Archive for 12月, 2012

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続・Electro-Voice Ariesのこと)

エレクトロボイスのエアリーズは、
外形寸法W69.9×H56.5×D41.3cm、重量29.5kgと、サイズ的にはブックシェルフ型に分類されるだろうが、
仕上げを見てもわかるようにエアリーズは床置きを前提としている。
その意味では、小型のフロアー型ともいえる。

エレクトロボイスは、エアリーズを”Console Speaker System”と呼んでいるし、
また”fine furniture design”とも謳っている。

オリジナルのカタログをみると、仕上げは3種類用意されている。
トラディショナル/チェリー、スパニッシュ/オーク、コンテンポラリー/ペカンであり、
岩崎先生が購入されたのはトラディショナル/チェリーである。

ユニット構成は、30cm(12インチ)のウーファー、約15cm(6インチ)のスコーカー、
約6cm(2.5インチ)のトゥイーターからなる3ウェイで、
岩崎先生はスイングジャーナルでの最初の紹介文に「ドーム型の中音、高音」と書かれているが、
写真を見るかぎりでは、コーン型と思われる。

価格は1971年当時で169000円(アメリカでは275ドル)。
安い、とはいえないものの、非常に高価なスピーカーシステムでもない。
エレクトロボイスには、もっと大型で、もっともっと高価なパトリシアン800があった。

パトリシアン・シリーズと比較すれば、エアリーズの影は薄い。
エアリーズは、日本にどれだけ入ってきたのだろうか。
エレクトロボイスのコンシューマー用スピーカーシステムをみかけることは、
JBLやアルテックと較べると、そうとうに少ない。
エアリーズを見かけたことはない。

日本ではそういうスピーカーという見方ができないわけではない。
しかも岩崎先生といえば、
JBLのD130、パラゴン、ハークネス、アルテックの620A、
エレクトロボイスにしてもパトリシアン、と大型スピーカーのイメージが強い。
エアリーズは、どこかサブ的な存在だったように、
ステレオサウンド 38号で岩崎先生のリスニングルームに置かれたエアリーズを見た時、
なんとなくそんなふうにとらえていた。

けれど暖炉のある部屋(パラゴンの置かれた部屋とは別の部屋)に置かれたエアリーズは、
部屋の雰囲気と見事に調和していた。
だから、よけいにサブ的な存在とも思ってしまったわけなのだが。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(Electro-Voice Ariesのこと)

スイングジャーナルのオーディオのページには、新製品紹介のコーナーがいくつかあった。
「SJ選定新製品試聴記」、「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」、「今月の新製品紹介」で、
「SJ選定新製品試聴記」が2ページ見開き、「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」が1ページ、
「今月の新製品紹介」が1ページに数機種、コマ割りとなっていた。

岩崎先生は「SJ選定新製品試聴記」と「ベスト・バイ・コンポーネントとステレオ紹介」を担当されていた。
「今月の新製品紹介」は上杉先生と大塚晋二氏だった。
「今月の新製品紹介」を岩崎先生が書かれることはない、とずっと思ってきていた。

ところがスイングジャーナルのバックナンバー(1971年4月号)を手にとってみたら、
「今月の新製品紹介」のページは紹介文の最後に括弧で、筆者名が括られているのだが、
そこになぜか、(岩崎)とあった。

「今月の新製品紹介」の扉には、上杉佳郎・大塚晋二とあるだけだ。
岩崎千明の文字はない。
けれどイレギュラーで、岩崎先生が1コマ(1機種)だけ書かれている。
それが、エレクトロボイスのスピーカーシステム、Aries(エアリーズ)である。

勝手に想像するに、エアリーズに惚れ込まれた岩崎先生が自ら編集部に申し出て、紹介文を書かれたのだろう。
きっとそうだと思う。

その後、エアーズのことは「SJ選定新製品試聴記」(1971年7月号)に書かれていて、
最後に、(本誌4月号新製品紹介も参考ください。岩崎)とわざわざつけ加えられている。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その2)

