Archive for category テーマ

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)

天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。

「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。

主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。

とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。

オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。

なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。

「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。

「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」

「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その13)

そのオーディオ機器のなかにある趣味性と実用性、そのバランス。
そんなことを書いているけれど、若いころは、そんなことを意識していたわけではない。

それでも何かを選ぶとき、そんなことをんとなく思うようになってきたのは、
40を超えたころからだろうか。

(その12)で挙げている例にしても、
同時代の製品を比較しているのではない。

4311は4311Aになり、4311Bとなり、4312へと大きくモデルチェンジした。
その4312も型番の末尾にアルファベットがつくようになって、4312Gで何代目なのだろうか。

それに4311がよく知られているから、4311の名を挙げたのであって、
この一連のシリーズで私が、いま欲しいのは4310である。

4310のアピアランスが、いちばん気に入っているからが、その理由である。

マッキントッシュのMC2300とMC2600のあいだには、
MC2500、MC2500(ブラックパネル)がいるから、世代の違うモノの比較である。

どちらがいいか、ではなくて、どちらが欲しいか、である。
どちらが好きか、ともちょっと違う。

ほかの人は、そこのところのどうなのだろうか。
新品しか買わないという人は、ここでは関係ないが、
何か買う時に、新品も中古も選択肢となる人にとって、
時代・世代の違いを、どう受けとっているのだろうか。

単純に、どちらが音がいいのか、だけで判断しているのか。
それとも、私のようなことを考えてのことなのか。

こんなことを考えていたら、
私にとってメリディアンの218は、どういう存在なのか。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: audio wednesday

第114回audio wednesdayのお知らせ(再びTANNOY Cornetta)

吉田日出子の「上海バンスキング」、
「伝説の歌姫 李香蘭の世界」、
この二組のCDは、8月5日のaudio wednesdayに持っていく。

7月はクナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
今回はカラヤンの「パルジファル」にしようと考えている。

それからケンプ、バックハウスのベートーヴェンのピアノ・ソナタを、
どちらもMQAで持っていく。

ここまで書いて、ふと気になって確かめたことがある。
1981年の8月と今年の8月は、土曜日から始まる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

上海バンスキング(その2)

「上海バンスキング」のCDを聴いていた。
吉田日出子の歌を聴いていた。

瀬川先生が「上海バンスキング」で、吉田日出子の唱うブルースにしびれていたころは、
すでに離婚されて中目黒のマンション住いだった。

4345がスピーカーだった。
そのころの瀬川先生のところに行った人によれば、
アキュフェーズのアンプだった、という。
C240とM100の組合せだ、と思う。

アナログプレーヤーはパイオニアのExclusive P3のはず。
カートリッジまでははっきりとしないが、
オルトフォンのMC30、MC20MKII、デンオンのDL303、EMTのXSD15あたりだろう。

そういうシステムで、世田谷・砧のリスニングルームよりずっと狭い空間で聴かれていた。

このことを、吉田日出子の歌を聴いていて思い出していた。
吉田日出子の歌を聴くのは初めてである。
吉田日出子という人の印象も、テレビのない生活がながい私には、ほとんどない。
なんとなく顔が思い出せるくらいだ。

吉田日出子の顔は、なんとなく知っていたし、検索して確認もしていた。
それでも、聴いていて、
瀬川先生が好きだったバルバラ、アン・バートンとはずいぶん違う、と感じた。

なんとなくそんな感じはしていたけれど、そのことは少し意外でもあった。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その12)

この項は、どちらかといえば思いつきで書き始めた。
コーネッタを、中古とはいえペアで八万円ほどで入手できたことから始まっている。

いまペアで八万円前後で購入できるスピーカーシステム(当然新品)と、
中古のコーネッタを比較して、どちらが音がいい、といいたいのではなく、
どちらを人は選ぶのだろうか、それも私のような50代と、
オーディオを始めたばかりの若い世代の人とでは、どう違ってくるのだろうか。

そんなことを考えながら書き始めた。
書き始めてエアパルスのA80の存在を知った。
そのことで、自分でも、これから先、どんなことを書いていくのかほとんど考えていない、
というかわかっていないところがある。

それでもスピーカーシステム(スピーカーに限ったことではないが)の趣味性と実用性、
そのことでいえば、(その5)と(その6)でのJBLの4311と4312のこと。

4311の存在を初めて知った30代くらいの人は、4311をかっこいいと言っていた。
4312よりも4311を欲しい、と言っていたわけだが、
この人は4311のほうに、趣味性を感じたのではないのか。

