Archive for category テーマ

Date: 11月 23rd, 2016
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その22)

BBCモニターのLS3/5Aは好きなスピーカーである。
いまも好きなスピーカーといえる。

私にとってのLS3/5Aとは、ロジャース製の15ΩインピーダンスのLS3/5Aである。
そのLS3/5Aを初めて聴いた時から、
この音のまま、サイズが大きくなってくれたら……、
そんな無理なことを考えたし、LS3/5Aと共通する音色を聴かせてくれるスピーカーが登場すると、
これはLS3/5Aの延長線上にあるスピーカーかどうかを判断するようになっていた。

メリディアンのM20。
LS3/5Aと同じ口径のウーファーを上下二発配し、中間にトゥイーター。
ユニットのそのものはLS3/5Aのそれと近い。

M20はパワーアンプを内蔵していたアクティヴ型だった。
専用スタンド(脚)が最初からついていた。

M20をメリディアンのCDプレーヤーと接いで鳴ってきた音には、ころっとまいってしまった。
私には、LS3/5Aの延長線上にはっきりとあるスピーカーと感じた。

LS3/5Aよりも音量も出せるし、その分スケールもある。
反面、小さなスケールから感じる精度の高さはやや薄れたように感じても、
音色は共通するところがあり、この種の音色に当時の私は弱かった。

M20はずいぶん迷った。
買いたい、と本気で考えていた。
買っておけばよかったかな、と思ったこともある。

その後、数多くのスピーカーが登場し、そのすべてを聴いたわけではないが、
めぼしいモノは聴いてきた。
LS3/5A、M20、ふたつのスピーカーがつくる線上に位置するスピーカーは、
私にとってはひさしく登場しなかった。

同じLS3/5AとM20がつくる線上であっても、
人によって感じる良さは共通しながらも違ってくるだろうから、
あのスピーカーは延長線上にある、という人がいても、
私にとってはベーゼンドルファーのVC7まではなかった。

VC7を初めて聴いた時、LS3/5A、M20の延長線上にある。
しかもずいぶん時間がかかったおかげか、
LS3/5AとM20の距離よりもずっと離れた位置にVC7はいるように感じた。

Date: 11月 23rd, 2016
Cate: 型番

ヤマハの型番(Cの意味)

ヤマハの型番について、時折触れている。
スピーカーシステムのNSはNatural Soundのはずだし、
コントロールアンプのCI、C2などのCはControlだし、
パワーアンプのBI、BSはBasicのはずである。

アナログプレーヤーはYPで始まる。
これはYamaha Playerであろう。

これまで考えてきてわからないのがある。
スピーカーユニットのJAである。

トゥイーターであれ、フルレンジであろうと、
ウーファー、スコーカー、コンプレッションドライバーまでJAで始まる。
このJAは、どういう意味をもっているのか。

そしてもうひとつわからないのが、
プリメインアンプのCA2000、CA1000IIIのなどのCA。
同じ意味でチューナーのCT、レシーバーのCRもそうだ。

CAのAはAmplifierであろう。
CTのTはTuner、CRのRはReceiverで間違いないだろう。

プリメインアンプ、チューナー、レシーバーに共通してつけられている、このCは何なのか。
ヤマハはA1以降、プリメインアンプの型番はAで始まるように変更している。
チューナーもTで始まるようになった。
レシーバーは、そのころはカタログから消えていた。

コンテンポラリー(contemporary)なのだろうか。
それともまったく違う意味なのだろうか。
何の意味ももたないということは、ないと思う。

解く鍵は、フロントパネルの色かもしれない。
C2やB2といったセパレートアンプは、当時黒だった。

プリメインアンプはCA-V1は黒だったが、それまではシルバーパネルだった。
チューナーもレシーバーもシルバーだった。

Date: 11月 22nd, 2016
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その10)

