Archive for 3月, 2009

Date: 3月 18th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 長島達夫

瀬川冬樹氏のこと(その38)

サプリーム「瀬川冬樹追悼号」に、長島先生は書かれている──
     ※
僕は、そのとき、不覚にもずいぶん裕福な人だなとうらやましく思ったのだが、その後付き合いが重なるうちに、彼が、どんな想いでこれらの製品を買っていったのかがわかるのである。
彼は、決して裕福などではなかったのである。
彼の家は、年老いた母君と、まだ幼い妹さんとの三人暮しであった。日本画家であった父君とはなにかの理由で早くに別れられていたのだ。一家の生活は、一手に彼が背負っていたのである。そのなかで、これらの製品を購っていくことは、どれほど大変なことだったろう。しかし、彼は、そのことを一度たりとも口にしたことはなかった。以上の事情は、付き合いが深くなるにつれて、自然とわかってきたことなのである。
彼の晩年も、けっして幸福なものではなかった。人一倍苦しく、つらい想いをしている。しかし、昔と同じに、苦しさ、つらさを絶対に口にすることがなかったのである。
     ※
苦労やつらさは、顔や態度、そして言葉に、ややもすると出てきてしまいがちだ。

瀬川先生と何度かお会いしている。けれど、そんな印象はまったく受けなかった。
柔和な表情が、瀬川先生の第一印象として、いまも私の中に残っている。
ステレオサウンド 62、63号の瀬川先生追悼特集記事を読んで、だから驚いた。

なぜ、ここまでそういったことを表に、いっさい出されなかったのだろうか。
瀬川先生の美学ゆえだったのだろうか……。

瀬川冬樹の凄さである。

Date: 3月 17th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その21)

私もよく使う「聴感上のSN比」。
この言葉をもっともよく使われ、おそらく最初に言われたのも井上先生であろう。

頻繁に使われ始められたのは80年代にはいってからだが、
いつごろから使い始められたのかは、はっきりとは知らない。

いまのところ、私が知っているかぎりでは、ステレオサウンド 39号(1976年発行)に出てくる。
     ※
聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、音に対してどのような影響を与えるかによって変化する。物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。また、高域のレスポンスがよく伸び、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、聴感上のSN比はよくなる傾向があった。
     ※
いまのところ、これより前に「聴感上のSN比」という言葉は見つけていない。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その37)

マーク・レヴィンソンは、書いている。

「日本文化のひとつの側面は、禅の教えです。瀬川さんのおっしゃる言葉には、禅の教えのように、心を打つものがありました。もちろん、おっしゃったことが正しかったからですが、それよりも私が非常に重要だと思うことは、氏のおっしゃり方、言われた人に伝わるそのお気持」にあるとしている。

レヴィンソンは、瀬川先生の一言で、「もっと内なる真実」を見つめることになる。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その36)

1982年には、さらにローコスト化を図ったML11LとML12Lが出てきた。
コントロールアンプのML12Lは、電源部を持たず、ML11Lから供給を受けるようになっていて、
それぞれ72万円という価格がつけられ、個別に売られているものの、基本的には組合せで使うものとなっていた。
これが、MLナンバーのついた、最後のアンプというのは、さびしいし、かなしい。

瀬川先生は、ML11LとML12Lはもちろん、ML9LとML10Lの存在もご存じないだろう。
1981年8月6日、ステレオサウンド創刊20周年記念号の取材中に倒れられ、翌7日に再入院されている。
亡くなられたのは、ちょうど3ヶ月後の11月7日の、午前8時34分。

レヴィンソンは、瀬川先生に、これらのアンプの存在を知られたくなかったのではないのか。
私は勝手にそう思っている。間違いないと思っている。

そしてこのころ、LNP2Lにも変化があった。
インプットアンプのゲイン切替えが、初期のモデルと同じ、0、+10、+20dBの3段階に戻されている。
別項の「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていたが、
使い難さを指摘されながらも、+30、+40dBの5段階にしていたのは、
レヴィンソンにとっての、求める音のためであったのだろうし、
それを使いやすさのためだけに(私はそう思う)、音の冴えが損なわれるポジションのみとなったこと──、
すでにマークレビンソンというブランドは、レヴィンソンの手を確実に離れつつあった。

