スピーカーの述懐(その63)
スピーカーに求められるのは、音の表現力、ひいては音楽の表現力だけだろうか。
もっと大切なことは、洞察力のはずだ。
音への洞察力、音楽への洞察力──、
抽象的すぎるのはわかっている。
それでもスピーカーによって、洞察力は違ってくるし、
洞察力をほとんど持たないとしか思えないモノもあることは事実だ。
スピーカーに求められるのは、音の表現力、ひいては音楽の表現力だけだろうか。
もっと大切なことは、洞察力のはずだ。
音への洞察力、音楽への洞察力──、
抽象的すぎるのはわかっている。
それでもスピーカーによって、洞察力は違ってくるし、
洞察力をほとんど持たないとしか思えないモノもあることは事実だ。
ソーシャルメディアとのつき合い方は、特にfilteringだ。
誰をフォローするのか。
読みたいことのみをフォローしているようで、
読みたくないことを拒絶している。
自分と同じ意見、考えを持つ人、その投稿ばかりを追いかけて、
そのことだけで世界観を構築してしまう。
そういう使い方をしている人ばかりでないことはわかっているが、
そういう使い方をしている人も少なくないようだし、
知人の一人も残念なことにそうである。
そして凝り固まっていき、余計に拗らせているように見える。
本人は真理に迫りつつある──、という認識のようだ。
filteringとは、そういうことでは、本来ないわけなのに、そうなっていってしまう。
ソーシャルメディアがなければ袋小路にぶち当って、
そこで考えを改める機会にもなるだろうが、
ソーシャルメディアはそうじゃない。
どこまでもどこまでも、悪い意味でつき進める。
ラジオ技術の最新号が発売になっている。
通巻989号であり、一年以上経っての発売。
秋葉原の万世書房で購入できるが、ラジオ技術のウェブサイトには、まだ告知されていない。
来年、990号が出るのか。
毎年一冊ずつ出て、2036年に通巻に1000号となるのか。
アキュフェーズのA20Vをメインのパワーアンプとして使っているわけではない。
それでも、というか、だからこそ、なのか、
手を加えようと考えて二年ほど経つ。
メインとして使っていないからこそ、毎日少しずつやっていけばいい、とも言えるし、
メインとして使っていないから、あれこれ考えても、もうひとつ実行にうつす気がわいてこない、ともいえる。
けれど、今回、ウェストレックス・ロンドンでのA20Vの音(実力)を聴いて、
これは早いうちに手を加えようと思うようになった。
具体的にどこに手を加えるのかは、すでに決めている。
複数箇所、手を加える予定で、さほど費用はかからないので、その気になれば、一気にやってしまえるけれど、
いまA20Vは来月のaudio wednesdayでも使うので、手元にない。
手を加えたら、またウェストレックス・ロンドンを鳴らしてみたい。
7月9日のaudio wednesdayでは、
アンプはマランツのModel 7とマッキントッシュのMC275の組合せの予定だった。
けれどMC275の不調で、急遽、代わりのアンプを取りに戻ることになった。
持ってきたのは、アキュフェーズのA20Vである。
A級動作で、出力は8Ω負荷で20W+20W。小出力アンプである。
いまから二十以上前のアンプである。
他にもアンプはあるけれど、A20Vにしたのは、保護回路がしっかりしているからだ。
修理が可能なスピーカーならば、まだいいけれど、
野口晴哉氏のスピーカーは修理が困難なモノばかりである。
何かあることはそうそうないことはわかっていても、全く起こらないわけでもない。
ならば安全なアンプにしておきたい。
ウェストレックス・ロンドンも100dB以上の変換効率の高さを持つ。
20Wならば十分と思いがちだが、実際には16Ω負荷となるから出力は半分の10W。
300Bシングルアンプ並みの出力のトランジスターアンプで、
この時代のスピーカーが、どう鳴ってくれるのか。
想像が難しいところもあったが、鳴らしてみたら、違和感がない。
真空管とかトランジスターとか、そんなことは頭からさっぱり消えていた。
出力も十分だった。
正直、A20Vの実力を低くみていたところがあった。認識不足を反省するくらいの鳴り方だった。
A20Vの後継機は、A30、A35と続いたが、現在は同クラスの製品はない。
A35と上級機のA60の中間に位置するA45が登場し、現在はA48Sとなっている。
A20Vは出力段のMOS-FETは3パラレル、A48Sは6パラレルと規模は大きい。
A45もA48Sも聴いていないので、なんとも言えないけれど、
A20Vとは傾向は同じようでいて、けっこう違うようにも思う。
どちらかがいいアンプなのかは、組み合わせるスピーカー次第だ。
ウェストレックス・ロンドンとの組合せだと、A20Vの方がいいかもしれない──、そんな気がしている。
一時間強での音の鳴り方の変化からすると、
これから先丁寧に鳴らしていけば、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーは、もっとよく鳴るようなるはず。
だが、それはいまどきのオーディオ評論家が言うような「スピーカーの存在が消える」とは、まるで違う鳴り方のでの、その先である。
