Archive for 3月, 2013

Date: 3月 17th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×十・JBL SA600)

私の知る範囲ではコントロールアンプで逆相(反転アンプ)になっているモノは、
大半がラインアンプが反転(逆相アンプ)になっているのが大半である。

つまりフォノイコライザーは正相であることが多いから、
フォノ入力もライン入力も逆相となって出力されるわけである。

仮にフォノイコライザーが反転アンプであって、ラインアンプが正相だとしたら、
この場合、フォノ入力のみが逆相出力となり、ライン入力は正相出力となる。

フォノイコライザーもラインアンプも、どちらも反転アンプだとしたら、
フォノ入力は正相、ライン入力は逆相ということになり、システム全体の極性の管理がめんどうになってくる。

とにかくカートリッジからコントロールアンプ、パワーアンプ、スピーカーシステムまで、
ほぼすべてのコンポーネントに正相タイプと逆相タイプが混在していて、
しかもカタログや取扱い説明書に、この製品は正相(もしくは逆相)と謳っているわけではない。

どれが正相で逆相なのかは、
オーディオ雑誌やネットなどの情報であらかじめはっきりしていることもあるが、
トーレンスのカートリッジのように製造時期により、正相と逆相が混在しているから、
この問題は少しばかりやっかいでもある。

世の中には、左右チャンネルの極性さえあっていれば、
システム全体の極性が正相であろうと逆相であろうと、音はまったく変化しない。
だから、そんなことは気にする必要はない、と発言される方もいる。

聴く音楽(録音)によっては、たしかに判別しにくいことがあるのは事実ではある。
それでも、あくまでも判別しにくい、のであって、まったく音が変化しないわけではない。

Date: 3月 16th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×九・JBL SA600)

MM型カートリッジでもMC型カートリッジと同様にシェルリードのところ、
もしくはトーンアームの出力ケーブルのところで極性を反転させればいいんじゃないか、
そう思われる方もいるだろう。

けれどMM型カートリッジでは、原則としてここでの極性の反転は行えない。
MM型カートリッジはボディがアース側に接続されているからである。
MM型カートリッジは、一部の特殊なモデルを除き、
ヘッドアンプや昇圧トランスは必要としないから、この部分での反転も行えない。
アンプが正相アンプであるならば、そしてスピーカーシステムも正相であるならば、
システムの中に逆相のモノはひとつ(奇数)しか存在しないので、
システム全体の極性は逆相になってしまう。

アンプではどうかというと、意外にも反転アンプはいくつか存在してきている。
1980年代にアメリカから登場してきた真空管アンプの中には、
回路構成を極力単純化するために、真空管1段による増幅回路を採用したモデルがある。
有名なところではカウンターポイントのSA5、SA3、
それからミュージックリファレンスのRM5がそうなっている。

これらのフォノイコライザーは正相アンプなのだが、
ラインアンプが反転アンプなので、フォノ入力もライン入力も逆相となって出力される。

QUADの44も、実は反転アンプとなっている。

Date: 3月 16th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(その2)

1970年代の広告の特徴といえるのは、
評論家が広告に登場していたことが、ひとつあげられる。

このころはオーディオ雑誌にもレコード会社の広告がわりと掲載されていた。
レコード雑誌に載るレコード会社の広告もそうであったのだが、
そのレコードにおさめられている演奏を高く評価する音楽評論家、
そのレコードの音質を高く評価するオーディオ評論家の推薦文といえる、短い文章があった。

これだけの評論家に高く評価されているレコードであることを前面に打ち出していた。
そういうレコード会社の広告に較べると、
オーディオ関係の広告でそういった構成のものはどちらかといえば少なめであったけれど、
1970年代には、それでも目につくほど多かった、ともいえる。

有名なところではサンスイの「私とジム・ラン」という広告があった。
JBLのスピーカーを使われているオーディオ評論家が左ページ一面にリスニングルームでの写真が載り、
右ページには「私とジム・ラン」というタイトルの文章が載っていた。
岩崎先生、瀬川先生、菅野先生らが登場されていたし、
古いマニアの方ならご存知なことだが、当時はパラゴンを鳴らされていた江川三郎氏も登場されている。

