第31回audio sharing例会のお知らせ
今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。
テーマは、「オーディオ 真夏の夜の夢」をいまのところ考えています。
変更するからもしれません。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。
テーマは、「オーディオ 真夏の夜の夢」をいまのところ考えています。
変更するからもしれません。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
「オーディオ彷徨」は7月上旬に増刷されている。
5月30日に改訂版として出て、一ヵ月ほどでの増刷だから、売れていると見ていいだろう。
7月の増刷分では、問題の箇所は元通りになっている。
それがどの箇所なのかは、7月の増刷分とそれ以前の「オーディオ彷徨」とを読み比べてみればわかることだ。
だから、あえて、ここがこうなっているとは書かない。
不親切な、と思う人もいていい。
自分の目で確かめずに、私がここでその箇所を書いているのを読めば、それで充分という人がそうだろう。
そんな人にとっては、私が問題にしている箇所は、どうでもいいことなのかもしれない。
だから、あえて書かない。
どうしても、それがどこでどういうことなのかを知りたい人は、
すでに1977年に出た「オーディオ彷徨」を持っている人、
2013年5月30日に出た「オーディオ彷徨・改訂版」を持っている人も、
2013年7月に増刷された「オーディオ彷徨」を手にするはずだから。
一度でもいいから、「オーディオ彷徨」をしっかり読んでいる人であれば、
二冊を並べて比較しないでも、ここだ、とすぐにわかる。
そういう人は、私がなぜ、この書き換えをここで取り上げたのか、
その理由もわかっていただける、と思っている。
そして「オーディオ彷徨・改訂版」を担当者であるステレオサウンドのNさんも、
「どうでもいいこと」とは思われなかった人である。
Nさんが、1977年の「オーディオ彷徨」の書き換えをどうでもいいことと判断されたなら、
7月の増刷分は、そのままになっていたのだから。
6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終った翌日、
この書き換えに気がついたことをfacebookに書いた。
これについて、facebookグループのaudio sharingに参加されたばかりの、
ステレオサウンド関係者のNさんからのコメントがあった。
どの部分が書き換えられているのか、その子細については書かなかった。
だから岩崎先生の原稿、レアリテ、「オーディオ彷徨」と、
それぞれどういうふうに書かれているのか列記してほしい、とあった。
もっともなことだし、その三つを列記しなかったのは、
いずれ、このブログで書いていくつもりだったし、
このことにそれほど関心をもつ人もいないだろう、と勝手に思っていたからだった。
「オーディオ彷徨」の、その箇所、レアリテの、その箇所、
そして岩崎先生の原稿の、その箇所はスキャンして、Nさんへの返事とした。
そして、すぐにNさんからのコメントがあった。
そこには、増刷する訂正したいと思います、とあった。
これは二重に嬉しい驚きだった。
まずひとつは「オーディオ彷徨」の復刻版の売行きが好調だということ。
増刷する、と書かれるくらいだから、近々増刷の予定がある、ということである。
「オーディオ彷徨」が出た1977年と、2013年の現在とでは、
本の編集作業、印刷においても変化がある。
2013年の「オーディオ彷徨」はAdobeのInDesignによってなされている。
それにオンデマンド出版だと思う。少数発行に適しているから。
iPhoneの中にいれている「オーディオ彷徨」を開いて照らし合せる必要は、実はなかった。
それでも確認してみた。
この「一行」が書き換えられている。
それを確認した。
いくつものオーディオ雑誌に掲載された文章をあつめて一冊の本に仕上げる際には、
細部の手直しが加えられることはある。
だから書き換えられていること自体を頭から否定するわけではない。
たとえば五味先生の「オーディオ巡礼」。
森忠輝氏を訪問されたときの文章で、最後のところが削除があることに気がつく。
これなどは、オーディオ雑誌という性格、単行本という性格を考えれば、納得できなくはない。
でも、「オーディオ彷徨」の、その一行の書き換えは「なぜ?」という気持が強い。
意味は通じる。文章の流れがおかしくなっているわけでもない。
今回、片桐さんがレアリテを「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」の会に持ってこられなければ、
おそらく誰も書き換えが行われていたとは気づかずに、そのままになっていたはず。
それにしても、なぜ、このような書き換えを、「オーディオ彷徨」の編集を担当した人は、
