Archive for category テーマ

Date: 4月 9th, 2019
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(5G通信)

アメリカで5G通信が開始になったというニュースがあった。
日本では2020年開始の予定らしいが、
5G通信が本格的に普及となってくると、オーディオ機器の受ける影響はどう変化するのだろうか。

5Gでは、3.6〜6GHz帯と、28GHz帯が使われるらしい。
4Gが3.6GHz以下だったから、28GHzはそうとうに高い周波数となる。

28GHzという高い周波数が、オーディオ機器へどういう影響を与えるのかは、
高周波の専門家ではないから見当がつかないが、小さくない変化ではあるはずだ。

このくらい高くなると無視できるようになるのか、
それともいままで以上の影響が発生するのか。

さらに何年後かに登場するであろう6G、7Gとなっていくと、
周波数はますます高くなっていくのか。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その7)

その6)でふれたTOWER VINYL SHINJUKUに行ってきた。

オープン告知のイラストには、アルテックのA7らしきスピーカーが描かれていた。
実際にあったのはA7ではなくA5だった。

JBLのスピーカーもイラストにはあった。
こちらは4429で、イラストにあったモデルよりも小型モデルである。

広い売場であっても、アルテックのA5ならば、一組で十分な音量ですみずみまで音を届けられよう。
そんなことをすると、スピーカーの間近ではけっこうな音量となるから、
売場全体を均一の音量に揃えるためだろう、A5がメインで、
サブ的(補助的)に4429が離れて配置されている、という感じである。

配置的にはそんな印象だが、実際に4429の音を聴いているのかも──、
という印象が残る。

A5は音的には不要か、といえば、
現状の鳴らし方だとそうともいえる。
それでもA5がエスカレーターを降りて、すぐに目につくところにある。

人によっては黒くて異様な物体という印象を受けるかもしれない。
武骨なA5である。

いまのところひっそりとしか鳴らされていない。

丸善ジュンク堂に住んでみる」ツアーというのがある。
今年も行われるであろう。

こういうツアーをタワーレコードもやってくれないだろうか。
TOWER VINYL SHINJUKUで一泊する。
A5がひっそりとではなく、堂々と鳴る音で、アナログディスクを朝まで聴く、というツアーである。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: きく

似ていると思う感覚の相違(その2)

ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」が、昨年秋に出た。

書店で、この本を見た時、
ティム・クック? と最初に思った。

ティム・クックはAppleのCEOであって、
そのティム・クックの写真が、音楽関係の書籍の表紙に使われることはないのはわかっていても、
ブロムシュテットの自伝の表紙の写真をみると、まずティム・クックを思い出す。

今日もそうだった。
ブロムシュテットの自伝をみて、やっぱりティム・クックだ、と思っていた。

このことを昨秋に書こうと思っていたけれど、書かずにいたのは、
ティム・クックとヘルベルト・ブロムシュテットが似ているということに、
誰かの同意が得られるとは思っていなかったのと、
なぜ似ていると、ブロムシュテットの自伝の写真を見る度に思うのか、
その理由が掴めずにいたからである。

今日ここで書いているからといって、似ている理由が掴めたわけではない。
私と同じに感じる人はどのくらいいるのだろうか。
それを知りたいわけではない。

ブロムシュテットとクックを、私と同じように似ていると感じる人は、
音の聴き方において、私に近いところがあるのか──、
そんなことを考えるようになったからである。

初めて聴くスピーカーがあったとしよう。
そのスピーカーの音を、誰かに伝える。
その誰かが親しい人で、音についてよく語り合っている人ならば、
そのスピーカーが、
例えば過去のスピーカーのどれかに似ているところがあると感じたのならば、
あのスピーカーに似ていて、ここがこんなふうに違う、といった伝え方ができる。

それでなんとなく伝わるところが、オーディオにはある。
でも、それはあくまでもなんとなくなのだろう。

Date: 4月 8th, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

5月1日のaudio wednesdayは、メリディアンの218を聴く。
218で、私が聴きたいと思っているのは、ベンジャミン・ブリテンによる演奏だ。

以前書いているように、私はブリテンの演奏が好きである。
ブリテンのモーツァルト、バッハ、シューベルトも美しい、と思っている。

メリディアンもブリテンもイギリスである。
だから「三度ULTRA DAC」ではブリテンのモーツァルトをかけた。

もっとじっくりブリテンの演奏を聴きたい、と感じていた。
だから218でも、ブリテンを聴きたい、と思う。

2013年夏に、“BRITTEN THE PERFORMER”がデッカから出た。
27枚組の、このボックスは演奏家(指揮者、ピアニスト)としてのブリテンが聴ける。
このボックスについては、「BRITTEN THE PERFORMER」というタイトルで書いている。

