JBL 4350(その5)
四畳半、六畳といった空間に4350。
それがいかにアンバランスなことであるか、はやっている当人がいちばんよくわかっている。
わかっていても、無理矢理にでも4350を入れて鳴らしたい、という衝動があったから、
そういう人たちは、あえて4350を鳴らす。
20代の若造に4350は分不相応だ、ともいわれたかもしれない。
未熟な鳴らし手に4350が鳴らせるわけはない、ともいわれたかもしれない。
20代ならば、レコードの枚数もものすごい数をもっていたわけでもないだろう。
ならば4350のような高価なオーディオをそろえる前に、
まずレコードを揃える、もっと音楽を聴くことだ、と説教された人もいる、と思う。
そういった良識的なことはわかったうえで、それでも4350という無理に挑戦した人は、いる。
彼らを冷ややかな目で見るのは、誰にでもできることだ。
ああだこうだと説教することも難しいことではない。
けれど、あの時代、4350の「狂気をはらんだ物凄さ」を体験したことのある人、
そこまでいかなくともその片鱗だけでも体験したことのある人ならば、
いつまでも四畳半、六畳で鳴らし続けるわけではない、いつかはもっと広い部屋で……、
ならば、いまは4350には狭すぎる部屋だけど……、と、あえての選択をした人がいる。
そんな想いを抱かせ、その想いを実行に移させるだけの「熱量」みたいなものを4350は、あの時代聴かせてくれた。