自作のレベルはさまざまだ。
キットを購入して組み立てるのも自作であるし、
自分で設計し、部品を集めて加工して組み上げるのも自作である。

部品を買ってきて(集めて)、組み上げることを自作とすれば、
カートリッジをヘッドシェルに取りつけるのも、自作の第一歩だと考えている。

スピーカーのキットを組み立てるのと、
カートリッジをヘッドシェルに取りつけて、リード線をつなぐのは、
基本的に同じことと私は捉えているし、自作の基本でもある。

こんなことを書くのは、
インターネットのオークションやSNSなどで、
オーディオマニアのカートリッジの写真を目にする機会が増えたからである。

単売されていたヘッドシェルには取りつけネジが付属していた。
長さは一種類ではなく、三種類ぐらいは最低でもあった。

オーディオクラフトはBS5という真鍮製のネジとナットを製品として出していた。
そのころヘッドシェルの付属ネジは大半がアルミだった。
アルミと真鍮で音が同じならば、わざわざBS5を買う必要はないわけだが、
音は変る。だからBS5を買うわけだ。

BS5は長さの違う七種類のネジが入っていた。
花村圭晟氏が社長だったころのオーディオクラフトらしいアクセサリーである。

ヘッドシェルによってはネジが貫通するタイプがある。
この手のヘッドシェルだと、使い手の性格の一面が出る、と昔から思っている。

ネジの長さに無頓着な人が、意外に多い。
ネジ貫通型のヘッドシェルの場合、ナットを当然使うから、長すぎても取りつけられる。
けれどナットからネジがはみ出す部分が長すぎる。

なぜもっと短いネジを使わない(選ばない)のかと、その度思う。
ナットからネジがほんの少しだけ出ていればいいのに……、と思う。

見た目が悪いだけではない、
ナットからはみ出したネジは共振体でもある。

私がカートリッジの取りつけが自作の基本というのは、ここにある。
適切な長さのネジを選ぶことができないのならば、自作には向かない。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その114)

ステレオサウンド61号が書店に並んだのは、冬休みに入って帰省してからだった。
61号の特集こそ、瀬川先生がいてほしい企画である。
よけいに、瀬川先生の不在を感じていた。

特集の最終ページをめくると、
「オーディオ界の巨星墜つ 瀬川冬樹氏追悼」の文字があった。

61号を手にして、私にとってステレオサウンドのおもしろさは、
瀬川先生の文章を読むことにあったことを、再確認していた。
五味先生が亡くなられてから、その傾向は強くなっていた。

1980年4月、五味先生、
1981年11月、瀬川先生、
私はオーディオの指標、そして音楽の聴き方の指標をなくしてしまった。

冬休みが終り、東京にもどってきた。
学校に通う日々。
1月の中ごろだった、帰宅すると、当時は寮住まいだったから、
寮母さんが、「電話ありましたよ、ステレオサウンドというところから」と伝えてくれた。

瀬川先生の死を知ってから一ヵ月経っていなかった。
あのときは頭の中が真っ白になった、
このときは耳を疑った。

1981年、私はステレオサウンド編集部宛に手紙を何通か書いていた。
おもしろいことを書くやつがいるということで、目に留ったようだ。
手紙にはしっかり住所だけでなく、寮の電話番号も書いていた。

それでも連絡があるとは思っていなかった。
これがきっかけとなって、働くようになった。

純粋に読者として読んだステレオサウンドは、だから61号までである。
この項も、これで終りである。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その113)

ステレオサウンド 61号の表紙はタンノイのG.R.F. Memoryだ。
特集が「ヨーロピアン・サウンドの魅力」だから、好適な選択といえよう。

60号の表紙のアルテックのシステムの規模と、
61号のG.R.F. Memoryのシステムとしての規模は、
そのままアメリカという国の大きさとヨーロッパのそれぞれの国の大きさを如実に表している。

私は、この61号の発売を楽しみにしていた。
瀬川先生が退院されて登場されている、と思い込んでいたからだ。

瀬川先生の訃報は新聞に載っていた(そうだ)。
そのころは金のない学生だったから新聞を講読する余裕はなかった。
瀬川先生が亡くなられていることを知らずに、61号の発売を心待ちにしていた。

そのころ秋葉原にあった石丸電気本店の書籍売場は、
一般の書店よりもオーディオ、音楽関係の雑誌は少し早く並ぶ。

冬休みに入るある日、秋葉原に行った。
目的はステレオサウンド 61号を買うためである。
1981年12月、ステレオサウンドは遅れていた。
だから、わざわざ秋葉原まで行った。