このサンスイによる「私とジム・ラン」は広告には違いないけれど、
読者からすれば、記事として読める。
ページをただ埋めるためだけの記事なんかよりも、ずっと読み物として面白い記事ともいえる広告であった。

こういう広告を毎号入れられたとなると、編集者も気合がはいってくるのではなかろうか。
広告が、時に記事を挑発する時代が以前はあった。

Date: 3月 15th, 2013
Cate: 広告

広告の変遷(その1)

オーディオ雑誌には、記事と広告がある。
広告のまったく載らないオーディオ雑誌は、いまのところない。

その広告を必要悪だと捉えている人もいる。
雑誌は広告がある程度のページ数掲載されることによって、
その分だけの広告収入があるからこそ、雑誌の値段は抑えられている。
広告がまたく入らずに雑誌をつくれば、いまのような価格では到底無理になるから、
広告は必要悪だ、という考え方である。

たしかに広告の存在が雑誌の値段をある程度抑えているのは事実である。
でも必要悪ではない、と私は思っている。

ごく一部の広告は、必要悪という意味をこえて、
なぜ、こんな広告を、このオーディオ雑誌は載せるのだろうか、と、
その出版社の広告営業部の見識を疑いたくなることがないわけではないが、
それでも良質の広告は、雑誌にとって必要なものである。

広告を必要悪、さらに値段は高くなってもいいから広告なんていらない、とまで考えている人にとっては、
オーディオ的に表現すれば、記事は信号(情報量)であり、広告はノイズということになろう。
雑誌における記事と広告の比率は、つまりS/N比ということになる。

広告の占める割合が多くなれば、それはノイズが増えることであり、S/N比は低下する。
広告が少なくなればなるほどS/N比は高くなっていく。

こんな捉え方もできるわけなのだが、
果して広告は雑誌においてのノイズなのだろうか。

Date: 3月 15th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×八・JBL SA600)

たとえばEMTのカートリッジをEMTのプレーヤー内蔵のイコライザーアンプを通さずに、
単体のカートリッジとして使い、スピーカーがJBLであれば、
逆相と逆相がシステムの中にふたつあるため、結果としてトータルの極性は正相となる。

これだけだったらシステム全体の極性に神経質になることはない。
けれど実際には、MC型カートリッジに必要となる昇圧トランス、ヘッドアンプの中にも反転型、
つまり入力と出力の位相が反転(つまり逆相)となるモノが、少なくない。
そうなると逆相がシステム内に3つ(奇数)存在するとなると、トータルでは逆相となる。

この場合、MC型カートリッジなので、EMTのカートリッジのようにシェル一体型でなければ、
シェルリードの接続のところで極性を反転させればいい。

ただ逆相カートリッジと思われているモノでも、
ロットにより正相であったり逆相であったりすることもある。
EMTのコンシューマー版といえるトーレンスのMCHが、そうだった。
こうなると、正相なのか逆相なのかは製品知識で判断するのではなく、
耳で判断するしかない。

EMTもトーレンスのシェル一体型なのでシェルリードで極性を反転させることはかなり困難だが、
トーンアームの出力ケーブルのところで反転させることは可能だ。
ハンダ付けをやりなおす手間は必要となるけれども。

MC型カートリッジであれば、このように極性を反転させて正相とすることが可能だが、
MM型カートリッジとなると、そうはいかない。
逆相型のカートリッジはMC型だけではなく、MM型、MI型などにも存在する。

Date: 3月 14th, 2013
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(続×七・JBL SA600)

JBLの、以前のスピーカーのように逆相仕様になっているスピーカーを鳴らす際に、
システム全体を正相として鳴らすには、どこかで位相反転を行うことになる。

よく、この正相・逆相の話をすると、
どうも左右チャンネルで位相が異っていることと勘違いされる方もまれにいる。

左右チャンネルのどちらか片チャンネルの極性を逆にする。
そうすれば左右チャンネルの極性は揃わなくなる。
仮に左チャンネルが正相だとすれば、右チャンネルが逆相になり、
こうなればまともなステレオ再生は無理である。

