Archive for 2月, 2009

Date: 2月 16th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その10)

ロックウッドのMajor Geminiが存在していなかったら、
井上先生のオートグラフの組合せも、もしかしたら違う方向でまとめられたかもしれないと思ってしまう。

井上先生は、オートグラフの組合せの試聴の、約2年ほど前にMajor Geminiを、
ステレオサウンドの新製品の試聴で聴かれている。
このときの音、それだけではなく過去に聴かれてきた音が、井上先生のなかでデータベースを構築していき、
直感ではなく直感を裏打ちしていく。

何も井上先生だけに限らない。オーディオマニアならば、皆、それまで聴いてきた、いくつもの音は、
いま鳴らしている音と無縁なはずはないだろう。

ただ音の判断において、なにがしかの先入観が働く。
HPD385Aを搭載していようと、国産エンクロージュアであろうと、
オートグラフは、やはり「オートグラフ」である。

プレジションフィデリティのC4、マークレビンソンのML2Lとの組合せでも、
オートグラフからは、音量のことさえ、それほど多くを求めなければ、ひじょうに満足の行く音が鳴っていた。
それでも、井上先生は、先に進まれた。

それはMajor Geminiの音を聴かれた経験から、タンノイのユニットの可能性、変貌ぶりを、
感じとられていたことによる裏打ちがあってのことだと思う。

Date: 2月 15th, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その9)

筆者と編集者のコミュニケーションとは、
筆者が書きたいことではなく、書くべきことを原稿にさせることも尽きると思う。

筆者の裡にそれを見いだし、提示し、ときに説得して書かせて「かたち」にすること。
そうやって筆者と編集者の間に信頼が構築されていく。

書くべきことを自身で見つけ出している筆者は少ないように感じている。
つまり編集者の存在理由の大半は、ここにあるのではないか。

Date: 2月 14th, 2009
Cate: 四季

さくら餅(その1)

サウンドボーイ編集長だったOさんには、いくつもの、とっておきの店を教えてもらった。
そのひとつが、人形町にあった和菓子屋の「三はし堂」だ。

とにかく、だまされたと思って、いまの季節、店頭に並んでいるさくら餅を、ぜひ味わってほしいと思う。
ピンクの半透明の皮のほうがこしあん、白で、やはり半透明のほうがつぶあん。
餡の好みもあろうが、ぜひふたつとも食べたい。

さくらの葉がついたまま食べるのも好き好きだろうが、
私は葉の香りが残っているうちにいただく。

三はし堂は、実はいちどなくなっている。店じまいした。
理由はいくつかあったようだ。
料亭に和菓子を卸していたのが、バブル経済の破綻で、料亭の店じまいが相次いだためとも聞いているし、
地上げのせいだとも聞いてる。
元の場所には、巨大なオフィスビルが聳え立っている。

1997年ごろになくなった。
ちょうど、このころ人形町に出向き、三はし堂に向かったのに、
ラーメン店(それもチェーン店)に変わっていた。

「もう、あのさくら餅が食べられないのか……」と、喪失感が襲ってきた。
さくら餅ごときで、大袈裟な、と大半のひとは思われるだろうが、
一度でも、三はし堂のさくら餅を口にしたことのある人ならば、
このときの私の気持ちを、きっと理解してくるはずだ。

その年の暮れ、あれだけの店がなくなるのは、和菓子の世界だけでなく、
日本文化の損失であり、きっと同じように思っている人がいるはず。
その人たちの中には、三はし堂を支援してくれる人がきっといるはず。
復活するんじゃないか、と、なぜだか確信して、電話を掛けてみた。

つながらないはずの電話がつながった。
「ありがとうございます、三はし堂です」という声が聞こえてきた。
復活していたのだ。

新しい店の場所を聞き、すぐに向かった。
元の場所からすこし離れた、現在の、清洲橋の袂に移動していた。
製餡所の一角に間借りする形での営業再開だった。
つい最近再開したばかり、とのことだった。