たしか12月19日だった、と記憶している。
石丸電気レコード館にもまだステレオサウンド 61号は並んでなかった。

レコード芸術の最新号はあった。
夏にはじまった瀬川先生の新連載は一回だけで休載になっていた。
再開したかな、と思いながら手にとりページをめくった。

そこで、瀬川先生の死を知った。
頭の中が真っ白になる──、
この時がまさにそうだった。

何も考えられない状態があることを、はじめて体験した。
手にとったレコード芸術を、反射的に書棚に戻した。
信じられなかったからだ。

戻したレコード芸術をもう一度手にした。
そうすれば、瀬川先生の死がなかったことになる──、
そんなバカなことを期待して、だった。

そんな奇蹟は起るわけはない。
秋葉原からの帰りの電車、何をおもっていたのか、おもいだせない。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その112)

ステレオサウンド 60号の特集に登場するのは、
アルテック、JBL、インフィニティ、ESS、ウェストレイク、マッキントッシュ、
クリプシュ、エレクトロボイスの大型スピーカーシステムである。

試聴は岡俊雄、上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の四氏。
ただ瀬川先生は途中から入院されているため、クリプシュとエレクトロボイス、
それからまとめの座談会には参加されていない。

まだ読み手だったころ、瀬川先生の途中からの不在が熱っぽさを感じない理由と思った。
けれどアルテックはA4、A5、Mantaray Horn Systemの三機種、
JBLはD44000 Paragon、4676-1、4345の三機種、
残りのブランドは一機種ずつであるから、瀬川先生は主だった機種に関しては聴かれている。

瀬川先生の不在は、60号を熱っぽく読めなかった理由とはならない。
60号の不完全燃焼は、ステレオサウンド編集部の不得手による、といまは断言できる。

60号の特集の扉に、15周年記念の第一弾とある。
ということは61号は第二弾の特集が組まれるわけで、
それはヨーロピアン・サウンドだろう、と予想がつく。

61号では瀬川先生も退院されているだろう……、とこのときは呑気に思っていた。
60号には瀬川先生の書き原稿はなかった。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その111)

誌面から直接音が聴こえてくるのならば、オーディオ雑誌は苦労しない。
音は聴こえてこない。

誌面からは直接熱も伝わってこない。
このことは編集部で働くことで実感したことだ。

ステレオサウンドは総テストを主として行ってきた。
総テストのやり方はいろいろ試してきていた。
そしてある程度は掴んでいた、と思う。
総テストは、ステレオサウンド編集部の得手であった、少なくともこのころは。

ステレオサウンド 60号の特集は、大型スピーカーシステムのテストといえばそうではあるが、
総テストという性格の企画ではないし、そういう記事づくりもやっていない。
そうなるとステレオサウンド編集部の不得手な面が出ているのではないだろうか。

こういう記事(企画)だと、作り手側の熱を伝えたからといって、
読み手が熱っぽく読んでくれるとは限らないことを、
編集の仕事をやっていた実感するようになっていった。

作り手側の熱と読み手側にとっての熱と感じるところには、
相違があるのを知らなければならないことも学んだ。

60号の特集は座談会としてまとめられている。
うまくまとめられている、とは思う。
読んで得られることもあった。

でも熱っぽくは、どうしても読めなかった。
その理由を考えずに、編集の仕事はできない。

ステレオサウンド 60号を、熱っぽく読んだ、という人がいたら教えてほしい、
それは思い込みでなく、ほんとうに熱っぽく読んだのか、
どう熱っぽく読んだのかを。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その24)

Beogram 8000はデザインが優れていたために損をした──、
そう書いた。

損をしたのは、B&Oなのだろうか。
B&Oは、それまでのことから各国でどういう扱いをされるのかは在る程度予測していたはず。
Beogram 8000のダイレクトドライヴの方式は、あまり注目されないことはわかっていたと思う。

だから、損をしたのはB&Oというより、われわれだと思う。
われわれとはオーディオ雑誌の編集者、オーディオ評論家を含むオーディオマニアである。

B&Oはデザインの優れたオーディオをつくる会社、というバイアスが、
われわれにあったことが、Beogram 8000の内側に関心をもつことをしなかった。

いまもアナログプレーヤーについては、
その21)で書いたような、議論になっていない議論のようなことが行われている。
本質から外れての、議論になっていない議論のようなことにしか思えないことが少なくない。