当時(1977年)行ったのだろうか。
「オーディオ彷徨」に載っている文章、レアリテに掲載された文章、岩崎先生の手書きの原稿、
なぜ「オーディオ彷徨」で、あのような書き換えがなされたのか、その真意が理解できなかった。
岩崎先生の書かれた(残された)文章を、ただ読み物として楽しむだけの人にとっては、
この店の書き換えは、私がこんなに問題にしていることが理解できない、となるだろう。
でも岩崎先生の文章を読み解こうとしている者にとっては、
そのオーディオ機器が岩崎先生にとってどういう意味をもつのか、どういう存在だったのか、
そのことを知りたいとおもう者にとっては、理解できない、よりも、許せない、という気持がわいてくる。
6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」(四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記にて)に、
片桐さんが持ってこられたのは、岩崎先生の原稿と、それが掲載された雑誌、レアリテの1975年12月号だった。
こういう雑誌があったことも知らなかった。
正確に言えば思い出せなかったのだが。
この日「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」に来てくださった方に、
レアリテと岩崎先生の原稿を見てもらうために順番にまわしていた。
なのでレアリテに載っている写真だけを見ていた。
いくつものオーディオ雑誌をこれまでみてきているけれど、
オーディオ雑誌では見ることできなかった表情の岩崎先生が写っていた。
この写真はスキャンして、facebookにて公開している。
この記事のタイトルは、いままで見たことのないものだった。
だからてっきり「オーディオ彷徨」に未収録の文章だと思い込んでしまった。
「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終了して、電車での帰宅途中、
ひとりになってからレアリテをひっぱり出した。
「彼がその音楽に気づいた時」、
これがレアリテ12月号の岩崎先生の文章につけられていたタイトルだった。
読み始めた。
あれっ? と思った。最初の一行で気づく。
これは「オーディオ彷徨」で読んでいることに。
こういうとき「オーディオ彷徨」の電子書籍をつくって、iPhoneに入れていると便利である。
iPhoneをジーンズのポケットから取り出して、iBooksを起動して「オーディオ彷徨」を読む。
あの文章だと、記憶だけでわかっていたから、苦もなくそれが、
「仄かに輝く思い出の一瞬──我が内なるレディ・ディに捧ぐ」であるとわかった。
タイトルを変えていたんだ、
そのくらいの気持でレアリテに載っていた岩崎先生の文章を読み続けた。
最後のほうにきて、また、あれっ? と思った。
今度の「あれっ?」は最初の「あれっ?」とは違っていた。
そして、またiPhoneを取り出すことになった。
そうやって書き写す行為は、転写である。
転写は、複写と似てはいてもまったく同じことをさしているわけではない。
複写はcopy、転写はtranscription。
この項を書いていて、転写(transcription)がキーワードとして浮んできた。
オーディオは、まさしくtranscriptionである。
そういえば1970年代に、Transcriptors(トランスクリプター)というアナログプレーヤーのメーカーが、
イギリスにあった。
Hydraulic Reference Turntable、Round Table、Saturn、Skeletonといったプレーヤー、
Vestigalといったトーンアームを開発していた。
どれも、かなり個性の強い製品だった。
使いこなしも難しい(癖のある)製品だった、ときいている。
一度使ってみたいプレーヤーではあるけれど、なかなかお目にかかる機会もない。
トランスクリプターの製品には興味を持っていたけれど、
これまでブランド名に、特別な関心をもったことはなかった。
けれど転写(transcription)という言葉がひっかかっているいま、
Transcriptors(トランスクリプター)という名前、なかなか面白いと思えてきた。
ここでは、これ以上トランスクリプターのプレーヤーについてはふれないが、
転写(transcription)と「きく」との関係について考えていくことになるはずだ。
なぜ人はそうまでして本を「読む」のか。
私たちは印刷された本が書店に行けば買える時代に住んでいる。
絶版になった本でも図書館に行けば読むことができる。
図書館の規模によっては置いてない本でも、
より規模の大きな図書館、日本では最終的には国会図書館に行けば、たいていの本を読むことはできる。
それに一冊まるごとのコピーは無理でも、部分コピーは可能である。
さらには著作権の切れた作品に関しては、青空文庫に代表されるサイトで公開されているので、