瀬川冬樹氏のこと(その35)

1981年の秋には、マークレビンソンから、ML9LとML10Lが発売された。
当時の価格は、どちらも85万円。普及価格帯の製品ではないが、
マークレビンソンとしては、初の価格を意識したアンプである。

このペアが、ステレオサウンドの誌面に登場したときは、まだ読者だった。
正直、落胆した記憶がある。マークレビンソンらしくないアンプだと感じたからだ。

ML9LとML10Lは、マドリガル体制になってからの、初のアンプでもある。
ただ、このことを知ったのは、数年後だった。

アンプの開発には、それなりの時間が必要だから、ML9LとML10Lを企画したのは、
事業経営に忙殺されていたレヴィンソンだったのか、マドリガルの首脳陣だったのかは、はっきりしない。

私にとって、マークレビンソンのアンプは、こちら側から近づいていく存在であり、
価格を抑えることで、向こうからこちらにすり寄ってきてほしくはない。

ステレオサウンドに入ったころは、傅さんが、ML7Lの購入を決意されていた頃でもある。
傅さんが、どれほどML7Lに惚れ込まれていたのかを、みて知っている。
頭金をつくるために、愛着のある、手もとに置いておきたいオーディオ機器の処分を決意され、
どれを手放さなければならないのか、リストアップされていたのを知っている。
支払いの計算も、用意できる頭金の額によって、いくつも計算されていた。

お金のなる木をもっている人ならば、ポーンと即金で買えるだろう。
だが、そんなものは、世の中にはない。傅さんも持っていなかったし、私も持っていない。

だから、MLナンバーがつく、マークレビンソンのアンプを購入するということは、苦労が伴うことでもあった。
そうしてでも手に入れる価値あるアンプだと、私は思っていたから、
言葉にしなかったが、傅さんには共感していた。心強く思ってもいた。

念願のML7Lを手に入れられた傅さんは、輸入元による付属のウッドケースが気にいらず、
オリジナルの、白木のウッドケースを取り寄せられている。

だから、ML9L、ML10Lが登場したとき、瀬川先生はなんとおっしゃるのか、それがとにかくも知りたかった……。

Date: 3月 15th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その34)

マーク・レヴィンソンは、このとき、瀬川先生のお宅の「壁ぎわに、古い小さなピアノがあるのに気がつき」、
10分間ほど、仕上げたばかりの自作の曲を弾いている。
弾き終ったレヴィンソンに、
「演奏中は、お顔の表情がまったく違っていましたよ。大変おくつろぎのご様子で、本当に幸せそうでした」と
瀬川先生はおっしゃったそうだ。

この瀬川先生の言葉を、レヴィンソンは「忘れることができないであろう一言」と、表している。
この瞬間(とき)、レヴィンソンは、「私の人生には音楽しかなく、会社経営とか技術という分野は元来、
自分の領域ではない、という私にとって動かしがたい真実」を、悟ったと書いている。
「真に幸せであるためには、いかなる変化が要求されようとも、私が生きていくためには、
音楽のためにより多くの時間と、空間を創り出すことが絶対に必要であること」も思い出している。

LNP2やJC2、ML2が高い評価を受けるとともに、会社も急激に大きくなり、
レヴィンソンの「心は事業経営に忙殺され」、音楽に費やす時間が、反比例して減っていく。

成功とともに失ったものに気づき、「音楽に再び帰るべきこと」を、
レヴィンソンは、瀬川先生の「思いやりのある言い方」で決心したのだろう。

瀬川先生は、「茶目っ気たっぷりの目をクリクリさせながら」言われたそうだ。

Date: 3月 15th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その37)