そういうところでB&Oのダイレクトドライヴ方式が話題になることはない。

もしアナログプレーヤーの開発にかかわることができるのならば、
私は、B&Oと同じく電力計の原理によるダイレクトドライヴを推す。
Beogram 8000の構造とは違う構造をとる。

Date: 11月 20th, 2016
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その23)

「これはデザインで損している」とか「デザインで得している」とか、
そういった評価みたいなことを聞くことがある。

こんなことをいう人は、デザインを付加価値としてしか捉えていない。
だから、損している、得している、といったことをいうのだろう。

B&OのBeogram 8000は、そんな次元の話ではなく、
デザインで損している、といえる。
デザインが悪いからでもなく、デザインを付加価値と見てのことでもない。

デザインが優れていることで、デザインのことでしか語られないことがある。

B&Oは新製品を毎年のように出す会社ではなかった。
Beogram 8000の前のモデル、Beogram 2402、Beogram 4004はベルトドライヴだった。
Beogram 2402は1980年の新製品である。

Beogramシリーズはデザインとリニアトラッキングアーム、それにフルオートであること、
この三つのことがまず語られる。

その内側に盛り込まれている技術については、あまり語られることはない。
Beogram 8000がダイレクトドライヴになったことは知っていても、
一般的なダイレクトドライヴと同じ方式だと思っている人が大半かもしれない。

しかもB&Oは、あまり技術的なことをことこまかに語ることはしない。
Beogram 8000が「デザインで損している」とは、そういう意味である。

Beogram 8000は1981年の新製品である。
ダイレクトドライヴ方式についての音質面での追求が、
各メーカーでなされている時期であり、それぞれに工夫があった。

これらについてはオーディオ雑誌で取り上げられていたのに、
ダイレクトドライヴの技術的な考察からのBeogram 8000の記事はなかった。

Date: 11月 19th, 2016
Cate: 欲する

資本主義という背景(その5)

丸山健二氏の「新・作庭記」(文藝春秋刊)からの一節を引用するのは、これで三回目だ。
     *
ひとたび真の文化や芸術から離れてしまった心は、虚栄の空間を果てしなくさまようことになり、結実の方向へ突き進むことはけっしてなく、常にそれらしい雰囲気のみで集結し、作品に接する者たちの汚れきった魂を優しさを装って肯定してくれるという、その場限りの癒しの効果はあっても、明日を力強く、前向きに、おのれの力を頼みにして生きようと決意させてくれるために腐った性根をきれいに浄化し、本物のエネルギーを注入してくれるということは絶対にないのだ。
     *
現代の資本主義についての文章に思えてならない。
《真の文化や芸術から離れてしまった心》、《虚栄の空間を果てしなくさまよう》、
《結実の方向へ突き進むことはけっしてなく》、《それらしい雰囲気のみで集結》、
これらは現代の資本主義のもつ側面を表現していると思えるのだ。

Date: 11月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その110)

60号はステレオサウンド創刊15周年号であり、
特集「サウンド・オブ・アメリカ」も創刊15周年記念特集の第一弾である。

この特集は、いつものステレオサウンドの試聴室ではなく、
大正末期に建築されたという洋館の大広間(約54畳)で行われている。

古い建物だからエレベーターはなく、大広間は二階。
搬入作業はさぞ大変だったと思う。
搬入作業の様子も写真に撮られている。

この大広間は広いだけでなく、それに見合った天井の高さ(3.5m)がある。
アルテックのA4が置かれても余裕がある。

スピーカーも大型のモノばかりが集められている。
アンプもそれに見合ったモノとして、
コントロールアンプはマッキントッシュのC29とC32、
マークレビンソンのLNP2とML7、
それにマランツのModel 7、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2255とMC2500、
マークレビンソンのML2(4台)、ML3、マランツのModel 9、
ハーマンカードンのCitation XX、スレッショルドSTASIS 1とSTASIS 2、
マイケルソン&オースチンのTVA1、アキュフェーズM100である。

