Archive for category テーマ

Date: 4月 7th, 2024
Cate: ディスク/ブック

マーラーの交響曲第一番(一楽章のみ・その2)

4月3日にかけた音楽で、どの曲がいちばん心に響いたかは、
人によって違って当然である。

この日、アバドとシカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第一番をかけた。
1981年の録音。

私が、このマーラーの一番を聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室だったことは、
その1)で書いている。

試聴では冒頭の三分くらいを聴く。
だから、音量の設定は低くない。

けれど4月3日は、一楽章を最後まで鳴らすつもりだったので、
鳴り始めた音を聴いて、あれっ、音量が低め、と思われただろう。

アバド/シカゴ交響楽団による第一番の第一楽章を最後まで聴いている人ならば、
クライマックスでどれほど音量が増すのかはわかっているはずだ。

このくらいの音量でも、後半はかなりの音量となる。
といってクライマックスで音量をあわせてしまうと、出だしはかなり小さくなってしまう。

当日の音量ぐらいがぴったりだと思っている。
それゆえに出だしのピーンとはりつめた弦の音は、よりいっそう緊張感を増していた。

マーラーの一番の一楽章を聴いて、何をおもい浮べるか。
私はヨーロッパの森、それも夜明け少し前の風景が浮ぶ。

その朝の空気がどんな感じなのか。
カラカラに乾いた空気なのか、澱んでいるのか、
曇っているのか、晴れているのか、雨なのか、
その森は人里離れたところに位置するのか、まわりに人がいるのかいないのか、
気温はどうなのか、暖かいのか、すこしひんやりしているのか、などなど。

そんなことが再生する装置によっても、鳴らし方によっても、違ってくる。
どれが正解なのかは、人それぞれなのかもしれない。

アバド/シカゴ交響楽団による演奏(録音)をどれだけ聴いてきたか、
どんな音で聴いてきたかによっても影響を受け、違うことだろう。

Date: 4月 7th, 2024
Cate: きく

Listening Practice Friday

全生新舎の野口晋哉さんの新企画。
アルテックのA5C(マンタレーホーン)をメインスピーカーとする音楽鑑賞会、
Listening Practice Friday”が、4月19に始動。

詳細はリンク先をみてください。

Date: 4月 6th, 2024
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その8)

いわゆる箱型のスピーカーシステムであれば、
エラックの4PI PLUS.2を置く位置は、まずエンクロージュアの天板の上となる。
けれどアポジーのDuetta Signatureの場合、そうはいかない。

板のような形状のスピーカーなだけに、スピーカーの上に置くことはできない。
なんらかのスタンドを用意して、ということになるが、
とはいっても小型スピーカー用のスタンドだと低すぎる。

できれば120cm以上の高さのスタンドが欲しいところなのだが、
すぐには用意できない。

ではどうしたのか、というと、棚の上に置いた。
スタンドがなければ、そこしか置くところがない。

高さ的にはちょうどいい感じなのだが、
左右の4PI PLUS.2の間隔は、110cmほどしか確保できなかった。

Duetta Signatureは左右にいっぱいにひろげて設置していることもあって、
Duetta Signatureのトゥイーターよりも、4PI PLUS.2はかなり内側になった。
しかもDuetta Signatureよりも100cm以上後方である。

スーパートゥイーターの置き方として、あまりこういうことはやらないと思う。
しかも左右の4PI PLUS.2の条件は多少違う。

つまり音を聴きながら設置場所を選んだのではなく、
そんなので好結果が期待できるのか──、そう疑問に思う人もいるはず。

音は鳴らしてみないことには、何もいえない。
今回、そのことをあらためて実感していた。

今回の設置場所よりも、もっといいポイントはあるだろう。
それでも今回の設置位置がもたらした効果と結果は、興味深いと受けとめている。

Date: 4月 5th, 2024
Cate: 挑発

挑発するディスク(その18)

この項では、
カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団によるベートーヴェンの第七番について書いている。

国内盤のLPで聴いたのが最初だった。
そのすさまじさに圧倒された。

それからさまざまな音で聴いてきた。
LPもドイツ盤も買ってみたし、CDになってからもいくつか買ってきている。

それでも、国内盤LPを、
ノイマンのカートリッジDSTをトーレンスの101 Limitedに取りつけて聴いた音、
この時の音を超えることはできない──、そんなふうな諦めが私のなかでは育っていっていた。

