第41回audio sharing例会のお知らせ
6月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。
テーマについて、後日書く予定です。
時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
6月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。
テーマについて、後日書く予定です。
時間はこれまでと同じ、夜7時です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
ショルティとカラヤンのマーラーが出た1981年ごろは、
このふたりの指揮者の録音にはあまり関心をもっていなかった時期でもある。
カラヤンに関しては、五味先生の書かれたものを読んできた影響がどうしてもあった。
ショルティは、特にこれといった理由はなかった。
ただなんとなく敬遠していた。
4350に関しても同じだった。
このころの私は4350ではなく、4343に夢中だった。
そして4343の後継機である4345に対しても高い関心をもっていたけれど、
4350は(4343、4345でさえ遠いのに)、もっとずっと遠い存在であったため、
それまでにも何度かオーディオ店で聴く機会はあり、
満足のゆく鳴り方ではなくとも、4350ならではの凄さの片鱗は感じとっていた。
まずは(とにかく)4343だ、という気持が圧倒的に強かったからだ。
4350をステレオサウンドの試聴室で聴く機会はなかった。
4355は聴いている。
このふたつのJBLの旗艦モデルは、1980年代後半から1990年代前半にかけて、
個人のリスニングルームで聴く機会は意外にあった。
でも、カラヤンの第九交響曲もショルティの第二交響曲のどちらも聴いていない。
それをいまになって聴きたい、と思っている。
1981年には、カラヤンのマーラーの第九交響曲も出ている。
1979年、80年にかけての録音で、ベルリンフィルハーモニーとである。
カラヤンのマーラーの九番といえば、
1982年のベルリンフィルハーモニーとによるライヴ録音を誰もがあげるだろう。
真摯にマーラーの、この交響曲を聴いてきた人ならば、カラヤンの、この演奏を聴いて、黙ってしまった、と思う。
カラヤンに否定的な態度をとる人でも、沈黙してしまうのではないだろうか。
このディスク(CDのみの発売)で聴けるカラヤンのマーラーは、そういう演奏である。
再録音に積極的だったカラヤンにしても、こんな短期間での再録音は他にない。
なぜ、カラヤンは再録音を行ったのか。
しかもオーケストラはどちらもベルリンフィルハーモニーである。
1982年のライヴ録音では、ウィーンフィルハーモニーであれば、なんとなく理由もわかるような気もするが、
そうではない。
演奏時間を比較してみても、旧盤と新盤とでは大きな違いはない。
ほとんど同じといっていいくらいである。
ただ旧盤はスタジオでのアナログ録音で、新盤はデジタルによるライヴ録音。
この間における録音の進歩。
結局、それが僅かな期間で再録音をした理由であり、だからこそLPを出さずにCDのみの発売だった理由でもあろう。
1982年のライヴ録音の陰にかくれてしまった感のあるスタジオ録音による旧盤の九番。
このディスクも、4350で聴きたいマーラーである。
コンサート・フィデリティの概念からは、
ショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二は、まったくハイ・フィデリティではない、ということになる。
そんなのはオーディオ的に凄い音であっても、音楽的ではない──、
ほんとうにそうなのだろうか。
コンサート・フィデリティがあれば、スコア・フィデリティもある。
スコア・フィデリティからすれば、ショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二は、
少なくとも第一楽章の冒頭の低弦の凄まじさは、ハイ・フィデリティということになりはしないのか。
マーラーが第二交響曲で表現したかった音(響き)は、
優れた指揮者による解釈と優れたオーケストラの力量、それにいいホールがあれば、それで再現できるといえるのか。