このことと、いまここで書いている正相・逆相とは話が違う。
あくまでもここでは、左右チャンネルの極性は揃っていて、
システム全体が正相なのか逆相なのか、ということである。

アナログディスク再生の場合、
針先が外周方向に振れたときにプラス側の信号がカートリッジで生じ、
そのときスピーカーの振動板が前に出れば、システム全体は正相ということになる。

JBLの以前のスピーカーでは、カートリッジの針先が外周に振れたとき、
つまり正面から見て針先が右方向に動いたとき、スピーカーの振動板は後にひっこむわけである。

JBLのスピーカーは逆相ということは広く知られていたけれど、
実はカートリッジの中にも、意外なほど逆相仕様のモノはある。
有名なところではEMTのカートリッジがそうである。

Date: 3月 13th, 2013
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(「土」について)

「松下秀雄氏のこと」のところで、
松下氏のことを、それまでなかった「土」という喩えで書いた。
そして、ステレオサウンド創刊当時からのオーディオ評論家の人たちを、
その「土」があったからこそ芽吹き育っていった、それまでなかった「木」になっていった、と書いた。

その「木」はそれまでなかった「実」をつけた。
残念なことに、それまでなかった「木」にも寿命があった。

けれど、それらの、それまでなかった「木」は寿命を迎えて、
何も残さなかったわけではない。
それまでなかった「木」は「土」に還っていった。

その「土」のうえに、さらにそれまでなかった「木」が芽吹き育っていくはずだった……。

Date: 3月 12th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その25)

ステレオサウンド 43号のベストバイ・コンポーネントの特集では、
選者2人以上のモノについては、それぞれの選者によるコメントがついている。
140字程度のコメントである(twitterとほぼ同じ文字数)。

ひとつひとつはそれほど長くはなくとも、
その本数はけっこうな数にのぼり、読みごたえは充分にある。
それらのコメントをすべて読んだ後で、
もう一度特集冒頭の「私はベストバイをこう考える」を読み返せば、
そこに書かれていることを、最初に読んだ時よりも理解できたように感じたものだ。

ベストバイ・コンポーネントをどう考え、どう選んだか、
その具体的な答が、それぞれの選者によるベストバイ・コンポーネントとそのコメントであるからだ。

井上先生は「私はベストバイをこう考える」に書かれているように、
あえて高価なモノは選ばれていない。
井上先生と対照的にみえるのは菅野先生といえよう。

菅野先生は「私はベストバイをこう考える」の冒頭に書かれている。
     *
ベスト・バイは、一般的な邦訳ではお買得ということになる。言葉の意味はその通りなのだが、ニュアンスとしては、ここでの、この言葉の使われ方とは違いがある。日本語のお買得という言葉には、どこかいじましさがあって気に入らない。これは私だけだろうか。そこで、ベスト・バイを直訳に近い形で言ってみることにした。〝最上の買物〟である。これだと、意味は意図を伝えるようだ。つまり、ここでいうベスト・バイとは、その金額よりも、価値に重きをおいている。
     *
たしかに菅野先生は、そうとうに高価なモノも選ばれている。
スピーカーシステムでは、シーメンスのオイロダインがもっとも高価(1本140万円)なのだが、
菅野先生は、上杉先生、山中先生ともにオイロダインをベストバイ・コンポーネントとして選ばれている。

その意味で菅野先生と井上先生は、ベストバイ・コンポーネントの選び方は対照的といえようが、
じつのところ、対照的ではなく対称的である(もしくは対称的なところもある)のではないだろうか。

Date: 3月 12th, 2013
Cate: audio-technica

松下秀雄氏のこと(その2)

オーディオテクニカがどういう会社だったのか、
というより松下秀雄氏がどんな方だったのかについて語るのに、
私がいつも思い出すのは井上先生に関することだ。

井上先生は若いころ、
おそらくステレオサウンドがまだ創刊される前のことなのだと思う、
そのころオーディオテクニカのショールームで仕事をされていた。
これは井上先生に確認したことがあるので、ほんとうのことである。