DSTでの音は、ステレオサウンドの試聴室でも何度か聴いているし、
幸運なことに一ヵ月ほど借りることができ、自分のシステムでも聴いている。

DSTを、カザルスのベートーヴェンの七番をかけるためだけに欲しい、
と真剣に思っていたけれど、当時、いったいいくらで買えたのかは訊く気にもならなかった。

MQAで聴けるようになってから、少し可能性を感じてもいた。
4月3日のaudio wednesdayでは、第四楽章をかけた。

冒頭の音が鳴ってきた瞬間、ここまで来た! と感慨にひたっていた。
ここから新たな挑発がうまれてくるのかどうか──。

Date: 4月 5th, 2024
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その7)

4月3日のaudio wednesdayでは、
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮トロント交響楽団による
シベリウスのレンミンカイネン組曲をかけた。
TIDALではMQAで聴くことができる。

会途中の休憩でも、会終了後にも、
シベリウスがとてもよかった、といってくれた。
たしかに、この日のシベリウスはよかった。

ここまで鳴ってくれるのか、と思うほどによかった。
別項で書いているように、サラステによるシベリウスは、
菅野先生のリスニングルームで、ジャーマン・フィジックスを中心としたシステムで聴いている。

その時の衝撃が強かっただけに、私にとって宿題としての一枚になっているだけでなく、
こういう場でかけよう、という気にはまずならない。

CDしかない時代であれば、持参することすらしなかっただろう。
でも、いまの時代、インターネットがあれば聴くことができる。

この音ならば、けっこううまく鳴ってくれるかも──、という期待が生まれていた。

菅野先生のところでの音には、まだまだ及ばない。
それは鳴らす前からわかっていたことで、私にとって大事なのは、
同じところを目指しているかどうか、である。

アポジー単体で鳴らしていたら、おそらくかけなかっただろう。
4PI PLUS.2があったからこその選曲だった。

Date: 4月 5th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜と第九

1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場での初演。
今年、ベートーヴェンの第九は初演二百年を迎える。

5月のaudio wednesdayは1日。ちょうど7日ではないけれど、
ベートーヴェンの第九をかけることは、すでに決めている。

スピーカーが何になるのか、いまのところわからないけれど、
それでも第九をかける。

指揮者は誰にするか。これもまだ決めていない。
きっと当日まで迷っているだろう。
かける寸前に、誰にするか決めるかもしれない。

とにかく第四夜の中心は、ベートーヴェンの第九となる。

Date: 4月 4th, 2024
Cate: 終のスピーカー

エラック 4PI PLUS.2のこと(その6)

昨晩(4月3日)のaudio wednesdayでは、
アポジーのDuetta Signatureだけでなく、
エラックのリボン型トゥイーター 4PI PLUS.2をつけ加えた。

どちらもリボン型とはいえ、リボンの形状が大きく違うことによって、
放射パターンもはっきりと違う。

アポジーは、いわゆるダイボール型で前面と後面の音は極性が逆なのに対し、
エラックは水平方向の無指向性なのだから、
アポジーの後面に放射された音とエラックからの音とでは、
単純に考えれば打ち消しが、かなり生じることにもなるだろう。

実際のところ、どんなふうになっているのか。
音を聴いてみるしかない。
うまくいかなければエラックを外すだけ。

18時開場の前に、エラックを加えて鳴らしてみた。
うまくいきそうな感触だった。

しばらく鳴らしてみて、とくに違和感のようなものは感じなかったから、
そのまま鳴らすことにした。

結果は成功といえた。

Date: 4月 4th, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第三夜を終えて

昨晩の第三夜を終えての書きたいこと。

告知していたように、昨晩はアポジーのDuetta Signatureを鳴らした。
1980年代後半のモデルだから、ほぼ四十年ほど前の製品であって、
当時は、オール・リボン型スピーカーの実現ということで、かなり話題になっていた。

ステレオサウンドでも、アポジーは表紙になってこともあるし、
新製品紹介の記事でもカラー扱いだったした。

ステレオサウンドの試聴室で、アポジーのスピーカーシステムは聴いている。
一度や二度ではなく、けっこうな回数聴いている。

だから、多くのオーディオマニアがどこかしらで聴いているものだと思っていた。

けれど、昨晩来られた、私と同世代と思われる方にきいてみると、
今日、初めてアポジーを聴いた、という人が数人おられた。

オーディオマニアでない方もこられている。
もちろん彼らにとって初めて見るスピーカーだろう。
けれどオーディオマニアで、私と同世代の人ならば──、というのは、
私の勝手な思い込みだったことを知らされた。

あのころ、オーディオ店に行ったことはほとんどない。
アポジーが、オーディオ店でどういう扱いをされていたのか、知らなかった。
ただただ、これだけ話題のスピーカーだし、
特にCaliper signatureはサイズといい価格といい、
アポジーの製品中、手頃だったし、音も魅力的だった。