ステレオサウンド別冊のHIGH TECHNICシリーズのVol.2で、長島先生は、
ジョン・カールのローノイズ化の手法を高く評価されている。

私がステレオサウンドで働きはじめたころも、長島先生は、
「ジョン・カールの、あの手法は巧妙で、見事だよ」と言われていたのを思い出す。

それがいつの日からか、トランジスターや真空管などの能動素子を並列接続して、
ノイズを打ち消すことによってSN比を高めるジョン・カールの手法に対して、
「ノイズを打ち消すとともに、ローレベル領域の信号も打ち消している」と、はっきり言われるようになった。
たしか1984年ごろからだっただろう。

どんなにリニアリティの揃っているものを選別しても、ローレベルのリニアリティがぴたっと揃っているわけでなく、
だからこそノイズを打ち消すこともできる反面、信号も失われていく、
そんなふうに説明してくださった。

そして、その打ち消されてしまう信号領域こそ、音楽の表情を、
活き活きと豊かなものにしてくれるかどうかを、大きく左右する、とつけ加えられた。

そのころは、なぜ、突然、能動素子の並列接続に対する評価を変えられたのか、理由はわからなかった。
しばらく経ち、オルトフォン・ブランドで最初は登場したSMEのフォノイコライザーアンプ、
SPA1HLが、その答えとなった。

Date: 3月 14th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その20)

プログラムソースといえば、LPのことだった1970年代までは、
装置を改良・買い替えなどして、聴こえてくる音が、それ以前よりもぐんと増えたときに、
「同じレコードに、こんなにいろんな音が入っていたのか」
「これほど多彩な音が刻まれていたのか」といった表現がなされていた。

CDが登場し、プログラムソースのデジタル化が進むにつれ、「情報量が増えた」という、
やや即物的で、情緒性を無視したような表現が、いつの間にか定着していた。

情報の量──、
データ量という言葉があるから、
いかにもデジタル時代だからこそ使われるようになってきた言葉のように受けとられている方もいるだろう。
オーディオはコンピューターとは違うぞ、と言いたくなる人もいるだろう。

オーディオの言葉として、誰がいつごろから「情報量」を使いはじめたのか。

古い本をひとつひとつ当たっていけばはっきりすることだが、
私が知る限りでは、井上先生が、かなり早くから使われていた。

まだCDという言葉もなかったころ、アナログディスク全盛時代の1976年、
この年の暮に発売されたステレオサウンド 41号で、井上先生は、すでに使われている。

新製品紹介のページで、山中先生との対談で、ルボックスのパワーアンプA740のところで、
「情報量の伝達は十分なのだけれども感情過多にはならない」というふうに発言されている。

Date: 3月 13th, 2009
Cate: 五味康祐, 長島達夫

五味康祐氏のこと(その11)

五味先生のオーディオと長島先生のオーディオには、いくつかの共通点がある。

まずお使いのスピーカーユニットは、タンノイもジェンセンのG610B、どちらも同軸型の15インチで、
エンクロージュアもバックロードホーンという点が共通している。
長島先生のスピーカーはコーナー型ではないが(正確に言えば、セミコーナー型といえる形状)、
部屋を横方向に使われ、左右のスピーカーの間隔をできるだけ広げられる意味もあってだろうか、
そして低音に関しての意味合いも含まれているようにも思えるが、ほぼコーナーに設置されている。

オートグラフは、いうまでもなくコーナー型である。
どちらもスピーカーも、指向性は意外に狭く、最良の聴取位置はピンポイントだ。

あとは、おふたりともアンプは真空管アンプである。
五味先生はマッキントッシュのC22とMC275、長島先生はマランツの#7と#2の組合せ。

だから、おふたりの音には共通しているものがある、とは言わないし、これだけでは言えないことだ。
これらのことは、たまたまの偶然だろう。
それよりも、大事なことは、どちらもたったひとりのための部屋であり、音である、ということだ。

五味先生の部屋は、ステレオサウンドに掲載された写真でしか知り得ないが、
五味先生ひとりのための部屋という印象が、まずある。
長島先生の部屋に訪れたときも、雑然としているところも含めて、やはりひとりのための部屋という印象を受けた。

Date: 3月 12th, 2009
Cate: 五味康祐, 長島達夫

五味康祐氏のこと(その10)

