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WADAX Studio • Player Collection(その2)
若い世代のオーディオマニアにとって、音と風土の関係性については、あまり関心がないのかもしれないが、
私がオーディオに興味を持ち始めたころは、
音と風土について語られることが多かった。
ステレオサウンドも創刊15周年を記念して、
60号ではアメリカンサウンド、61号ではヨーロピアンサウンド、
63号ではジャパニーズサウンドを特集している。
私と同世代、上の世代であっても、この音と風土の関係について、そんなものはない、と否定する人もいる。
そんなことよりもブランドによる音の違いが大きいのだから、と。
このことは以前別項でも触れている。
音と風土の関係について気がついた人は、当時のオーディオ評論家だった。
このころのステレオサウンドのオーディオ評論家は、総テストで、
アンプやスピーカーシステムを何十機種も聴く。
この総テストが、音と風土の関係の発見につながっている。
音と風土の関係について否定する人は、総テストのような試聴を経験していない。
これはしかたないことであって、オーディオを仕事としている人でも総テストをみな経験できるわけではないのだから。
音と風土の関係ということでは、それが最もはっきり出るのは、やはりスピーカーである。
当時はCDがまだ登場していなかったから、カートリッジも、スピーカーに次ぐ、音と風土の関係を色濃く出してくれる。
しかもアナログディスクもそうであり、一度は、アナログディスクのプレスと同じ国のカートリッジで聴いてみたほうがいい。
アメリカ盤ならアメリカのカートリッジ、イギリス盤ならイギリスのカートリッジ、ドイツ盤ならばドイツのカートリッジというふうにである。
音と風土の関係について否定する前に、こういうふうに聴いていっていれば、ずいぶんと違ってきたはずだ。
そういう時代を、私は経ている。
B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その19)
これまで、ステレオサウンドのオーディオ評論家は、あれだけ高い評価をしていながら、誰もB&Wの800シリーズを使わないのか、と書いてきた。
B&Wのスピーカーシステムとしなかったのは、傅 信幸氏がNautilusを鳴らされていたからだ。
長いこと鳴らされている。
このままずっとNautilusなのか、それとも──があるのか。
あってもおかしくないな、とは思っていた。
Nautilusが登場して三十年ほどが経つ。
ついさっきFacebookを眺めていたら、あるリンク先が表示された。
そこには、こうあった。
*
オーディオ評論家・傅信幸先生が28年間愛用されたオリジナル・ノーチラス。純正チャンネルディバイダーと愛用のJEFF ROWLAND Model 304パワーアンプ×2台をセット販売します。
*
ハイファイ堂へのリンクだった。
Nautilusは登場以降、何度か値上がりしている。
傅 信幸氏が購入された三十年ほど前は300万円ほどだったのが、一千万円を超えている。
ハイファイ堂の値付けは強気だ。ジェフ・ロゥランドのパワーアンプと一緒とはいえ、なかなかの値付けだ。
買う人がいるだろうからの値付けなのだろう。
すでにハイファイ堂のウェブサイトに出ているということは、
傅 信幸氏のリスニングルームには、新しいスピーカーが導入されているわけだ。
12月発売のステレオサウンドの目玉記事は、これだろう。
もしかすると表紙も、そのスピーカーなのかもしれない。
WADAX Studio • Player Collection(その1)
二十年ほど前に、ある輸入元の社長に、
これからはスペインの時代だ、と言ったことがある。
スペインですか……、とまともに取り合ってくれなかったし、
事実、そのころは、このブランド、どうですか、と言えるだけのメーカーもなかった。
いまはどうかというと、WADAXがある。
WADAXというブランドを知るきっかけは、MQA対応ということからだった。
数年前に、だからブランド名義だけは目にしていた。その時は、WADAXのウェブサイトを見ることはしなかった。
なんとなくブランド名に、ピンとくるものがなかったから、というどうでもいい理由だった。
昨晩、ふとWADAXのこと、というよりブランド名だけを思い出した。
どんなMQA対応の機器を作っているのか、そのことだけを確かめよう、
それにもしかすると、もうMQA対応をやめているかもしれないから、そのことを確かめておこう──、
