JBL 4350(その2)
角を矯めて牛を殺す、というたとえがある。
JBL・4350について書こうとおもったときに、このたとえがまず浮んできた。
ウーファーがアルニコマグネットの2231Aから2235Hになり、
ミッドバスは同じくフェライト仕様の2202H、
ミッドハイは2440から、ダイアフラムのエッジが大きく変更になった2441へと変った4355は、
そういう傾向は抑えられているけれど、
4350Aには瀬川先生が指摘されているように「手のつけられないじゃじゃ馬」的なところがあった。
4350Aほどのスピーカーが、日本家屋のあまり広くない空間で、
そういうふうになったら、まず聴けたものじゃない。
となると人は抑え込もうとする。
購入したスピーカーはその人のモノであるから、どう鳴らそうとその人の自由であり、
まわりが口をだすことではないとわかっていても、それでも「角を矯めて……」のたとえが浮ぶ。
「どこか狂気さえはらんでいる」と瀬川先生は書かれている。
こう書かれたステレオサウンド 43号のセクエラのModel 1のところには、こうも書かれている。
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スピーカーならJBLの4350A、アンプならマークレビンソンのLNP2LやSAE2500、あるいはスレッショールド800A、そしてプレーヤーはEMT950等々、現代の最先端をゆく最高クラスの製品には、どこか狂気をはらんだ物凄さが感じられる。チューナーではむろんセクエラだ。
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4350Aは、確かに1970年代後半において「時代の最先端」をゆくスピーカーシステムであったし、
「狂気をはらんだ物凄さ」を、その音に感じさせてくれるスピーカーシステムでもある。