1964年7月25日、五味先生のもとに、イギリスからタンノイ・オートグラフが届く。

その時の音を「なんといい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。高城氏設計のコンクリートホーンからワーフェデールの砂箱、タンノイの和製キャビネット、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聴いたことがない。しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ」と書かれている。

3月8日の音は、のびやかな低音でも、ひろがりのある低音でもなく、
高音部も、みずみずしくとはいえなかった。
そういう音が鳴ってくれるとは、ほとんど期待してはいなかった。

部屋の構造上か、オートグラフは後ろの壁からも左右の壁からも数十cm以上離されていたし、
主を喪ったオーディオ機器は、どれも万全のコンディションとはいえないことも重なっていて、
あれこれいっても仕方のないことだろう。

それでもフルトヴェングラー/ウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲第3番の第2楽章、
バックハウスの最後の演奏会を収録したレコードから、ベートーヴェンのワルトシュタイン、
ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」、これら3曲を聴いたわけだ。背筋をのばして聴いていた。

そういう音が鳴っていたからだ。
なぜだか、ふと長島先生の音の印象と重なってきた。
似ている、というよりも、共通しているところのある音。

音楽に真剣に向き合うことを要求する厳しい音、
だらしなく音楽をきく者を拒否するような厳しい音だった。

長島先生の音も、まさしくそうだった。

Date: 3月 11th, 2009
Cate: 井上卓也, 使いこなし
4 msgs

使いこなしのこと(その2)

エレクトロボイスのSentry500の素っ気無い仕上げを、家庭での使用を前提に、
木目仕上げのエンクロージュアと、
木製のCD(Constant Directivity=定指向性)ホーンを採用したSentry500SFVの発表後、
しばらくしてのことだったから、1984年ごろの、ステレオサウンド試聴室でのコトだ。

その日、ステレオサウンド編集部では試聴室を使う予定はなく、
HiViの筆者の方ふたりで、Sentry500SFVの試聴をやられていた。

試聴室隣の倉庫に、工具を取りに降りていったとき、試聴がはじまって1時間くらい経過した頃だったようだ。
試聴室に入らなくても、うまく鳴っているかどうかは、すぐにわかる。
覇気が感じられない音で鳴っているなぁ……、と思いながら、工具を探していたら、
試聴室の中から、「こっちに来て、なんとかしてほしい」という声が掛かった。

ふたりとも、鳴っている音に納得できずに、あれこれ試したものの、たいした変化は得られなかったとのこと。

ざっと見渡すと、いつものセッティングとは違う。
アンプの電源を落とし、スピーカーケーブルやピンケーブルもいったんすべて外し、
ACコードもすべてコンセントから外した。
それから、いつもの試聴のようにセッティングする。

なにもすべて外す必要はないのだが、
やはり一からすべて自分でやったほうが確実だからだ。
スピーカーもアンプもいっさい移動しないので、
またケーブルやその他のモノもいっさい換えないままだったので、時間にして、5分程度だ。

ふたたび電源を入れて、音を出す。
このくらい変わるだろうな、と予測していた音が鳴ってきた。
時間は短いし、何一つ換えなかったとはいえ、ある程度の変化量は予測していた。
井上先生の試聴で、毎回体験していることだからだ。

でも、筆者の方ふたりは、こちらが驚くほど、驚かれていた。
そして、チューニングによる音の変化と受けとめられたようだ。

自慢話をしたいわけではない。
ここで、私がやったことはチューニングではなく、あくまでもセッティングであり、
それをやり直しただけだということを理解していただきたい。

Date: 3月 10th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その19)

試聴の準備は、セッティングである。

その日使う器材を所定の場所に設置し、結線し、音出しが出来る状態にする。
特に新製品の試聴の時には、ほとんどがはじめて音を聴くモノばかりなので、
セッティングは、より重要度が増す。

3ヵ月毎に特集の試聴、新製品の試聴があるわけだから、そのたびにセッティングしているわけだ。
このセッティングを毎回同じに出来るかどうか。
同じようなセッティングでは、井上先生から合格点はいただけない。同じでなければならない。