スコアに書かれたものがすべてであるだろうが、
スコアにすべてが書かれている保証は、どこにもない。
マーラーの頭の中、胸の裡にあった第二交響曲の冒頭とは、いったいどんなものだったのか。
誰かが答を出せることではない。
ショルティ/シカゴ交響楽団の第二は、第一楽章の冒頭、それに終楽章は、
ショルティの出した確信であることは、はっきりといえる。
こういう録音は、この時代だからできた、という気もする。
1980年代も最初のほうならば、できたであろう。
だが1990年代には、こういう録音側でのある種の作為(意図)は、
その現場において認められなかった可能性もあるし、聴き手側からも受け入れられなかったかもしれない。
いまショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二交響曲は、どういう評価なのかは知らない。
興味はないからだ。
薄っぺらな音のスピーカーで聴いて、何がわかるのか、と暴言めいたこともいいたくなる。
4350で聴いてみろ、ともいいたくなる。
こんなことを書いているけれど、私自身、4350でショルティのマーラーは聴く機会はなかった──。
西暦は0年からではなく1年から始まっているのだから、
1970年代となると1970年から1979年ではなく、1971年から1980年ということになる。
1970年代の最後の年に、ふたつのマーラーが録音され、翌年(1980年代の最初の年)に出た。
ひとつはショルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの第二交響曲。
デッカでの、ショルティ二度目の録音である。
最初の録音はロンドン交響楽団。
このときの録音もそうなのだが、シカゴ交響楽団との二度目の録音でも、
第一楽章の冒頭の低弦の鳴り方は凄まじいものがある。
この凄まじさに支えられたオーケストラの響きは凄まじくもあり、威圧的でもある。
こういう音は、実際のコンサートでは、ショルティ/シカゴ交響楽団であっても聴けない、と思う。
他の指揮者、他のオーケストラの組合せであっても、
ショルティ/シカゴ交響楽団が録音でのみ聴かせる強烈なバランス(決して不自然だとは感じない)は、
絶対に聴くことはできないのではないか。
その意味ではショルティの第二交響曲に関して、
その録音アプローチに否定的なことをいう人はいるだろう。
こんな音はナマのコンサートでは聴けない。
録音でつくられた音、響きだ、と。
確かにそうである。
録音のみが達成できる音と響きである。
四畳半、六畳といった空間に4350。
それがいかにアンバランスなことであるか、はやっている当人がいちばんよくわかっている。
わかっていても、無理矢理にでも4350を入れて鳴らしたい、という衝動があったから、
そういう人たちは、あえて4350を鳴らす。
20代の若造に4350は分不相応だ、ともいわれたかもしれない。
未熟な鳴らし手に4350が鳴らせるわけはない、ともいわれたかもしれない。
20代ならば、レコードの枚数もものすごい数をもっていたわけでもないだろう。
ならば4350のような高価なオーディオをそろえる前に、
まずレコードを揃える、もっと音楽を聴くことだ、と説教された人もいる、と思う。
そういった良識的なことはわかったうえで、それでも4350という無理に挑戦した人は、いる。
彼らを冷ややかな目で見るのは、誰にでもできることだ。
ああだこうだと説教することも難しいことではない。
けれど、あの時代、4350の「狂気をはらんだ物凄さ」を体験したことのある人、
そこまでいかなくともその片鱗だけでも体験したことのある人ならば、
いつまでも四畳半、六畳で鳴らし続けるわけではない、いつかはもっと広い部屋で……、
ならば、いまは4350には狭すぎる部屋だけど……、と、あえての選択をした人がいる。
そんな想いを抱かせ、その想いを実行に移させるだけの「熱量」みたいなものを4350は、あの時代聴かせてくれた。
JBLの4350は1974年当時993800円(一本、サテングレー。ウォールナットは1107000円)していた。
4350Aは1977年当時940000円(ウォールナットは1000000円)。
このころから円高になりつつあり、一年後には800000円(ウォールナットは850000円)になっている。