作者の死後50年を経過した作品ならば、相当数読むことができる。
だが印刷技術が生れる前、
印刷が生れてからでもここまで普及するまでの時代に生きてきた人は、
本は貴重品であった、ときいている。
だからそういう本を借りてこれたら、書き写す。
一文字一文字を書き写す、という行為は、やってみるとわかる。
じつにしんどい。
私も一度、小林秀雄の「モオツァルト」を書き写したことがある。
原稿用紙を買ってきて、一文字一文字書き写していった。
これは、瀬川先生がそうされていたから、それを真似たわけだ。
自分で考えて文章を書くのとは違う。
書きあぐねることはないけれど、それだけにしんどい、と感じていた。
キーボードを使って文字を入力するよりも、ずっとしんどかった。
腕がだるくなってきて、途中でやめようかな、と思いもした。
「モオツァルト」は短い。
短い文章であっても、書き写すという作業をやってみると、
本を「読む」という行為が、ずっと以前はどういうもの・ことであったのか、
完全ではないものの想像がつく。
これまで自分でつかってきたアンプやスピーカーの数からしたら、
チューナーの数はほんのわずかでしかない。
高校生の時のトリオの普及型、それからマッキントッシュのMR71。
このあとはずっとチューナー不在の時期が続く。
もう30年近くになる。
Exclusive F3は私にとって三台目のチューナーである。
ステレオサウンドで働いていたとはいえチューナーと接する機会は、
他のオーディオ機器とくらべると圧倒的に少なかった。
これも数えるほどしかない。
友人、知人のリスニングルームでチューナーを見かけたのも、ほとんどない。
ここでチューナーについて書いているけれど、
これから先チューナーとのつきあいが急激に変化を迎えるとは思えない。
アキュフェーズのT104とExclusive F3を並べてみたい、とおもっていても、
なんとかして実現しよう、という情熱はあまりない、というのが正直なところ。
誰かがT104を持っているのであれば、
Exclusive F3を抱えてそこまで出向き、並べて置いてみたい、
そこまではする気はあってもだ。
おそらくT104の音を聴くことはないと思っている。
これまでも聴く機会はなかった。
だからT104の音については、ステレオサウンドに載った文章から判断・推測するしかない。
49号の新製品紹介で井上先生が、
59号のベストバイの中で瀬川先生が書かれているくらいである。
井上先生は「受信チェック時の音質も今回試聴したチューナーのなかでトップランクである。」と、
瀬川先生は「最近の同社の製品に共通の美しい滑らかな音質が魅力だ。」と書かれている。
おそらくT104の音は、Exclusive F3と同系統の音なのだと思えてくる。
43号に瀬川先生がExclusive F3について書かれていることが、そのままT104にもいえるのかもしれない。
「繊細で、ややウェットではあるが、汚れのない澄明な品位の高い音」、
だからこそ、よけいにT104が瀬川先生のチューナーのデザインに対する答でもあるし、
Exclusive F3のデザインへの要望でもあるとおもえてくるのである。
真空管ならばマランツのModel 10B、
ソリッドステートならはセクエラのModel 1がチューナーとしては別格だとは思っている。
使い切れないほどの資産がもしあったとしたら、どちらかは手もとに置いときたい、ぐらいには思うけれど、
現実にはそんな資産などないから、
それにそこまでチューナーに対する情熱もない私にとっては、
ヤマハのCT7000が、GKデザインによるヤマハの製品の傑作だと思うから、欲しい気持はある。
あと欲しいチューナーとして思いつくのは、ウーヘルのEG740という小型のモデルだ。
CR240というポータブルのカセットデッキがあった。
EG740はCR240と同寸法のラインナップとして、1980年代に発売になった。
いわゆる小型コンポーネントである。
電源部は外付けだから、実質的にはCR240よりも大きくはなるものの、
正面からみればフロントパネルはCR240とぴったりくる。
理想をいえばEG740の大きさで、セクエラに匹敵する音が出てくれればいいのだが、
技術の進歩がどれだけあっても、それは無理というものだろう。
そういえばと思い出すことがある。
黒田先生のリスニングルームである。
アポジーのDiva、チェロのEncoreにPerformanceの組合せ、
アナログプレーヤーはパイオニアのExclusive P3という、
小型のオーディオ機器とはいえないものの中に、
チューナーだけがテクニクスのコンサイスコンポのチューナー、ST-C01が置いてあった。
最初気がついたときは、あれっ? と思ったけれど、
EG740でいい、と思う私は、なんなとなく黒田先生の気持がわからないわけでもない。
そんな私だから、フルサイズのチューナーを二台、目の前に置きたいわけではない。
