Archive for 6月, 2011

Date: 6月 7th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その47)

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の鼎談で、瀬川先生は、
JBLの2405の音を、マークレビンソンのアンプの音に、
ピラミッドT1の音を、GASのアンプの音にも喩えられている。

2405のくまどりのはっきりした音は、硬めの艶をのせて快く聴かせる、と同時に、
やや弦の音に金属質なところをどうしても残してしまう。
それはマークレビンソンのアンプ(ここでいうマークレビンソンのアンプはLNP2、ML2時代のもの)にも、
同じ性質の音があって、線の細い、高域を少し強調するする。
GASのアンプだと、下の帯域の音の肉がたっぷりついていくるという感じで、
高域のキラキラ光ったところが抑えられる。つまり、より自然な音になった、といわれている。

2405とT1とでは、音の出し方はT1の方がより正確になって、ソフトなナチュラル型といえるし、
しかも図太くなるのと違い、厚く響くところは厚く、そうなってはいけないところはそのまま聴こえてくる──、
2405は相当癖のあるトゥイーターだと、T1を聴くと教えられる──、
それでも2405をとりたい、といわれている。

黒田先生と井上先生とは、ここが違うところである。
おふたりはT1をとられる。

井上先生はレコード再生の面白さは、何かをよくすることで、
このレコードにはこんな音まではいっていた、という喜びだと思っているし、
それを格段に示してくれたのがピラミッドのT1であり、
これと同じことを黒田先生は、T1の音の良さは、聴き手側で「質問する耳」でないと面白くならない、
と表現されている。

音楽をきくというのは、自分の耳を「質問する耳」にすることであるけれども、
「質問する耳」はすぐに寝ころび横着する。
2405のくっきりとした、かなりアトラクティヴなところのある音だと、耳が寝そべってしまいそうになるから、
常に「質問する耳」にいきたいと思うから、と黒田先生はピラミッドT1を高く評価されている。

いま思うと、このことが、
黒田先生が4343からアクースタットのコンデンサー型スピーカーに替えられたことにつながっている、と気づく。

Date: 6月 6th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その46)

1978年暮に出たステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES 3」は、トゥイーターだけを扱った一冊だった。

巻頭の記事は、JBL4343のトゥイーターを5つのトゥイーターに置き換えて聴いてみるという記事で、
井上卓也、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏による鼎談で構成されている。

まず純正の2405を内蔵のネットワークではなく、トゥイーターに専用アンプ、
残りのバッドハイ、ミッドバス、ウーファーの3つのユニットは4343内蔵のネットワークを通して、
というバイアンプ駆動による試聴から始まっている。

集められたトゥイーターは、パイオニアのPT-R7、テクニクスの10TH1000、YLのD18000、
マクソニックのT45EX、それに新顔といえるアメリカ・ピラミッドのT1。

私がくり返し読んだのは、ピラミッドのT1のところ。
T1は、まず高価だった。それも飛び抜けて高価だった。

2405が当時は37000円、PT-R7が41800円、10TH1000が65000円、D1800が45000円、
T45EXはトゥイーター本体は75000円、励磁型ゆえに電源が必要で、それが28000円、
T1は199500円していた(いずれも1本の価格)。

この高価なT1をつけた4343の音を、黒田先生と井上先生のおふたりは、
「一番気に入りました」、「ケタはずれによかった」と、
その価格に見合う以上の高評価をされているのに対して瀬川先生は、
音の出し方としてはT1の方が、2405よりも正確になっていくけれど、物足りなくなる、といわれている。

そして、レコードの世界というのはつくりものの世界であったということが、T1を聴くことによって、
2405がコントラストをつけて輪郭を際立たせて聴かせてくれることがわかるし、
それが巧みなだけにレコードの世界のおもしろさを錯覚させてもらっている、と述べられ、
あえて2405のほうをとらえている。

この記事は、トゥイーターの記事としてもおもしろかったが、
いまは瀬川先生の音の聴き方について知るうえで興味深い記事といえる。

Date: 6月 5th, 2011
Cate: Kingdom, TANNOY, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その70)

1996年に、タンノイ創立70周年モデルとしてKingdomが登場した。
バッキンガムの登場からほぼ20年が経過して、やっと登場した、という思いがあった。

バッキンガム、FSM、System215と、
同軸型ユニットとウーファーの組合せに(あえてこういう表現を使うが)とどまっていたタンノイが、
トゥイーターを追加して4ウェイのシステムを手がけた。

しかもFSMやSystem215と違う、大きな点は、その時点でのタンノイがもつ技術を結集した、
といいたくなるレベルで、Kingdomを出してきてくれたことが、なにより嬉しかった。