以前書いているように、Caliper signatureを本気で買おうと思ったこともある。
だから、大型のDivaは聴けるところが少ないだろうけど、
Caliper signatureならば、オーディオ店に行けば聴けるもの──、それこそが思い込みだった。

Date: 4月 3rd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第四夜

audio wednesday (next decade) – 第四夜は、5月1日である。
時間、場所はこれまでと同じ。

テーマはまだ決めていない、というか、
スピーカーシステムが何になるのかが決ってからになる。
来週末には決っている(はず)。

Date: 4月 2nd, 2024
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) – 第三夜(いよいよ明日)

明日(4月3日)は、audio wednesdayである。

今回鳴らすのは、アポジーのDuetta Signatureだ。
パワーアンプは、今回もクレルのKMA200、CDトランスポートはアキュフェーズのDP100。

D/Aコンバーターはメリディアンの818 v3で、
これまでTIDALを再生するのにはroonのNucleusを使っていたが、
今回はサイレントエンジェルのZ1。
CDトランスポート以外、宇都宮からこれらを運んできてくれるHくんのシステムということになる。

Duetta Signatureは3月の会が始まる前に、二時間弱ほど鳴らしている。
ULTRA DACが818 v3になっているからといって、
前回よりも聴き劣りのする音を出すつもりはない。

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

18時から音は鳴らしているけれど、
19時までの一時間は、質問、雑談の時間でもある。

音を鳴らし始めると、話す時間がほとんどなくなる。
とにかく聴いてもらいたいし、曲を途中で止めるのもできればやりたくないため、
曲の紹介を短めでやるくらいになってしまっている。

もともとそういうつもりで18時開場にしていたわけだが、
最初から話しかけてくる人はいないわけで、
今回で四回目なので、話のほうに少しはウェイトをおきたい。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2500円いただく(ワンドリンク付き)。
大学生以下は無料。

Date: 4月 1st, 2024
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(その9)

別項「真空管アンプの存在」の(その50)、(その51)で書いている。
1980年代の、ある国産のパワーアンプのことだ。

当時としてはけっこう高価格のパワーアンプであり、
その会社のフラッグシップモデルでもあった。

造りも良かった。回路も意欲的だった。物量も投入されていた。
滑らかで音の透明度も高い。
安定度も高いから、パワーを上げてもまったく不安を感じさせない。

こう書いていくと素晴らしいアンプのように思われるだろう。
実際に優秀なアンプといえたし、そういう評価を得ていた。

けれど、決定的に、ピアニシモ(ローレベル)においての力を感じさせなかった。
ローレベルでの力のなさゆえに、このアンプでスピーカーを鳴らしていると、
ついボリュウムを上げてしまう。

力のないローレベルの領域をできるだけ使わないように、無意識で上げていたようだ。

このことを持ち出しているのは、
時計の秒針の音が気になる音、
パワーアンプの空冷ファンの音が気になる音というのも、
実のところ、この高級国産アンプの音と同じだから、といえる。

ローレベルの力のない音で聴いていると、周囲のもろもろの音が気になってしまう。
これは人によって違うのだろう。

この項の(その6)で書いているように、
私と同じように感じていた人もいるし、そうでない人もいる。

そうでない人は、上にあげた高級国産アンプの音を聴いても、
私と同じような不満は感じないであろう。

Date: 3月 31st, 2024
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その27)

メーターをもつオーディオ機器は、
カセットデッキやオープンリールデッキなどもある。

これらのテープデッキ類とパワーアンプとの大きな違いは、
シンメトリーな配置かどうかが挙げられる。

パワーアンプのメーターの配置にもいくつかあるが、
ステレオ仕様の場合、シンメトリーな配置のモノが多い。

私が毎日眺めているSAEのMark 2500もシンメトリーなパネルフェイスである。
つまりメーターが、人の目に相当するようにみえるし、
パネルそのものが人の顔を連想させることもある。

そしてメーターの大きさや色、フロントパネルの色、質感、
そしてスイッチ類の数、配置によって、
その顏は精悍にみえるモノもあれば、どこか笑い顔のようにみえるモノもある。

無表情にみえるモノもあるが、こういうアンプはあまり顔を連想させない。

マッキントッシュのパワーアンプはソリッドステートになってから、
ほとんどの機種にメーターがついている。

けれど昔の機種はシンメトリーではなかった。
たとえばMC2300。二つのメーターは無かって左側に寄っていた。

MC2300の後継機、MC2500もツマミが一つ増えたけれど、
それ以外に関してはMC2300と同じだった。

MC2500の後継機、MC260になってからシンメトリーな配置に変更になった。
大きな変更とはいえないまでも、受ける印象の違いは小さいとはいえない。

MC2300には、どこか凄みのようなものが感じとれた。
それがMC2600になると、それは感じとれない。

MC2300とMC2600、デザインはほぼ同じであっても、メーターの配置を含めて細部が違う。
フロントパネルの色、仕上げも違う。
それらを含めての全体の印象であることは理解しても、
人の顔を連想させるかどうか、それによるものではないのか。