今日Twitterを眺めていたら、興味深いことが目に留まった。

いま3Dプリンターがかなり安くなってきている。
3Dプリンターの個人利用も現実のものとなってきていて、
例えば、割れてしまった部品を3Dプリンターで作ることも、もう夢ではなくなっている。

とはいえ、オーディオと3Dプリンターの融合ということを、
今日まで考えたことはなかった。
だから今日Twitterで知った、この利用法には、負けた、と感じてしまった。

どういう利用法かは、このリンク先を見てほしい。
デモの動画がある。

これは3Dプリンターでアナログディスクを出力する、という利用法である。
3Dプリンターだから、ここに接がれているのはコンピューターであり、
音楽信号(もちろんデジタル信号)を、アナログディスクの形に出力(プリント)する、というもの。
つまり、これもデジタル/アナログ変換ということになる。

いままで考えもしなかったデジタル/アナログ変換である。

デモの動画で聴けるクォリティは、まだまだ改良の余地が多くある、というレベルだが、
このデジタル/アナログ変換を改良していけば、
カッティングを必要としないアナログディスクづくりが可能になる。

クォリティがもっともっと高くなれば、
アナログディスクに関する実験もできよう。
いままで推測だけとどまっていたことを、家庭で、個人で検証することがある程度可能になる。

Date: 12月 23rd, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタル/アナログ変換・その1)

デジタル信号はどこかでアナログへと変換しなければ、
われわれは音として聴くことができない。

一般的にはCDプレーヤーであれば、内蔵されているD/Aコンバーターによってアナログ信号へと変換される。
D/Aコンバーターを別筐体としたものもある。

CDプレーヤーが登場する数年前に、
ビクターはデジタル・スピーカーというプロトタイプを発表していた。
ボイスコイルを複数設けることで、スピーカーのところでデジタル/アナログ変換を行う。

ゴールドムンドはデジタル伝送経路を拡張するために、
パワーアンプへD/Aコンバーターを搭載することもやっている。

とにかく、どこかでアナログへの変換が必要になる。

これらのことはデジタルのなかのPCM信号であり、
デジタルでもDSD信号となると、カッティングヘッドにDSD信号をそのまま入力すれば、
音溝を刻める、ということを以前聞いたことがある。
たしかに、数年前タイムロードのイベントで、
dCSのトランスポートの出力(DSD信号)を直接コントロールアンプのライン入力に接いだときの音を思い出すと、
カッターヘッドにDSD信号を入力する、という、これもひとつのデジタル/アナログ変換ということになる。

ほんとうにカッティングが可能なのか、
可能だとしたら、どの程度のクォリティが得られるのか、興味のあることだが、
個人で実験できることではない。

Date: 12月 22nd, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その10)

いまではそうではなくなっているのだろうが、一時期のジャズ録音での極端なオンマイクのセッティングでは、
マイクロフォンがとらえることができるのは近接する楽器の直接音がほとんどで、
間接音(演奏の場の反響、残響)はまったくといっていいほどとらえられていない。

だから、そんなジャズの録音は不自然だということになるのだけれど、
そこには演奏の場が、クラシックの録音におけるそれと比較するまでもなく、
ほとんど収録されていない、ともいえるわけで、
こういう録音を再生する場合には、場の再生より楽器そのものの再生というふうに考えられる。

場の再生を考えずにすむということは、
録音の場と再生の場のスケールの違いは、無視していいともいえる。

つまり、そういうジャズの録音では、再生の場に置かれているスピーカーを、
録音の場の楽器に相当するものという考えがあるのなら、
さほど編成の大きくないジャズの録音こそ、クラシックの大編成のものよりもずっと自然といえる。

ステレオ初期にジャズの録音では、ステレオ効果を出すために、
中抜けの、いわゆるピンポン録音が行なわれていた。
ステレオフォニックではなくて、モノーラル再生が2チャンネルある、
といった録音だっただけに、このことも不自然な録音という評価に関係していたのたろうが、
それでもスピーカーを楽器に置き換える、という考えでは、このほうがむしろ自然だったのかもしれない。