そんなの簡単じゃないか、と思われる人も多いだろう。
セッティングした器材を、結線を外し、他の部屋の移動し、また元の部屋に持ってくる。
そしてもう一度セッティングする。
これを何度も、わずかな時間でやってみるといいだろう。
できれば、その音を第三者に聴いてもらえれば、さらにいい。

たいてい、いくつかの見落としがあって、同じようなセッティングどまりだったり、
逆にうまくいき、元よりもいい音になることもあるだろう。

私の場合、3ヵ月に一度ではあったが、井上先生にそうやって鍛えられたことになる。

Date: 3月 9th, 2009
Cate: 五味康祐
3 msgs

五味康祐氏のこと(その9)

マッキントッシュのMC275には、RCAジャックが5つついている。
フロント右から、MONO INPUT、TWIN INPUT(L、R)、STEREO INPUT(L、R)となっている。

ステレオサウンド 55号「ザ・スーパーマニア 故・五味康祐氏を偲ぶ」に載っていた写真は、
目に焼き付くまで、じっと何度も見ていた。
だから、3月8日の練馬区役所の会議室に設置されていた五味先生のMC275を見て、
なにか違う……、と感じていた。

そのMC275のTWIN INPUTのところには、三角形に切られた赤と黒のビニールテープで、
左右チャンネルが色分けされていた。

区役所の方の説明では、運び込まれたときから貼られていたもので、
おそらく五味先生が貼られたものであろう、とのことだった。

だが、なぜ五味先生が、こんなところに、初歩的な色分けのシールを貼られるだろうか。
レコードのヒゲを、あれだけ嫌悪されていた五味先生である。
愛器にビニールテープなど、貼られるはずがない。

帰宅して、ステレオサウンドを開いた。
MC275の写真は、それほど大きくはない。どこにもビニールテープは貼られていない。当然だ。

さらに五味先生は、TWIN INPUTではなく、STEREO INPUTを使われている。

ビニールテープは、おそらく五味先生のお嬢様の由玞子さんが貼られたのだろう。
今回の試聴会は、TWIN INPUTが使われた。

五味先生のオーディオ機器の復活には、エソテリック/ティアックだけでなく、
ステレオサウンドの原田勲氏はじめ、編集部の方々も協力があったおかげだときいている。

オーディオ機器の操作は、ステレオサウンド編集部の染谷氏が担当されていた。
感謝しているからこそ、ひとつ言いたい。
なぜ、きちんと検証作業を行なわないのだろうか。

昔のステレオサウンドを見れば、すぐにでもわかることである。
誌面では小さな扱いの写真だが、編集部内には、フィルムがきちんと保管されている。
こちらで確かめれば、もっと細かいことまでわかる。

なぜ一手間を惜しむのだろうか。
オーディオという趣味は、その一手間の積み重ねによって、音を紡いでいき、築いていく行為だというのに……。
そして編集という行為も、まさしくそうであるのに……。

Date: 3月 8th, 2009
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(その8)

今日、練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」に行ってきた。
午前中に1回、午後3回開催されるほどだから、前回(1月)の試聴会の申込みがいかに多かったのかが、わかる。
年輩の女性同士で来られている方も見かけた。

練馬区役所本庁舎の会議室に、五味先生のタンノイ・オートグラフは設置されている。
部屋に入ると、正面にオートグラフ、
その間に木製ラック、それにEMT930st、マッキントッシュのC22、MC275が収められていた。

五味先生がお使いになっていたラックは、ヤマハ製のものだった。

オートグラフが目にはいった次の瞬間、すぐに探したのは「浄」の書だ。

五味先生のリスニングルームでは、オートグラフに向かって左側の壁、天井近くに飾ってあった。
「浄』は右側の壁に、飾ってあった。

写真で何度も見、目に焼き付けていたつもりだったが、
こうやって、その前に立つと、印象は、ずっと深いものとなる。
たくましく、骨太で、ふしぎな味わいがある。
技巧うんぬんなど、どこ吹く風といったらいいのだろうか。

なぜ、この「浄」なのかが、わかる気がした。
区役所の方の話によると、おそらく中国の石碑からの拓本だろう、とのことだった。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その39)

暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。