現在の天井知らずのスピーカーシステムに比べれば良心的な価格とはいえ、
高価なスピーカーではあった。
けれど働いている人であれば無理すれば、決して手の届かない存在だったわけではない。
このころには分割払いの回数も48回とか60回というのもぼちぼち出て来ていた。
60回といえば五年払い続けることになるが、4350クラスのスピーカーシステムならば、
五年くらいは最低でも使いつづけるモノだから、
払い終るころには次のスピーカーに替えているということはまずない。
そうやって買った人もいる、と思う。
ステレオサウンドにいたときにきいた話では四畳半に4350をいれている人がいる、らしい。
四畳半は、たぶん4350がおさめられた部屋ではもっとも狭い空間だろう。
四畳半に4350という人はほとんどいなかっただろうが、
六畳、八畳に4350という人はもう少しいた、と思う。
そんな狭い部屋に15インチ・ウーファー、しかもダブル・ウーファーの4350を入れるなんて……、
と揶揄する人は、当時よりもいまの方が多くいるように感じる。
すぐ、スピーカーの大きさに見合った空間、
空間に見合ったスピーカーの大きさ、などと、したり顔でいう。
もっともこういう人はインターネットで匿名での発言で目にすることが多いから、
したり顔かどうかはわからないけれども。
狂気をはらんだ物凄さ──、
こういう音は1970年代後半に存在した、いわば時代の音だったのかもしれない、といまは思う。
1980年代にはいり、そういう時代ではなくなってきたようにも思える。
だからJBLの1980年代のスピーカーシステムは、4345、4344もそうだし、
4350の後継機4355にも、狂気をはらんだ物凄さは影をひそめていた、というべきか、
そこにはもう存在しなくなりつつあった、というべきか、
とにかく4350Aと4355との音の違いには、そういうことを私は感じる。
そうだとしたら、いまの時代に4350を鳴らすことは、どういうことなのか。
狂気をはらんだ物凄さなど、どこにもありませんよ、といった風情で鳴らすのが、いまの時代なのだろうか。
4350の、狂気をはらんだ物凄さをいささかもおさえることなく、
かといってあからさまにすることなく、そうやって鳴らすのはいまの時代にそぐわないのか。
だとしたら、私が角を矯めて牛を殺すのたとえのように4350を鳴らすのも、
いまの時代のひとつの鳴らし方なのか。
そんなことを思いながらも、違うだろう、と私はいうわけだ。
ならば、ほかのスピーカーでいいじゃないか。
むしろ、ほかのスピーカーのほうがいいはずだ。
4350が登場してもう40年経っている。
40年前のスピーカーを、いまも鳴らしている理由(わけ)はなんなのか。
私がいま4350を鳴らすのであれば、はっきりという、
あの時代の「狂気をはらんだ物凄さ」を聴きたいからであり、
角を矯めて牛を殺すような音を、4350からは聴きたくない。
4350は最初白いコーン紙のウーファー2230を搭載し1973年に登場している。
1975年にウーファーが2231Aに置き換えられ、4350Aとなる。
1980年、ウーファーとミッドバスが、
アルニコマグネットからフェライトマグネットに置き換えられた2231H、2202Hに変更され、4350Bとなる。
4300シリーズのほかのシステム、4331と4333も、おもにエンクロージュアの改良で4331A、4333Aとなり、
1980年にやはりウーファーがフェライト化され4331B、4333Bとなっている。
4311にも同じで、4311、4311A、4311Bという変遷がある。
つまり4300シリーズの型番末尾のアルファベットは、いわゆるMKI、MKII、MKIIIと同じで、
改良を意味している。
1980年にコバルトの世界的な枯渇によりアルニコマグネットからフェライトマグネットに変更されたときに、
4300シリーズの型番にはすべてBがついた。
4343にもBがついた。
そのためか型番末尾のAがアルニコ仕様だと勘違いしている人がいる。
そういう人は、4343のアルニコ仕様モデルを、4343Aと書いたり言ったりする。
だが4343には、4343Aというモデルは存在しない。
あるのは4343と4343Bである。