アナログプレーヤーはトーレンスのReferenceである。
スピーカー、アンプ、プレーヤーの総重量は4.6トンとのこと。

準備も大変だっただろうが、片付けも大変だったはずだ。

──こうやって書いていくと、創刊15周年記念にふさわしい企画(特集)と思える。
私も、当時そう思って読んだ。

けれど編集部の大変さは、読み手には関係のないことである。
よくやったな、と思っても、それ以上のものは伝わってきにくい内容だった。

面白いはずだ……、と思い込もうとしていた。
これだけのことをやっているのだから……、と。

でも、何度読み返しても、つまらないといわないが、
そこに熱さがあったかといえば、私に関してはあまり伝わってこなかったというしかない。

Date: 11月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その109)

ステレオサウンド 60号の表紙はアルテックのスピーカーである。

フロントショートホーン付きのエンクロージュア817Aに、515Eを二本おさめ、
中高域は288-16Kにマルチセルラホーン1005Bを組み合わせたモノ。

アルテックのスピーカーシステムとして、
この組合せのモノは、1981年のHI-FI STEREO GUIDEには載っていない。

載っているのは、1005BではなくマンタレーホーンMR94を採用したシステムで、
Mantaray Horn Systemが載っているし、
60号の特集「サウンド・オブ・アメリカ」に登場するのも、こちらである。

にも関わらず、表紙に1005Bを使ったのは、
写真映えするからだ、と思う。

10セルの1005BはW77.5×H42.5×D47.0cmという、そうとうに大型のホーンである。
かなり高価なホーンでもあった。
1981年当時で317,500円で受註生産品だった。
マンタレーホーンのMR94は141,100円、
JBLの蜂の巣(HL88)が130,000円の時代に、である。

マンタレーホーンを生み出した技術理論からすれば、
1005Bは旧型ホーンということになる。
指向特性も高域にしたがって悪くなっていく。
歪も多い、ということになる。

実際そうなのだが、モノとしたみたときに、
そして男の趣味のモノとしたときに、魅力的なのは圧倒的に1005Bである。

60号では、1005Bホーンを載せたシステムを、上から捉えている。
マルチセルラホーンの形状、デッドニングの感じが伝わってくる。

MR94では、このアングルではこんな感じにはならないだろうし、
かといってアングルを変えてみても……。

59号の表紙はJBLの4345だった。
全体にのっぺりした印象だったのに対し、
60号の表紙はスピーカーという立体物の魅力を捉えている。

「サウンド・オブ・アメリカ」という特集を表している表紙だと、
当時も思ったし、いまもそう思う。
そう思わない人も、いまでは増えてきていてもだ。

Date: 11月 18th, 2016
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴへの疑問(その22)

ダイレクトドライヴは、なにもセンタードライヴである必要はない。
その18)で書いたように、
ターンテーブルプラッターというマスをもつものを廻すには、
中心に力を加えるよりも外周に力を加えた方が理に適っている、はず。

外周に……、ということになると、ベルトドライヴやアイドラードライヴということにななる。
ダイレクトドライヴで外周(最外周でなくとも、外周より)で力を加える方式が、
ダイレクトドライヴのひとつの理想形といえるのではないだろうか。

ずいぶん前に、そんなことを考えた。
とはいっても具体的な方式は考えつかなかった。

どのぐらいしてだろうか、一年、二年くらい経ってのことだ、
電力計の円盤が回転しているのを見て、これはアナログプレーヤーに使えるのでは、と。

使用している電力に応じて回転するスピードは変化する。
それになめらかに回転している。

あの当時、インターネットがあれば、すぐさま「電力計 原理」と検索するところだが、
そんなものはなかった。
すぐに電力計の原理について知ることはできなかった。

それからまた一年か二年経ったころに、あるアナログプレーヤーが登場した。
電力計と同じ原理でターンテーブルを回転させていた。

私が思いつくのだから、メーカーのエンジニアも思いつく。
彼らは原理を知っている。そしてアナログプレーヤーに応用している。

B&Oのダイレクトドライヴ型プレーヤー、Beogram 8000がそうである。
それまでベルトドライヴだったB&Oが出してきたダイレクトドライヴは、センタードライヴではなかった。

Date: 11月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その108)

51号からダメになってしまったと感じていたベストバイという特集。
それでも一冊のステレオサウンドとして観た場合、
55号では「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」をやっている。