それにステレオフォニック再生では、基本的には音像は実音源ではなく、虚の音源、仮想音源である。
ステレオ初期の音がどういうものであったのかは聴いたことがないからはっきりしたことはいえないが、
もしかすると……、と思うことはある。

それまでモノーラルで1本のスピーカーでの再生では音像は実音源であり、
実音源だからこその実在感、迫力が感じられたのが、
ステレオフォニックになりそういったことが稀薄になってしまう。

ジャズにおいて、その稀薄さを嫌い、できるだけ実音源に近い形で再生しようと考えれば、
あえて中抜けの録音にして、左右のスピーカーに完全に振り分けるという手法になる。

これが正しい考え方とはいわないものの、
こういう考え方もできるわけだし、
そういう考え方でみれば、不自然と思えた録音が、別の視点からは自然な音を求めてのものだったことになる。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その30)

このころはB&Oの美しいプレーヤーがリニアトラッキングだった、
それからすこし遅れて登場したルボックスのプレーヤーもそうだった。
日本ではマカラ(エアーフローティングを採用した最初のプレーヤー)とヤマハからも出ていた。

B&OのBeogramは、オーディオのことは何もまだ知らない少年の目にも、美しい、と映った。
こういうプレーヤーが採用しているのだから、それだけでもリニアトラッキング型のトーンアームは理想と思えた。
ルボックスB790とB&Oとでは、同じリニアトラッキング型でも実現のための方式は違っていた。

ヤマハのリニアトラッキング型を採用したPX1のデザインは、
B&Oとは大きく違っていて、
PX1がプリメインアンプのCA2000、CA1000と同系統のデザインだったら……、とそんなことを思ってしまうほど、
路線が変ってしまっていたプレーヤーの姿だった。

マカラのプレーヤー4842Aは、メカニズムというつくりで、B&Oとは正反対のプレーヤーであった。
ある部分EMT的でもあったし、とにかくそれまで日本のプレーヤーではあり得なかった造形であった。
4842Aはなかなか実物を見る機会もなかった。
製造中止になってかなり経って、やっと見ることができた。
でも、音は聴けなかった。
完動品があれば、一度は音を聴いてみたい機械である。

1970年代も終り近くになると、
リニアトラッキングは高級プレーヤーだけのものではなくなっていた。
ダイヤトーンからは縦置きの普及クラスのプレーヤーに、
テクニクスではLPジャケットサイズのプレーヤーSL10に、リニアトラッキングを採用していた。

リニアトラッキングは、もう特殊なトーンアームではなくなりつつあった。
これは、スピーカーにおいて平面型振動板が一時期流行したことと、
すくなくとも日本では同じ現象でもあったと思う。

そして1980年代のなかごろに、海外の小さなメーカーから、
リニアトラッキング型のトーンアームがいくつか登場してきた。
ゴールドムンド、エミネント、サウザーなど、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その29)

物量を投入したプレーヤーでなければ聴けない音があることは、何度か書いてきている。

私が小さいころには、テレビから「大きいことはいいことだぁ」というコマーシャルが頻繁に流れていたし、
EMTの930st、927Dst、トーレンスのリファレンス、
マイクロのRX5000 + RY5500、SX8000IIといったプレーヤーの音に惹かれてきたからこそ、
いまでもそう思ってしまうのだろうが、
そう思う理由は、カッティングマシーンという存在にあるのではなかろうか。

カッティングマシーンといえば、1990年頃だったと記憶しているが、
ある人から、「カッティングマシーンの出物があるけど、買わない?」という話が来た。
価格は驚くほど安かった。
無理すれば買えない金額ではなかった。
けれど、設置場所のことを考えると、購入したところで結局は手離すことになってしまう。
それに、カッティングマシーンが再生用のレコードプレーヤーとして理想的なものかというと、
決してそうでないことを知っていたので、買わなかった。