実用性の高さということでは、4311よりも4312である。
4312の最新モデルの4312Gは、120,000円(一本、税抜き)である。

1977年、4311は193,800円していた。
その後円高が進んで安くなったこともあるとはいえ、
40年間の物価の上昇を考えると、4312の価格はいささか驚くところがある。

もちろん4312をとりまくいろんな状況が変ってきているからこその、この価格ともいえる。
(その6)で書いているが、私ならばどちらを選ぶか。

他にスピーカーを持てないのであれば4312Gであり、
他にスピーカーを持っているのであれば4311であるのは、
他にスピーカーを持てないのであれば実用性を重視するし、
他にスピーカーを持っているのであれば趣味性をとるから、である。

このことは以前別項でふれたマッキントッシュのMC2300とMC2600にも、
そっくりそのまま当てはまる。
他にパワーアンプを持てないのであればMC2600なのだが、
他にパワーアンプを持っているのであればMC2300を、私は選ぶ。

だからといって、4312G、MC2600に趣味性がない、といっているのではない。
趣味性と実用性のバランスを、その製品にどう見ているか、ということだ。

Date: 7月 21st, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その4)

一流のオーディオ評論家は、いまや一人もいない。
だからこそ、オーディオ雑誌は年末の賞をやる、といえるところがある。

賞の選考委員は、一流のオーディオ評論家ですよ、とアピールしたいのだろう。
二流のオーディオ評論家が選考委員では、その賞そのものの意味がなくなる。
威厳もなくなってしまう。

どちらかというと、賞のもつ、そんな俗物的な面を守るために、
一流のオーディオ評論家が必要である。

それに賞の選考委員ということで、
オーディオ評論家は一流ぶることができる。
持ちつ持たれつの関係ともいえる。

いまのオーディオ業界にいるのは、一流ぶったオーディオ評論家だ。
でも、そんな彼らも、あるところでは一流なのかもしれない。

彼らはオーディオ評論家(商売屋)としては、一流なのだ。
オーディオ評論家(職能家)として一流である必要は、いまの時代ないのだろう。
そんなことオーディオ雑誌の編集者も求めていないように見受けられる。

読者ですら、そうなのかもしれない。

オーディオ業界で喰っていかなければならない、
家族を養っていかなければならない、
そんなことを彼らは言う。
実際に私に言った人がいる。

オーディオ評論家(商売屋)として一流であれば、
むしろそうであったほうが喰うには困らないのだろう。

そんな時代に、一流ぶることなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」という人がいた。

Date: 7月 21st, 2020
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その12)

昨年、TX1000を8,500,000円で出品した人、
8,500,000円で落札した人、
今回10,000,000円で出品している人、
彼らは、TX1000にそれだけの、オーディオ機器としての価値があると考えているのだろうか。

TX1000には、そんな価値はないと考える。
オーディオ機器として、それだけの価値はないと断言するけれど、
私には理解できない価格で売買する人がいるのは事実であり、
こうなると投資目的なのか、と思いたくなる。

昨年、TX1000を8,500,000円で出品した人、
8,500,000円で落札した人、
今回10,000,000円で出品している人は、資産価値でオーディオ機器を見ているのか。

オーディオ機器を買う際に資産価値を検討する──、
そういったことを聞いたのは、ステレオサウンドで働いていたころだった。
あるオーディオ評論家が、そういっていた。

それまでそういったことでオーディオ機器を選んだことはなかったし、
そんなことをきいたから、といって、資産価値は、ということで選んだことはない。

でも、そんな人たちが昔からいたのも事実である。

私だって、使ってきたオーディオ機器を手離すとなったら、
できれば少しでも高く売れれば、と思う。
それでも買った値段よりも高くなることなんて、まったく期待していない。

けれど資産価値を気にする人たちは、そうではない。
そんな人たちにとって、資産価値とは、そのオーディオ機器の付加価値として捉えているのか。
それとも本来価値として捉えているのか。

Date: 7月 21st, 2020
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(その11)

