Archive for category テーマ

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(続々エイブルのこと)

これから先、輸入元、メーカーが修理を受け付けてくれない状況になったら、
エイブルに修理を依頼することだけは、はっきりといえる。

誤解されないように書いておくが、エイブルの修理が完璧というわけではない。
ここでの完璧とは、オリジナル至上主義者が求める完璧である。
とにかくオリジナルと同じ部品で修理してなければ、それだけでクレームの対象とする人は、
他のところに依頼した方がいいだろう、もしくは自分で修理すべきだ。

エイブルのサイト、ブログにも、
部品の代用品がないものは直せない、とはっきりと書いてある。
エイブルは信頼できる修理を行うために、いいかげんな修理は請けない、と私は受け取っている。
とにかくエイブルに修理に出そうと思ったなら、エイブルのサイトをきちんと読んでほしい。

それにモノによってはいくつかの制約が生じることもある。
それに評判がいいようで、修理の依頼がかなりあり、いまでは修理に着手するまでに時間がかかることもある。
だから、修理に出したからすぐに直って戻ってくることを望む人は、他のところがいいだろう。

けれど、他のところと書いているけれど、信頼できる修理を行ってくれるところで、
修理に出した、すぐに直ってくる、なんていうところがあるだろうか。
たまたま空いていてすぐに直してくれることだってある。

けれど確かな技術をもつところであれば、個人ユーザーからの依頼だけでなくオーディオ店からの依頼もある。
いまオーディオ店がどこに修理を依頼しているのか。
それを調べてみれば、どこに出したらいいのかは定まってくる。

だから私はエイブルをすすめている。

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(続エイブルのこと)

実を言うと私自身はエイブルに修理を依頼したことはない。
だからエイブルだったら間違いない、と断言することはできない。

けれどエイブルに修理を依頼したことのある知人の話、
エイブルに修理に出したことのある人を知っている人からの話はいくつか聞いている。
みな満足している、ということだった。

修理の技術だけではなく、実際のやりとり、修理費用なども納得のいくものだったと聞いている。
いまのところエイブルに関して、悪い話は聞いていない。

これだけだったら、ここでエイブルの名前を出して書こうとは思わなかった。
けれどエイブルのサイトで現住所を見て、書こうという気になった。

エイブルは最初は所沢だった、と聞いている。
近辺によく似た名前のオーディオ店があるけれど関係はない、とのこと。
その後、エイブルは天草に移転している。

エイブルのトップページには「工房環境の良さから天草に店舗を移し」とある。
これでエイブルは信用できる、と思った。
オーディオとは直接関係のないことで、そう思えるほど天草(熊本県)は実にいいところだ。

私が熊本県出身ということも関係している。
それだけでなく、天草には小学二年の夏休み、長いこと滞在していた。
ひどい喘息だった私は、同じように酷い喘息持ちだった友人と、その夏、天草の喘息学級に参加した。

友人の父親の運転する車に乗って、天草五橋を渡ったときのことは、いまもはっきりと憶えている。
私にとって天草の海が初めて見た海だった。
それまで写真やテレビ、映画などで見ていた海は、こんなにもきれいなのかと子供心に思っていた。
そのためか、私にとっての海は天草の海がつねに基準としてあり、
その後行った福岡の海にはがっかりしたし、東京の海には最初から期待していなかったものの、
それでもこんなに違うのかと思っていた。

環境の良さを求めてどこを選ぶのか。
エイブルは天草を選んでいる。
これは大事なことである、少なくとも私にとっては。

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(エイブルのこと)

別項「輸入商社なのか輸入代理店なのか」でも書いてるように、
オーディオ機器の修理の問題に悩んだことのない人は少ないだろう。

愛着のあるオーディオ機器を長く使っている人ほど、
修理をどこに依頼したらいいのか、悩んでいるはずだ。

輸入オーディオ機器で正規代理店での修理に不安がある場合。
本来こんなことはあってはならないはずなのに、
現在ではいくつかの輸入元の修理は問題があるように聞いている。

