Archive for category テーマ

Date: 5月 27th, 2014
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その30)

五味先生が指摘されていることと同じこと(私はそう感じている)を、
長島先生も指摘されている。

ステレオサウンド 99号の新製品紹介のページで長島先生は、ATCのSCM200について書かれている。
その中にこうある。
     *
 例えば、3ウェイシステムの場合、ウーファー、スコーカー、トゥイーターが三位一体となって動いて欲しいのであるが、通常のLCネットワークであれば、電気的には各ユニットが接続された状態にあり、それぞれいい意味で影響しあって有機的に結合した状態をつくりだすことができる。もちろん悪影響を与えるということもある。しかし僕はそこにメリットのほうを見出していたのである。
 それに対してマルチ駆動の場合、ユニット同士の関係というものは一応セパレートしているものと考えることができ、はたして各ユニットがうまくブレンドしてくれるのだろうか、という不安があるのだ。
     *
五味先生はタンノイの、長島先生はジェンセンの、それぞれの同軸型スピーカーを鳴らされてきた。
そのふたりがマルチアンプに対して、同じことを感じられているのは興味深い。

オーディオにやり始めたころに疑問に思っていたことがある。
スピーカーの再生周波数帯域を拡げるためにマルチウェイにするのはわかる。
2ウェイでも、3ウェイでもいいのだが、
ウーファーはほとんどがコーン型であり、
トゥイーターはコーン型もあれば、ドーム型、リボン型、ホーン型……、といろいろな方式がある。

ウーファー、トゥイーターともにコーン型であれば、振動板も紙ということがある。
けれどトゥイーターがコーン型以外の方式となると、振動板の材質はさまざまだ。
布系の振動板もあれば、プラスチック系のモノもあるし、金属を使ったモノもある。
金属にもアルミニウムもあれば、チタニウム、マグネシウム、ベリリウムなど、いくつもの材質がある。

昔から使われてきて馴染みのある紙の振動板のコーン型ウーファーと、
紙とはまったく異質の振動板を使った、それも振動板の形状も違う方式のトゥイーターが、
システムとしてまとめたときにほんとうに調和するのだろうか。

こういう疑問だった。

Date: 5月 27th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その6)

フロントバッフルも天板も振動している。
その振動は同じではない。
つまりフロントバッフルに取り付けられているときにフロントバッフルから伝わってくる振動と、
天板から2405へと伝わってくる振動は決して同じではない。
しかもフロントバッフルに取り付けた状態では前方から振動が伝わってくる。
天板の場合に2405の下部から振動が伝わってくる。

それにフロントバッフルに取り付けられているとウーファーの背圧の影響も受けている。

天板に置くためには、ネットワークから2405までのケーブルをはわせなければならない。
4343にもともとついているケーブルをそのまま利用したとしても、
ケーブルの這わせ方が違ってくる。

天板に置いた2405にサブバッフルをつけるどうか。
さらには天板のどの位置に置くのか。前後方法の調整はほかのユニットとの位相関係の変化にもつながる。

2405を天板に直置きするのか、間にフェルトやゴム、その他の素材を介するのかどうか。

こういったこまごまとしたことが、2405を天板に置きインライン配置にしたことによる変化である。
もっと細かな変化もあるが、それを書き出すことがここでの目的ではないし、
いいたいのは、これだけの要素が変化している中で、
インライン配置にしたから音が良くなった、とはいえない、ということだ。

さまざまな要素が変化している。
しかもそれらは独立しているわけではない。
それらが結びついた結果として音は変化している。

だからこそ、何を聴いているのかを明確にする必要がある。

Date: 5月 27th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その5)

オーディオマニアたるもの少しでもいい音が出せる可能性があるのなら、あれこれ試してみる。
例えばJBLの4343。
4ウェイ・4スピーカーの4343はウーファーミッドバス、ミッドハイの三つのユニットはインライン配置。
ならば9.5kHz以上を受け持つ2405をフロントバッフルから取り外して、エンクロージュアの天板にのせれば、
四つのユニットすべてインライン配置にできる。

実際にやってみたとする。
音はずいぶんと変る。
それを実行した人にとって、それがいい結果だったと仮定する。
すると、その人は、やっぱりすべてのユニットをインライン配置にしたほうがいい、というかもしれない。
そういいたくなる気持はわかる。
わかるけれど、2405をインライン配置にしたことで、変った要素は、ユニット配置だけではない。