ショールームだから、オーディオテクニカのカートリッジを聴きに人が来る。
そこで井上先生は、オーディオテクニカのカートリッジを一通り鳴らした後、
オルトフォンのSPUにつけ換えてレコードを鳴らされる。
そして、あの井上先生独特のぼそっとした口調で「こっちのほうがいいでしょう」ということをやられていた。

いま、こんなことを一回でもやったら、すぐに辞めさせられる。
それがオーディオテクニカのショールームでは黙認されていた。
誰も知らなかったわけではない。
おそらく松下氏も、井上先生がショールームで何をやられていたのかはご存知だったのではなかろうか。

私はおもう。
松下秀雄氏はオーディオテクニカの創業者であっただけでなく、
オーディオの発展のために土になられたのだ、と。

ステレオサウンド創刊当時のメンバー、
井上先生、菅野先生、瀬川先生、岩崎先生、長島先生といった才能ある人たちを、
新しい種として芽吹かせ育てるための「土」となられた、そうおもえてならない。

松下秀雄氏という、それまでになかった「土」があったからこそ、
新しい芽として誕生しオーディオ評論家という、それまではなかった木として実を結んでいった。
もし松下秀雄氏という土がなく、それまでと同じ土しかこの世になかったら、
井上先生にしても、瀬川先生にしても、ほかの方にしても、他の道を歩まれていたかもしれない。

この時代、松下秀雄氏だけではない。
グレースの創業者、朝倉昭氏もそうだったと私はおもっている。
ステレオサウンドも、またこの時代、新しい芽を誕生させ、新しい木を育てた「土」であった。

Date: 3月 12th, 2013
Cate: audio-technica

松下秀雄氏のこと(その1)

夕方ごろだったか、twitterでオーディオテクニカの創業者である松下秀雄氏が逝去されたことを知った。
松下氏のことを書こう、とおもった。

松下氏にお会いしたことはない。
ステレオサウンドにいたころに、数人の方から松下氏について断片的なことをきいていたくらいであるから、
なにかを書けるわけでもないのだが、それでも書かなければならない、とおもっていた。

オーディオテクニカはVM型のカートリッジで知られる。
VM型はいわばMM型カートリッジに属していても、
シュアー、エラックがもつMM型の特許には関係なく海外で販売されている。

シュアー、エラックによるMM型カートリッジの特許は日本では認められていない。
この件に関する、いわゆる裏話を瀬川先生からきいたことがある。
どんなことなのかはここで書くようなことではないから省くけれど、
日本のメーカーが大慌てで、シュアー、エラックの特許に対抗したわけだ。

特許は認められなかったけれど、
海外各国では認められているわけだから、日本製のMM型カートリッジは海外では販売できない。
それではカートリッジ専門メーカーであるオーディオテクニカは世界に進出できない。
そこでオーディオテクニカは独自のVM型を開発、特許をとり堂々と海外で販売してきた。

シュアー、エラックの特許申請に対して日本の大メーカー各社がとった手段と、
それら大メーカーと比較すれば小さな会社といえたオーディオテクニカがとった行動、
ここにオーディオテクニカという会社の気骨とでもいおうか、スピリットといったらいいだろうか、
それに近いものを感じる。

Date: 3月 11th, 2013
Cate: SME

SME Series Vのこと(その5)

SMEのSeries Vと同じく絶賛したいのは、タンノイのウェストミンスターだ。
私がまだステレオサウンドにいたころ、それもはやい時期に登場した、このウェストミンスターは、
数度の改良が加えられ、ほんとうにいいラッパ(ウェストミンスターにはラッパのほうがにあう)になった。

最初のウェストミンスターをステレオサウンドの試聴室で聴いた時から、
いいラッパだな……、とおもっていた。
当時はまだ若かったし、ウェストミンスターをおさめられるだけのスペースの部屋には住んでいなかったから、
手に入れたい、とは考えなかったし、
それに何度か書いてきているように、五味先生の文章からオーディオにはいってきた私にとって、
ウェストミンスターの原型となるオートグラフには、特別な思い入れがあり、
どうしても心の中で、ふたつのラッパを比較してしまう。

