Archive for 9月, 2011

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。

Date: 9月 10th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。

Date: 9月 10th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(続々45回転のこと)

もうひとつ、倍速で回転させたアナログディスク再生の音を、76cm/secで録音して38cm/secで再生した音がある。
一度実験してみたいけれど、いまとなってはなかなか器材を揃えるのが大変。
試す機会は、これから先もないだろう。
どういう結果が得られるのか、想像するしかない。

いったい、どの音が、どんなふうに鳴るのだろうか。

じつは私がいちばん聴いてみたいのはアナログディスクを倍速で回転させた音である。
回転数が増せば、トレースの困難になることが顕在化してくる。
倍速で回転させてもトレースの安定したものを使うことになるし、各部の調整はしっかりと行なうことになるが、
トレースの問題をクリアーできれば、アナログディスク倍速を録った音が、いちばんいい音、
というよりも、私がアナログディスク再生に求めている音の良さを、もっとも色濃く持ってそうな気がしてならない。

これは考えての予測ではなくて、感覚的な直感による予感でしかない。
もし私の予感があっていたら、ハーフ・スピード・カッティングに対しての疑問がその分大きくなる。

とはいってもカッティングとトレースは、まったく別の運動であるから、
片方での結果が、もう片方の結果を予測するためのものとして有効かどうかは、正直わからない。
それにカッティングの経験も、当然ない。

だからどれだけ考えても……、というところがある。
ただそれでも直感的には、カッティングもトレースも「勢い」という要素を無視できない、と感じている。
これが、私のハーフ・スピード・カッティングに対する疑問につながっている。

Date: 9月 9th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(続45回転のこと)

たとえばこんなことを考えてみた。

ハーフ・スピード・カッティングが本質的に優れた方法であるならば、
アナログディスクの再生において、その逆、つまりハーフ・スピード・トレースもいいのか、ということである。

もちろんアナログディスクの回転数を半分に落してしまっては音楽にならない。
だからテープに録音して、その音を比較してみる。
ここで使用するテープデッキはテープスピードが変えられるものということでオープンリールデッキとなる。

通常回転で再生した信号を38cm/secで録音する。
ハーフ・スピードで再生したものを19cm/secで録音する。
再生時には、どちらも38cm/secでまわす。
ハーフ・スピード・カッティングと反対の手順を踏むわけである。

こうやって録音した音は、いったいどういう結果になるのだろうか。
ほとんど差がわからないほど、つまり同じ音になるのか、
それともハーフ・スピード・トレースしたほうが、より音溝を正確に信号に変換したと思わせる音になるのだろうか、
意外にも通常の回転数で再生したときの音が、いちばんよかったりするのだろうか。

Date: 9月 9th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。

Date: 9月 9th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。

Date: 9月 8th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(45回転のこと)

ステレオサウンド 45号に、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。
そのなかで、レコードのカッティングについて語っているところがある。
     *
音質という点から見ると、ディスクに直接カッティングするのに比べて、テープに録ったものをハーフ・スピードでカッティングする方が、実際に優れた面があると云えます。レコードのカッティングに関しての根本的な制約のひとつは、カッティング・ヘッドそのもののスルーレイトです。マーク・レビンソン・アクースティック・レコーディング社では現在のところまだハーフ・スピード・カッティングを行なってはいません。いま私たちはハーフ・スピード・コレクターを開発中で、これはちょっと考えるよりずっと難しい仕事なのです。
     *
マーク・レヴィンソンが語る、カッティング・ヘッドのスルーレイトが問題になるというのは、
彼が制作していた45回転のLPについての問題なのか、それとも通常の33 1/3回転のLPに対しても、
カッティング・ヘッドのスルーレイトが不足している、といいたいのかは、この記事でははっきりしない。

このカッティング・ヘッドのスルーレイトは、
33 1/3回転よりも45回転のLPをカッティングするほうがより問題になるし、
さらにオーディオラボの「ザ・ダイアログ」の78回転盤では、さらに大きな問題になってくる。

音のよいLPをつくるために回転数をあげると、再生側ではレコードのわずかな反りも、
33 1/3回転では問題にならなくても、
使用機材や調整の不備があれば45回転では顕在化してくることもあると同じように、
制作・製作側でも、回転数があがることのメリットを最大限に発揮するためには、
ただ単にいままでのやり方のまま回転数をあげれば済む、ということではないことが、
マーク・レヴィンソンのインタビュー記事を読むとわかってくる。

だが、それでもその問題の解決法としてハーフ・スピード・カッティングが、
はたして本質的な解決法だろうか、とは思っている。
たしかにカッティングの回転数を半分にする。
45回転ならば22 1/2回転、33 1/3回転ならば16 2/3回転にして、
テープデッキのテープスピードも、
38cm/secならば19cm/secに、76cm/secならば38cm/secにおとして再生することになる。

カッティングの回転数が半分になれば、カッティング・ヘッドのスルーレイトは等価的に高くなる。
これで問題解決、いい音のレコードができるのか、という直感的な疑問がわいてくる。

Date: 9月 8th, 2011
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その29・追補)