修理に出して直らないのは問題外なのだが、
中途半端な修理がされ、使っているうちに症状が悪くなることもある。

それに輸入オーディオ機器は日本に輸入元がなくなってしまったブランドもいくつもある。
基本的には元の輸入元に修理に出すわけだが、
輸入をやめて数年ならいいが、けっこうな年月経っていれば受けつけてくれなくなる。

国産オーディオ機器も同じようなものだ。
どんなに古いモノでも修理をしてくれるメーカーもあるが、数は少ない。
どんなメーカーでも製造中止になって数年で受けつけてくれないと思っていた方がいい。

ただそんな場合でも、メールではなく電話で丁寧に頼むことで、
可能な限りという条件つきではあるが、修理をしてくれるメーカーもある。
そういうメーカーでも、モノによって受けつけてくれないことがある。
それはしかたのないことだ。

それに輸入品も国産品も、すでにメーカーがなくなってしまっている場合もある。

こんなふうに、メーカー、輸入元が修理を受けつけてくれない、
もしくはその修理技術に不安がある。
そうなると、自分で修理できる人・場合以外は、修理専門業者に依頼することになる。

ずっと昔はそういう業者も少なかったし情報も乏しかった。
いまは業者の数も増え、インターネットの普及で情報も集めやすい。

とはいえ、どこの業者を選んだらいいのか、と悩むことになる。
ここに出してうまく直らなかったら、別の業者に……。
とんなことをくりかえしていたら、きちんと修理できたモノでも直らなくなる可能性も生じる。
最初から信頼できるところに依頼したい、とほとんどの人が思っているはず。

スピーカーならば、昨年、岩崎先生が愛用されていたエレクトロボイスのエアリーズを依頼したところ、
オーディオラボオガワがある。
このことに関しては「オリジナルとは(あるスピーカーの補修)」に書いている。

ではアンプはどうしたらいいのか、どこに出したらいいのか、とたずねられたら、
エイブルをすすめている。

Date: 5月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(その1)

スピーカーの使いこなしに定石はない。
瀬川先生が何度もくり返されていることである。
そうだ、と思う。

定石といえることがあるとすれば、ガタツキなくしっかりと設置することぐらいで、
その他に関しては定石はない、と思って取り組んだ方がいい結果がえられるのではないだろうか。

スピーカーは左右の壁、後の壁からも十分に距離をとって設置した方がいい。
そう言う人が多い。
けれどこれだって定石とはいえない。
部屋とスピーカーシステムとの関係性で、
それにその環境下で音楽を聴く人によって、壁に近づけた方がいい結果が得られることもある。

だからとにかく思いつく限りあれこれ試してみるしかない。

たとえばスピーカーの下の置き台。
私がオーディオを始めたころは、いまのようにオーディオ専用スタンド(置き台)はないに等しかった。
だからブックシェルフ型スピーカーの置き台はコンクリートブロックが一般的だった。
ホームセンターで売っているコンクリートブロックである。

大きな穴があって、密度の高いコンクリートでもないから、重量はさほと重くはない。
そのためか、いつのころからかコンクリートブロックは音の悪い置き台というふうに見られるようになった。

でも、このコンクリートブロック。
ほんとうにそんなに音が悪いと断定できるのか。

私もコンクリートブロックを最初は使っていた。
わざわざ買いにいかなくとも家にあったということもある。

いま思うとそんなに悪くなかったような気がする。
それでも東京で暮らすようになってから自分で使うことはなかった。
見た目が部屋にそのまま置くようなモノではない、ということもあってだ。

そうやっていつしか私の頭の中からは、
スピーカーの置き台としてのコンクリートブロックの存在は消えかかろうとしていた。
けれど10年ほど前に、ある方のところで、
「結局コンクリートブロックがいちばん良かった」という話を聞いた。

そこで鳴っていた音を聴けば、納得せざるを得ない。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 書く

毎日書くということ(続・最近考えていること)