この程度の関心しか持ってなかった。
WADAXのウェブサイトを見た。
かなり個性的なメーカーだな、と製品の写真を見てまず思った。
それから目に入ってきたのは、Spainの単語だった。
そうなると関心のボルテージがあがってくる。
Studio • Player CollectionというCDプレーヤーがある。
SACDにも対応している。そして私がいちばん関心のあるMQAに対してだが、フルデコードである。
メリディアンのUltra DAC推しの私だけれど、CDプレーヤーは一体型を好ましく思う方だ。
音を聴いてしまうとUltra DACが単体D/Aコンバーターであることを認めるしかないわけだが、
それでもUltra DACの音のまま、一体型CDプレーヤー、
しかもSACD対応のモノがあれば、というおもいも持ち続けている。
もちろんMQA対応でなければならない。
Studio • Player Collectionが、どの程度の実力なのか。私は何も知らない。
それでもStudio • Player Collectionは、聴いたみたい。
決して安くない(かなり高価だが)、くり返すが聴いてみたい。
残念なことに、いまのところ日本に代理店はない。
audio wednesday (next decade) –第二十一夜(オイロダインとUltra DACで聴くワーグナー)
10月1日のaudio wednesdayは、シーメンスのオイロダインでワーグナーを聴くが、テーマとなる。
ワーグナーのみをかける。
9月の会と同じくデッカのリボン型トゥイーターとの組合せ。
アンプ類は変らないが、10月はデジタルでD/Aコンバーターは、やはりメリディアンのUltra DACである。
デッカを鳴らすまでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけるつもりでいたが、
9月の会の音を聴いていて、カラヤンの「パルジファル」に心が傾いている。
カラヤンの「パルジファル」が、Ultra DACの三種のフィルターによって、どんなふうに音が、表情が変るのか。
これ以外はない、と言えるほどぴったりくるフィルターは、三つの中にあるのか。
それによっては、たっぷりとカラヤンの「パルジファル」を鳴らす。
ステレオサウンド 236号(その2)
ステレオサウンド 64号から菅野先生の「ベスト・オーディオファイル訪問」が始まった。
十四年間続いた。
いまステレオサウンドには、黛 健司氏の「ベスト・オーディオファイルAGIN」が載っている。
菅野先生の「ベスト・オーディオファイル」はモノクロだった。
黛氏の「ベスト・オーディオファイルAGIN」はカラー。
「ベスト・オーディオファイル」のころは、「スーパマニア」があった。こちらもオーディオマニア訪問記事で、カラーの扱いだった。
「スーパーマニア」と「ベスト・オーディオファイル」は同じ訪問記事ではあっても、記事の色合いが違っていたから、
カラーとモノクロの違いがあって当然だった。
「ベスト・オーディオファイル」はその後、「レコード演奏家訪問」へと移行していく。
その「レコード演奏家訪問」も終り、「ベスト・オーディオファイルAGIN」が、その後を継いでいる。
そういう経緯があるから、昔の「ベスト・オーディオファイル」とは、色合いが違う。
昔の「ベスト・オーディオファイル」には、さまざまな人が登場している。
年齢の幅も広かった。二十代の人もごく普通に登場していた。
ちなみに早瀬文雄さんも、「ベスト・オーディオファイル」に登場されていた。本名の舘一男で載っている。
管球王国の休刊(その5)
管球王国の休刊についてあれこれ思っていて思い出すのは、
Vol.98掲載記事の「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」である。
この記事については、別項「二つの記事にみるオーディオ評論家の変遷」でも書いている。
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」の筆者は、傅 信幸氏。
傅 信幸氏はステレオサウンド 94号、150ページに、こう書かれている。
《よくコアキシャルは定位がいいとはいうが、それは設計図から想像したまぼろしだとぼくは思う。》
同軸型ユニットの特徴である音像定位のよさをまぼろしと思うのは、
人それぞれなのだから、傅 信幸氏と同じ意見の人もいることだろう。
同軸型ユニットにもいいモノがあればそうでないモノもあるし、