同じような間違いは、実はステレオサウンドもやっている。
4345が登場したときに、4345BWXとしている。
4345BWXという型番は実際にはない。
あるのは4345である。
4345は最初からウーファーとミッドバスはフェライトマグネットだから、
Bタイプとしたのはわかるし、ウォールナット仕上げだからさらにWXをつけたのもわかる。
だが4345には、サテングレー仕上げはなくウォールナット仕上げのみである。
だから仕上げを区別するためのWXはつかない。
改良モデルでもないから型番の末尾にアルファベットもつかない。
角を矯めて牛を殺す、というたとえがある。
JBL・4350について書こうとおもったときに、このたとえがまず浮んできた。
ウーファーがアルニコマグネットの2231Aから2235Hになり、
ミッドバスは同じくフェライト仕様の2202H、
ミッドハイは2440から、ダイアフラムのエッジが大きく変更になった2441へと変った4355は、
そういう傾向は抑えられているけれど、
4350Aには瀬川先生が指摘されているように「手のつけられないじゃじゃ馬」的なところがあった。
4350Aほどのスピーカーが、日本家屋のあまり広くない空間で、
そういうふうになったら、まず聴けたものじゃない。
となると人は抑え込もうとする。
購入したスピーカーはその人のモノであるから、どう鳴らそうとその人の自由であり、
まわりが口をだすことではないとわかっていても、それでも「角を矯めて……」のたとえが浮ぶ。
「どこか狂気さえはらんでいる」と瀬川先生は書かれている。
こう書かれたステレオサウンド 43号のセクエラのModel 1のところには、こうも書かれている。
*
スピーカーならJBLの4350A、アンプならマークレビンソンのLNP2LやSAE2500、あるいはスレッショールド800A、そしてプレーヤーはEMT950等々、現代の最先端をゆく最高クラスの製品には、どこか狂気をはらんだ物凄さが感じられる。チューナーではむろんセクエラだ。
*
4350Aは、確かに1970年代後半において「時代の最先端」をゆくスピーカーシステムであったし、
「狂気をはらんだ物凄さ」を、その音に感じさせてくれるスピーカーシステムでもある。
音は人なり、ということから、その人が鳴らす音は鳴らし手をうつす鏡であるということは、
ずっと昔からいわれ続けている。
鏡といえば、鏡ともいえよう。
だが鏡には、実のところ何もうつってはいない。
鏡が正面にある。
そこには自分の姿が映っている。
けれど鏡を斜めから見ている人と正面から見ている人とで、
鏡に見ているものは違っている。
鏡が映画のスクリーンのように何かを映し出しているのであれば、
正面の人も斜めの人も同じものを見れるはずだが、そんなことはない。
それが鏡である。
誰も鏡のほんとうの姿をみることはできない。
だから音を鏡にたとえることには完全には同意できないでいる。
でも、その反面、そういう鏡だからこそ、オーディオ(2チャンネル方式)の音と似ている、ともおもえてくる。
4343のメクラ板がブラックなのは、コスト削減のためだろう。
そう安易に決めつける人はいる。
だがすでに書いてきたようにコスト削減が目的ならば、もともと余分な穴など開けなければメクラ板は不要になる。
それに4343に限らずJBLの4300シリーズのスタジオモニターは仕上げの違いに応じて、
ある箇所の細工も変えている。
これは多くの人が知っている(気づいている)ことだと思っていたけれど、
意外にも10年ほど前、
JBLの4300シリーズを使っていた人(この人は時期は違うがどちらの仕上げも使っていた)は、
私が指摘するまで気づいていなかった、ということがあった。
JBLはデザインに気をつかっている──、
ふだんからそういっている人がそのことに気づいていなかったことが私にはよほど意外だったけれど……。
現在の4300シリーズはフロントバッフルと側板とのツラが合うように作られているが、
以前の4300シリーズはフロントバッフルが少し奥まっていた。
つまり両側板、天板、底板の木口による額縁が形成されていた、ともいえる。
その額縁はサテングレー仕上げとウォールナット仕上げとでは、木口の処理が違っている。
サテングレーでは四角い板をそのまま組み合わせたつくりだが、