そんなことを考えていたところに、ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)を読んだ。
ここにも「オーディオの素晴らしさ」とある。

編集長の染谷氏の文章の冒頭に、「オーディオの素晴らしさ」とある。
《オーディオの素晴らしさを読者に向けて発信し続けます。》

ほんとうだろうか、と問い正しくなる。
いまのステレオサウンドの誌面から「オーディオの素晴らしさ」が伝わってくるだろうか。
まったくないとはいわないけれど、その多くはオーディオの素晴らしさというよりも、
そこに登場するオーディオ機器の素晴らしさではないのか。

オーディオ機器の素晴らしさは、オーディオの素晴らしさを語ることもある。
けれど、オーディオの素晴らしさを必ずしも語っているとはいえない。

「そんなこまかいこと、どうでもいいじゃないか、気にしすぎだ」といわれようと、
これはとても大事なことだと私は思っている。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 書く

毎日書くということ(最近考えていること)

書くためには、問いかけが必要となってくる。
いまこんな問いかけをしている。

誰かに「オーディオっておもしろいですか」ときかれたとする。
「面白い」と即答する。
その答をきいて質問者は「オーディオの面白さってなんですか」と質問してくるであろう。

オーディオの面白さとはなんだろう……、とここで考え込む。

同じような質問で「オーディオって素晴らしいですか」もある。
もちろん「素晴らしい」と即答する。
すると、ここでも「どう素晴らしいのですか」とまたたずねられる。

ここでも考え込まざるを得ない。

答えようと思えば、言葉は出てくる。
でも、その言葉が、オーディオの面白さ、素晴らしさを的確に表現できるかということに自信がもてない。

毎日、ブログを書いていても、いざそんな質問を投げかけられたら考え込む。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(余談)

別項でふれたステレオサウンドのPDF
ファイル名がstereosound_mediaguide_140401となっているから、
これからはステレオサウンド・メディアガイド(PDF)と表記していく。

ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)にも「付加価値」が登場している。
読者プロフィールの説明文に「高付加価値への千里眼」とある。

この読者プロフィールの説明文は、誰が書いたのだろうかとつい詮索したくなる文章である。
それにしても高付加価値とは、いったいなんなのだろうか。

説明文には、高付加価値のあとに、こう続いている。
《商品の歴史や伝統、デザイン、質感、実用性にもこだわりをもつ。》と。
ということは商品の歴史や伝統、デザインを、ここでは高付加価値と定義しているのか。
だとしたら、甚だしい認識不足とひどい勘違いとしかいいようがない。

いったい、いまのステレオサウンド編集部は、付加価値をどう捉えているのだろうか、と心配になってくる。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その2)

ステレオサウンドの恒例企画となっているベストバイ。
昔は今と違い、評論家の選ぶベストバイコンポーネントだけでなく、
読者の選ぶベストバイコンポーネントも掲載されていた。

このころのステレオサウンドには毎号アンケートハガキがついていた。
ベストバイ特集号のひとつ前の号には、ベストバイコンポーネントの投票ハガキとなる。

ステレオサウンド 47号(1978年夏号)をみてみる。
年齢分布の棒グラフがある。

10〜15才:5%
16〜20才:15.7%
21〜25才:28.9%
26〜30才:29.4%
31〜35才:9.6%
36〜40才:5.7%
41〜45才:3.9%
46〜50才:1.9%
51〜55才:1.1%
56〜60才:0.5%
61才以上:0.2%
無記入:1.2%

この結果をみるかぎり、中心読者は若い世代といえる。
とはいえこの結果はベストバイコンポーネントに投票してきた読者であり、
ステレオサウンドがクライアント用につくったPDFとは調査方法も違うのだから、
このふたつの結果を照らし合せて、どれだけ正確なことがわかるのかはなんともいえない。