まず2405をフロントバッフルから取り外す。
この時点でフロントバッフルへの荷重が変化する。
それにフロントバッフルの振動モードも変化する。

2405を取り外したところにはメクラ板をとりつける必要がある。
するとメクラ板がミッドハイの両側に位置することになり、この影響も無視できない。
メクラ板はフロントバッフルから伝わってくる振動に対しても、
エンクロージュア内部の音圧によっても共振しているからだ。

2405を天板の上にのせる。
ただこれだけでも音は変化する。
試しに2405を本来の位置に取り付けたままで、
2405と同じくらいの大きさで同じくらいの重量をもつモノを4343の天板の上に置いて聴いてみるといい。

きちんと調整された4343ならば、この変化量に驚く。
天板のどこに置くかでも変化する。

2405を天板に置くことで天板の振動モードは変化する。
天板だけが変化するのではない。
エンクロージュアの側板、前後のバッフル、底板はすべてつながっているわけだから、
天板の振動モードの変化は、他の部分の振動モードの変化へとつながる。

Date: 5月 26th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その4)

スロープ特性と極性の組合せをひとつひとつ聴いていっているとき、レベルはまったく手をつけなかった。
それからCDも一枚に決め、CDプレーヤーから試聴しているあいだは、一度も取り出すことなく聴く。

スロープ特性、極性を切り替える際には、コントロールアンプのボリュウムには手を触れない。
ボリュウムはそのまま、つまり音量は最初に決めたままである。

そしてCDプレーヤーは切り替えの際には、ポーズ・ボタンを押す。
停止状態にはしない。
チャンネルデヴァイダーの切り替え操作が終ったら曲の頭に戻し、再生ボタンを押す。

これをくり返し行う。
一枚のディスクの同じところを何度も何度も聴いていく。

何かを切り替えていくときに、他の箇所はまずいじらない。
ボリュウム操作をしてしまうと、厳密には同じ音量には設定し難い。
音量がわずかでも違ってくれば、スロープ特性の違いのみを聴きたいのに、
そこに音量の違いという要素が加わってくる。

CDプレーヤーをポーズ(一旦停止)にするのも同じ理由からである。
停止してしまうと、ディスクの回転が止る。
ふたたび再生ボタンを押すとディスクの回転が始まるわけだが、
CDプレーヤーにはサーボ技術が不可欠であり、
このサーボの立上り時に音が安定するのに、わずかな時間を必要とする。
だからポーズにしてディスクはつねに回転させた状態を維持するわけである。

Date: 5月 26th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その3)

今年一月にあるオーディオマニアのお宅に伺う機会があった。
バイアンプ駆動のシステムだった。

何枚かのCDを聴いて、気になるところがあって、
チャネルデヴァイダーのスロープ特性と極性の切り換えをいくつか試してみた。

できれば違うところを調整したかったのだけれど、私のシステムではないから、
スイッチで切り換えられる範囲であれば、元のポジションにすれば元に戻せるので、
この部分だけをいじってみた。

スロープ特性はハイカット、ローカット別個に指定できる。
ウーファーのハイカットを12dB/oct.で、上の帯域のローカットを18dB/oct.ということができる。
スロープ特性は12dB、18dB、24dBがあり、
ウーファーの正相・逆相、上の帯域の正相・逆相がそれぞれ指定できる。

最初はローカット、ハイカットとも12dB/oct.で、正相・正相、
その後に12dB/oct.のままウーファーを逆相、上の帯域を正相、
今度は12dB/oct.のままウーファーを正相、上の帯域を逆相、
さらに12dB/oct.のままでウーファー、上の帯域とも逆相にする。

同じことを18dB/oct.でもやる。
さらにウーファーのスロープ特性を12dB/oct.に、上の帯域のスロープ特性を18dB/oct.にして、
極性の切り替えを4パターン試していく。

今度はウーファーと上の帯域のスロープ特性を入れ替えて、
極性の切り替えをこれまた4パターンやっていく。

これで16通りの音を聴くことになる。
ほんとうは24dB/oct.の音も聴きたかったし、
12dB/oct.と24dB/oct.の組合せ、18dB/oct.と24dB/oct.の組合せも試してみたかったけれど、
あきらかに一緒に聴いていた人たちが退屈しているのがはっきりと感じられて、そこまではやらなかった。

