戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その13)
嫌いな音、ききたくない音を徹底排除していく。
嫌いな音、ききたくない音が、いわゆるひどい音であるのならば、
それほど問題視することもないであろう。
けれど、そうでない場合がある。
少なくとも私がよく知っている例(個人)の嫌いな音、ききたくない音は、
そこにひどい音も含まれているけれど、
バランスのよい音を出すために不可欠な要素としての音が、そこに含まれている。
つまり偏食によって、嫌いな食べものを排除していくのと同じようにうつる。
嫌いな食べものは、体に悪い食べもののことではない。
必要な栄養素を好き嫌いで摂取しない。
それが極端にひどくなると栄養失調に陥ってしまう。
(その10)以降で書いているオーディオマニアは、
私の目(耳)には音の栄養失調に陥っているようにしかみえない(聴こえない)。
その人の音は、デリケートといえば、そういえるかもしれないが、明らかに栄養失調であり、
痩せてしまっている。
つくべきところに肉がつき、優れたプロポーションのスマートさではなく、
明らかに栄誉素が不十分で痩せ細ってしまった、
はっきりいえば不健康なアンバランスな音である。
音である。
食べものとは違うといえば違う。
食べもので、極端な好き嫌いをしてしまえば、健康に関ってくる。
けれど音は、身体の健康には関係していない、といえばそういえる。
だから本人の好き嫌いなのだから、周りがとやかくいうことではない──、
そうともいえる。
そう思って、私自身、そのことを直接的に指摘することはなかった。
婉曲ないいまわしで、数回伝えたことはあった。
でも、そのくらいで変るものではなかった。