それでも若い世代の比率が減ってきていることはいえるのではないか。
47号はいまから37年前のステレオサウンドだから、
全体の約60%をしめる21〜30才の人たちは、いまでは58〜68才ということになり、
2014年の調査結果の年齢分布とほとんど一致している、とみることもできる。

少なくともどちらの結果もステレオサウンドの読者を対象としたものである。
やはり若い世代のオーディオマニアは減っているのか。
ステレオサウンドを読む若い人は減ってきていることだけは確かなようだ。

Date: 5月 2nd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その1)

エラック、オラクルの輸入元であるユキムが、学割キャンペーンをやっている。
対象となるブランドはエラックとオーラデザインであり、
高校生以上の学生ならば、指定されたオーディオ販売店では35%の割引がうけられる。
ヨドバシカメラ、ビックカメラなどの量販店では25%の割引+10%のポイント。

オーディオ専門店で買っても量販店で買っても、実質的に定価の65%で購入できるわけだから、
学生にとってはたいへんありがたいキャンペーンである。

しかも通信販売には適用されないというのも、いい点だと思う。
とにかくオーディオ専門店、量販店に足を運ぶ必要があるからだ。

この学割キャンペーンは4月1日から始まっているが、いつまでなのかはユキムサイトには表記されていない。
好評であれば長く続けてくれるのだろうか。
こゆユキムの学割キャンペーンがうまくいけば、同じことを始める輸入元も出てくることだってあろう。

ユキムが、なぜ学割キャンペーンを始めたのか、
その理由はわからない。
若いオーディオマニアが減っている・少ない、とはよく耳にするようになってた。
思うに、これから先細りしていくのを指をくわえてみているわけにはいかない。
少しでも積極的になんらかの手を打とうということなのか。

では、ほんとうに若いオーディオマニアは、昔よりも減っているのだろうか。
そのことを示すなんらかの調査結果がないのかと検索してみた。
そして見つけたのが、ステレオサウンドがクライアント(広告主)用につくったと思われるPDFだ。

このPDFのファイル名をみると、2014年4月の時点の資料と思われる。
この資料の読者プロフィールにある年齢構成比をみると、たしかに若い世代の比率はかなり低い。
30歳未満はわずか5%である。

Date: 5月 1st, 2015
Cate: audio wednesday

第52回audio sharing例会のお知らせ(続・五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

ステレオサウンド 39号に掲載された瀬川先生による「天の聲」の書評からの引用だ。
     *
 五味康祐氏とお会いしたのは数えるほどに少ない。ずっと以前、本誌11号(69年夏号)のチューナーの取材で、本誌の試聴室で同席させて預いたが、殆んど口を利かず、部屋の隅で憮然とひとりだけ坐っておられた姿が印象的で、次は同じく16号(70年秋号)で六畳住まいの拙宅にお越し頂いたとき、わずかに言素をかわした、その程度である。どこか気難しい、というより怖い人、という印象が強くて、こちらから気楽に話しかけられない雰囲気になってしまう。しかしそれでいて私自身は、個人的には非常な親近感を抱いている。それはおそらく「西方の音」の中のレコードや音楽の話の書かれてある時代(LP初期)に、偶然のことにS氏という音楽評論家を通じて、ここに書かれてあるレコードの中の大半を、私も同じように貧しい暮しをしながら一心に聴いていたという共通の音楽体験を持っているからだと思う。ちなみにこのS氏というのは、「西方の音」にしばしば登場するS氏とは別人だがしかし「西方の音」のS氏や五味氏はよくご存知の筈だ。この人から私は、ティボー、コルトオ、ランドフスカを教えられ、あるいはLP初期のカザドウシュやフランチェスカフティを、マルセル・メイエルやモーリス・エヴィットを、ローラ・ボベスコやジャック・ジャンティを教えられた。これ以外にも「西方の音」に出てくるレコードの大半を私は一応は耳にしているし、その何枚かは持っている。そういう共通の体験が、会えば怖い五味氏に親近感を抱かせる。
     *
S氏という音楽評論家──。
盤鬼、西条卓夫氏のことで間違いないはずだ。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 1st, 2015
Cate: 変化・進化・純化