Date: 5月 26th, 2014
Cate: 世代

世代とオーディオ(コンプレッションドライバーの帯)

コーン型、ドーム型ユニットを使ったスピーカーシステムからオーディオをスタートしても、
心には「いつかは大型ホーンとドライバーを組み合わせて……」という気持があった。
マニアならば、一度はホーン型を使うもの、
言い方をかえればホーン型を使いこなしてこそ、一人前のマニアという空気が確実にあった。

そんな空気の実感できたのは私ぐらいの世代が最後なのかもしれない。
いまでは中途半端に頭でっかちの人たちは、ホーン型なんて……、と否定する、
そんな空気を感じることがある。

ここではホーン型なのか、それともダイレクトラジエーター型なのか、
どちらが優れているのかを論じるわけではない。

ここで書きたいのはコンプレッションドライバーの、いわゆる帯のことについて、である。

JBLのドライバーにしろ、アルテック、ガウス、ヴァイタヴォックスなどの海外のドライバーだけでなく、
コーラル、マクソニック、オンキョーなどの国産のドライバー、
アルニコマグネットを採用したドライバーなら、ドライバーの後方に帯がはいっている。
たいていは銀色の帯である。

この帯がなければコンプレッションドライバーは黒い鉄のかたまりであり、
帯がはいっていることで見映えもよくなる。

けれどいうまでもなく、この帯は装飾のための帯ではない。

ダイアフラムがドライバー後方にあるタイプ(バックプレッシャー型)のダイアフラムを交換したことのある人、
もしくはカットモデルを見たことのある人ならば、
この帯が磁気回路のプレートであり、必然的にできるものだということを知っている。

つまりダイアフラムのボイスコイルは、この位置にあるわけで、
外側からボイスコイルの位置がすぐにわかるようになっていて、
ユニットを組み合わせてスピーカーを構築していく人にとって、
この帯はユニットの位置合せの目安にもなっていた。

既製品のスピーカーシステムだけを使っている人にとっては、
こんなことは知っていたからといって役に立つわけではないから、
以前では知らない方が恥ずかしかったのに、
いまでは知らない人の方が時として堂々としていたりする。

Date: 5月 25th, 2014
Cate: re:code

re:code(その5)

記事の本数が4300になった時点で、JBLの4300シリーズのことを書き始めた。
まだ書いている。もう少しというか、まだまだ書いていくことがある。

いま4350のことを書いている。
4350の音を思い出しながら、
4350でいま聴いてみたいレコード(録音物)のことを思いながら書いていて気づくのは、
JBLのスピーカーの音の特質について、である。

4350の音は、生よりも生々しい。生を超える迫真性とでもいいたくなるリアリズムがある。
それがいったいどういうところから来るものなのか、
レコード(録音物)を家庭で再生するという行為において、
このJBLならではの特質はどう活きてくるのか、どう捉えるべきなのか。

こんなことを考えていた。
そして、二年前に書いていたことが浮んできた。

re:codeについて、である。
これからどういうふうに書いていくのかはまったく決めていないし、わからない。
けれど、re:codeについて書く必要がある、ということは実感している。

Date: 5月 25th, 2014
Cate: audio wednesday

第41回audio sharing例会のお知らせ(試聴ディスクのこと)

いまJBLの4350について書いている。
その中でチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」のことについてふれたことで、
facebookで、このことが話題になった。
いくつかのコメントの中で、試聴ディスクについて知りたい、というのがあった。

最近では視聴と書く人が、少なくともインターネットでは多くなってきているが、
あくまでも試聴であり、試聴のためにかけるディスクを試聴ディスク、試聴LP、試聴CDという。

ステレオサウンドで働いていたから、かなりの数の試聴ディスクを聴いてきた。
それ以前、ステレオサウンドの読者だったころも、どんなディスクを使われているのかは非常に興味があった。

試聴ディスクとは、いったいどういうものなのか。
どういう基準によって、試聴ディスクを選ぶのか。

いわゆる優秀録音と呼ばれていれば試聴ディスクとして十分なのたろうか。

試聴といっても、例えばスピーカーやアンプの総テストでは、
かなりの数のスピーカーなりアンプを聴く。
そういうときに使うのも試聴ディスクである。

一方で新製品として登場してきたスピーカーなりアンプを聴くときに使うのも試聴ディスクである。

さらに試聴室でもいい、自分のリスニングルームでもいい。
あるシステムからいい音を抽き出すために調整していくために聴くディスクもまた試聴ディスクである。

試聴ディスクで、ひとつのテーマになる。

来月のaudio sharing例会では、この試聴ディスクをテーマにしようと思っている。

6月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。
時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 23rd, 2014
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(野獣死すべし)