昨夜(9月7日)の、「幻聴日記」の町田秀夫さんとの公開対談で「レコード演奏家」について、すこし語った。

「レコード演奏家」を英訳すると、町田さんが「幻聴日記」に書かれているように、Record Player となる。
菅野先生も最初「レコード演奏家」の英訳として、Record Player と書かれている。
その後、JBLのスタッフの「レコード演奏家」の概念について話し合われて、
英訳は Record Music Player と改められている。

ただRecord Player にしてもRecord Music Player にしても、そして「レコード演奏家」にしても、
オーディオにさして関心のない方にこれらの表現を使って、概念は伝わり難い。
レコード(アナログディスク、CDだけでなく記録されているメディアすべて)とオーディオとの関係、
それぞれの存在性について語っていかなければ、まず理解はされない、と思う。

「レコード演奏家」論をきちんと読んでいる人に対しては、
Record Player、Record Music Player、どちらもストレートに、その意味するところが伝わるし、
むしろ「演奏者」ではなく「演奏家」という表現に、
すこしばかり抵抗(そこまでいかなくてもそれに近いもの)を感じている人にとっては、
日本語での「レコード演奏家」よりも、
Record Player、Record Music Playerのほうがより抵抗感なく使えるのかもしれない。

私自身、菅野線瀬の「レコード演奏家」論には賛同・共感しても、
私自身の年齢もあってのことだが、「演奏家」という表現には中途半端な年齢にも感じていて、
まだ「演奏者」のほうがいいのだが、
「レコード演奏者」となると、なんとなく語感がしっくりこないところも、感じてはいる。

これらのことをふまえて、私としては、Player よりも、Reproducer としたほうが、よりいいのでは、と考える。

この項、それに別項の「音を表現するということ」でも書いているように、Re(リ)にあえてこだわりたい。
いまではHi-Fiと略されることが多いが、正確には High Fidelity Reproduction である。

Record Music Reproducer──、
これが、現在の私の「レコード演奏家」論に対する解釈でもある。

Date: 9月 8th, 2011
Cate: 録音

50年(その10)

テープやなにがしかのメディアに音を記録することを「録音」という。

昨日書いたことの、脳にいったん記憶して音を聴いているとすれば、
それは「憶音」と呼びたい。

Date: 9月 7th, 2011
Cate: 録音

50年(その9)

同じ場所で、同じ時間に、同じ音を聴いても、聴く人によって、その印象は同じところもあれば、
まったく異ることも珍しくはない。

同じ場所で、同じ時間といっても、厳密には、それぞれの人が坐っている位置にはわずかの違いがある。
そのことによる音の違いは当然あるわけだが、
ここでいっている受け手による印象が大きく異ることに関しては、そんなことが関係してのこととは考えにくい。

あきらかに、他の要素が関係しているはずである。
そう考えたとき、妄想じみた考えではあるが、人はその場で鳴っている音を聴いているのではなく、
実のところ、いったん脳に記憶にされた音を聴いているのではないだろうか。

つまり3ヘッドのテープデッキのような仕組みである。
録音ヘッドがテープに記録した磁気変化を、すぐ隣りにある再生ヘッドが読み取り電気信号へと変換する。
テープが脳にあたる。
ただひとつ違うのは、テープには「記録」されるのであって、脳には「記憶」されることだ。

記憶は、まわりの事象と無関係ではない。
むしろそういった事象と密接に関係している、と私は思う。
だから同じ音を聴いていても、人によって事象との関係性の広さ・深さは違う。
つまり脳にいったん記憶される音がすでに違っている。

音を聴くという行為が、それを再生しているのであれば、
そこで鳴っていた「音」が人によって違っていて、むしろ当然であり、
完全に同じであることの方がむしろおかしい、ともいえる。

Date: 9月 7th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その9)

山中先生は、この点どうかというと、パトリシアン600を使われていることからもわかるように、
背の高いスピーカーシステムに対して、瀬川先生のように拒否されるところはないわけだが、
以前書いたように、QUADのESLを、ぐっと思いきって上にあげて前に傾けるようにして聴くといいよ、
と、ESLを使っているときにアドバイスしてくださったことから、
むしろ瀬川先生とは反対に背の高いスピーカーシステム、
もしくは目(耳)の高さよりも上から音が聴こえてくることを好まれていたのでないか、とも思う。

スピーカーシステムの背の高さ(音が出る位置の高さ)を強く意識される方もいれば、
ほとんど意識されない方もいる。
これはどうでもいいことのように思えても、スピーカーシステムの背の高さを強く意識されている方の評価と、
そうでない方の評価は、そこになにがしかの微妙な違いにつながっていっているはず。

だから、なぜその人が、
そのスピーカーシステムを選択されたのか(選択しなかったのか)に関係してくることがあるのを、
まったく無視するわけにはいかないことだけは、頭の片隅にとどめておきたい。

メリディアンのM20もQUADのESLも、そのまま置けば仰角がつく。
フロントバッフル(もしくはパネル面)がすこし後ろに傾斜した状態になる。
これは何を意味しているのか、と思うことがある。
そして、メリディアンのM20をつくった人たち、QUADのピーター・ウォーカーは、
どんな椅子にすわっていたのか、とも思う。
その椅子の高さはソファのように低いものなのか、それともある程度の高さがあるものなのか。

私の勝手な想像にすぎないが、椅子の高さはあったのではないか、と思っている。
このことはESL、M20がかなでる音量とも関係してのことのはずだ。