話を聞いてわかったのは、三はし堂の餡は、自家製ではなく、
ここの製餡所のもので、いくつかの有名和菓子屋にも同じ餡を卸しているが、
不思議なことに、和菓子になったとき、三はし堂のがいちばん美味しい。
餡の味が美味しくなる。だから、この店をつぶしたままにしておくわけにはいかない。
自分のところの餡の宣伝にもなるということもあり、支援を決めたと言うことだった。

伊藤先生も、ここのさくら餅をたいへん気にいられていた、ときいている。

Date: 2月 14th, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その8)

「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」
松尾芭蕉の言葉だ。

この精神が、いま忘れかけられているように思えてならない。

Date: 2月 14th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その9)

井上先生は、こうも語られている。
     *
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、パワフルでエネルギッシュな見事な音がしました。オートグラフの音が、モニタースピーカー的に変わり、エネルギー感、とくに、低域の素晴らしくソリッドでダンピングの効いた表現は、JBLのプロフェッショナルモニター4343に優るとも劣らないものがあります。
     *
この部分だけを読んでいると、
ステレオサウンド 42号に載っているロックウッドのMajor Gemini のイメージそのものと思えてくる。

ステレオサウンドの新製品紹介のページが現在のようなかたちになったのは、56号からで、
それ以前は、山中先生と井上先生による対談形式だった。

井上先生は、ここで、
「異常なほどの音圧感にびっくりするのではないかと思う。ある種の空気的な圧迫感、迫力がある」
さらに「低域がよくなったせいか、中域から高域にかけてホーンユニットの受けもっている帯域が、
かちっと引きしまっているような印象」と語られ、
山中先生は、タンノイのオリジナルなシステムにくらべてエネルギッシュな音になって」
タンノイ・アーデンと比較して「ソフトな音というイメージとは大きく違って、
音が引きしまっていて、業務用のシステムだという感じ」だとされている。

くり返すが、Major Geminiも、搭載ユニットは、井上先生が組合せに使われ、
最終的に出てきた音に驚かれたたオートグラフと同じHPD385Aだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その31)

冗長性について、すこしだけ触れたことがある。

使い手が関与できない所でつけ加わるもの、
聴き手が、己の音を求める過程で、意図してか無意識かによってつけ足される音、
アンプなりスピーカーを開発する者によって、やはり意図してか無意識かでつけ足される音、
これらを冗長性と捉えていいのではないかと、最近考えるようになった。

これらの冗長性が、組合せや使いこなしによって相乗的に作用することもあれば、
互いにそっぽを向いてしまうこともあるだろう。

そして、ひとそれぞれ、どの程度冗長性を必要とするのか、
そしてどのような冗長性を求めているのかは違っていよう。

技術が不完全なままで、そこに人が介在する以上、なにかしらの冗長性は必ず発生しよう。

LNP2L、JC2、ML2Lに共通する、過剰、過激、過敏は冗長性ではないだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その30)

マスターテープにも、そしてわれわれリスナーの手に渡るレコードにも、
演奏者が発した音があます所なくすべて含まれていることは、ない。

まずマイクロフォンがすべての音を拾える位置に置かれるわけではない(そういう位置が存在するのかも疑問だが)。
さらにマイクロフォンがすべて空気振動を捉えて電気信号に変換できているわけでもないし、
マイクロフォンからミキサーまでの伝送経路でも音のロスは若干とは言え生じているし……、
こんなふうにひとつひとつを見ていくと、われわれの手もとにあるレコードになるまで、
いったいどれだけの音が失われ、また色づけや雑音と呼ばれる附加される音もある。

世の中に十全なレコードは存在しない。
しかし、その不完全な記録にも関わらず、そこにおさめられている音楽に感応し、
ワクワクドキドキすることもあれば、感動で涙することもある。

録音のプロセスで失われる音、つけ加えられる音があるということは、そのまま再生のプロセスにもあてはまる。
なにかがなくなり、なにかがつけ足される。

しかも録音の空間と再生の空間は、まったくの別空間であり、時間差もある。
最新録音でも数ヵ月から1年ほどだろうか、古い録音となると、生まれる前の時代の音を聴いている。