そのころは、カッティングマシーンへの憧れは持っていなかった私も、
オーディオに関心をもちはじめたころは、そうではなかった。
カッティングマシーンこそが、再生においても理想的なマシーンである、と盲目的に信じていた。
だからトーンアームは一般的な弧を描くタイプではなく、
リニアトラッキング型こそが理想である、と信じていた。

まだリニアトラッキング型のトーンアームを備えたプレーヤーの音を、
なにひとつ聴いたことがなかったにもかかわらず、である。

Date: 12月 21st, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その9)

クラシックの録音でも比較的楽器の近くにマイクロフォンを設置するということもあるが、
大編成のオーケストラの録音においては、録音会場となるホールの残響(間接音)を含めての収録となる。

つまり演奏(録音)される場として、ひじょうに広い空間があり、
その広い空間の特質をも録音時にとらえているわけである。

その録音を、われわれは狭い部屋では4.5畳くらいから広い部屋でも20〜30畳くらいか、
よほど恵まれている人であれば、もっと広い部屋での再生ということになるけれど、
それでも録音の場となった大ホールからしてみれば、4.5畳も20畳も50畳の部屋であっても、
そうとうに縮小された空間ということになってしまう。

録音と再生における、このスケールの違いは、
考えようによってははなはだ不自然なことといえる。

しかも100人もの人間が演奏(運動の結果)して出す音をそのまま再生することは、
まだまだ無理があるのが現状であるし、
これから先、どれほど技術が進歩しようとも、
オーケストラの再生を、音量を含めて、サイズの縮小をせずに実現することは、
2チャンネルのステレオ再生(2本のスピーカーシステム)ではかなり困難であるはず。

だからといって伝送系の数を増やす(つまりマルチチャンネル化)していくことで、
再生できるエネルギー量は増す方向に進むものの、
そうなればなるほど、元のスケールとの差がよけいに気になってくるのではなかろうか。
つまり、オーケストラの再生を家庭で行うことそのものが、
不自然な行為であることを強く意識するようになるのではなかろうか。

結局、2チャンネルだから、スピーカーが目の前の2本だけだからこそ、
聴き手は、そこに虚構のオーケストラを聴いている(感じている)のだと思う。

オーケストラの録音・再生は不自然なことという大前提があり、
そのなかで、われわれは、この響きは自然だ、とか、不自然である、とか、いっている、ともいえる。

Date: 12月 20th, 2012
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その1)

いま別項で、オーディオ機器に与えられる賞について書いている途中だが、
10年ほど前から思っていることがあって、
それは、なぜオーディオ雑誌による賞はオーディオ機器にのみ与えられるのか、
オーディオ評論を対象とした賞がないのか、なぜなのか、である。

こんなことを考えるのは、
私がステレオサウンドを、
以前も書いていたように、オーディオ評論の雑誌としてとらえているところが大きいと思う。

オーディオ機器を紹介するオーディオ雑誌であれば、
オーディオ機器を対象とした賞だけでもいい。
けれど、ステレオサウンドは、もともとはそういうオーディオ雑誌ではなかった。

そんなオーディオ雑誌だったとしたら、五味先生が原稿を書き続けられることはなかったのではなかろうか。
五味先生の文章が巻頭にあることが、
ステレオサウンドが、他のオーディオ雑誌と最も異るところであった。
だから、ステレオサウンドは、ある時期まで成功した、といえよう。

あのころといまとでは、オーディオ評論家と呼ばれる人たちが、まったく変ってしまった。
ステレオサウンド創刊当時に書かれていた人たちは、みないなくなってしまった。
菅野先生の不在は、ほんとうに大きいと思う。

だからこそ、と思う。
該当者なしの年も出てくると思うけれど、
1年を振り返って、もっとも精力的に活動した人、
読み手の心に残る文章を書いてきた人、
オーディオ界をよくしていこう、と尽力してきた人、
とにかく、人を対象とした賞があってもいい、というよりも、
いまは必要なのかもしれない、と考える。

