五味康祐氏のこと(その10)
1964年7月25日、五味先生のもとに、イギリスからタンノイ・オートグラフが届く。
その時の音を「なんといい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。高城氏設計のコンクリートホーンからワーフェデールの砂箱、タンノイの和製キャビネット、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聴いたことがない。しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ」と書かれている。
3月8日の音は、のびやかな低音でも、ひろがりのある低音でもなく、
高音部も、みずみずしくとはいえなかった。
そういう音が鳴ってくれるとは、ほとんど期待してはいなかった。
部屋の構造上か、オートグラフは後ろの壁からも左右の壁からも数十cm以上離されていたし、
主を喪ったオーディオ機器は、どれも万全のコンディションとはいえないことも重なっていて、
あれこれいっても仕方のないことだろう。
それでもフルトヴェングラー/ウィーンフィルによるベートーヴェンの交響曲第3番の第2楽章、
バックハウスの最後の演奏会を収録したレコードから、ベートーヴェンのワルトシュタイン、
ヨッフム指揮の「マタイ受難曲」、これら3曲を聴いたわけだ。背筋をのばして聴いていた。
そういう音が鳴っていたからだ。
なぜだか、ふと長島先生の音の印象と重なってきた。
似ている、というよりも、共通しているところのある音。
音楽に真剣に向き合うことを要求する厳しい音、
だらしなく音楽をきく者を拒否するような厳しい音だった。
長島先生の音も、まさしくそうだった。