ウォールナットでは木口を斜めにカットしている。
天板の木口を真横からみると、サテングレーでは垂直になっているのに対して、
ウォールナットでは下部のわずかなところは垂直なのだが、そこから天板にかけては斜めになっている。
ただ仕上げを変えているだけではない。
そういうJBLがメクラ板をコスト削減だから、といって、どちらの仕上げも同じブラックにするわけがない。
ブラックにしているのは、そこにおさまるトゥイーターの2405がブラック仕上げだからである。
JBL・4300シリーズの最初のモデル4320のエンクロージュアの仕上げは、いわゆるグレーだった。
グレーは灰色、鼠色なわけだが、JBLのグレーはそんな感じではなく、もっと明るい。
JBLではずっと以前から、この明るいグレーのことをサテングレーと呼んでいる。
4320はサテングレーの仕上げだった。
4320にもメクラ板はある。
トゥイーターを追加するために設けられている穴をふさいでいる。
4320のメクラ板の色はサテングレーである。
フロントバッフルもサテングレーである。
JBL・4300シリーズの仕上げにウォールナットが加わることになる。
両サイド、天板、底板の四面(もしくは底板をのぞく三面)がウォールナットになり、
フロントバッフルの色はブルーになっている。
このころからサテングレー仕上げはフロントバッフルの色を、
それまでのサテングレーからブラックに変更している。
1981年に登場した4345からサテングレー仕上げはなくなった。
4343が最後のサテングレーとウォールナット仕上げの両方があったモデルになってしまった。
メクラ板の色。
4320ではサテングレーだったが、4343では違う。
サテングレー仕上げ(フロントバッフルはブラック)であっても、
ウォールナット仕上げ(フロントバッフルはブルー)であっても、メクラ板はブラックである。
これがもしウォールナット仕上げではフロントバッフルと同じブルーであったら、どんな印象になるのか。
そして、なぜ4343のメクラ板はブラックなのか。
モーツァルトのレクィエムを聴きおわると、よくおもうことがある。
私達が聴けるレクィエムは、誰かの補筆が加わっている。
ジュースマイヤーであったり、バイヤーであったり、ほかの人であることもある。
モーツァルトの自筆譜のところと誰かの補筆によるところとの音楽的差違はいかんともしがたいわけだが、
ならばその音楽的差違をはっきりと聴き手に知らせる(わからせる)演奏が、
ハイ・フィデリティなのだろうか、と思う。
そこには音楽的差違がある以上、
それをはっきりと音にするのが演奏家としてハイ・フィデリティということになる──。
それでも思うのは、誰かの補筆が加わっていてもモーツァルトのレクィエムとして聴きたい気持があるからだ。
音楽的差違をはっきりと示してくれる演奏よりも、そうでないほうがいいとも思う。
1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムであれば、
1963年録音のバーンスタインのマーラーも、
1947年録音のワルターのマーラーも過不足なく聴かせてくれる、といえる。
1963年録音のバーンスタインのマーラーを過不足なく聴かせるシステムは、
1947年録音のワルターのマーラーも過不足なく聴かせてくれるけれど、
1973年録音のカラヤンのマーラーとなると、必ずしもそうとはいえない。
1963年録音のバーンスタインのマーラーを過不足なく聴かせるシステムの中には、
1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムもあれば、そうでないシステムもある。
1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムが、
1980年録音のアバドのマーラーを、1986年録音のインバルのマーラーを過不足なく聴かせてくれるとはかぎらない。
今日のマーラーを過不足なく鳴らせたとしても、
それは明日のマーラーを過不足なく鳴らせるという保証とはなり得ない。
レコード(録音されたもの)をオーディオを介して聴く、という行為には、常にこの問題がつきまとう。
これから先、どれだけ時間が経ち、技術が進歩しようとも、この問題がなくなることはまずありえない。