今回は、さほど長い時間、ウェストレックス・ロンドンを鳴らすことはできなかったが、
一時間強での音の鳴り方の変化は、存在感を増していく、ともいえるものだった。
スピーカーが歌うように鳴る。
そのことが鳴らしていくとともに、よりスムーズに歌うようになり、
さらに楽しく音楽を奏でてくれるようにも感じとれた。
そこには、スピーカーを通して音楽を聴く喜びがある。
20時30分ごろにステレオで鳴り始めたウェストレックス・ロンドン。
カルロス・クライバーのベートーヴェンの第二楽章の終り近くで、一時間強経っていた。
やっと目覚めたばかりのスピーカーにとって、この一時間は長くはないけれど、
それでも徐々に本領を発揮してくれつつある時間ではあった。
もっと時間があれば、さらによく鳴ってくれたはず。
そう言い切れるほど、クライバーのベートーヴェンの第三楽章と終楽章は、
ベートーヴェンの音楽の巨きさを感じられるほどに、鳴ってくれた。
これでウェストレックス・ロンドンが鳴り切ったわけではない。
もっともっと良くなるはずだし、オーディオ的な聴き方をすれば、
細かな指摘をされるだろうし、キズのない音ではない。
でも、その前に、ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽として聴かせてくれた。
このことが私にとっては、とても大事なことだ。
audio wednesdayを喫茶茶会記でやっていたころは、スピーカーはアルテックをベースにしたモノだった。
ウーファーの416-8Cの出力音圧レベルは、97dB/W/m。
実際に鳴らした感じも、そのくらいである。
100dBを超えるほどの高能率スピーカーではないものの、
十分、そう呼べるだけのモノではある。
メリディアン のUltra DACを最初に聴いたのは、このスピーカーだったし、
喫茶茶会記でUltra DACを聴いたのも、全て、このスピーカーを通してだった。
現在の狛江でaudio wednesdayを行うようになってから、
いくつものスピーカーでUltra DACを聴く機会、
言いかえると、Ultra DAC独自のフィルターの切替による音の違いを聴くようになった。
いまのところいえるのは、Ultra DACのフィルターの音の違いは、
明らかに高能率スピーカーの方が、はっきりと出る。
そして、判断に迷うことが少ない。
このことは私にとって非常に興味深い現象で、そういうことではないかな、という理屈はあるものの、
これから、いくつかのスピーカーで試してみてから語っていきたい。
そんなことを感じながら、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーを鳴らしていた。
49年ぶりに鳴ったウェストレックス・ロンドンの音は、
最初から凄いと思わせるところと、個人的には、少しあれっ? と感じるところもあった。
それはおそらく長いこと鳴らされていなかったからだろう、と思いながら、
最後に、カルロス・クライバーのベートーヴェンの五番(MQA-CD)をかける。
二楽章の後半から、明らかに音が変った。
渡辺茂夫のCDをかけて、今日は、これだけで充分じゃないか、
という気持も私の中にはあった。
でも、やはりステレオで聴きたい、という声ばかり。左チャンネルを鳴るようにする。
今回は、細かな不具合がいくつか起こるだろうと、やる前から思っていたから、
CDもあれこれ持参したわけではなかった。
その中の一枚が、クーベリック/バイエルン放送交響楽団によるスメタナの「わが祖国」。
その後に、来られた方のCDもかける。
その中に“LIVE – Hans Zimmer”があった。
タイトルからわかるようにライヴ録音。
これも、かなりよく鳴ってくれた。
トーキー用のスピーカーで映画音楽を鳴らしているわけだから、
よく鳴って当たり前とは思わない。
ウェストレックス・ロンドンの時代とハンス・ジマーの時代は、ずいぶんと違う。
そんなこと関係ないと思わせるほどに、いい。
以前から感じていることなのだが、
高能率のスピーカーはライヴ録音をうまく鳴らしてくれる。
たまたまなのだが、クーベリックの「わが祖国」もライヴ録音。
このことに関係して、もう一つ思っていたことは、
メリディアンのUltra DACのフィルターの切り替えによる音の違いは、
高能率のスピーカーの方が、はっきりと違いが出る、ということ。
渡辺茂夫と聞いても、どんな人か、ほとんどの人は知らないと思う。
私は、なんとなく名前だけは聞いた(見た)記憶があるけれど、
だからといって、どんな人なのかについては、ヴァイオリニストだった──、それだけだ。
前回のaudio wednesdayが終ってから検索して、
インターネットで知り得ることは調べたけれど、
そのことによってCDを買って聴いてみよう、とはならなかった。
それに三十年ほど前に発売されたCDは廃盤のようで、入手は難しい。それもあって、それ以上の興味は持たなかった。
おそらく先日のaudio wednesdayに来ていた人で、渡辺茂夫のCDを聴いたことのある人は、一人だけ。
CDを持って来られた人だけのはず。
誰のCDなのか、どういう人なのか、全くの説明なしに渡辺茂夫のCDをかけた。
それで考え良かった。