瀬川先生は、JBLから4350、4341が発表されたときに、
「あれっ、俺のアイデアが応用されたのかな?」と錯覚したほどだった、と書かれている。
Kingdomが出たときに、さすがにそうは思わなかったけど、
それでも同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構想は間違っていなかった、
それがKingdomで証明されるはず、と思ってしまった。

Kingdomは12インチの同軸型ユニットを中心に、
下の帯域を18インチ口径のウーファー、上の帯域を1インチ口径のドーム型トゥイーターで拡充している。

Kingdomの外形寸法はW780×H1400×D655mmで、重量は170kg。
タンノイのこれまでのスピーカーシステムのなかで、もっとも大型でもっとも重い体躯をもつ、
このスピーカーシステムこそ、私はオートグラフの現代版として捉えている。

同時に、アルテックの6041の行きつく「形」だとも思っていた。

Date: 6月 5th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その45)

セレッションのSL600の音に特にこれといった不満があったわけではなかった。
けれど、ステレオサウンドの試聴室で、
ロングセラースピーカーを聴く、という企画で聴いたQUADのESLにまいってしまう。

SL600のふたつ前に鳴らしていたロジャースのPM510のことも、頭に浮んだ。
そしてESLに変えてしまう。

このときは、「朦朧体」という言葉も知らなかったし、
音の輪郭線についての考えが確立していたわけでもなかったから、
実のところ、ESLやPM510に惹かれるのは、音色に関して、だと思っていた。

そうでないことに自分で気がつくのは、もうすこし先のこと。
そして気づいてみると、PM510をウェスターン・エレクトリックの349Aのアンプで鳴らそうと考えたのか、
なぜ突然SUMOのThe Goldを欲しいと思うようになり手に入れたのか、等々、
それらの行為に納得が行くようになった。

憧れていたものと追い求めていたものが違うことに気づく。

Date: 6月 5th, 2011
Cate: モノ

モノと「モノ」(その2)

黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話がでてくる。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」は1972年の文章、
ほぼ40年前に、フィリップス・インターナショナルの副社長は、
いまの時代のレコード会社の責任ある地位にいる者としての発言をおこなっていた、といえる。

黒田先生が「なるほどなあ」と思われたように、
さまざまな思いをこめて「なるほどなあ」とつぶやきたくなる。

CDの売上げが落ちている、とよく云われる。
なにも日本だけのことではなくて、どこの国でもCDの売上げは落ちている、らしい。

音楽CDをだしている会社を「レコード会社」と呼んでいる。
この言葉のイメージするところからすれば、以前だったらLP、いまならばCD、
これらレコードの売上げが落ちることは会社の存続に直接関わってくることになるわけだが、
フィリップス・インターナショナルの副社長のいうように、
「ディスクという物を売る会社ではない」ならば、「音楽を売る会社」としての在り方を、
「レコード会社」ははっきりと示してほしい、と思う。

「レコード」は、いまの若い人たちは、アナログディスクのことだけを示す単語として使われているから、
「レコード会社」ではなく「ディスク会社」(もっと正しくいえば「ミュージックディスク会社」か)が、
違う呼称となる日は、もう来ている。
というよりも1972年の時点で、すでに来ていた、ともいえる。

Date: 6月 4th, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その44)

セレッションのSL600で聴いていたときの話。

それまでにも何度か、私の音を聴きにきていた知人がいた。
1986年の暑い盛りをすぎたころだったと記憶しているが、彼がふらっと聴きにきた。
そのとき、彼は特別、なにも音について語りはしなかったが、
あとで別の知人から、その彼が、その時の私の音をひどくけなしていたと耳にした。

伝聞だから、その知人が語っていたことがどこまで正確に私に伝わってきたのかはなんともいえないけれども、
その知人の性格、音の好みからして、わりと脚色なしに伝わってきたように思う。

実は、その知人が聴きにきた数ヶ月前にSL600に手を加えていた。
私は、その知人にSL600に手を加えたことは、あえて言わなかった。

彼がけなした音は、つまり私が手を加えて、私自身は、以前の音よりも良くなったと判断した音である。
彼は、以前、私が鳴らしていたSL600の音は気に入っていたようなことは言っていた。

このことは知人と私の音の捉え方の相異である。
このときはまだはっきりと意識していなかったものの、
私は音の輪郭線ををできるだけ消していきたいと思いはじめていた。
だからSL600に手を加えて、できるだけ音の輪郭線を消す方向にもっていこう、としていた。
ただ、いまならば、そうはっきりといえることでも、
あの当時はまだ自分ではそれほど確信してやっていたわけもない。

手を加える前と加えた後では、どう聴いても、私にとっては望む方向にもっていっていた。
それははっきりといえる。
ただ、その望む方向を、あのころはまだ「朦朧体」というふうには意識していなかった。模索していたわけだ。