それでも、そこで奏でられている音楽を身近に感じたことは、
だれしも、オーディオを真剣にやっていれば、必ずあるはずだ。

同じ場で同じ音を聴いて、ある人は身近に感じ、別のひとは遠くに感じる。
なぜ、そんなことが起きるのか。

Date: 2月 12th, 2009
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(余談)

1月24、25の両日、練馬区役所で、五味先生のオーディオ機器によるレコードコンサートが行なわれた。
往復ハガキによる事前申込みで、応募者多数だったための抽選にはずれてしまい、
口惜しい思いをされた方も多いだろう。
私もダメだった。

1月上旬に届いたハガキには、応募者が予想以上に多かったため、
改めて機会を設ける予定だと書いてあった。
正直、まったく期待はしていなかった。

さきほど郵便受けをのぞいたら、届いていた。
3月に、また行なう、とある。今度は行ける。

五味先生が聴いておられた音の片鱗でも、この耳で聴ければ、それでいい。
そして、五味先生が実際に愛用された機器たちを見ておきたい。
それが叶う。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その29)

マークレビンソンのアンプ、LNP2LにしろML2Lにしろ、共通しているのは、
全体に贅肉を感じさせることのない、硬質に磨き上げられた美が、
過敏なまでに音楽の微妙な表情までも、くっきりと浮き立たせることだ。

さらにML2Lが特に顕著といえるが、低域はソリッドに引き締り、音の緻密さにおいて、
当時マークレビンソンのアンプに匹敵するアンプは、まず見あたらなかった。

マーク・レヴィンソンの繊細な神経によって、過剰なまでに磨き上げられた音を聴いた後では、
他のアンプだと、それがいいことか悪いことかは別として、なにかものたりなさを感じてしまう。

だからこそ、マークレビンソンのアンプに対する好き嫌いは、はっきりしていた。
瀬川先生のように惚れ込まれる人もいれば、
黒田先生はナルシシズムを、そこに感じておられたようだし、
神経質過ぎると敬遠する人も少なくない。

LNP2L、ML2L、JC2は、やはり過激なアンプだ。
だから、惚れ込む者は、どこかしら青臭いところが残っているのかもしれない。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その8)

井上先生は、ML2Lのかわりに選ばれたのはマッキントッシュのMC2205。
MC2205は200W+200Wの出力をもつが、井上先生はオートグラフの能力からして、
まだまだいけると感じられて、300W+300WのMC2300を持ってこられる。

コントロールアンプも、プレシジョンフィデリティのC4からコンラッド・ジョンソンのプリアンプを試され、
これらとは180度の方向転換をはかり、最終的にはマークレビンソンの LNP2Lを選択されている。

これはなかなか他の人にはマネのできない組合せだと感じた。
井上先生は、スピーカーがどう鳴りたがっているかを瞬時に察する能力に長けておられる。

自宅にスピーカーを持ち込んで長期間にわたって使いこなすのであれば、
どう鳴らしていくかがもちろん最重要なことだが、
ステレオサウンドの試聴室で、数時間の間に、組合せをまとめるには、
目の前にあるスピーカーを、どう鳴らせるか──、
擬人的な言い方になるが、スピーカーの鳴りたいように鳴らすことが、ときには求められる。

そのためには出てきた音に、先入観なしに素直に反応し、
経験に裏打ちされた直観でもって、アンプやプレーヤーを選択していく。

こうやって書いていると、そう難しいことのようには思えない方もいるだろう。
だがやってみると痛感されるはずだ。
生半可な経験と知識では、井上先生の、このオートグラフの組合せは、まず思いつかない。

大胆な組合せのように見えて、実はひじょうに繊細な感覚があってこそできるのだ。

LNP2LとMC2300が鳴らすオートグラフの音は、
引き締り、そして腰の強い低域は、堅さと柔らかさ、重さと軽さを確実に聴かせると語られている。
具体的な例として、爆発的なエレキベースの切れ味や、くっきりしたベースの音、
「サイド・バイ・サイド」のアコースティックなベースの独特の魅力をソフトにしすぎることなく
クリアーに聴かせるだけのパフォーマンスをもっていることを挙げられている。