実際にやろうとしたら、
どんな人たちが選考委員となるのか、
どこまでを対象として、選考基準をどうするか、など、
いろいろと詰めていかなければならないこともたくさん出てくるであろう。

毎年が無理であれば、オリンピックのように4年に一度でもいいではないか。
オーディオ機器の賞とは別に、人を賛える賞が、なぜないのか。

Date: 12月 19th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(聴かない、という選択・その7)

スピーカーシステムの欠陥として考えられることといえば、どんなことであろうか。

周波数レンジが狭い──、というのは欠陥ではなく欠点である。
耐入力があまりない──、これも欠陥とはいわない、欠点である。
能率が低い──、どの程度低いかによるけれど、
それこそ1kWのパワーアンプをもってきても蚊の鳴くような音しか出せない極端に能率の低いものならば、
さすがに欠陥といえなくもないけれど、かなり低いものであっても欠陥ではなく欠点ということになる。

……こんなふうに見ていって、
アナログプレーヤーの規定の回転数を出せない、といったレベルでの欠陥は、
スピーカーシステムの場合、考えられるのは帯域の一部がごそっと抜け落ちている、とか、
スピーカーの歪が音として変換されるレベルよりも大きい、
こんなことが考えられるが、そんなスピーカーシステムは市場にはない。

その意味では欠陥スピーカーシステムなど、市場には存在しない、ともいえる。
そんな、誰の耳にもはっきりとわかる欠陥をもつオーディオ機器は、
スピーカーだけでなく、アナログプレーヤーでもアンプでも、
これだけ広い世の中だから、日本に輸入されていないモノのなかに、ひとつやふたつぐらいはあるかもしれない。

仮にあったとしても、それらはすぐに市場から消えてゆくことだろう。
すくなくとも、ある一定期間、市場に残っていて日本に輸入されるオーディオ機器には、
欠点をもつモノはあっても、欠陥といえるモノはない──、たしかにそういえる。

だから、私は、「欠陥」スピーカー、と書いてきているのだ。

Date: 12月 19th, 2012
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その5)

いまはステレオサウンドグランプリ(Stereo Sound Grand Prix)と名称になっている賞は、
以前はコンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー(Components of The Year)だったし、
その前はステート・オブ・ジ・アート(State of The Art)だった。

ステート・オブ・ジ・アート賞の最初は49号(1978年12月発行)であるから、
ステレオサウンドの、いまにつづく賞は、ここから始まった、ともいえるけれど、
実際にはこの2年前、1976年12月に出た41号から始まった、とみるべきである。

ステレオサウンド 41号の特集は「コンポーネントステレオ世界の一流品」であり、
賞がつく名称こそ使われていないが、
記事全体のつくり方を41号と49号を比較してみると、同じといえる。

41号で「世界の一流品」として選出されているコンポーネントは下記のとおり。
●スピーカーシステム
 JBL 4350
 JBL 4343
 JBL D44000 Paragon
 アルテック A5
 QUAD ESL
 ボザーク B410 Moorish
 ヴァイタヴォックス CN191
 タンノイ Arden
 タンノイ Devon
 タンノイ Eaton
 ダイヤトーン 2S305
 シーメンス Eurodyn
 シーメンス Europhon
 JBL 4333A
 JBL L300
 アルテック 620A
 エレクトロボイス Sentry IVA
 クリプシュ K-B-WO Klipsch Horn
 ラウザー TPI Type D
 ロックウッド Major Gemini
 ロックウッド Major
 KEF Model 5/1AC
 KEF Model 104aB
 KEF Model 103
 ロジャース LS3/5A
 アコースティック・リサーチ AR10π
 キャバス Brigantin
 スペンドール BCII
 アリソン Alison One
 ダルキスト DQ10
 マグネパン MGII
 セレッション UL6
 ビクター SX3III
 ヤマハ NS690II
 サンスイ SP-G300
 サンスイ LM022
 ビクター S3
 ヤマハ NS451
 デンオン SC104
 ダイヤトーン DS251MKII
 オンキョー M3

