最後まで通して聴く分には、
SL10の操作性にはまったく不満はないのだが、
二曲目、三曲目だけを聴きたい時には、
蓋に印刷されているキャリングインディケーター(定規のような目盛り)とLPをじっと見つめて、
このへんかな、というあたりをつけてキューイングボタンを押す。
けれどうまく行く時もあればちょっとずれてしまうときもある。

マニュアルプレーヤーの操作になれてしまっているいると、けっこうイライラするし、
フルオートプレーヤーなのに使い手にわずらわしさを感じさせてしまう。

SL10の完成度を高めるためにも、自動選曲機能は絶対に必要とSL10ユーザーならば思っていたはずだ。

Date: 12月 7th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その29)

1970年前半の話である。
ある国内オーディオメーカーのアナログプレーヤーはOEMだった。
自社開発・製造のアナログプレーヤーのために、その会社のスタッフは、
自社アナログプレーヤーのユーザー宅を全国訪ねていった。
そして直接ユーザーの声を集めていった。

けれど、そうやって得られた声は、
その会社のアナログプレーヤーの長所、短所といったところに留まっていたのではないだろうか。
テクニクスの人たちが、どういうプレーヤーが望ましいか、を世界中の人たちに聞いてまわっても、
現在あるものを対象にしたものばかりしか得られなかったのと同じではないだろうか。

中には、こういうプレーヤーが欲しい、とはっきりとしたプレーヤー像を持っている人もいるかもしれない。
だが、そういう人はごくまれである。

そういう人と出会えたとしても、その人にとっての答が、そのままそのメーカーの答になるとはいえない。

テクニクスの人たちが自分たちで答をさがしたように、
そのメーカーの人たちも結局は自分たちで答をさがすしかなかったはずだ。

問題解決とは、そういうものでもあるはずだ。

Date: 12月 6th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その28)

ステレオサウンド 57号からもうすこしテクニクスの小幡修一氏が語るSL10誕生を引用しておく。
     *
一般に高級なレコードプレーヤーをもっているひとは、女子供に使わせない、という思想があるようです。実際、高級機ほどデリケートで心得のないひとには使いこなせないという面もあるし、女子供でなくてもふつうの人には近よりがたいというたたずまいもしているわけです。ところがカセットにはそんなところがない。誰でも手軽に扱えるという強味がある。だから、やがて、音楽再生ソースは高級機はPCM、普及機はカセットということになって、レコードはとりのこされてしまいかねないんです。
(中略)
 PCMとカセットの時代に対抗できるディスクプレーヤーは、本来もっているレコードの性能を最大限に引きだせるもので、女子供でも容易につかえて、しかも、もっていて最高にたのしいというものでなければならない。これについては、世界中の人たちの意見をきいてあるきました。私はすくなくとも年に二回は海外に出かけているので、そのたびにどういうプレーヤーが望ましいかということをきいてまわりもしました。その質問についての答は、現在あるものを対象にしたものばかりで、A社のあの製品のここがいい、B社のはあそこが、といったような答以上を出ない。われわれは、その答にないものをさがしたのです。
     *
いま改めて読むと、問題回避ではなく問題解決であること、
どれだけ多くの人にきいたところで答を得られることはなく、
返ってきた答、つまりは回答を集めてつくり出したのではなく、
解答を自分たちで見つけた結果のSL10の誕生だということがはっきりとわかる。

だから、小幡修一氏はこうも言われている。
     *
アナログディスクというものは実に素晴らしいものだということは改めていうまでもないと思うのですが、PCMとカセットに挟みうちをされてディスクが先細りになるということは、プレーヤーをつくっているものとしては申し訳のないことだ。そういう発想が自然に濃縮されていった結果がSL10になったわけです。
     *
「発想が自然に濃縮されていった結果」、
SL10をいま見ても、そう感じられる。

Date: 12月 5th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その27)

テクニクスはSL10発表の前年(1978年1月)に、SL-FM1というアナログプレーヤーを出している。
32800円の普及型。

このSL-FM1は型番からわかるように、FMトランスミッターを内蔵している。
カートリッジがピックアップした信号をそのままFM信号に変換するわけではなく、
イコライザーアンプも内蔵されていて、SL-FM1の電波(78MHz)をチューナーで受信すれば音が聴ける。
ラインアウトも備えている。
SL-FM1の特徴はそれだけでなく、AC電源の他に単一乾電池6個でも動作する。

テクニクスのアナログプレーヤーはかなりの機種が登場しているが、
FMトランスミッターをもつ機種は、これ一機種だけだったはずだ。

SL-FM1が登場したときは、テクニクスも変なモノを作るな、といった印象で受けとめていた。
けれど、翌年にSL10が、その一年後にSL7、SL15が登場し、
ステレオサウンド 57号の記事を読むとSL-FM1とSl10とには、共通する開発方針があるのがわかる。

