Archive for 12月, 2008

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: 4343, 4350, Celestion, JBL, SL6
4 msgs

4343と4350(補足)

ボイスコイル径で思い出したことがあるので補足しておく。

セレッションのSL6(SL600)は、グラハム・バンクがユニットを、
サイズにとらわれることなく一から設計したことは「サイズ考」に書いたが、
SL6のユニットも、ウーファーとトゥイーターのボイスコイル径は等しい。

推測にしかすぎないが、おそらくいくつもの口径のユニットとともに、
ボイスコイル径もいくつも試作した結果だろう。

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: 4343, 4350, JBL
2 msgs

4343と4350(その2)

4350の大きな特長は、ダブルウーファー構成よりも、
ウーファー2231A、ミッドバス2202A、ミッドハイ2440、
これら3つのユニットのボイスコイル径が4インチで、同じだというところだ。

オーディオに興味をもちはじめたばかりの頃、2ウェイのホーン型システムが、
高域のドライバーに4インチ・ダイヤフラム、2インチ・スロートが多いのを疑問に思ったことがある。
2ウェイで、高域を伸ばすなら、4インチ・ダイヤフラムよりも2インチのほうだろう、と考えていたわけだ。
なぜ4インチなのか。その理由はしばらくしないとわからなかった。

4インチ・ダイヤフラムのコンプレッションドライバー採用のシステムは、
ほぼすべて15インチ(38cm)口径のウーファーを搭載している。

ユニットを組み合わせて、自作スピーカーを構築している人には当り前の事実だろうが、
JBLやガウスの15インチ・ウーファーのボイスコイル径は4インチとなっている。
ガウスはJBLを離れたバート・ロカンシーを中心として興されたメーカーだけに、
HF4000(ドライバー)のボイスコイル径は4インチ、
ウーファーはいくつものモデルがあるが15インチ口径のユニットのボイスコイルは同じく4インチ、
12インチ口径のウーファーも4インチになっている。

アルテックには515、416などのウーファーは3インチのボイスコイル径だが、
コンプレッションドライバーの288のボイスコイル径もまた3インチである。

ボイスコイル径を揃えることが、技術的にどういうメリットがあるのかは説明できないが、
音の上では、コーン型と、コンプレッションドライバー+ホーン型という異るユニットを
うまくまとめるノウハウなのだろう。

4343、4341のミッドバス2121のボイスコイル径は、発表されていないが、おそらく3インチのはず。
ウーファー2231Aは4インチ、ミッドハイの2420ドライバーは2インチと、すべて異る値だ。

これだけですべてが語れるわけではないことは承知しているが、
4350Aが、ぴたりとうまく鳴ったときのエネルギー感の統一感のある凄まじさ、
その音と較べると、4343が、どうしても中低域のエネルギーがやや不足気味なのは、
ボイスコイル径と無関係ではないと思う。

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: 6041, ALTEC, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その27)

アルテックの6041のユニット構成は、604-8H同軸ユニットに、
サブウーファーとして416-8BSW(低f0の416-8B)に、トゥイーター6041STを組み合わせている。

瀬川先生も指摘されていたが、トゥイーターの質感に、やや残念なところがある。
詳しくは書かないが、6041STはアルテック純正のトゥイーターではなく、他社製のOEMである。

6041はその後、フェライト化された604-8KSと416-8CSWに変更された6041IIになるが、
JBLの4343が、4350をリファレンスとして、4341から確実な改良を施されて、
システムとしての完成度を高めているのから見ると、
6041はそのものが急拵えの感を拭えず、しかも地道な改良が施されたわけでもない。

同軸型ユニットにこだわりつづけているタンノイが、キングダムで高い完成度を実現したのを見ると、
もしアルテックが6041に本腰をいれていたら……、と思わずにいられない。

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: 6041, ALTEC, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その26)

アルテック、はじめてのワイドレンジ設計のModel19について、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
604Eをオリジナルの612Aエンクロージュアごと(あの銀色のメタリックのハンマートーン塗装は素敵だ)入手して聴いていたこともあるが、私にはアルテックの決して広いとはいえない周波数レンジや、独特の張りのある音質などが、どうも体質的に合わなかったと思う。私の昔からのワイドレンジ指向と、どちらかといえばスリムでクールな音の好きな体質が、アルテックのファットでウォームなナロウレンジを次第に嫌うようになってしまった。
しかし最近、モデル19を相当長時間聴く機会があって、周波数レンジが私としてもどうやら許容できる範囲まで広がってきたことを感じたが、それよりも、久々に聴く音の中に、暖かさに充ちた聴き手にやすらぎをおぼえさせる優しさを聴きとって、あ、俺の音にはいつのまにかこの暖かさが薄れていたのだな、と気がついた。確信に満ちた暖かさというのか、角を矯めるのでない厳しさの中の優しさ。そういう音から、私はほんの少し遠のいていて、しかし、それが私のいまとても欲しい音でもある。おもしろいことにJBLが4343になってから、そういう感じを少しずつ鳴らしはじめた。私が、4341よりも4343の方を好ましく思いはじめたのも、たぶんそのためだろう。もっと齢をとったら、もしかして私もアルテックの懐に飛び込めるのだろうか。それともやはり、私はいつまでも新しい音を追ってゆくのだろうか。
(ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ ALTEC」号より)
     ※
いま読むと、ひじょうに興味深いことを書かれている。
その瀬川先生が、6041をどう評価されていたかは、ステレオサウンド 53号をお読みいただきたい。
手元にその号がないので、引用したいところだが残念ながら無理。