それでも、いまExclusive F3のとなりにアキュフェーズのT104を並べたいのは、
T104が瀬川先生のチューナーのデザインに対する答でもあるし、
Exclusive F3のデザインへの要望でもあるとおもえるからである。
瀬川先生が、パイオニアのExclusive F3の音が気に入られていることは、
ステレオサウンドを読んできた者としてわかっていた。
アキュフェーズのコントロールアンプ、C240が瀬川先生のデザインだときいたとき、
パワーアンプのP400もチューナーのT104も、そうなのだと思っていた。
でもこのふたつのことが私のなかで結びつくことはなかったまま、いままで来てしまった。
岩崎先生が使われていたExclusive F3が私のところに来て一週間。
こうやって毎日ブログを書いているとき、視線を少し上に向けると、
1mちょっと先に置いているExclusive F3が目に入る。
毎日しげしげと見ているわけではないが、
ふと次のフレーズを考えているとき、指が止ってしまったとき、
Macのディスプレイから目をそらしたときに見ているのは、この一週間は、Exclusive F3だった。
瀬川先生は、Exclusive F3のデザインのどこが不満だったのか、をおもっていた。
Exclusive F3だけ1975年の発売で、Exclusive C3、M4などは1974年である。
開発が始まったのは同時期なのかもしれない。
Exclusive F3だけが完成が遅れた、と考えることもできる。
とにかく発売時期の違いは、デザイナーの違いにもなったのかもしれない。
とはいえ同じExclusiveシリーズとして、
パイオニアとしてはデザインでの統一感を出そうとはしなかったのだろうか。
その結果がExclusive F3のデザインなのだろうか。
こんなことばかり思って、Exclusive F3を眺めていたわけではない。
ウッドケースの艶がなくなっているから、手入れをしなければ……。
どうやって手入れしよう……とか、まだパネルのあそこをクリーニングしなければ……、
そんなことも思っている。
そして、できればExclusive F3の横にアキュフェーズのT104を置いて、
しばらく眺めてみたいな、とも思っている。
目は、見るための器官であるから、
本を目で読むことは、身体的に負担があることにはならない。
老眼になってくると本を離して読む必要があるとか、
加齢によって読みづらくなることはあるけれど、
目で本を読むことは、負担の少ない「読む」である。
点字を指先でなぞっていくことは、
指先への集中が要求されることだと思う。
最近ではエレベーターの階数表示、開く、閉じるのボタンなど、
点字にふれることが多い。日常風景になっている、ともいえる。
ときどき、そういう点字を指で判読しよう、と、
目をつむりゆっくり触ってみる。
エレベーターの中にある点字だから、数字である。
1とか2とか、一桁の数字であっても、いきなり点字を視覚情報なしに判読しようとすると、
こんなにも神経を集中させる必要があるのか、と思うし、
たったひとつの数字の判読だけでこれだけ大変だということは、
本を一冊、点字で読むことの大変さに、もしそうなったときに、果して読み通せるだろうか……、と。
馴れれば少しは違うのかもしれない。
でも点字を指先で読みとっていくことは、そうとうにしんどいことのはずだ。
長時間、いくつもの点字を指先でなぞっていく体験はまだない。
指先は、これだけの点字を一度になぞっていけるのだろうか。
指先で本を読むことは、目よりも負担の多い「読む」である。
舌読となると、その大変さは想像できない。
一冊の点字の本を読むのに、どれだけの時間がかかるのも私は知らない。
目で読むよりも時間がかかるだろうぐらいしか想像できない。
本を一冊読み終るまでの時間、指先以上に舌は耐えられるのだろうか。
舌読では舌から血が出ることもある、と知った。
それでも本を読み続ける、ということも。
どれだけ負担の多い「読む」なのだろうか。
頭をかすめることが多くなってきたことは、
オーディオについて、あれこれ思索することの楽しみを放棄している人が増えている気がする、ということだ。
これは世代には関係あるようで、実はないようにも思えてきた。
私と同じ時代、それよりも前の時代のステレオサウンドを読んできた人でも、
いつのまにか思索する楽しみから離れてきているのではないのか。
先日もそう感じたことがあった。
直接的なことではなかった。
あることについて訊ねられて、それについて答えた。
そして、なぜそうなのかについて説明しようとしたら、
それについてはまったく耳を貸そうとされない。
ただ答だけが、その人は欲しかったわけである。
なぜそうなるのかについては、多少とはいえ技術的なことを話さざるを得ない。
訊ねてきた人にとっては、そんな技術的な細かなことはどうでもよくて、
ただ答がわかれば、それで用事は済むわけだ。
それが効率的といえば効率的という考え方はできる。
とはいえ、答だけを知っていても……、と私は思う。