218で、“BRITTEN THE PERFORMER”をじっくりと聴けたら、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 8th, 2019
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その39)

3月のaudio wednesdayでは、電源コード、
4月のaudio wednesdayでは、ラインケーブルを自作して聴いてもらった。

自作に必要なモノは昨年末に買っていた。
私のやる気まかせのため、1月に聴いてもらう予定が2月になり、
2月がさらに3月になってしまった。

しかも3月ではラインケーブルもいっしょに聴いてもらおう、と考えていたが、
それも4月に延期してしまった。

実をいうと、ラインケーブルはアンバランス用とバランス用、
両方作る予定でいた。
コネクターも必要な分買っていた。

けれどアンバランス用を自作して、
構造上作るのが少々やっかいなところがあって、
バランス用はさらに先延ばしにした。

ケーブルの自作といっても、
単に切り売りのケーブルを買ってきて、コネクターを取り付けただけではない。
使えそうなケーブル(構造)を見つけ、一工夫加えている。

どんなことをやっているのかは、audio wednesdayに来た方で、
会が終ってから訊いてきた人には教えている。

ケーブルの自作も、やり始めると楽しい。
めんどうな作業もあったけれど、
ケーブル作りは、もっとも失敗の可能性の低い自作であるな、と改めて思いながら作業していた。

けれど工夫のしがいがあまりない。
そんなふうに思われるかもしれないが、ほんとうにそうだろうか。

オーディオは2チャンネルである。
モノーラルを二本用意すれば、ステレオ用となると考えるのはやや早計といえる。

いまではヨーロッパのオーディオ機器もコネクターにDINが使われることはなくなった。
以前はQUADもそうだったし、ヨーロッパのオーディオ機器はDINコネクターだった。

DIN用のケーブルを自作していて気づいたことがある。
それが今回自作したケーブルの発想のもとである。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その3)

一人での試聴もあれば、そうでない試聴もある。
オーディオ雑誌の試聴では、オーディオ評論家が一人で聴くこともあれば、
複数のオーディオ評論家が並んで聴くこともある。

オーディオ評論家一人の場合であっても、
試聴室には編集者が同席しているわけであって、厳密には一人での試聴なわけではない。

オーディオマニアがオーディオ店での試聴することもある。
一人での試聴の場合もそうである。
店員が同席しているから、一人で試聴するという機会は、
自宅での試聴以外にはそうそうない。

つまり自宅以外の試聴では、誰かが隣にいる。
編集者、店員であろうが、誰かが最低でも一人はいる。

名目上一人での試聴だから、好きなディスクを鳴らしても、
誰かから苦情がくるということはない。

編集者にしても店員にしても、
「へぇ〜、こんなディスク(音楽)聴くんですか」と心では思っていたとしても、
それを口に出すことはまずないし、
試聴している人にとっては、編集者、店員は黒子に近い存在と受け止めているのかもしれない。

それでも、そこでかけるディスク(音楽)を聴いているのは、自分一人ではないのは変らない事実だ。
だからこそ、どんな時であれ、試聴であるならばかけるディスクの選択に無頓着ではいられない。

同席している編集者、店員に積極的に聴かせたい、という気持があるなしに関係なく、
誰かが同時に聴いている。
このことを無視してのディスク選択はありえない。

その2)を書いたのが2017年12月。
この(その3)を書こうと思い立ったのは、
先日のaudio wednesdayで、来てくださった方たちが「青春の一枚」を持ってこられたからだった。

Date: 4月 5th, 2019
Cate: audio wednesday

メリディアン ULTRA DACと青春の一枚(その4)

2016年1月から、audio wednesdayで音を鳴らすようになった。
2016年春に大滝詠一の「DEBUT AGAIN」が出た。

5月のaudio wednesdayだったと記憶しているが、その時に鳴らしている。
トゥイーターがJBLの075ではなく、グッドマンのDLM2だったし、
CDプレーヤーはラックスのD38u、アンプはマッキントッシュのMA2275だった。