いわゆる総テストでとはなく、普及クラス、中級クラスのモノは省いての、
アナログプレーヤーのテストである。

ベストバイがマニアックとはいえない性格の特集なだけに、
こちらではマニアックな特集という意味を込めての企画といえる。

59号にも、そういう意図は読める。
特集2は、「MCカートリッジ用トランス、ヘッドアンプ総テスト(上)」である。
56機種のトランスおよびヘッドアンプを二回にわたってテストしている。

そしてもう一本。
特集ではないけれど、黒田先生の「ML7についてのM君への手紙」がある。
導入記である。

これは広く浅い読み物ではない。
書きたいことをあれこれ書き始めると、ここで停滞しそうだから、
あえてひとつだけに絞ろう。
 後半というか、最後のほうに、こう書かれている。
     *
 そして、あの日、きみには、ひとまずML7Lを持って帰ってもらいました。そのあとのぼくがいかにもんもんとしたかは、ご想像にまかせます。そして、あれから一週間ほどして、きみは電話をくれました。この電話が決定的でした。きみとしてはジャブのつもりでだした一打だったのでしょうが、そのジャブがぼくの顎の下をみごとにとらえました。ぼくとひとたまりもなくひっくりかえってしまいました。「やっぱり買うよ、俺、ML7Lを」と、電話口で、ぼそぼそといってしまったのです。
 もしかするときみは、ぼくになにをいったのか、おぼえてさえいないのかもしれません。念のために、ここに、書いておきます。きみは、こういったんです──「田中一光先生がML7Lをお買いになるんだそうですよ」。このひとことはききました。そうか、田中一光氏が買うのか──と思いました。
 ぼくは、光栄なことにぼくの本の装幀を田中一光氏にしていただいて、仲間たちから、なかみはどうということもないけれど装幀がすばらしいといわれて、それでもなおうれしくなるほどの田中一光ファンですが、まだ一度もお目にかかったことがありません。でも、直接お目にかかっているかどうかは、さしあたって関係のないことで、その作品やお書きになったものから、ぼくの中には、厳然と田中一光像があって、その田中一光氏がML7Lを使うとなれば、よし、ぼくもがんばってということになります。このときのぼくの気持は、アラン・ドロンが着ているからという理由で、その洋服を着てみようとするできそこないのプレイボーイの気持に似ていなくもありませんでした。
 いずれにしろ、決心のきっかけなんて、他愛のないものです。よし、ぼくもML7Lを買おうと決心した、つまり、清水の舞台からぼくをつき落としたのは、きみのひとこと「田中一光先生がML7Lをお買いになにんだそうですよ」だったということになります。
     *
最終的な決心をするということきは、意外にもこういうことなのかもしれない。

Date: 11月 17th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(45回転LPのこと・その9)

クラシックだと曲の最後がもっとも盛り上ることが多い。
にも関わらず、その盛り上るところがLPだと内周にカッティングされることが、また多い。

LPと外周と内周とでは、音が違う。
外周が有利であることは、いうまでもない。

ならば内周から外周に向ってカートリッジがトレースしていくようにすれば、
盛り上りのところが外周にカッティングされる。

ラヴェルのボレロ。
クラシックにほとんど関心のない人でも知っている有名な曲。
この曲ほど、LPに向かない曲はないだろう。

けれど内周から外周へと向うLPであれば……、
そういう考えのもと制作されたのがリバース45回転LPである。

このLPを再生するのに特殊な器材は必要ない。
ターンテーブルが逆回転する必要はなく、
LPの最内周にカートリッジを降ろすだけでいい(降ろしにくいけれども)。

DAM45で、カラヤンのボレロが、リバース45回転LPで出ていたのは知っていた。
知っていただけである。

周りに持っている人もいない、と思っていたら、
今日のKK適塾でデザイナーの坂野博行さんとオーディオ話をしていたら、
昨日のブログを読んでレコード棚を探してみたら、45回転のクラシックLP、何枚かありました。
デンオンとか、それからカラヤンの逆回転のボレロも持ってました」
といわれた。

書いてみるべき、である。
書かなかったら坂野さんもレコード棚をチェックされなかっただろう。
カラヤンのリバース45回転LPも眠ったままだったかもしれない。

はっきりと決めていないが、来年のaudio sharing例会で、
45回転LPを集めての音出しをやりたいと考えている。