変化・進化・純化(その4)

瀬川先生が書かれていることをおもっている。
     *
「天の聲」になると、この人のオーディオ観はもはや一種の諦観の調子を帯びてくる。おそらく五味氏は、オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまったに違いない。前半にほぼそのことは述べ尽されているが、さらに後半に読み進むにつれて、オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。しかもこの音楽は何と思いつめた表情で鳴るのだろう。
     *
ステレオサウンド 39号に掲載された「天の聲」の書評である。

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる。》
これが(これも)純化なのだろう……。

《オーディオの行きつく渕を覗き込んでしまった》から鳴りはじめる音楽なのか。

私はオーディオの行きつく渕を覗き込めるのか。
その渕までたどり着けるのか。

瀬川先生が最後に書かれている。
《「天の聲」の後半にも、行間のところどころに一瞬息のつまるような表現があって、私は何度も立ちどまり、考え込まされた。》と。

Date: 5月 1st, 2015
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その4)

2011年3月14日、twitterにこんなことを書いた。
     *
はっきり書けば、ステレオサウンドはすでに役目を終えた雑誌だと思っている。それでも、今後のオーディオのあり方についてなにかを提示していけるのであれば、復活できるとも思っている。これはステレオサウンドの筆者についても同じことが言える。
     *
なんと傲慢なことを書くヤツだと思われる方もいよう。
同意される方もいる。

これまでにも、このブログでステレオサウンドに批判的なことを書いてきている。
それを読まれて、ステレオサウンドの現状を嘆いてる、と受けとめられるかもしれない。

別に嘆いているつもりはない。
どちらかといえば挑発している。
それは私自身が、おもしろいと思えるステレオサウンドを読みたいからである。

「今号のステレオサウンドはおもしろかった」、
そう、このブログで書いてみたい──。

そういう気持はこれからも持ちつづけるだろうが、期待はあまりしていないというのが本音でもある。
少なくともおもしろいと思わせてくれるステレオサウンドが、
これから先、一号くらいは出てくるかもしれない。

けれど四年前に書いているように、役目を終えたと思っているわけだから、
ステレオサウンドに「新しいオーディオ評論」は、まったく期待していない。
期待できない、といい直すべきか。

Date: 4月 30th, 2015
Cate: デザイン

日米ヒーローの造形(その2)

三年半ほど前に(その1)を書いたときは、
タイトルの後に(その1)とはつけていなかった。
続きを書くつもりは全くなかったからだ。
それにタイトルもカテゴリーも少し違っている。

なのに、今日(その2)を書いている。
デザインとデコレーションの違いについて、ヒーローの造形が好適な例だと気づいたからだ。

私が小学生のころ、仮面ライダーとウルトラマンの人気はすごかった。
私も夢中になってみていた。

そのウルトラマンの造形だが、
初代のウルトラマン、次のウルトラセブンまでは、カッコイイと感じていた。
三作目「帰ってきたウルトラマン」の造形は、初代ウルトラマンとそれほど変っていない。

けれど四作目のウルトラマンA(エース)、その後のウルトラマンタロウになると、
子供ながら、カッコイイとは感じなくなっていた。
なにかゴテゴテした感じが好きになれなかった。

ウルトラマンというヒーローの造形だけではない。
地球を防衛する組織のメカニズムも、ゴテゴテと飾り立てたモノへと変っていった。

当時は小学生だということもあって、
もしかすると私が初代ウルトラマン、ウルトラセブンに夢中になっていた年齢と同じ子供がみれば、
ウルトラマンA、ウルトラマンタロウもカッコいいと感じるのかもしれない、そんなふうに思っていた。

それからずいぶん経ち、デザインとデコレーションの違いについて語るときに、
私と同世代で、ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA、ウルトラマンタロウ、
これらをこの順序で見てきた人ならば、わかってもらえるような気もする。