ネットワークも現在使っているモノとは違っていた。
つまりかなり違っていたわけで、「DEBUT AGAIN」は満足のゆく音では鳴らなかった。

もっと、こう鳴るはずなのに……、というおもいはあったけれど、
まだまだシステム全体の整備をしているような段階だっただけに、内心口惜しいおもいだった。

それからほぼ三年。
「DEBUT AGAIN」をもう一度鳴らすことはしてこなかった。

今回も持っていくつもりはなかったけれど、
前日の夜、「DEBUT AGAIN」が目に留ってバッグの中にいれておいた。

4月3日のaudio wednesdayでは、
音出しの準備が終って最初にかけたのが、「DEBUT AGAIN」だった。
アンプもCDプレーヤーも電源をいれたばかりだったけれど、
三年前とはいろいろなところが変っている。

それにともない音も、当然のことながら変化している。
三年前とは違う。手応えのある音で一曲目の「熱き心に」が鳴ってきた。

だからメリディアンのULTRA DACにしてから、もう一度「DEBUT AGAIN」をかけた。
通常のCDなので、ULTRA DACのフィルターを三通り試した。

私は大滝詠一の熱心な聴き手ではなかったし、いまでもそうだとはいえない。
大滝詠一の歌(声)のイメージが、
しっかりと自分の裡にある、とは自信をもっていえないところもある。

それでもフィルターを変えていき、longでの音を聴いて、
大滝詠一の声はこれだ! と確信していた。

確信していただけに、確認したかった。
写真家の野上眞宏さんに聴いてもらうという確認が、いまではできる。

実を言うと、そろそろ野上さんが来られる時間だな、という頃合いに「DEBUT AGAIN」をかけた。
でもうまいこといかずに、かけ終ったころに来られた。

すぐに再度かけてもよかったけれど、
せっかくなので、アンプもULTRA DACも十分にウォームアップが済んでからにした。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(余談・その1)

先日、あるところにいたら、男性二人組のラーメンの会話がきこえてきた。
二人の会話に出てくるラーメン店は、私も以前食べたことがある。

普段利用することのない駅の近くにある店だから、
わざわざ、そのラーメン店だけを目的で行こうとまでは思わないものの、
近くに行く用事があったら、もう一度寄ってみたい(食べたい)と思う味である。

きこえてきた会話は、一人が、その店のラーメンを、すべてがものたりない、という評価に、
もう一人が、そうかなぁ、という内容だった。

きこえてくるものだから聞くともなしに聞いていると、
どうやら「ものたりない」と感じている一人は、
いわゆるラーメンライスが好物な人のようだった。

白いご飯に合うか合わないかが、彼のラーメンの判断基準の大きなところを占めている。
もう一人は、ラーメンだけを食べて、おいしいかそうでないかを基準としているようだった。

一人が「ものたりない」と感じているラーメンは、
そのラーメンをおかずに白いご飯を食べたくなるものではない。
あくまでもラーメン単体で食べて、おいしいと感じる仕上がりである。

会話をしていた二人はそのことに気づいていないのか、
どちらも納得していないように見えた。
つい横から、赤の他人の私が口出ししたくなる会話だったが、
こういうすれ違いのようなことは、音に関する会話でも生じているのかもしれないなぁ、
と聞きながら思っていた。

伊藤先生は、ステレオサウンド 42号「真贋物語」で、
《とんかつぐらいラーメンと共に日本人に好かれる食いものはない。何処へ行っても繁昌している。生の甘藍(きゃべつ)がこれほどよく合う料理もないし、飯に合うことは抜群である》
と書かれている。

ただしここでのラーメンは、白いご飯と合うことで挙げられているのではないだろう。
あくまでもとんかつが、飯に合うわけである。

白いご飯に合う、といえば、知人もそうである。
彼はステーキよりも焼肉が好きだ、という。
その理由は焼肉は白いご飯がすすむからだ、という。

彼は焼肉店に行くと、肉と一緒にご飯も頼む男である。
彼が焼肉を好む理由は、わかる。

焼肉でも、白いご飯をいっしょに食べたくなる店(味)がある。
肉だけを食べておいしい店も好きだし、ご飯といっしょに食べたくなる店も好きである。

Date: 4月 4th, 2019
Cate: audio wednesday
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第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