別項で触れているように同軸型ユニットの定位のよさは近距離の試聴で活きるものだ。
このことについて書いていると脱線してしまうので、これくらいにしておくが、
私が管球王国の編集者だったら、傅 信幸氏に94号のことについて訊く。
これをやるかやらないかで、「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」の面白さは大きく変る。
ステレオサウンド 94号から管球王国 Vol.98までは三十年ある。
この間に傅 信幸氏にどんな変化があったのか、なかったのか。
そういったことを含めて担当編集者が記事を作っていれば──、と残念に思うわけだが、
結局のところ、掲載された記事にとどまっている。
「魅惑の音像定位──最新・同軸スピーカーの真価」は、一例であるが、一例にとどまっているわけではない。
管球王国の休刊(その4)
管球王国が休刊になるのは、紙媒体のみでオンラインでは継続という指摘があった。
オンラインで継続ということは(その1)を書いた時点で知っていた。
でも、オンラインで、ということ以上のことはわからない。
いまkindle unlimitedでは、紙媒体の管球王国の電子版であり、
管球王国という雑誌そのものと変らぬものが読めるわけだが、
紙媒体の管球王国が休刊になった後でも、そうだとは思えない。
どんなふうに継続されるのかは、わからないが、
ステレオサウンド・オンラインで、管球王国編集部名義での投稿が中心となるのか、
管球王国に書かれてきた人たちの記事が、オンラインでこれからも読めるのか。
それともYouTubeでの動画を積極的に公開していくのか。
これまでの紙媒体と同じつくりのオンライン継続は、可能性は低そうだから、
私は「管球王国の休刊」とした。
オンラインに移り、紙媒体の管球王国よりも面白くなれば、創刊当時の姿勢を取り戻してくれれば、
「管球王国の復刊」というタイトルで書いてみたい。
快感か幸福か(白黒つけたがる人たち・その4)
四十年以上、オーディオをやってきていると、ここに来て感じているのは、
オーディオをやり続けていることそのものが幸福なんだ、ということ。
若いころに憧れたスピーカーやアンプを手に入れた、
手に入れたけど、なんらかの事情で手離した、
憧れは憧れのままで終ってしまった、
人それぞれだし、すべての憧れを手に入れた人はわずかなのだろうから、一人の中にもこれらが同居していることだろう。
昔はすごいオーディオ機器、人に自慢できるシステムで聴いていたのに、
いまでは、どんなシステムなのか、誰にも言えない──、
そういうことになっていても、オーディオを続けていることこそが幸福ということに、
いつか気づくはずだ。
好きな音楽を、いまの環境でひとり静かに聴いていけるのであれば、
そこに幸福を感じないのは、オーディオマニアではないのかもしれない。
オーディオをながくやってきて、幸福を求めてなのか、快感を求めてだったか。
若いころは快感を求めてきた人も、自然と幸福を求めるようになってくるように思う。
それでもずっと快感を追い求める人も少なくないようだ。
ソーシャルメディアを眺めていると、そう思う。
幸福を噛みしめることができない人が、世の中にはいる。
ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その25)
(その22)、それから別項でも触れているpost-truth。(その22)でも書いているが、
イギリスの英オックスフォード大学出版局が、
2016年、注目を集めた言葉として「post-truth」を選んだことはニュースにもなっている。
客観的な事実や真実が重視されない時代を意味する形容詞「ポスト真実」ということだが、
新しい誤解、誤記が、古くからの事実を書き換えていっているのも、post-truthといえる。
オーディオの世界でも、いくつもある。
増えることはあっても減ることは、もうないだろう。
こんなことを書くと、ソーシャルメディアのせいだ、と思う人がいるだろうが、
ソーシャルメディアばかりのせいではない。
post-truth = ミソモクソモイッショともいえる。
Hounds of Love
ケイト・ブッシュの五枚目のアルバム、“Hounds of Love”、今日(9月17日)で発売から四十年を迎える。
まずイギリス盤のLPを買った。それから12インチ・シングル盤も数枚出たから、もちろん買った。
CDも買った。
日本盤のタイトルは、「愛のかたち」だった。
歌詞の日本語訳も欲しかったので、日本盤も買った。