(その10)の続きを書く予定でいた。
けれど先日ヤフオク!で、びっくりするような値がつけられた出品をみて、これを書いている。

ナカミチのTX1000のことである。
1981年に登場したTX1000は1,100,000円だった。
レコードの芯出しという、それまでのアナログプレーヤーにはなかった機能を搭載していた。
アブソリュート・センター・サーチ・システムと名づけられていた。

その機能による音の変化は小さくないが、いつも同じ変化量というわけでもない。
レコードのかけかたがうまい、ということには、
レコードの芯出しをどのくらいうまく出せるかも含まれている。

スピンドルの先端でレーベルをこすってしまった線状のあとのことをヒゲという。
ヒゲをつけているようでは、その人のレコードの扱いはぞんざいであって、
芯出しのことなんてまったく考慮していないはずだ。

けれど自分のプレーヤーでなれてくると、意外にも芯出しはうまく行えてくるものだ。
毎回ぴたっときまるわけではないが、ひどくズレることはそうとうに減ってくる。
レコードの芯出しは、何度かかけかえれば、うまくいくものである。

それを自動的に行ったのがTX1000であり、
TX1000はレコードの芯出しの重要性を広めたプレーヤーでもある。

そういうTX1000なのだが、私はアナログプレーヤーとしてはまったく評価していない。
私の評価なんて気にすることはもないのだが、
世の中には、TX1000をおそろしい(むしろおかしな)ほどに高く評価する人がいるようだ。

ヤフオク!にTX1000の未使用品が、10,000,000円で出ている。
ゼロの打ち間違いではなく一千万円である。

未使用のTX1000だから、そのくらいの価値があると考える人もいれば、
私は、未使用であっても、当時の定価でも高いと感じる者もいる。

いまアナログプレーヤーに一千万円出せる人ならば、
別のアナログプレーヤーを買った方がいい。
そちらのほうが音がいいからだ。

TX1000はアナログプレーヤーとしては、よくいって未完の大器でしかない。
アブソリュート・センター・サーチ・システム以前に、
アナログプレーヤーとしての音を、高く評価することはできないからだ。

そんなTX1000が、一千万円である。
誰が買うのだろうか、と思っていたら、
昨年、やはり未使用品が8,500,000円で落札されている、とのこと。

Date: 7月 20th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その11)

フィル・ジョーンズのデビュー作といえるアコースティック・エナジーのスピーカーシステム。
私が聴いたのは知人宅で、だった。

50〜60畳はあるかなり広い空間、
しかも弧を描く天井は、いちばん高いところでは6mほどはあろう。

そういう空間でアコースティック・エナジーのAE2を聴いた。
9cm口径のアルミ合金を芯材としたウーファーが二発、トゥイーターはハードドーム型。

イギリスのスピーカーらしく、エンクロージュアのプロポーションは奥に深い。
なのに、このスピーカーのエネルギーは、半端なものではなかった。

ソリッドな音とは、まさにこのこと。
どれほどボリュウムを上げていっても、不安感はない。

フロントバッフルにあるバスレフポートからの空気の放射が顔に当るのがわかるほどに、
そこまでボリュウムを上げても、まだまだ上げられそうな余裕を感じさせる。

オーディオ的快感が、はっきりとあったし、
スピーカー技術の進歩を感じとれもした。

オーディオマニアならば、AE2のポテンシャルを十分に発揮できる環境で、
その音を聴いたならば、誰もがオーディオ的快感に惹かれることだろう。

それは好きな音楽がどうとかではなく、ソリッドな音は音量をあげていっても崩れることなく、
ひたすら音が気持よく、そのことが快感なのだ。

最初は、AE2の音に興奮していたところがある。
あれこれ鳴らしていくと、興奮は増していった。

なのに、あるところまで達すると、そこから先は興奮は薄れていった。

いまおもうと、AE2は、趣味性の高いスピーカーシステムだったのだろうか。
確かに、あのころ、驚くほどのオーディオ的快感をあじわえた。
それが大型のスピーカーではなく、小型スピーカーゆえに音源が小さいということも、
オーディオ的快感を増していったのだが、だからといって、趣味性が高いといえるのか。

実用性の高いスピーカーではあったのではないだろうか。
AE2から、ほぼ30年後のA80ほどの実用性ではなかったのかもしれないし、
まだ趣味性も多少は感じていたのかもしれない。

それでも実用性に傾いていたスピーカーだったように思っている。

Date: 7月 19th, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その3)