昨晩(4月3日)のaudio wednesdayは、「三度ULTRA DAC 」だった。
昨晩のことは別項で書くつもりだが、
ULTRA DACは誰もがすぐに買えるような価格ではない。

ULTRA DACを聴いた人は、
それでは218というモデルはどうなんだろうか、と興味がわくのではないだろうか。

218は昨年登場したモデルだ。
見た目は、ULTRA DACを始めとするメリディアンの製品とは、やや違う。
素っ気なさすぎる外観である。

218のフロントパネルには、“218 Zone Controller”とある。
218は確かにD/Aコンバーターとしての機能をもつが、
D/Aコンバーターという括りだけで捉えては、218の理解は不十分なのかもしれない。

5月1日のaudio wednesdayでは、「メリディアン 218を聴く」がテーマである。
218は125,000円。
ULTRA DACの二十分の一である。

まだ聴いていないので断言こそできないが、
だからといってULTRA DACの二十分の一の実力しかないわけではない。
そうとうに高いポテンシャルを有している、とも期待している。

今回はZone Controlleとしての実力を聴くということにならない、と思う。
D/Aコンバーターとしての218をじっくりと聴く、ということになる、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 3rd, 2019
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その14)

毒をもって毒を制す、と、
昨年と今年に、一回ずつ書いている。

その他にも、オーディオの毒、音の毒についても何度か書いてきている。

それを読まれた方のなかには、ここで取り上げている音、
嫌いな音、ききたくない音を徹底排除した音も、そんな毒の一種といえるのではないのか、
そう思われるかもしれない。

私は毒とは思っていない。

さらにステレオサウンドを古くから読まれていて、記憶のいい方ならば、
ステレオサウンド 210号掲載の
黛健司氏の「ベストオーディオファイル賞からレコード演奏家論へ」を読まれて、
そういえば、と思い出されることがあると思う。

247ページに、
《ある方の音については「……さんの出されている音には普遍性がありませんでしたが、一枚の特定のレコードにかぎり、私がかつて聴いたことのないような音で、私を説得し、感動さしめたということはたいへんなことだと思います」と驚嘆された》
とある。

この方について、菅野先生は「オーディオ羅針盤」のなかでも触れられている。
この方については、私は別項「正しいもの」で触れている。

一枚の特定のレコードとは、
バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニーを振ってのマーラーの第四番である。
CBS録音であり、CBSソニーから発売された日本プレスのLPであり、
……さんとは、66号のベストオーディオファイル賞に登場された丸尾儀兵衛氏である。

Date: 4月 2nd, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(青春の一枚・その1)

私が明日(4月3日)のaudio wednesdayに持っていく「青春の一枚」は、
ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”である。

Date: 4月 2nd, 2019
Cate: audio wednesday

第99回audio wednesdayのお知らせ(三度ULTRA DAC)

明日(4月3日)は、audio wednesday。
テーマは、いうまでもなく「三度(みたび)ULTRA DAC」である。

ULTRA DACに決ったのは、前回3月の会であった。
だから、それまでは、違うテーマを考えていた。

4月3日だから、43。
それに水曜日(wedneadya)で、頭文字はW。
Wはダブルでもあるわけだから、43がダブルで4343。
そんなダジャレのようなことを考えていた。

JBLの4343を、どこからか調達できれば4343を鳴らしたい、と思っていたが、
まず無理である。

次に考えたのは、春だから、春に関係する曲をかけよう、と。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」でもいいし、
春を歌った日本語の歌、外国語の歌などをかけようかな、と考えていた。

どうしようかな、と迷っていたところに、ULTRA DACを聴けることになった。
二週間前に、「青春の一枚」といえる愛聴盤を、ULTRA DACで聴いてほしい、と書いた。

audio wednesdayに来られる方の青春時代は、
いわばアナログ録音時代である。
「青春の一枚」はアナログ録音のCD化ということになる。

ULTRA DACはMQAの再生も素晴らしい。
同じくらいに通常のCDの再生が、またいい。

アナログ録音のCDを、ULTRA DACで、一度聴いてほしい、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 1st, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論をどう読むか(その6)

よくオーディオ評論家のいうこと、書くことなんて、あてにならない(あてにしていない)、
信じられるのは自分の耳(感性)であって、
オーディオ評論家のという、いわば他人の耳(感性)を信じるなんて、
なんて愚かなこと──、
そんなことを豪語する人がいる。

