Date: 7月 27th, 2013
Cate: きく
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舌読という言葉を知り、「きく」についておもう(その6)

目は、見るための器官であるから、
本を目で読むことは、身体的に負担があることにはならない。
老眼になってくると本を離して読む必要があるとか、
加齢によって読みづらくなることはあるけれど、
目で本を読むことは、負担の少ない「読む」である。

点字を指先でなぞっていくことは、
指先への集中が要求されることだと思う。
最近ではエレベーターの階数表示、開く、閉じるのボタンなど、
点字にふれることが多い。日常風景になっている、ともいえる。

ときどき、そういう点字を指で判読しよう、と、
目をつむりゆっくり触ってみる。
エレベーターの中にある点字だから、数字である。
1とか2とか、一桁の数字であっても、いきなり点字を視覚情報なしに判読しようとすると、
こんなにも神経を集中させる必要があるのか、と思うし、
たったひとつの数字の判読だけでこれだけ大変だということは、
本を一冊、点字で読むことの大変さに、もしそうなったときに、果して読み通せるだろうか……、と。

馴れれば少しは違うのかもしれない。
でも点字を指先で読みとっていくことは、そうとうにしんどいことのはずだ。
長時間、いくつもの点字を指先でなぞっていく体験はまだない。
指先は、これだけの点字を一度になぞっていけるのだろうか。

指先で本を読むことは、目よりも負担の多い「読む」である。

舌読となると、その大変さは想像できない。
一冊の点字の本を読むのに、どれだけの時間がかかるのも私は知らない。
目で読むよりも時間がかかるだろうぐらいしか想像できない。

本を一冊読み終るまでの時間、指先以上に舌は耐えられるのだろうか。
舌読では舌から血が出ることもある、と知った。
それでも本を読み続ける、ということも。

どれだけ負担の多い「読む」なのだろうか。

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