一方、知人は、音の輪郭線をとても大事にする聴き方をする男だ。
だから、彼が最後に聴いた私のSL600の音を認めなくて、以前の音を評価するのも理解できる。

彼も、その後、SL600を鳴らしていた。
知人が組み合わせていたアンプは、私だったら選択しないものではあるけれど、
輪郭線を、それも繊細な輪郭線を求める彼にしてみれば、最上の組合せともいえる。

Date: 6月 3rd, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その69)

UREIの813BxとタンノイのFSMは、見た目、よく似ている。

どちらもユニット構成は15インチの同軸型で、同口径のサブウーファーを追加した3ウェイということ。
同軸型ユニットの横に、どちらもレベルコントロール用のパネルがあり、
エンクロージュアの寸法も、813BxがW711×H908×D533mm、FSMがW716×H1112×D541mmで、
FSMが少し背が高いくらいで、しかもどちらも袴(台輪)つき。
重量も813Bxは85kg、FSMは83kg。

だからといって後に出たタンノイのFSMが813Bxを真似たわけでもなく、
たまたま偶然似た仕様になっただけのことだろう。
FSMは、1990年ごろ、MKIIに改良されている。

けれど813BxもFSMも、あまり注目はされていなかった印象がある。
私自身、同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構成を頭のなかでは思い描きながらも、
3ウェイとはいえ、同軸型ユニットをベースとした、これらのスピーカーシステムにあまり関心をもてなかった。

トゥイーターがなくて、3ウェイだったから──、そんな単純な理由からではない。
結局、聴き手のこちらの心をとらえる音が、そこから得られなかったからだ。

優れた同軸型ユニットの存在がなければ、同軸型ユニットを中心にしたシステムは、当然だが成り立たない。
その同軸型ユニットは、他のウーファーやトゥイーターにくらべて、構造が複雑化するためもあって、
このころは種類もごく限られていた。
1980年代に新たに登場した同軸型ユニットとなると、ガウスのものしか思い浮ばない。

いつしか私の中で、同軸型ユニットを中心とした4ウェイ構成は薄れていってしまった。

Date: 6月 3rd, 2011
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その68)

アルテックの604ユニットを中心に、スピーカーユニットを追加したシステムは6041の他に、
UREIの813が先に出ていた。

813にはトゥイーターの追加はなく3ウェイ構成。
813はその後、813Aになり、JBLに吸収されてからは813Bへとモデルチェンジしている。

813BではJBLの傘下ということもあってアルテックの604ではなく、
JBLのコンプレッションドライバー2425HとPAS社のウーファーを組み合わせた、
新たに開発された同軸型ユニットを採用している。

813Bは、さらにコンシューマー用スピーカーシステムとして813Bxというバリエーションももつ。
813Bxではエンクロージュアのプロポーションが縦にのび、
それにともない従来までの同軸型ユニットが下側、その上にサブウーファーというユニットを配置を、
通常のスピーカーシステムと同じ、下側にサブウーファー、その上に同軸型ユニットというふうに変更。
さらにサブウーファーも813Bではエミネンス社製のストレートコーン15インチ口径のものから、
JBLのコルゲーション入りの2234Hに変っている。

最初の813が日本にはいってきたのは1977年から78年にかけてのこと。813Bxが出たのは85年。
スピーカーユニットすべて変更されたというものの、設計コンセプトはほぼそのまま継承されている。

この813Bxがアルテックの6041よりも完成度が高い、といえば、低くはない、とはいえても、
高い、とはなかなかいえないところも感じる。
私としては813Bのほうはまとまりもよく、システムとしての完成度も高いと感じていたけれど、
813Bxには、期待していただけに、すこしがっかりしたところもあった。

この813Bxと同じ構成をとるシステムを、タンノイがほぼ1年後に出している。
FSM(Fine Studio Monitor)だ。

ワイドレンジ考(その64・補足)

6041のトゥイーターには、6041STという型番がついている。
3000Hはあったものの、本格的なトゥイーターとしては、アルテック初のものといえるけれど、
残念ながらアルテックによるトゥイーターではない。

作っていたのは日本のあるメーカーである。
それでも、この6041STが優れたトゥイーターであれば、OEMであったことは特に問題とすることではない。
でもお世辞にも、6041のトゥイーターは優秀なものとはいいにくい、と感じていた人はけっこういる。

たとえば瀬川先生は、ステレオサウンド53号で、
《♯6041用の新開発といわれるスーパートゥーイーターも、たとえばJBL♯2405などと比較すると、多少聴き劣りするように、私には思える。これのかわりに♯2405をつけてみたらどうなるか。これもひとつの興味である。》
と書かれていて、6041のトゥイーターがOEMだと知った後で読むと、意味深な書き方だと思ってしまう。