オートグラフの存在がなかったら、ウェストミンスターにいつかは手を出していたかもしれない。
これも書いているけれど、ウェストミンスターは一年に一度は、その音を聴きたい。

ウェストミンスターは高価なスピーカーシステムである。
しかも大きなスピーカーであるから、
このラッパを買えるくらいの予算ができたとしても、
それだけでは不充分で、やはりウェストミンスターに見合うだけの空間も用意する必要もある。
それはさほど大きな空間でなくてもいい、けれどある程度の空間は欲しい。
だから、そのための費用も必要となる。

この点がSeries Vよりも、手に入れるまでが人によっては大変になる。
けれどウェストミンスターはずっと現役のラッパとして存在してくれている。
まだまだこれからも存在してくれはずだ。
夢を持ち続けられる。
この素晴らしさを与えてくれる。

今日は二年目である。
このラッパを、あの日失った人もおられるだろう、きっと。
ウェストミンスターは、もう一度手に入れることができる。
このことがもつ意味は決して小さくない。
だからずっと現役であってほしい。

Date: 3月 10th, 2013
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その15)

ステレオサウンド 48号、146ページのグラフは、
フォルテシモからピアニシモに変化していく様を描いている。

フォルテシモからピアニシモへの移る途中で、いくつかの小さな山が発生しているのだが、
この部分がEMT・930stとローコストのダイレクトドライヴ型プレーヤーとでは顕著に違っている。

山の数がまず違う。930stの方が多い。
ローコストのダイレクトドライヴ型プレーヤーが何なのかはわからない。
そのプレーヤーの音を聴いたことがあるのかどうかもわからないから、
音の比較ではなにもいいようがないけれど、
これだけ山の数がローコストのダイレクトドライヴ型プレーヤーで減っている(消失している)のをみると、
音楽のディテールの再現においては、930stの方が優れている、といってよいだろう。

それに山の形も同じとはいえない。
930stでは小さな山となっているのに、
ローコストのダイレクトドライヴ型では山になりきれずに平坦に近かったりする。

どちらのプレーヤーで聴いても、同じ「熱情」であることには違いない。
けれど、これほど異る形を描くグラフを見比べていると、
実際の音は、視覚の差以上に大きいものとしてあらわれるように思えてくる。

長島先生も指摘されているように、
これらのグラフはペンレコーダーによるもので、
ペンの自重の影響その他に若干の問題が残っている。
そのためあくまでも参考データとして掲載されていて、
48号で測定した全機種についての発表は控えられている。

けれど「レコードの音楽波形レベル記録」として5分ちょっとグラフを圧縮した形で掲載されている。
146ページのグラフのように拡大されていないから、
ぱっと見た感じではどれも同じレベル記録のように見えなくもないが、
細かく見ていけば、それぞれのプレーヤーによって違いが出ていることがわかる。

Date: 3月 10th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その3)

辻村寿三郎氏が、ある対談でこんなことを語られている。
     *
部屋に「目があるものがない」恐ろしさっていうのが、わからない方が多いですね。ものを創る人間というのは、できるだけ自己顕示欲を消す作業をするから、部屋に「目がない」方が怖かったりするんだけど。
(吉野朔実「いたいけな瞳」文庫版より)
     *
辻村氏がいわれる「目があるもの」とは、ここでは人形のことである。
つづけて、こういわれている。
     *
辻村 本当は自己顕示欲が無くなるなんてことはありえないんだけど、それが無くなったら死んでしまうようなものなんだけど。
吉野 でも、消したいという欲求が、生きるということでもある。
辻村 そうそう、消したいっていう欲求があってこそもの創りだし、創造の仕事でしょう。どうしても自分をあまやかすことが嫌なんですよね。だから厳しいものが部屋にないと落ち着かない。お人形の目が「見ているぞ」っていう感じであると安心する。
     *
人形作家の辻村氏が人形をつくる部屋に、「目があるもの」として人形をおき、
人形の目が「見ているぞ」という感じで安心される。