何がいいのか、何が正しいのか、
その答だけを知りたいから、お金を出して本を買う。
そういわれてしまうと、私が読みたいと思っているオーディオの本、
私がつくりたいと思っているオーディオの本は、面白くない、ということになっても不思議ではない。
答がすべて、答がすべてに優先する。
正しい、確実な答をはっきりと提示してほしい、という読者が多数になれば、
編集者はそういう本をつくっていくしかないのだろうか。
むしろ逆かもしれない。
そういう読者を増やしていく方が、本づくりは楽になる。
ステレオサウンド 43号の「私はベストバイをこう考える」から読みとれる菅野先生と井上先生の、
ベストバイ(Best Buy)、この誰にでも意味が理解できると思えることについて考え方の違い、
そして重なるところ、このへんについて書いていくと本題から外れていくので、このへんにしておくが、
とにかく、この時代のステレオサウンドは、読者に考えさせる編集だった。
それが意図していたものなのか、それともたまたまだったのかははっきりとはしない。
けれど読者にとっては、内部のそんな事情はどうでもいい、といえる。
面白く、そしてオーディオについて、オーディオに関係するさまざまなことについて、
考えさせてくれる、考えるきっかけ、機会を与えてくれる本であれば、なにも文句はいわない。
私は、そういう時代のステレオサウンドを最初に読んでいままで来た。
だから、いまもステレオサウンドに、そういうことを求めてしまう……。
けれどそういう時代のステレオサウンドを読んでこなかった読者にとっては、
ステレオサウンドに求めるものが、私とは大きく違ってきても当然である。
私は、いまのステレオサウンドを、そういう意味での面白い、とは思わないけれど、
私とは大きく違うものをステレオサウンドに求めている人にとっては、
いまのステレオサウンドは面白い、ということになり、
私がここで書いていることは、旧い人間がどうでもいいことを言っている、ということになろう。
編集者も旧い人間ばかりがいては……、ということになる。
組織を若返らせるためにも、血を入れ換えるように人を採用する。
その採用された人が、そういう時代のステレオサウンドではなく、
そういう時代の良さを失ってしまった時代のステレオサウンドを読んできた人であれば、
そういう時代のステレオサウンドの良さを読者に届けるのは、もう無理なことかもしれない。
極端なことをいえば、
アナログディスクの溝を目でトレース、もしくは指でなぞっていくことで、
そのレコードに刻まれている音を感じとれたり、
CDの、あの細かなピットを、なんらかの手段で拡大して見ることで、
そのCDに刻まれている音を感じとれたりすることが、仮にできたとしよう。
それが本を目、指、そして時には舌でトレースして読むことと同じといえるだろうか。
オーディオ機器という機械(朗読者)を介することなく、
レコードの内容を知るという意味では、本をトレース(読む)ことと同じといえなくもないわけだが、
私にそんな特殊な能力が備わったとしても、
その特殊な能力を使って、レコードの溝、ピットをトレースして音楽を聴きたい、とは思わないし、
そうやることが、本を読むことと同じとはどうしても思えない。
ならば、そんな極端なことではなく、クラシックなら楽譜を見ればいいではないか、
音符を目でトレースしていくことで、頭の中に音楽を思い浮べる──、
これこそが本をトレースする意味での、音楽をきく、ということになる。
そんなことをいう人もいても不思議ではない。
だが、これも「本を読む」ことに人がそこまでなれる、という意味での行為とは、私には思えない。
だから、なぜ、思えないのかを問うていくしかない。
そして、改めて音楽を「きく」ことの難しさを考えている。
ステレオサウンドがある六本木にWAVEができるまでは、
レコードの購入といえば、銀座だった。
コリドー街にあったハルモニアでよく買っていた。
それから山野楽器にもよく行った。
田舎に住んでいたころ、まわりにあったのは国内盤のLPばかりだった。
輸入盤にお目にかかることはまずなかった。
そんなことがあったからだと自分では思っている、
東京に住むようになり、輸入盤のLPを買うという行為は、
どこか晴れがましい感じがあった。
東京生れ、東京育ちの人の銀座に対する感覚と、
田舎育ちの銀座に対する感覚はずいぶん違うのではなかろうか。
いまの若い人にはそういう違いはないかもしれない。
でも、私のころ(少なくとも私)にはあった。
東京の中でも、銀座は、やはり特別なところだった。
その特別なところにあるレコード店で、それまでの田舎では買えなかった輸入盤を、
それこそお金さえあれば、いくらでも買うことができる。
お金がなくとも、ただ見ているだけ、触れるだけでも、
国内盤のLPのときとは何か違うものを感じていた。
そんな私も、六本木に、大資本によるWAVEができてからは、
銀座にレコードを買いに行くことがめっきり少なくなった。