昼ごろtwitterを眺めていたら、あるツイートが目に留った。
映画「野獣死すべし」で松田優作演じる伊達邦彦が自室で聴くスピーカーはJBL、というものだった。

「野獣死すべし」は観たことがなかった。
JBLが登場するのであれば観ておこう、とHuluのラインナップにあることは知っていたので、さっそく観た。

確かにスピーカーシステム、それもフロアー型が登場する。
38cm口径と思われるウーファー(コルゲーションつきのコーン紙はJBLによく似ている)、
それにスラントプレートの音響レンズがついている。
パッと見た目、JBLのスピーカーと勘違いする人がいるかもしれない。

「野獣死すべし」の冒頭でスピーカーは映っている。
部屋を流して映すシーンで、ぼんやりとだがJBLのスピーカーではないことはわかる。
オンキョーのScepter 500である。

Scepter 500は1977年11月に出ている。
38cm口径のウーファー、セクトラルホーンのスコーカー、スラントプレートの音響レンズつきのトゥイーター、
14kHz以上を受け持つスーパートゥイーター(ホーン型)の4ウェイである。
このScepter 500は、同時期のオンキョーのサブウーファーSL1が追加されている。

映画のなかほど、松田優作がスピーカーの前にうずくまり、音楽を聴くシーンがある。
ウーファーに耳をくっつけんばかりにしている。

「野獣死すべし」は1980年の映画だから、まだ登場していなかったスピーカーのことをいってもしかたないが、
このシーンによりぴったりのスピーカーは、同じオンキョーならば,1984年登場のGrand Scepterである。

オールホーン型の2ウェイシステム。
こう説明してしまうと、このスピーカーの音を聴いたことがない人は、
実際の音とは正反対の音を想像してしまうかもしれない。

Grand Scepterというスピーカーは、巨大なヘッドフォンともいえる。
しかも、私にはスピーカーの前にうずくまくるような聴き方に寄り添う音色のように感じている。
どこかうつむきがちな音という印象が、私には残っている。

だから、あのシーンに向いている、と思ったわけだ。
そして、そういうところはアクースタットのスピーカーの世界と共通するところがある、とおもっていた。

方式こそ大きく違えども、どちらもその方式での理想を追求しているところがある。
アメリカと日本から、1980年代に、このふたつのスピーカーは登場した。
そこに共通する世界があること。時代が要求する音だったのかもしれない。

Date: 5月 22nd, 2014
Cate: 「オーディオ」考

十分だ、ということはあり得るのか(その6)

このテーマを書く気になったのは、twitterで、
私のシステムでも、マーラーを聴くにも十分だ、というツイートを見たからだった。

私がフォローしている人が書いたことではなく、
私がフォローしている人がリツイートしたもの。

それを見た時に、いまも、こういうことを書く人がいるのか、が正直な気持だった。
いったいどういう人なのだろう、と、リツイート先の人のところを見てみた。

だが、マーラーを聴くにも十分だ、ということに関係するツイートはなかった。

まったく面識のない人の書き込み。
それも短い書き込み。
それゆえにあれこれ想像してしまい、このテーマを書くことにした。

マーラーを聴くにも十分だ、という人は、いったいどこまでのマーラーを聴いているのだろうか。

1947年録音のワルターのマーラーぐらいまでなのか、
1963年のバーンスタインのマーラーぐらいまでなのか、
1973年のカラヤンのマーラーぐらいまでなのか。
それとも最新録音のマーラーを含めての、「マーラーを聴くにも十分だ」なのかがはっきりしない。

おそらくこの人のいわんとしていることは、
自分は音ではなくマーラーの音楽を聴いている、だから最新の、大がかりなシステムでなくとも十分である、
そういうことを主張したいのだとは思う。

Date: 5月 21st, 2014
Cate: JBL, Studio Monitor, 型番

JBL Studio Monitor(型番について・余談)

D/Aコンバーターを自作しようと考えたことのある人、
そこまでいかなくとも市販のD/Aコンバーターの内部に興味のある人にとって、
シーラス・ロジック(CIRRUS LOGIC)の名前は聞いたことがあることだろう。