二流のオーディオ評論家が一流ぶるのは、本人だけのせいなのだろうか。
オーディオ雑誌の読者が、一流のオーディオ評論家を求めている──、
ということも考えられるような気がする。

名実ともに一流でなくてもいい、名ばかりの一流であってもいいから、
そういうオーディオ評論家を読者が欲している。
そんな空気があるから、オーディオ雑誌の編集者が、
二流のオーディオ評論家に一流ぶることを求める。

それだけではない、オーディオメーカーも輸入元も、それからオーディオ販売店も、
実はともなわなくてもいいから、一流といえそうなオーディオ評論家を必要としている。

私が勝手にそう思っているだけで、実際のところはわからない。
でも、ありそうな気はする。

誰も意識はしていないのかもしれない。
その意味では、そうでないともいえるだろうが、
それでもオーディオ業界の人たちは、
一流のオーディオ評論家による御墨付を意識するしないに関らず求めている──。

飾りでいいのかもしれない。
とにかく一流、とかいえる人たちがいなければかっこうがつかない。

このへんのことは、別項で書いているトロフィーオーディオとも関係してくるであろう。

一流のオーディオ評論家が執筆しているオーディオ雑誌は一流、という図式が成り立たない。
一流のオーディオ評論家が自宅で使っているオーディオ機器は一流品である──、
ということもいえなくなる。

ほんとうに一流のオーディオ評論家を必要としているのではなく、
一流というレッテルだけが求められている。
といってはいいすぎだろうか。

Date: 7月 19th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その2)

「わがタンノイ・オートグラフ」に、タンノイとのであいを書かれている。
     *
 タンノイ・スピーカーを我が家におさめたのは昭和二十九年(当時はいま使っているオートグラフではない)だから今年で二十四年目になる。この間私はタンノイを骨の髄までしゃぶった。このことはオーディオ愛好家としての私が人さまに、はばかりなく言えることだ。
 はじめてタンノイを聴いたのは昭和二十七年秋、S氏のお宅でだった。フランチェスカッティの、ベートーヴェンの『ロマンス』を聴いた。おもえば、ト長調(作品四〇)の冒頭で独奏ヴァイオリンが主題を呈示する、その音を聴いた時から、私のタンノイへの傾倒ははじまっている。ヴァイオリンの繊細な、澄みとおった高音域の美しさは無類だった。あれほど華麗におもえた当時評判の『グッドマン』が、途端に、色あせ、まるで鈍重に聴こえたのを忘れない。
 しかし、実はかならずしもすべてがうまく聴こえたわけではない。どうかすれば耳を突き刺す金管の甲高い響きや、弦合奏でガラス窓をブリキで引っかくに似た乱れた軋みを出すのをきくと、これが海外のHiFi雑誌に絶賛されたスピーカーかと狼狽したのは、むろん当のS氏だったろう。
 この時のタンノイはいわゆるバスレフ型のコーナーキャビネットにおさめてあった。バスレフ型というのは、周知のように、箱の上辺にスピーカーを取付け、下辺にダクトを設けているが、「音のわるいのはキャビネットのせいに違いない」とS氏は言って早速、家具屋に新しく《タンノイ指定》のキャビネットを注文された。今なら笑い話だがわたくしが知っているだけでも、タンノイのためにS氏の発注されたキャビネットはグランドピアノの重さのある巨大なの(これは高城重躬氏の設計になった)まで、ゆうに七個をかぞえる。キャビネットばかりは下駄箱にもならず、残骸が次々納屋を占領して夫人を嘆かせていた。笑い話といえば、当時S氏のアンプを製作していた技術者は、「タンノイは磁石が強力だから低音が出ない」といい、それならとワーフデールのウーファーをS氏はタンノイに組合わせて鳴らされたものである。グランドピアノの重さのキャビネットがこれである。
 涙ぐましいこういう努力で、少しずつ音質はよくなり、しかし疑念は晴れない。ワーフデールでこれ位よくなるなら、さらにタンノイをもう一個取付け、低音だけを鳴らせば一層、音の美しさはまさるだろうと、二個目のタンノイをS氏は芳賀檀氏の渡欧の折に依頼された。当時神田のレコード社でタンノイ(15インチ)は十七万円した。英本国でなら邦貨三万数千円で入手できる。芳賀さんはロンドンで購入したのはよいが、どんなにS氏がレコードを、その音質を、つまりスピーカーを大切にする人かを熟知していたので、リュックサックに重いタンノイを背負い込み、フランス、ドイツ、スイスと旅して回った。なんのことはない、国がかわる度に通関手続で英国製品の余分な税金をふんだくられねばならない。「これはぼくの友人のスピーカーだ。日本へ持って帰るのだ」何度説明しても、この真摯なドイツ文学者にリュックサックでスピーカーを持ち回らせる、そんな音キチが東洋の君主国にいようとは、彼らには信じられなかったのである。ハイ・ファイという言葉すら当時は一般に知られていない。「日本に持ち帰るなら、なぜロンドンから直送せんか」「大切なスピーカーだからだ。これは、有名なタンノイだ。少しでも早く友人に届けたいからだ」なんと説明しても、「税金を支払わないのなら貴下を入国させるわけにはいかん。そのリュックサックは没収する」
 これまた、語るも涙であろう。涙のこぼれるこういう笑い話を、大なり小なり、体験しないオーディオ・マニアは当時いなかった。この道は泥沼だが、音質が向上するにつれて泥沼はさらなる深みを用意し、濫費を要求する。みんな、その濫費に泣きながら、いい音が聴きたくて悪戦苦闘するのである。
 タンノイにおける、S氏のこの悪戦苦闘ぶりをつぶさに傍で見たことが、その後のわたくしの苦闘につねに勇気を与えてくれた。この意味でもS氏は、かけがえのないわたくしには大先達であった。
     *
瀬川先生が聴かれたのは、
グランドピアノの重さほどのキャビネットに、
ワーフデールの15インチ・ウーファーをパラレルにおさめられていた時の音だ。

