正しいもの(その6)
断わるまでもなく私はオーディオ・マニアである。気ちがい沙汰で好い再生音を希求してきた人間である。大出力アンプが大型エンクロージュアを駆動したときの、たっぷり、余裕を有って重低音を鳴らしてくれる快感はこれはもう、我が家でそういう音を聴いた者にしかわかるまい。こたえられんものである。75ワット×2の真空管アンプで〝オートグラフ〟を鳴らしてきこえる第四楽章アレグロは、8ワットのテレフンケンが風速三〇メートルの台風なら五〇メートル級の大暴風雨だ。物量的にはそうだ。だがベートーヴェンが苦悩した嵐にはならない。物量的に単にffを論じるならフルトヴェングラーの名言を聴くがいい。「ベートーヴェンが交響曲に意図したところのフォルテッシモは、現在、大編成のオーケストラ全員が渾身の力で吹奏して、はるかに及ばぬものでしょう。」さすがにフルトヴェングラーは知っていたのである。
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上に引用した文章は五味先生の書かれたものだ。
「人間の死にざま」に収められている「ベートーヴェンと雷」の中に出てくる。
だから第四楽章アレグロとは、交響曲第六番のそれである。
75ワット×2の真空管アンプは、説明する必要はないだろうが、マッキントッシュのMC275のこと。
テレフンケンとは、テレフンケン製のS8のスピーカーシステム部のことで、
8ワットは、300Bシングルのカンノ・アンプのことだ。
この項の(その4)で引用した中野英男氏の文章の中に、
「シャルランはあのレコードの存在価値を全く認めていなかったのである」と。
あのレコードとは、若林駿介氏の録音による、
岩城宏之氏指揮のベートーヴェンの交響曲第五番とシューベルトの未完成のカップリングのレコードのこと。
中野氏は、「日本のオーケストラの到達したひとつの水準を見事に録音した素晴らしいレコード」と書かれている。
そのレコードを、シャルランは全く認めなかったのは、
結局のところ、引用した五味先生の文章が語っていることと根っこは同じではなかろうか。
どんなに素晴らしい音で鳴ろうが、交響曲第六番の四楽章をかけたとき、
それが「ベートーヴェンが苦悩した嵐」にならなければ、それはベートーヴェンの音楽ではない。
シャルランが言いたかったことは、そういうことではないのだろうか。