記憶では、レベルコントロールを大胆にいじることが前提だが、かなり高い評価だったはず。

アルテックはModel19、マルチセルラホーンからマンタレーホーンになった604-8Hから、
2ウェイ構成ながら3ウェイ的なレベルコントロールが可能なネットワークになっている。
604-8Hを搭載した620Bに関しても、瀬川先生は、レベルコントロールを積極的にいじることで、
ご自身の音に仕上げられる可能性を感じた、という趣旨の記事を書かれている。

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: 6041, ALTEC, ワイドレンジ

ワイドレンジ考(その25)

マルチウェイ化にともなう水平・垂直両方向の指向性の不整合に対する解答のひとつが、
同軸ユニットだと私は捉えている。
そして同軸ユニットをうまく使うことが、4ウェイのシステムへの、解答のひとつでもあろう。

4343が日本で爆発的に売れていた時期に、アルテックから6041が登場した。
型番から推測できるように、アルテックの代表的なユニット604を中心にまとめあげた、
同社としては初のワイドレンジ指向のスピーカーである。

JBLが積極的にユニットを開発し、それらを組み合わせて3ウェイ、4ウェイと、
多マルチウェイ・システムを構築しワイドレンジを実現していくのに対して、
アルテックは、小改良をユニットに施すことで、少しずつではあるが確実にレンジを広げてきた。

6041の数年前に登場したアルテックのコンシュマーモデルのModel19とModel15は、
やはりアルテック伝統の2ウェイ構成である。
どちらも、高域用ドライバーに、断面がミカンを輪切りにしたような形を持つフェイズプラグを採用、
さらにネットワークによる周波数コントロールも併せることで、
従来のアルテックの2ウェイ・システムがなだらかに高域が落ちていくのに対して、
20kHzまでほぼフラットを実現するとともに、アルテックならではの高能率もほとんど犠牲にしていない。

厳密に言えば、ネットワークで周波数コントロールを行なっている分、
同様のユニット構成のA7と比較すると、やはり能率は、少しだが下がっている。

Date: 12月 3rd, 2008
Cate: BBCモニター, PM510, Rogers

BBCモニター考(その2)

4343で感じられなかった音の粗さが、なぜPM510では感じとれたのか。

スピーカーには初動感度というのがある。基本的には能率が同じならば初動感度も同じと考えていい。
ただし聴感上の初動感度は必ずしも、音圧レベルと一致するとは言えない面も持つ。

たとえば重たい振動板を強力な磁気回路を用意して動かすのと、
軽い振動板をほどほどの磁気回路で動かすとして、出力音圧レベル(能率)が同じなら、
初動感度は同じということになる。

だが実際に聴いた印象では、軽い振動板の方が、敏捷だと感じることがある。

4343とPM510の使用ユニットに投じられている物量は、4343のほうがあきらかに上である。
フレームも磁気回路もしっかりとつくってある。
オーディオマニア心をくすぐるのは、4343である。

イギリスは、4343のようなスピーカーを、この時代はつくらなくなっていた。
それ以前はタンノイのオートグラフ、ヴァイタヴォックスのCN191など、
JBLのパラゴン、ハーツフィールド、エレクトロボイスのパトリシアン・シリーズと並ぶ
大型で本格的なつくりのスピーカーがつくられていたが、
いつのまにか家庭用スピーカーとしての範囲をこえないものになっていった。

いかにもイギリス的といえるが、やはりオーディオマニアとってはさびしい面もある。
PM510もLS5/8も、そういう意味では、コストを惜しまず技術の粋を集めて、
やれるところまでやってつくられたというスピーカーではない。

けれど……、と私は思う。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: ワイドレンジ, 井上卓也

ワイドレンジ考(その24)

スピーカーのワイドレンジ実現のための有効な手段のひとつが、マルチウェイ化だ。
フルレンジよりも2ウェイ、2ウェイよりも3ウェイ、そして現実的には4ウェイが限界だろう。