これは誇張でも何でもない。
井上先生も、こういうオートグラフの音は初めて聴いた、とされている。

ここで使われたオートグラフは、輸入元のティアック製作の国産エンクロージュアに、
ウーファーのコーン紙の裏に補強リブのついたHPD385Aがはいったものだ。
五味先生がお使いだったモニターレッドをおさめたオリジナル・オートグラフと違う面を持つとはいえ、
エンクロージュアの構造は、オリジナルモデルそのままである。
タンノイの承認を受けた、歴としたオートグラフである。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その7)

井上先生のタンノイ・オートグラフの組合せは、最初、伝統的なタンノイのいぶし銀と言われる音の魅力を、
スピーカーが高能率だけに小出力だが良質のパワーアンプで引き出そうという意図から始まっている。

だからまず組み合わされたのは、プレシジョンフィデリティのC4とマークレビンソンのML2Lである。
この組合せの音は、予想通りの精緻で美しい音がしたと語られている。

思い出していただきたいのは、ML2Lについて前に書いたことだ。
井上先生は、ML2Lのパワーの少なさを指摘されていた。
普通の音量ではなまじ素晴らしい音がするだけに、そのパワーの少なさを残念がられていた。

井上先生がそう感じられたのは、この組合せの試聴においてであることがわかる。
井上先生は、こう語られている。
     *
鮮明に広がるステレオフォニックな音場感のよさと音像定位の美しさが魅力的ですね。これはこれで普通の音量で聴く場合には、一つのまとまった組合せになります。ただ、大音量再生時のアンプ側のクリップ感から考えてみると、これはオートグラフのほうにはまだ十分に大音量をこなせる能力があるということになります。
     *
記事に掲載されているところだけ読んだのでは、井上先生が感じておられた微妙なところは、
残念ながら伝わってこない。
致し方ないだろう。書き原稿ではないし、あくまで井上先生が話されたものを編集部がまとめているものだけに。

それでも、アンプ側のクリップ感、普通の音量、といったところに、
それとなくML2Lの出力の少なさに対する不満が表れている。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その6)

ロックウッドのMajorのエンクロージュアは、ダブルチェンバーをもった、やや特殊なバスレフ型だ。
アカデミー・シリーズは、フロントバッフルとリアバッフルを4本のボルトナットで、
強固に締めつけるとともに、リアバッフルを留めているネジもかなりの本数使っている。

Majorもアカデミーも、どちらも、同時期のタンノイの純正のシステム、
アーデンやバークレイのエンクロージュアとは相当に異るつくりとなっていた。

写真ではMajorの仕上げはなかなかのように思えるが、
実物を見ると、意外にラフなところも見受けられて、ちょっとがっかりしたものだが、
出てきた音には、素直に驚いた。

タンノイのスピーカーといえばアーデンしか聴いたことはなかったが、
同じスピーカーユニット(HPD385A)が、こんなふうに変身するのか、と、
アーデンとMajorを聴いて、驚かれない人は少ないだろう。

エンクロージュアが違うと音がどう変化するのかの、好例といえる。
もっともアーデンは23万9千円、Majorは48万8千円と倍以上するのだが(ともに1本の価格)。

井上先生は、ステレオサウンド 42号の新製品紹介で、Major Geminiについて、山中先生と語られている。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その5)

同じスピーカーユニットを使っても、エンクロージュアが違えば、音は大きく変ってくる。
スピーカーユニットの性能、可能性が高いほど、エンクロージュアの役割の重要さは比例して高くなる。

スピーカーユニットとエンクロージュアの関係を語るのは、どれだけ言葉を尽くしても語り尽くせぬほど、
切っても切れぬ強固な関係といえよう。

特にタンノイにおいては、かなり以前から、
エンクロージュアの存在が大事であるとマニアの間で言われつづけてきた。

長島達夫先生は、タンノイのユニットは、エンクロージュアとの関係において、
サウンドボックスのダイアフラムの役割を果たすものと捉えられていた。
一般的なスピーカーとは異るアプローチによるエンクロージュアの考え方から、
タンノイのスピーカーシステムはつくりあげられている、ということだった。