何の先入観もなしに、ウェストレックス・ロンドンの音とともに、
渡辺茂夫の演奏に、皆驚いたのだから。
このCDは東芝から出ていた。
ライナーノーツによると、88.2kHz、20ビットでデジタル変換されている。
ならば、QobuzかTIDALで、このスペックのまま配信をしてほしい。
とにかく49年ぶりに鳴った野口晴哉氏のウェストレックス・ロンドンは、聴く人みなの心を捉えてしまった。
昨晩のaudio wednesdayでは、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーを鳴らした。
おそらくだが、野口晴哉氏が亡くなられてから鳴らされていなかったスピーカーだろう。
となると49年間、鳴らされていなかったことになる。
できれば事前にチェックして準備しておきたかったのだが、
そういう時に限って時間の都合がつかなくて、
ぶっつけ本番になり、なんとなくだが細かな不具合が起きそうな気はしていた。
しかも、こういう予感は当たるもので、
パワーアンプのマッキントッシュのMC275のトラブルも重なって、
ウェストレックス・ロンドンからステレオで音が鳴ってきたのは、20時30分を過ぎていた。
一度、アンプを取りに家に戻ったりして、しかも暑いし、
大変な一日になったけれど、それでもウェストレックス・ロンドンから鳴ってきた音を聴くと、
やって良かったな──、だけである。
本領発揮までは、まだまだ時間が必要だけど、
堂々とした、リアリティのある音が聴けた。
最初、右チャンネルだけを鳴るようにしてかけたのは、渡辺茂夫のCDだった。
モノーラルの状態だったから、モノーラルのCDをかけたわけだが、
このCDは、最近、よく来られる方が持ってこられた。
前回、渡辺茂夫のCD、持ってきます、と言われていた。それをかけたわけだ。
持ってこられた方も、かけた私も、他の人皆、鳴ってきた音に驚いた。
8月6日のaudio wednesdayは、さそうあきら氏にDJをお願いしている。
「神童」、「マエストロ」、「ミュジコフィリア」と言った作品からもうかがえるように、
たいへんな音楽好きの方である。
6月には「絵師ムネチカ」も発売されている。上の三作品とは違い、
直接音楽を描いた作品ではないけれど、
私は「絵師ムネチカ」を読んでいて、以前書いたように、
ワグナーの「パルジファル」をおもっていた。
このへんは個々人の音楽の聴き方と関係してくることだから、
全然、そんなことは感じなかったという人がいてもいい。
今年1月に、DJの件を依頼。さそうあきら氏のスケジュールの関係で、
8月に行うことに決まっていた。
来月、やっとその日がやってくる。
明日(7月9日)のaudio wednesdayでは、ウェストレックス・ロンドンのスピーカーを鳴らす。
シーメンスのオイロダインと同じスタイルのスピーカーである。
このスピーカーは、まだ鳴らしていない。前もって確認しておきたかったが、都合がつかなかった。
なので、明日はぶっつけ本番で鳴らすことになる。
細かな不具合が発生するかもしれないし、スピーカーそのものの目覚めも時間がかかるであろう。
明日は、そんな過程、音の変化を聴いてもらうことになるだろう。
別項で「偏在と遍在」を書いているが、
いま書いていることは「偏在と遍在」とも関係してくることだろう。
現在のオーディオ雑誌の編集部の人たちがどういう人たちなのかは、全く知らない。
それでもオーディオ雑誌を、ほぼ五十年間眺めてきてなんとなく感じることは、
昭和の編集部の方が、いわば偏っていた人たちの集まりだった、ということだ。
これもどちらがいいとか悪いとかではなく、
個性というか癖のある人たちは、昔の方が多かったのではないのか。
このことはオーディオ雑誌の編集者だけに言えることではなく、
オーディオメーカーの人たちも同じではないだろうか。
そういう人たちは、いまの時代、これからの時代、お呼びでないということなのか、とも思う。
山之内正氏の名を挙げるが、山之内正氏に負の感情は持っていないことは最初に、はっきりさせておく。
以前、別項で土方久明氏をオーディオ評論家(仕事人)と書いた。
山之内正氏も、同じくオーディオ評論家(仕事人)だと感じている。
山之内正氏の、オーディオ業界での評判はとても高い、と聞いている。
そうだろう、と山之内正氏の文章を読んでいると思う。
山之内正氏は、ステレオサウンド、オーディオアクセサリー、ステレオ、
それぞれのオーディオ賞の選考委員をされている。
このことをどう捉えるか。
以前のオーディオ雑誌には、偏りがあった。
この偏りが、それぞれのオーディオ雑誌の個性(カラー)につながっていた。
これはいいことなのか、悪いことなのか。
一般的には、偏りがあるのだから悪いことになるだろうが、
オーディオ雑誌においても、そうだと言えるのか。
オーディオ機器の評価のためには、偏りなんてあってはならない──、
果たしてそうなのか。
それぞれのオーディオ雑誌の偏りをなくしていく方向になってしまったら、
そして偏りをほぼ完全に無くすことができたなら、
オーディオ雑誌は一つでいい、ということになる。
偏りをなくしていくのは、オーディオ雑誌の編集者としての善意と言えるのか、それとも悪意なのか。