オーディオマニアの部屋、つまりリスニングルームに「目があるものがない」恐ろしさというのは、
「耳があるものがない」恐ろしさということになろう。

リスニングルームになにかをおいて、
それが「聴いているぞ」という感じになるものはなにか。

録音の世界では耳の代りとなるのはマイクロフォンであるけれど、
だからといってリスニングルームにマイクロフォンを置くことが、
ここでの人形の目にかわる意味での「耳があるもの」を置くことになるとはいえない。

では「耳があるもの」とは──。
それは、やはりスピーカーなのだとおもう。

Date: 3月 10th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その24)

ステレオサウンド誌選定《’77ベストバイ・コンポーネント》は、
テープデッキを除く、スピーカーシステム、アンプ、プレーヤー関係では、
6人の選者(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、山中)のうち5人が選出したものに与えられている。

たとえばスピーカーシステムでは、
セレッションのUL6(6人)、ダイヤトーン(DS25B(5人)、ビクターSX3III(5人)、B&W DM4/II(5人)、
テクニクスSB7000(5人)、ヤマハNS1000M(5人)、スペンドールBCII(5人)、QUAD ESL(5人)、
タンノイArden(5人)、アルテック620A(5人)が選ばれている(括弧内は選出した人数)。

プリメインアンプでは、
ヤマハCA2000(6人)、サンスイAU607(5人)、サンスイAU707(5人)、ラックスSQ38FD/II(5人)、
コントロールアンプでは、
ビクターP3030(5人)、ラックスCL32(5人)、ヤマハC2(5人)、
パワーアンプでは、
ダイヤトーンDA-A15(5人)、QUAD 405(5人)、パイオニアM25(5人)、パイオニアExclusive M4(5人)。

チューナーは、トリオのKT9700(5人)のみ。

プレーヤーシステムでは、
ビクターQL7R(6人)、テクニクスSL01(6人)、
カートリッジでは、
オルトフォンMC20(6人)、グレースF8L’10(5人)、デンオンDL103S(5人)、
エレクトロアクースティック(エラック)STS455E(5人)、フィデリティ・リサーチFR1MK3(5人)、
エンパイア4000D/III(5人)、
ターンテーブルはビクターのTT101(5人)、
トーンアームはビクターUA7045(6人)となっている。

これらステレオサウンド誌選定ベストバイコンポーネントに、
ひじょうに高価なモノはなにもない。

スピーカーシステムで620Aが最も高価だが、1本358500円するが、
評論家の選ぶ’77ベストバイ・コンポーネント(つまり選者が4人以下のモノ)には、
もっと高価なモノがいくつも登場している。

アンプで高価なのはExclusive M4の350000円だが、
これも評論家の選ぶ’77ベストバイ・コンポーネントには、倍以上の価格のモノがいくつも選ばれている。

Date: 3月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その11)

この項を読まれている人のなかには、
「なんだ、結局、昔はよかった」といいたいだけなのか、と受けとめられている方もいるかもしれない。

はっきりいおう、たしかに「昔はよかった」。
「昔はよかった」といえば、相対的に「いまはだめ」「いまはあまりよくない」ということになる。
そのことを強調したいわけではない。

いまがいいところもあるにはある。
それでも……、とおもう。

昔があれだけよかったのだから、いまはもっとよくなってほしい、とおもう。

数年前に、こんなことをオーディオ関係者から聞いたことがある。
いま輸入商社につとめている若い世代の人たちは、
オーディオ全盛時代をまったく知らない。だから、オーディオ業界とはこういうものだと受けとめている。
一方、オーディオ全盛を体験してきた世代の人たちは「昔はよかった」というばかり……。

この話をしてくれた人は、そういうオーディオ全盛を体験してきた世代の人たちよりも、
若い世代のほうがまだいい、ということだった。

「昔はよかった」と懐かしんでいるばかりの、オーディオ全盛を体験してきた世代の人よりは、
たしかに現状をこういうものだと受けとめている若い世代の人たちがいいというのは、頷ける。

けれど、どこかそこに消極的な、熱量の少なさみたいなものを私は感じてしまう。
どこかに、最初から「こんなものだろう……」というあきらめがはいっているような気がしないでもない。