ウルトラマン、ウルトラセブンの造形はデザインであり、
ウルトラマンA以降はデコレーションの要素が極端に強くなっている。
それは登場するメカニズムもまったく同じことがいえる。

Date: 4月 30th, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(その2)

数年前だった。ある中古オーディオ店にセレッションのDitton66が置いてあった。
懐しいスピーカーだなぁ、と近づいてみて気づいた。
銘板にDitton66の他に、”Studio Monitor”とあったことを、この時初めて知った。

Ditton66は1970年半ばのスピーカーシステムである。
ややトールボーイ型のエンクロージュアに、
30cm口径のウーファー、5cm口径のドーム型スコーカー、2.5cm口径のドーム型トゥイーター、
それに低域はパッシヴラジエーター(セレッションではABRと呼んでいた)の3ウェイ。

Ditton66の音は、暖かく、どこか保守的なイメージを残す響きをもつ。
ゆえに鮮明さ、鮮鋭さといった印象は、Ditton66にはない。
音のアラさがしをするような聴き方に向いていない。

イギリスならではのグッドリプロダクションな聴き方に、もっともフィットするスピーカーといえる。
そういう性質のスピーカーに、セレッションは銘板に”Studio Monitor”と入れている。
そのことが、だからすごく意外な感じだった。

当時のセレッションのスピーカーシステムには、DittonシリーズとULシリーズがあった。
瀬川先生もステレオサウンド 45号、Ditton33の試聴記に書かれているように、
ULシリーズは音をより正確に再生するシリーズであり、
Dittonシリーズはホームユースとして楽しめる音をねらっている、といえる。
ULシリーズはその後SLシリーズへなっている。

だからULシリーズを”Studio Monitor”と謳うのは、まだ理解できる。
けれどDitton66を”Studio Monitor”と謳っているのを見て、考えてしまう。

Date: 4月 30th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その14)

1ドル360円だった時代、輸入品は、1ドル1000円で換算したのが、ほぼ日本での価格だった。
そんな話を聞いたことがある。
輸入品は、ずっと以前はそれだけ高価だった。
だからというわけでもないのだろうが、並行輸入をやる業者がある。

モノによっては日本での販売価格よりもかなり安く買えたりする。
高価なモノになればなるほどその差額は大きくなるのだから、
並行輸入品を買ってしまう人もいる。

けれど並行輸入品は、その製品を作っている会社の利益にはなっても、
そのブランドの正規輸入元の利益にはならない。
にもかかわらず並行輸入品のアンプが故障して、正規輸入元に修理を依頼する。

いまはどうなのか知らないが、昔は正規輸入元は並行輸入品であっても修理をことわることはできなかった。
ただし修理費用は正規輸入品よりもずっと高く請求してもいいことになっていた。

けれど並行輸入品を修理に出して、その修理費用が高すぎる。
そんなメールをもらったことがある。

こんなことをメールしてくる人がいるのは悲しくなる。
なぜ多くの人は並行輸入品でなく正規輸入品を購入するのか。

並行輸入品と正規輸入品の価格差を、安心のための出費として考えているからのはずだ。
故障したら自分で修理する、もしくは修理専門業者に依頼する、
さらには処分する。
そういう人は並行輸入品に手を出せばいい。

安心して使いたい。
気に入ったモノならば長く使いたい。
そういう人は正規輸入品を買う。

メーカーや輸入元が修理のために部品をストックしている。
これにも税金がかかる。資産ということになるからだ。
それでも良心的なところは部品をストックしている。

その部品が並行輸入品の修理のために使われる。
そうやって使われる部品の中には、すでに製造中止になっている部品もある。

にも関わらず、並行輸入品の修理の費用が高すぎる、と文句をいう人がいる。
私にメールをしてくるくらいだから、おそらく輸入元には文句を言っていることだろう。

こんな人はごくわずかだと思いたい。
けれど現実にいるのも事実である。