周波数レンジの拡大だけでなく、それぞれのユニットを良好な帯域のみで使用することで、
低歪化も狙えるし、最大出力音圧レベルの点でも有利になる。

井上先生──ことわるまでもないが、私にとって井上先生は、井上卓也氏のこと──が、
「2ウェイは二次方程式、3ウェイは三次方程式、4ウェイは四次方程式みたいなもので、
解くのがだんだんと難しくなってくる」とよく言われていたのを思い出す。

4ウェイとなると、同軸ユニットを使わない限り、最低でも4つのユニットが必要になり、
ユニットの口径も、4343を例にあげれば、ウーファーは38cm、
トゥイーターの2405のダイヤフラムの口径は1-3/4インチとかなりの開きがある。

これだけ大きさの異るものをどう配置するか。
定位の再現性を考慮すれば、できるだけ個々のユニットは近づけたいが、
それぞれのユニットの音響面を少しでも理想的にするには、
そしてユニット同士の干渉──音響面だけでなく磁気的な面も含め──を減らすには、
ユニット間の距離は逆に広げたい。

問題になるのは、指向性である。水平方向の指向性は確保できても、
垂直方向の指向性をほぼ均等に保つことは、かなり難しい。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: BBCモニター, PM510, Rogers

BBCモニター考(その1)

こんなことがあった。

ステレオサウンドに入ったばかりの頃、試聴室となりの倉庫に、ちょうどロジャースのPM510があった。
もちろん、さっそく聴いてみた。
まず試聴室のリファレンススピーカーの4343を聴いた後、PM510に変えた。
アンプ、プレーヤーはそのままである。

出てきた音に、すくなからず驚いた。音がとても粗い。
なぜ、こんな音がするのか、不思議なほど、特に微小域の音が粗かった。

アンプを、マイケルソン&オースチンのTVA1に変えてみた。
嘘のように、粗さは消えている。
もういちどアンプを戻すと、やはり粗い。

もしかしてACの極性が反対かと思い、反転させてみても音の粗さは変わらず。
当時、世評の高いセパレートアンプの組合せである。
4343にもう一度つなげて聴くと、粗さは感じられない。

カタログ上の音圧レベルは、PM510は94dB、4343は93dB。
ほとんど同じだから、アンプの出力もほぼ同じ領域で使っていたわけだ。
にもかかわらず、4343では聴きとれなかった、というか気にならなかった音の粗さが、
PM510では耳について、気になって仕方がなかった。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: 録音

50年(その3)

数年前の、ちょうどこの時期、ある大型レコード店で、
フルトヴェングラーのバイロイトの第九がちょうどかかっているところだった。

店内をふらふらしていたら、あるポイントに来たとたん、急にフルトヴェングラーの第九が、
広がりと奥行きを持って聴こえた。
かかっていたCDは、モノーラル盤で疑似ステレオのブライトクランク盤ではない。

もちろんほんもののステレオ録音のように、明確な音像定位は感じられない。
そこには幾何学的正確さはないが、心地よく音が広がっていた。
そのポイントから外れると、モノーラル的な鳴り方に戻る。

レコード店の天井には複数のスピーカーが吊り下げられている。
それが干渉しあって、たまたまステレオ的な広がりを聴かせるポイントが生れていただけなのだろう。

まったく偶然の産物だった鳴り方だが、
フルトヴェングラーの雄大さ──大きくて堂々としたところ──が、はっきりと感じられた。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: よもやま

行間を読む前に……

2年前になるが、ある個人サイトに五味先生の言葉が引用されていて、
サイトの主宰者の意見が綴られていたのだが、
五味先生の言葉が言わんとするところと、主宰者の主張はどう読んでも喰い違う。
でもご本人は、五味先生の言葉を同意見として引用されている。

引用されていた五味先生の言葉の前後を、著書を読んで確認しても、やはり納得できない。
そこで主宰者の方にメールを出した。

返ってきたメールには、「私は行間を読んでいる」と書いてあった。
そのサイトで公開されている主宰者のプロフィールをみると、まだ20代の方だ。

40代の私が何度読んでも読み取ることが出来なかったことを、
その方は行間から読み取られたことになる。

皮肉で言っているのではない。
なにも私の読み方が絶対だと言っているのでもない。

以前書いたように、いまでも五味先生の著書は、1年に1冊、どれかをくり返し読んでいる。

ディスクにおさめられている音楽は、オーディオ機器の変化や音の変化によって、
以前は聴きとり難かった音も明瞭に聴こえてくるのに対して、
本の活字は若いころに読んだときも40代の今、読んでも、なんら変化はない。
活字そのものが変化することは、当り前だがありえない。