57号でテクニクスの小幡修一氏は次のように語られている。
     *
 DD型にこんな進展(大型で重くなり、プレーヤーのSL化)が見えはじめた頃にPCMのことがちらほら話題になりはじめてきたのですね。やがてディスクもデジタル(PCM)化されるという予測は当然あるわけですが、それ以上に、レコードプレーヤーをつくっている者にとって問題にしなければならないのはカセットデッキの目ざましい進出であり、ミュージックテープの伸びです。このふたつの現象は、アナログディスクのよさを見なおすために何かしなければならないということを考えざるを得ない。レコードプレーヤーが昔ながらのままであっていいのかどうかということですね。
     *
プレーヤーのSL化のSLとはいうまでもないことだが、蒸気機関車のことなのだが、
SLはまたテクニクスのアナログプレーヤーの型番でもある。

Date: 12月 4th, 2014
Cate: アナログディスク再生

電子制御という夢(その26)

テクニクスのSL10は、世界初のダイレクトドライヴのSP10誕生からちょうど10年目に登場している。
だから型番にも10がつき、SL10となり、価格も10万円。
さらには10月10日に発売されるという、10づくしのプレーヤーである。

SL10の登場の一年後、SL7とSL15が登場している。
ステレオサウンド 57号の新製品紹介のページで紹介されている。
岡先生が書かれている。

岡先生が新製品紹介の記事を書かれるのは珍しいことである。
     *
 テクニクスのSL10が出て一年、その姉妹機のSL15とSL7が発表された。
 予想されていたこととはいえ、SL10ファミリーの展開のテンポが早い。SL10の出現には本当にびっくりした。ぼくは、当時、あちらこちらで〝レコードプレーヤーの革命〟だというようなことを書いた。これは誇張でもなんでもない。半世紀もレコードをいじってきたものとして、このプレーヤーを見て操作してまっさきにうかんだ実感であった。SL10の第一歩はベートーヴェンの第五の開始のffのように颯爽としていた。それはまったくアレグロ・コン・ブリオそのもののような確信に満ちた足どりで歩みはじめた。そして、いまそのアレグロ・コン・ブリオは上声部と下声部を加え、充実感に満ちた和音進行へと展開しはじめた。時がたつにつれ、SL10ファミリーはさらに豊かな和声の響きをもつだろうが、そこまで先走りして考えることもあるまい。
     *
いま読み返してみると、岡先生としてはめずらしい書き出しであることに気づく。
それだけSL10の登場は、レコードとのつきあいの長い人ほど、革命に近いモノであったことが読みとれる。

ステレオサウンド 57号のこのページには、
SL10の開発者である小幡修一氏に岡先生が話を聞きに大阪まで出かけられ、
SL10開発に関する話も別枠で掲載されている。

Date: 12月 4th, 2014
Cate: バランス

音のバランス(その1)

音のバランスは大切なことである。
そう言う人は多い。私も言う。
そう思っているから別項で「40万の法則」について書いている。

少しばかり音のバランスが崩れていても、音は聴ける。
音のバランスよりも、もっと大切なことがある、という人もいる。
私も若いころは、そう考えていたこともあった。

そういう時期の音を経て、いま音のバランスは大切だ、と思っている。

音のバランスとは、帯域バランスだけのことではない。
音に関する、さまざまな意味・要素でのバランスが大切だ、ということである。

そして音のバランスを得るためには、いくつもの要素において、
両極端に振ってみることも必要だといえる。

Date: 12月 4th, 2014
Cate: サイズ

サイズ考(iPhone 6 Plus)

iPhone 5Sを使っている。
その前はiPhone 4Sだった。
サイズは少し大きくなっている。

iPhoneはジーンズの前ポケットに入れている。
なのでiPhone 5Sのサイズがギリギリかな、と思っているし、
iPhone 6のサイズ、それもiPhone 6 Plusの大きさとなると、
もうジーンズの前ポケットに収まるとはいえないから、大きいな、と思っていた。

一ヵ月ほど前、ベビーカーを押しながら女の人が電車に乗ってきた。
そのお母さんがiPhone 6 Plusを取り出して操作している姿を見て、
iPhone 6 Plusを大きくない、と初めて感じた。

その人は革製のケースにiPhone 6 Plusをおさめていた。
だから手帳のように開いて、左手で持ち右手で操作だった。

iPhoneをどう捉えるのか。
電話が携帯できるようになり、そこにさまざまな機能が搭載されたモノとしてみるならば、
私にとってはiPhone 5Sがギリギリの大きさということになる。

けれど電子手帳に電話機能が搭載されたモノとしてみるならば、iPhone 6 Plusのサイズは、
大きいとはもう感じなくなっているし、むしろ魅力的な大きさだと思えてくる。

もし電車に乗ってきたお母さんが革製のケースを使っていなかったら、
iPhone 6 Plusをいまでも大きい、と受けとめていたはず。

革製の、しかも開いて使うタイプのケースに収めることで、少しとはいえサイズは大きくなる。
けれど、そのことによって両手でiPhone 6 Plusを自然に使うようになれば、
もう大きいとは感じなくなっている。

サイズに対する感覚のいいかげんさなのかもしれないし、
サイズは単なる数値で表されるものではない、ともいえる。