Date: 5月 20th, 2014
Cate: 4350, JBL
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JBL 4350(その7)

コンサート・フィデリティの概念からは、
ショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二は、まったくハイ・フィデリティではない、ということになる。

そんなのはオーディオ的に凄い音であっても、音楽的ではない──、
ほんとうにそうなのだろうか。

コンサート・フィデリティがあれば、スコア・フィデリティもある。
スコア・フィデリティからすれば、ショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二は、
少なくとも第一楽章の冒頭の低弦の凄まじさは、ハイ・フィデリティということになりはしないのか。

マーラーが第二交響曲で表現したかった音(響き)は、
優れた指揮者による解釈と優れたオーケストラの力量、それにいいホールがあれば、それで再現できるといえるのか。

スコアに書かれたものがすべてであるだろうが、
スコアにすべてが書かれている保証は、どこにもない。
マーラーの頭の中、胸の裡にあった第二交響曲の冒頭とは、いったいどんなものだったのか。

誰かが答を出せることではない。

ショルティ/シカゴ交響楽団の第二は、第一楽章の冒頭、それに終楽章は、
ショルティの出した確信であることは、はっきりといえる。

こういう録音は、この時代だからできた、という気もする。
1980年代も最初のほうならば、できたであろう。
だが1990年代には、こういう録音側でのある種の作為(意図)は、
その現場において認められなかった可能性もあるし、聴き手側からも受け入れられなかったかもしれない。

いまショルティ/シカゴ交響楽団のマーラーの第二交響曲は、どういう評価なのかは知らない。
興味はないからだ。

薄っぺらな音のスピーカーで聴いて、何がわかるのか、と暴言めいたこともいいたくなる。
4350で聴いてみろ、ともいいたくなる。

こんなことを書いているけれど、私自身、4350でショルティのマーラーは聴く機会はなかった──。

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