ひとつ前のアルバム、“The Dreaming”から一変したように感じたサウンド。
いろんなウワサが流れていたから、ジャケットのケイト・ブッシュ、
それからイギリス盤のLPの中に入っていた写真を見て、安心したものだった。
“Hounds of Love”は、“The Dreaming”とともに、私の青春の一枚である。
Siemens Eurodyn + Decca DK30(その6)
タイトルにも本文でも、デッカのDK 30としているが、
これは読まれている方がどんなトゥイーターか、イメージしやすいようにであって、
野口晴哉氏が使われているのは、
正確にはRomagna ReproducersのMK11HFである。
トゥイーターの裏面に、手書きでそう記してあるわけだが、おそらくMK11は、MK IIかもしれない。
つまりはデッカ・ケリーとも呼ばれるリボン型トゥイーターの原型のはずだ。
このRomagna ReproducersのMK11HFが、
いつごろ、どういう経緯からデッカ・ケリー(Decca Kelly)となり、頭文字のDK30となっていたのか、
そのへんの詳細は知らないが、MK11HFの造りはDK30よりもしっかりしている。
それでもシーメンスのオイロダインが隣にある環境で比較してしまうと、コンシューマー用だと思うしかない。
音の名前、音の命名
さっき思いついたこと。
名刀といわれる刀には、名前がある。
ならば音に名前があってもいいじゃないか。
命名することで、何か変化が生まれるのかもしれない。
エラック 4PI PLUS.2のこと(その19)
8月のaudio wednesdayでのエラックの置き場所は限られていた。
ウェスターン・エレクトリックな594Aのホーンとして使われているJBLの2395、その音響レンズ中央の窪みのところに置いた。
594A+2395をどかしてしまえば、エラックの位置の自由度はぐんと増すけれど、それはやりたくない。
そうなると、そこしかない。
しかもエラックは、正面を向けたわけではなく、90度ずらしての配置。
水平方向無指向性だから、いいといえばいいけれど、こんないいかげんな置き方なのか、と思う人もいるだろうが、
この位置で、この向きでしか置けない。
肝心なのは音であって、どうにもうまく鳴らないなのであれば、なんとかするつもりはあったが、
鳴らしてみると、昨年4月の会でのアポジーの時のように、大きな問題は感じられない。
だからといってエラックの場所はどこでもいいわけではなく、置き場所を選ぶのも事実だ。
このことは菅野先生が導入された時のことを、ステレオサウンドに書かれている。
今回は2395がエラックの後ろにあるということは、エラックの後方の音は、
2395のスラントプレートの音響レンズによって拡散されているはず。
これによる影響、音の変化を確かめるにはホーンを移動するしかない。
このことはいつか検証してみたい。
Siemens Eurodyn + Decca DK30(その5)
野口晴哉氏のオイロダインを鳴るようにしたのは、2024年5月。
オイロダインの裏側にはカバーがかけられていた。このカバーを外すと、少なくとも五十年以上、
野口晴哉氏が所有されてからだと、おそらく六十年くらいか、
それだけの月日が経っているとは思えぬほどのコンディションだということが、
見ただけで伝わってきた。
これは、今回、デッカのリボン型トゥイーターを鳴らすため、その結線のため、
オイロダインの裏側に回って、改めて実感していた。
オイロダインもデッカも、スピーカー端子はネジ式である。
このネジの状態が、まるで違う。
デッカの方は、長い年月が経っていていることを感じさせる。
そうだよなぁ、五十年以上経っているのだからと思いながら、
ネジを外して、端子まわりをきれいにしていった後で、オイロダインに目を向けると、
造りが違うとは、こういうことをいうのだな、と感心するほどに、輝きを失っていない。
ネジひとつとっても、メッキ処理が大きく違うのか、と思える。
劇場で、スクリーンの後ろという、決してスピーカーにとって、いい環境とはいえないところで、
連続して何時間も音を鳴らしていくスピーカーとしての造りが、そこにはある。
デッカは、そういう使われ方を想定したスピーカーユニットではない。
あくまで家庭用のスピーカーであって、お金を稼ぐためのスピーカーと同次元で比較するのが間違っているのはわかっている。
それでも野口晴哉氏のリスニングルームで、この二つのスピーカーが近接して取り付けられていて、それを間近で接すれば、どうしても比較してしまう。
オイロダインは、くたびれない。そう感じていた。