JBL 4350(その3)
狂気をはらんだ物凄さ──、
こういう音は1970年代後半に存在した、いわば時代の音だったのかもしれない、といまは思う。
1980年代にはいり、そういう時代ではなくなってきたようにも思える。
だからJBLの1980年代のスピーカーシステムは、4345、4344もそうだし、
4350の後継機4355にも、狂気をはらんだ物凄さは影をひそめていた、というべきか、
そこにはもう存在しなくなりつつあった、というべきか、
とにかく4350Aと4355との音の違いには、そういうことを私は感じる。
そうだとしたら、いまの時代に4350を鳴らすことは、どういうことなのか。
狂気をはらんだ物凄さなど、どこにもありませんよ、といった風情で鳴らすのが、いまの時代なのだろうか。
4350の、狂気をはらんだ物凄さをいささかもおさえることなく、
かといってあからさまにすることなく、そうやって鳴らすのはいまの時代にそぐわないのか。
だとしたら、私が角を矯めて牛を殺すのたとえのように4350を鳴らすのも、
いまの時代のひとつの鳴らし方なのか。
そんなことを思いながらも、違うだろう、と私はいうわけだ。
ならば、ほかのスピーカーでいいじゃないか。
むしろ、ほかのスピーカーのほうがいいはずだ。
4350が登場してもう40年経っている。
40年前のスピーカーを、いまも鳴らしている理由(わけ)はなんなのか。
私がいま4350を鳴らすのであれば、はっきりという、
あの時代の「狂気をはらんだ物凄さ」を聴きたいからであり、
角を矯めて牛を殺すような音を、4350からは聴きたくない。