アンプ、チューナー、プレーヤー、カートリッジなども選出されていて、
これらについても書き出そうと最初は思っていたものの、
けっこうな数になるので、スピーカーシステムだけにしておくが、
41号で選出されたスピーカーシステムの中で最も高価なのはシーメンスのEurophonで、145万円(1本)、
反対に最も安価なのはヤマハのNS451で、26500円(1本)。
50倍以上の開きがある。

Europhonは2ウェイのスピーカーシステムだが、パワーアンプ内蔵でしかもマルチアンプ駆動ということも、
高価な理由でもある。
アンプを搭載していないスピーカーシステムでは、
やはりシーメンスのEurodynで、110万円(1本)。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その4)

座談会での発言は、誌面にそのまま載るわけではない。
だれかがまとめるわけだから、そこでなんらかの修整がはいる。

そんなことせずに話されたことをそのまま活字にすればいいじゃないか、と思われる方もいるだろうが、
それをやってしまうと、その場で座談会を聞いていればわかることも、
ただそのまま活字にした場合は意味がはっきりしないことも出てくる。

互いの顔を見ながらの座談会と活字だけの場合との違いが、そこにある。
それに文量の問題も当然あって、編集者なり、だれかがまとめることになる。

ステレオサウンドとラジオ技術とでは、まとめる人が違う。
もうこれだけでも、たとえまったく同じことが話されていたとしても活字になる場合には、違うものとなる。

そういうことも含めて、これまで読み比べることができた。
今年から、そんな楽しみがなくなったわけだが、
そういう楽しみよりも、ラジオ技術らしい記事をその分読めるほうがうれしい。
暮に出る号だから、と、なにか特別な記事が必要というのは、
これほどどのオーディオ雑誌も賞を発表している状況では、逆にありきたりな印象さえ漂ってくる。

しかも季刊誌ともなると、年に4冊しか出ない。
そのうちの1冊の特集が、賞関係の記事になってしまうことがこれまでもずっと続いてきているし、
たぶん、これからもまだまだ続いていくのだろう、と思うと、
この気持はなんと表現したらいいのだろうか──、
ありきたり、代り映えのしない、といったものとも違う、
少し言葉が過ぎるかもしれないと思いつつも、空虚──、そんなことを感じてしまう。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その17)

ヤマハのAST1の試聴のときの、
長島先生と原田編集長の、あれほどの興奮は、いまごろになって実感でき理解できるようになった。

つまり、いまになって非ピストニックモーションの低音と
ヤマハのAST1の低音に共通するところがあることに気がついた、ともいいかえられる。

あのとき原田編集長は長島先生に、
「これ(AST方式)、真空管アンプでできませんか」と訊かれていた。

真空管アンプ、それも出力トランスをしょっているアンプで、
ヤマハのAST方式を実現するのは、不可能ではないもののけっこう難しい。
低域の時定数が、出力トランスを含め多すぎるため、安定度が確保できない。

このときの試聴には、ヤマハからはエンジニアの方もこられていたので、
長島先生とエンジニアの方から、ダブルでダメ出しをされて、
本気で残念そうにされていた原田編集長の表情が、いまも思い出される。

AST1が可能にした低音を、ほんとうに手に入れたがっているのが伝わってきた。

AST1の低音は、コーン型ユニットのウーファーがメインではなく、
バスレフポートからの放出がメインである。そのための専用アンプ込みのAST1である。

理想のバスレフ動作を目ざして開発されたAST1のバスレフポートの開口部から放出される低音は、
ピストニックモーションによる疎密波ではない。風に近い、といったほうがいいだろう。