当時の、この文章を読んだときは、アルテックの604にJBLの2405なんて、悪い冗談のようにも感じていた。
瀬川先生が、こんなことを冗談で書かれるわけはないから、ほんとうにそう思われているんだろう、と思いながらも、
それでもアルテックにJBLの2405を組み合わせて、果してうまくいくのだろうか、と疑問だった。

1997年に、ステレオサウンドから「トゥイーター/サブウーファー徹底研究」が出た。
井上先生監修の本だ。
この本で、トゥイーターの試聴には使われたスピーカーシステムはアルテックのMilestone 604だ。
トゥイーター17機種のなかに、JBLの2405Hが含まれている。

2405Hの試聴記を引用しよう。
     *
このトゥイーターを加えると、マイルストーン604の音が、大きく変りました。まず、全体の鳴り方が、表情ゆたかに、生き生きとした感じになります。604システムそのものが、「604って、こんないい音がしていたかな?」というような変り方なんです。
(中略)TADのET703の場合には、もう少し精密工作の産物という感じの精妙さがあり、システム全体の音に少し厳しさが感じられるようになり、アルテックらしさというよりは、昔のイメージのJBLというか、現代的な音の傾向にもっていく。
ところが、2405Hでは、アルテックらしいところを残しながら、一段と広帯域型になり、音色も明るく、すっきりと、ヌケのよい音になり、表現力もナチュラルな感じです。
(中略)全体として、アルテックの良さを保ちながら、細部の質感や音場感、空間の広がりなどの情報量を大幅に向上させる、非常にレベルの高いトゥイーターです。
     *
6041に2405をつけてみたら、好結果が得られた可能性は高かったようだ。

Date: 6月 2nd, 2011
Cate: 6041, ALTEC, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その67)

アルテックの6041は完成度を高めていくことなく消えてしまった。
これはほんとうに残念なことだと思う。

6041につづいてアルテックが発表していったスピーカーシステム──、
たとえば6041のトゥイーターをそのままつけ加えただけのA7-XS、
A7を、ヴァイタヴォックスのバイトーンメイジャーのようにして、3ウェイにした9861、
30cm口径のミッドバスをもつ4ウェイの9862、
これらは、どれも大型フロアー型であるにも関わらず、ごく短期間にアルテックは開発していった。

開発、という言葉をあえて使ったが、ほんとうに開発なんのだろうか、という疑問はある。
なにか資金繰りのための自転車操業という印象さえ受ける。

当時は、なぜアルテックが、こういうことをやっているのかは理解できなかった。
2006年秋にステレオサウンドから出たJBLの別冊の210ページを読むと、なぜだったか、がはっきりとする。
アルテックは、1959年に、リング・テムコ・ヴォートというコングロマリットに買収され、
この会社が、1972年に親会社本体の収支決算の改善のためにアルテックに大きな負債を負わせた、とある。
それによりアルテックは財政的な縛りを受け、十分な製品開発・市場開拓ができなかった、と。

それならばそれで、あれこれスピーカーシステムを乱発せずに、
可能性をもっていた6041をじっくりと改良していって欲しかった。
6041の中心となっている604が、そうやってきて長い歴史を持つユニットであっただけに、
よけいにそう思ってしまう。

6041は消えてしまう。

Date: 6月 1st, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(続 黒田恭一氏のこと)

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回(ステレオサウンド 64号)に、こう書かれている──、

テーマについて白紙委任されたのをいいことに、オーディオにかかわりはじめた音楽好きの気持を、正直に、そしてできることなら未知なる友人に手紙を書くような気分で、書いてみようと思った。これが出発点であった。

59号の「ML7についてのM君への手紙」からはじまった、
ときおりステレオサウンドに掲載された、黒田先生のオーディオ機器の導入記・顚末記のほぼすべては、
59号のタイトルが示すように、M君(のちにM1になっている)への手紙、というかたちで書かれている。
131号の「ようこそ、イゾルデ姫!」だけが、そうではない。

黒田先生の著書のなかで、私が好きなのは、「音楽への礼状」。
これも礼状という言葉が示しているように、手紙である。

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回には
「さらに聴きとるものとの対話をつづけるために」とつけられている。

対話をしていくために、対話をつづけていくための「手紙」だということに気づく。

「さらにききとるものとの対話をつづけていくために」の最後のほうに、こう書かれている──、

もし音楽をきくという作業がヒューマニスティックなおこないだといえるとしたら、オーディオもまた、ヒューマニズムに立脚せざるをえないであろう。人間を忘れてものにつきすぎたところで考えられたオーディオは、音楽から離れ、限りなく骨董屋やデパートの特選売場に近づく。

だから「対話」なのだと思う。

[追補]
5月29日に公開した「聴こえるものの彼方へ」は、さきほど校正をやりなおしたものを再度アップしました。
できれば、再度ダウンロードお願いいたします。