いわばかなりやっかいで、扱い難いユニットといえるだろう。
このタンノイのスピーカーユニットを使って、システムとして成功した数少ない例が、
タンノイと同じイギリスのロックウッド社だ。

ロックウッドの製品には、38cm口径ユニットを2本縦に並べて搭載したMajor Geminiと、
1本だけのMajorという大型スピーカーと、
ブックシェルフサイズのアカデミー・シリーズがあった。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その4)

タンノイ・オートグラフでジャズなんて無理、というのは、私の思い込みでしかなかったわけだ。

まぁ無理もないと思う。16歳だった。オーディオの経験も、いまの私と較べてもないに等しいし、
まして井上先生と較べるなんて……、くらべようとすること自体無理というもの。
当時は、わずかな経験と、本から得た知識だけで、オートグラフでジャズは無理、とそう思い込んでしまっていた。

タンノイ、オートグラフという固有名詞をはずして考えてみたら、どうだろうか。
38cm口径の同軸型ユニットで、フロントショートホーンとバックロードホーンの複合型エンクロージュア。
イギリス製とか、タンノイとか、そういったことを無視してみると、
決してジャズに不向きの構成ではないことに気がつく。

岩崎先生は、JBLのハークネスをお使いだった。
ステレオサウンドの記事でもバックロードホーンを何度か取りあげられているし、
「オーディオ彷徨」のなかでもバックロードホーンについて熱っぽく語られている。

ジャズとバックロードホーンは、切り離しては語れない時期が、たしかにあった。

JBLのバックロードホーン・エンクロージュアとオートグラフとではホーン長も違うし、構造はまた異る。
だから一緒くたに語れない面もあるにはあるが、ジャズが鳴らない理由は特に見あたらない。

ユニットにしてもそうだ。
タンノイのユニットがクラシック向きだというイメージが浸透し過ぎているが、
ロックウッドのスピーカーシステムを一度でも聴いたことがある人ならば、
タンノイの同軸型ユニットのもつ、別の可能性を感じとられていることだろう。

Date: 2月 10th, 2009
Cate: Mark Levinson, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その7)

別項でマークレビンソンのアンプについて書いているうちに、
ふとシーメンスのスピーカーと、LNP2LとML2Lを組み合わせたら、どんなに音になるんだろう、と思った。

シーメンスのスピーカーは、オイロダインもコアキシャルも、硬質に磨き上げられた音。
周波数レンジこそ広くはないが、帯域内の密度は高く浸透力がある。
聴いていると、音楽がはっきりと記憶に残る。

シーメンスのスピーカーを聴く機会があったら、聴き終った後に、ぜひふり返ってほしい。
はじめて聴いた音楽がもしあれば、他のスピーカーで聴くよりも、つよく記憶に残っていることに気づかれるはずだ。

聴いている時は「なんだかいい音だなぁ」と思っていても、いざ聴き終ってみると、
さきほどまで聴いていた音楽のことが、ほとんど心に残っていない。
そんな音が、最近増えてきてないだろうか。

どういう聴き方をしようと、どういう音を好もうと、それは個人個人の自由だ。
それでも、あえて言いたい。
折角聴くのであれば、やはり心に音楽が刻まれる音で聴きたいではないか。
それがオーディオの醍醐味であり、大袈裟な、と受けとられるだろうが、真髄のような気もする。

マークレビンソンで鳴らすシーメンスの音は、ある種強烈な音だろう。
最初は、聴くに耐えない音になるかもしれない。
それでも神経細やかに調整を施せば、絶対にピントが合うと確信している。

オイロダインとはいわない、コアキシャル1本で十分だ。
和室で正座して聴く。できうることなら茶室で聴きたい。

音楽と真剣に向かう合うことがどういうことなのかを想い起こさせてくれるはずだ。