そういう低音だから、ウーファーのコーン紙が前後にピストニックモーションして生み出される疎密波とは、
聴いた印象、それに体感する印象がずいぶん異る。

そして同じようなサイズの小型スピーカーシステムで、バスレフポートをフロントバッフルにもつモノ、
たとえばアコースティックエナジーのAE1、AE2の低音の出方とは、また大きく異る。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: SME

SME Series Vのこと(その4)

SMEのSeries Vに関しては、絶賛を惜しまない。
Series Vは完成度の高いトーンアームである、からが、その理由だけではない。

1985年からいまだに現役のトーンアームとしてつくり続けてくれていることも大きい。

オーディオに関心をもちはじめた1976年は、
いまほど円高ではなかった。数年後に円高が進んでいくけれど、
まだまだ輸入オーディオ機器は、非常に高価だった。

JBLの4343もペアで約150万円していた。
マークレビンソンのLNP2が118万円していた。
いまのように長期のローンもまだなかった。
おまけに私はまだ中学生。
いつかは4343、いつかはLNP2と思っていても、そう簡単に手に入れられるわけではない。

それこそ高校に行き、大学に行き卒業して就職して……、
そうやって手に入れるオーディオ機器であり、それには最低でも10年は必要だろうな、と漠然と思っていた。

実際はどちらも購入しなかったわけだが、
仮に10年後の購入を目ざしてがんばったところで、
10年後の1986年には4343もLNP2、どちらも現役の製品ではなくなっていた。

4343、LNP2に限ったことではない。
4343、LNP2よりもずっと高価なのに、短期間でなくなってしまうモノも少なくない。

欲しい、と思い購入を決意して、そこに向ってひたすら頑張っても、
かなう前に目的のオーディオ機器が消えてしまっている……。

Series Vは27年間、いまだに現役のオーディオ機器である。
これはほんとうに素晴らしいことである。
倍近い価格に値上がりしたとはいえ、Series Vの購入を決意した人は手に入れられる。

しかも、いまも最高のトーンアームである。
だからSeries Vに関しては、いささかも絶賛を惜しまない。

Date: 12月 18th, 2012
Cate: SME

SME Series Vのこと(その3)

さきほどtwitterを眺めていたら、
Yahoo! オークションで、
オーディオクラフト、サエクのトーンアームがとんでもない価格で落札されたことを知った。

どちらもいまは製造されていないトーンアームだし、
アナログディスク全盛時代のトーンアームである。
オーディオクラフトのAC3000MCか、そのロングヴァージョンのAC4000MCの程度のいいモノがあれば、
私だって欲しい、という気はある。
でも、そんなに無理してでも、というわけではない。
私にとって妥当な価格であって、縁があれば欲しい、のであって、
今回のように40万円をこえる金額で落札されている事実をみてしまうと、
価値観は人それぞれゆえに、私が横からとやかくいうことではないと承知していても、
「40万円……」と思う。

サエクは、ヤマハのプレーヤーGT2000に取付け可能モデルということで、60万円をこえていた。
驚くだけである。

トーンアームはコレクションしたくなるオーディオ機器である。
でもそんなことを無視して、音、使いやすさ、安定度、信頼性、
こういったことを考えると、私はトーンアームはSMEのSeries Vしかない、と思っている。

はじめてステレオサウンド試聴室でSeries Vを聴いた時から、
もうこれをこえるトーンアームは出てこない、と思ったし、事実、そうだ。

Series Vよりも価格の点でこえるトーンアームはいくつかある。
けれど、それらのトーンアームには、ほとんど魅力を感じない。

Series Vも当時は40万円だった価格が、70万円(税別)になっている。
高いといえば高い価格ではあるものの、
当時の40万円よりも、いまの70万円のほうが、他社製の高額なトーンアームが増えすぎたせいと、
アナログディスク全盛時代のトーンアームがほぼ変らぬ価格で落札されていることで、
相対的に安く感じてしまう。

1985年からずっと、最高のトーンアームを手にしたければ、Series V以外にない──、
27年間、これだけは変らぬ結論であり、私がくたばるまで変らぬ結論だ、と断言できる。