Date: 3月 30th, 2024
Cate: background...

background…(その1)

安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉について書いている。
《ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう》、
「他人の顔」の〈ぼく〉は、そう語っている。

いまの時代、利用されている音楽は?、というと、ジャズかもしれない──。
e-onkyoの、各ジャンルのニューリリースを眺めるたび、そう思ってしまう。

いまe-onkyoのジャズのニューリリースのところには、
「朝、コーヒー、ジャズ。」、「ゆったり朝に聴きたいボサノヴァBGM」、
「朝カフェで流れるおしゃれなジャズBGM」、
「ハーブティーとゆったりジャズでくつろぐ午後」、
「気分を高めて仕事をするためのジャズ」、
そんな類のタイトルがけっこうな数、並ぶ。

他のジャンルのニューリリースのところには、この手のものがまったくないわけではないが、
ジャズのところの数の多さはダントツ。

見るたびに、なんなんだろう、と思う。

この手のタイトルのアルバムを買う人がいるのか。
そう私は思ってしまうのだが、
以前からずっとリリースされているのだから、ある程度の数は売れているのだろう。

どんな人が買っているのかは、私にはまったくわからない。
そして、タイトルにあるような利用の仕方(聴き方)をしているのかもわからない。

「気分を高めて仕事をするためのジャズ」を、
ハーブティーとともにくつろぎたいときに聴く人はいるのか、
「朝カフェで流れるおしゃれなジャズBGM」を聴いて、
気分を高めて仕事をする人はいるのか──。

この種のタイトルのアルバムを購入する人は、
タイトルにあるような聴き方をしているとすれば、
その人ははたして音楽のよき利用者といえるのか。

ここでのよき利用者は、そういうタイトルをつけて提供している側なのか。

Date: 3月 29th, 2024
Cate: ハイエンドオーディオ

ハイエンドオーディオ考(その11)

ハイエンドオーディオの定義とは、
目の前にリアルなサウンドステージを創り出すシステム──、らしい。

X(旧twitter)で、ステレオサウンド・オンラインが投稿していた、
と友人が先日教えてくれた。

ステレオサウンド・オンラインのアカウントによると、
ハイエンドオーディオという言葉をつくったのは、
アブソリュート・サウンド誌のハリー・ピアソンとなっている。

ハリー・ピアソンが言い始めたということは、私も聞いて知っていたが、
本当なのかどうかは、よくわからない。
ハイエンドオーディオという言葉を広めたのは、ハリー・ピアソンといってもいいだろうけれど。

言葉をかえれば、録音されたサウンドステージの再現ということになるわけだが、
完全なサウンドステージの再現とは、誰が判定するのだろうか。

ステレオサウンド 29号に、黒田先生の「ないものねだり」を思い出す。
     *
 思いだしたのは、こういうことだ。あるバイロイト録音のワーグナーのレコードをきいた後で、その男は、こういった、さすが最新録音だけあってバイロイトサウンドがうまくとられていますね。そういわれて、はたと困ってしまった。ミュンヘンやウィーンのオペラハウスの音なら知らぬわけではないが、残念ながら(そして恥しいことに)、バイロイトには行ったことがない。だから相槌をうつことができなかった。いかに話のなりゆきとはいえ、うそをつくことはできない。やむなく、相手の期待を裏切る申しわけなさを感じながら、いや、ぼくはバイロイトに行ったことがないんですよ、と思いきっていった。その話題をきっかけにして、自分の知らないバイロイトサウンドなるものについて、その男にはなしてもらおうと思ったからだった。さすが云々というからには、当然その男にバイロイトサウンドに対しての充分な説明が可能と思った。しかし、おどろくべきことに、その男は、あっけらかんとした表情で、いや、ぼくもバイロイトは知らないんですが、といった。思いだしたはなしというのは、ただそれだけのことなのだけれど。
     *
これに近いような気がする。
自分で録音した音源ならば──、という人もいようが、
録音された状態のサウンドステージがどうなのか、録音した本人もわかっていないはずだ。

録音の場のサウンドステージはわかっていても、
それがそのまま録音されているわけではない。

マイクロフォンの段階、テープレコーダーで記録される段階、
その他、いろいろな段階で変質していくのだから。

なのに、どうして、そういえるのだろうか。

ならば、お前はどう定義するのか、と問われれば、
オーディオの可能性の追求と答える。