仮になかったとしても、CS8412といった型番は記憶のどこかにあるとおもう。

シーラス・ロジックはD/Aコンバーターのチップもつくっている。
このシリーズの型番は43ではじまる。
CS4341、CS4344、CS4345、CS4348、CS4350、CS4365と、
JBLのスタジオモニター4300シリーズの型番と重なるものがある。

こういう型番を見ると、単純に嬉しい。

シーラス・ロジックの場合、電子部品だからあまり馴染みはないだろうが、
ソニーの1970年代半ばの製品には、PS4350(アナログプレーヤー)、
TC4350SD(オープンリールデッキ)があった。

オーディオとはまったく関係ないけれど、4300シリーズの数字をよく見かけるものとして、
アメリカのドラマ「デスパレートな妻たち」がある。
登場人物が住む家には、それぞれ番地が大きく表示されていて、ほとんどが4300番台なのだ。
4355という家も登場する。

単なる数字でしかない。
シーラス・ロジックの製品が43から始まるのは単なる偶然だろうし、
デスパレートな妻たちの番地もたまたまなのだろう。
それでも、もしかすると……、と考えるのが馬鹿馬鹿しいのはわかっていても楽しかったりする。

Date: 5月 21st, 2014
Cate: audio wednesday

第41回audio sharing例会のお知らせ

6月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

テーマについて、後日書く予定です。
時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 18th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その3)

音は人なり、ということから、その人が鳴らす音は鳴らし手をうつす鏡であるということは、
ずっと昔からいわれ続けている。

鏡といえば、鏡ともいえよう。

だが鏡には、実のところ何もうつってはいない。
鏡が正面にある。
そこには自分の姿が映っている。

けれど鏡を斜めから見ている人と正面から見ている人とで、
鏡に見ているものは違っている。

鏡が映画のスクリーンのように何かを映し出しているのであれば、
正面の人も斜めの人も同じものを見れるはずだが、そんなことはない。
それが鏡である。

誰も鏡のほんとうの姿をみることはできない。

だから音を鏡にたとえることには完全には同意できないでいる。
でも、その反面、そういう鏡だからこそ、オーディオ(2チャンネル方式)の音と似ている、ともおもえてくる。

Date: 5月 16th, 2014
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(モーツァルトのレクィエム)

モーツァルトのレクィエムを聴きおわると、よくおもうことがある。

私達が聴けるレクィエムは、誰かの補筆が加わっている。
ジュースマイヤーであったり、バイヤーであったり、ほかの人であることもある。

モーツァルトの自筆譜のところと誰かの補筆によるところとの音楽的差違はいかんともしがたいわけだが、
ならばその音楽的差違をはっきりと聴き手に知らせる(わからせる)演奏が、
ハイ・フィデリティなのだろうか、と思う。

そこには音楽的差違がある以上、
それをはっきりと音にするのが演奏家としてハイ・フィデリティということになる──。

それでも思うのは、誰かの補筆が加わっていてもモーツァルトのレクィエムとして聴きたい気持があるからだ。
音楽的差違をはっきりと示してくれる演奏よりも、そうでないほうがいいとも思う。

Date: 5月 15th, 2014
Cate: 「オーディオ」考

十分だ、ということはあり得るのか(その5)

1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムであれば、
1963年録音のバーンスタインのマーラーも、
1947年録音のワルターのマーラーも過不足なく聴かせてくれる、といえる。

1963年録音のバーンスタインのマーラーを過不足なく聴かせるシステムは、
1947年録音のワルターのマーラーも過不足なく聴かせてくれるけれど、
1973年録音のカラヤンのマーラーとなると、必ずしもそうとはいえない。

1963年録音のバーンスタインのマーラーを過不足なく聴かせるシステムの中には、
1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムもあれば、そうでないシステムもある。

1973年録音のカラヤンのマーラーを過不足なく聴かせるシステムが、
1980年録音のアバドのマーラーを、1986年録音のインバルのマーラーを過不足なく聴かせてくれるとはかぎらない。

今日のマーラーを過不足なく鳴らせたとしても、
それは明日のマーラーを過不足なく鳴らせるという保証とはなり得ない。

レコード(録音されたもの)をオーディオを介して聴く、という行為には、常にこの問題がつきまとう。
これから先、どれだけ時間が経ち、技術が進歩しようとも、この問題がなくなることはまずありえない。