豪語する人は、オーディオ評論から何も学ぶものはない、ともいいたいのだろう。
豪語する人のいうところのオーディオ評論家には、
私がオーディオ評論家(商売屋)と認識している人たちだけではなく、
オーディオ評論家(職能家)の人たちまでも含まれている。

豪語する人は、これまで幾度となくオーディオ評論家に騙されてきた。
だから、もうオーディオ評論家のいうことなんて、信じないし、
信じるヤツラは……、ということのようだ。

豪語する人の生き方も、それで尊重しよう。
豪語する人に、私からいうことは何もないからだ。

ただ、豪語する人の言葉に惑わされないでほしい。
そうは思っている。

オーディオ評論家(職能家)の書く文章を読むことは、
そのオーディオ評論家(職能家)の聴き方を知り、学ぶ行為である。

自分の聴き方が絶対と信じ込める人ならば、オーディオ評論を読む必要はない。
自分の耳を信じていながらも、疑うところも持つ人は、
優れたオーディオ評論を読むべきである。

読むことによって得られる聴き方が、必ずある。
音を言語化するのはほぼ無理であるし、
ただ読んだだけで、聴き方を学べるとは限らない。

それでもくり返しくり返し読むことで、
そして、そのオーディオ評論家が本気で惚れたオーディオ機器を聴くことで、
聴き方のきっかけはつかめるはずだし、つかめるまで読んでほしい。

豪語したければすればいい。
豪語した時点で、その人の聴き方はそこで留ってしまう。

Date: 3月 31st, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その1)

SNSを眺めていたら、今日(3月31日)で、平成が終る、と勘違いしている人が、
少ないながらもいるらしい、ということを知った。

あと一ヵ月で平成が終る。

三十年ちょっと続いた平成は、
私にとっては名刺を持たなかった三十年である。

ステレオサウンドで働くようになって、初めての名刺。
そのこと自体が、とても誇らしく感じられた。

ステレオサウンドは平成元年1月20日付けで辞めている。
とはいっても有給休暇が残っていたので、12月下旬で辞めていた、といっていい。

だから平成になってからステレオサウンドの名刺を使うことはなかったし、
新しい名刺を持つこともなかった。

それでも一度だけ、名刺を作ったといえば作っている。
2002年に、自宅でクラリスワークスで名刺をレイアウトして、
名刺用のプリント用紙に印刷しての名刺だ。

私自身の名刺というより、audio sharingの名刺であり、
川崎先生に渡すための名刺として、であった。

一枚のプリント用紙で、十枚の名刺ができた。
その十枚だけが、平成の時代に作った名刺のすべてであり、
使ったのは川崎先生に渡した一枚だけだった。

「仕事は?」と誰かにきかれると、
「オーディオマニア」とこたえる私だから、これでいいんだろう。

Date: 3月 31st, 2019
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その13)

嫌いな音、ききたくない音を徹底排除していく。

嫌いな音、ききたくない音が、いわゆるひどい音であるのならば、
それほど問題視することもないであろう。

けれど、そうでない場合がある。
少なくとも私がよく知っている例(個人)の嫌いな音、ききたくない音は、
そこにひどい音も含まれているけれど、
バランスのよい音を出すために不可欠な要素としての音が、そこに含まれている。

つまり偏食によって、嫌いな食べものを排除していくのと同じようにうつる。
嫌いな食べものは、体に悪い食べもののことではない。

必要な栄養素を好き嫌いで摂取しない。
それが極端にひどくなると栄養失調に陥ってしまう。

(その10)以降で書いているオーディオマニアは、
私の目(耳)には音の栄養失調に陥っているようにしかみえない(聴こえない)。

その人の音は、デリケートといえば、そういえるかもしれないが、明らかに栄養失調であり、
痩せてしまっている。

つくべきところに肉がつき、優れたプロポーションのスマートさではなく、
明らかに栄誉素が不十分で痩せ細ってしまった、
はっきりいえば不健康なアンバランスな音である。

音である。
食べものとは違うといえば違う。

食べもので、極端な好き嫌いをしてしまえば、健康に関ってくる。
けれど音は、身体の健康には関係していない、といえばそういえる。

だから本人の好き嫌いなのだから、周りがとやかくいうことではない──、
そうともいえる。

そう思って、私自身、そのことを直接的に指摘することはなかった。
婉曲ないいまわしで、数回伝えたことはあった。

でも、そのくらいで変るものではなかった。