オーディオ的に言えば、本から得られる情報量は同じだが、
こちらの感じかたは、若いころと同じところもあれば、大きく異るところもある。

それでも、私には行間を読んでいる、感じとれるようになったという意識は、実のところない。
いかにも、世の中は、行間を読むことが、
書いてある文字を読むことより高尚なことみたいに思われがちのようだし、
そう言われているように私は感じている。
だが、少なくとも優れた書き手の文章を読む上で、もっとも優先すべきことは、
そこに書かれている文字をしっかり読むことであろう。
納得いくまでくり返し読むことであり、それにはある種の辛抱強さを求められる。

あえて言う、行間には何も書いてない。

Date: 12月 2nd, 2008
Cate: 4343, 4350, JBL

4343と4350(その1)

4343(4341も含む)と4350の、いちばん大きな違いは、中低域の再現力の差だと感じている。
システム全体の構成も、もちろん大きく違う。
4350Aは4343、4341と同じウーファー(2231A)の二発使用で、バイアンプ駆動が前提。
ミッドバス帯域のユニットも、25cm口径の212から30cm口径の2202に、
ドライバーも2420から2440に、全体的にスケールが一回り大きくなっている。

4343が、ある節度を保った、破綻の少ないまとまりのよさを見せるのに対して、
4350Aは凄みのある雰囲気を持つ。

バスレフポートの数も4343は2つ、4350Aは6つ、
エンクロージュアの奥行きも4350Aは50.3cmと、4333、4341とほぼ同じ値だ。

違いはいくつもあるが、それでもいちばんの違いは、中低域だ。

4341のときからそうだが、ミッドバスを加えた4ウェイ構成にも関わらず、
中低域の豊かさが不足している。
周波数特性的に問題なくても、聴感上、エネルギー感が不足気味で、
ミッドハイの2420とウーファーの2231Aの間にはさまれて喘いでいる、そんな印象さえ受ける。

もっとも4341では、逆にこのことが魅力にもつながっており、
スリムでセンシティヴとも言える音は、好きなひとにはたまらないはずだ。

4343になり、ユニットは同じながらも、中低域の鳴りの悪さは改善されており、
4341と比べると、音全体のスケール感は大きく、安定している感がある。
それでも中低域の豊かさを感じさせてくれるかというと、
中低域専用ユニットを持っているのに……、と言いたくなる。

4350Aは、さすがにそんな印象はまったくない。
4ウェイ構成の良さが──うまく鳴ったときの音に限るが──見事に活きている。
これが、JBLが、はじめて開発した4ウェイ・スピーカーだから、おそれいる。

正確には言えば、最初のモデルは4350で、2230ウーファーを搭載している。
4350は聴いたことがないので、4350Aで話を進めていく。

Date: 12月 1st, 2008
Cate: 正しいもの

正しいもの(その1)

正しいデザインとは、なんだろうと、ふと思ってしまった。

美しいデザイン、カッコいいデザインと言ったりする。
オーディオにおける音、これも、美しい音と言う。そして正しい音という言葉も使う。
録音と再生の、ふたつのプロセスがあるため、
元との比較の意味合いで「正しい」という単語が自然と使われるのだろうが、
正しいデザインと同じ意味での正しい音、そんなものがあるのか、そういうことが言えるのか。

正しいもの、とは、いったいどんなことなのか。

フルトヴェングラーの「音楽ノート」を開く。
1945年の言葉。
「肝要なことは、精神の豊かさでもなければ、深い感情でもない。
ひとえに正しいもの、真実なものである(私は六十歳にしてこのことを記す)。」とある。

ここでフルトヴェングラーが言っている「正しいもの」とは、
同じ1945年の次の言葉が語っている。
「思考する人間がつねに傾向や趨勢のみを『思考する』だけで、
平衡状態を考えることができないのは、まさに思考の悲劇である。
平衡状態はただ感知されるだけである。
言い換えれば、正しいものは──それはつねに平衡状態である──ただ感知され、体験されるだけであって、
およそ認識され、思考されうるものではない。」

フルトヴェングラーが言う、正しいものとは、つねに平衡状態であること。
平衡状態に関する言葉で、「静力学的」という言葉も使っている。

やはり、これも1945年の言葉である。
「芸術家の立場から言えば、過度の感情と、たんに『思考された』観念とは本質的に同じものである。
両者ともに『静力学的(シュターティッシュ)』には重要でない。
私はこのことをつねに感じていたが、それを認識するまでに残念ながらほぼ六十年を費やした。」と語り、
さらに「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定している楽曲は、決して法外な長さを必要としない。」という。

「楽曲」をデザインに置き換えてみる。
「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定しているデザイン」は、なにを必要としないのだろうか。
楽曲における法外な長さは、デザインにおけるなんなのだろうか。法外な冗長さだろうか……。

音に置き換えてみるとどうだろうか。
「正しい均衡を保ち、『静力学的』に安定している音」、
なんとなくイメージできそうな気がするようなしないような。

正しい音が必要としないのは、やはり法外な冗長さだろうか……、法外な情報量かもしれない。