五味先生がS氏宅のタンノイをはじめて聴かれたときは、
芥川賞受賞前のことだ。

菅野先生も、瀬川先生も、S氏のタンノイを聴かれたころは、五味先生を知らなかった。
五味先生が「西方の音」を藝術新潮に連載されるようになるのは、ほぼ十年後である。

Date: 7月 19th, 2020
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その2)

一流、二流というのは、いわば格付けでもある。
そして、それまで一流と呼ばれてきた人たちがみないなくなったからといって、
それまで二流と呼ばれてきた人たちが、一流になるものではない。

けれど、実際のところどうだろうか。
少なくともオーディオ評論の世界では、
一流と呼ばれていた人たちがみないなくなって、
それまで二流だった人たちが、自動的に一流に繰り上げになっている。

プロ野球の世界ならば、一軍の選手がなんらかの理由で全員いなくなれば、
二軍の選手が一軍にあがることになる。
でも、オーディオ評論の世界は、ほんらいそういうものではない。

なのに、私の目には、そう映ってしまう。
キャリアがながいから一流なわけではないし、
システム・トータルの金額が高価だから、といっても一流なわけでもない。

「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、
くり返しになるが、一流ぶることをしない。

「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、なぜ一流を目指さないのか──、
そう思う人もいるだろう。
その人も、最初の頃は、一流のオーディオ評論家を目指していたのかもしれない。
勉強し、努力してもなれない人はなれないものだ。

そのことを認めざるをえない日があったのかもしれない。
その人と面識があるわけではないし、あったとしても、そんなことを訊けるわけがない。

「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、一流ぶることもできたはずだ。
けれど、その人はそんなことをしなかった、選ばなかった。

Date: 7月 19th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その10)

40年以上前の中古のスピーカーシステム、コーネッタ、
今年の新製品のエアパルスのA80。

中古と新品の価格を一緒くたに考えることの無理は承知で、どちらもほぼ同じ価格である。
どちらを購入するだろうか、と自問すれば、私はやはりコーネッタである。

以前から自分の手で鳴らしてみたかった、という理由がいちばん大きいけれど、
趣味性ということを考えても、やはりコーネッタである。

この趣味性、オーディオにおける音楽性と同じくらいに曖昧なところがある。
あまり使いたくないのだが、コーネッタとA80を並べて考えてみたときに、
趣味性と実用性ということが、まず浮んできた。

A80は、かなり実用性の高いスピーカーシステムであろう。
音を聴けば、断言することもできるけれど、いまの時点では聴いていないのだから、
想像で書くしかない。

ここで趣味性、実用性といっているが、
あくまでも私がそう感じているだけであって、
ある人は、A80に高い趣味性を感じているのかもしれない。

そう思いながら、私はA80にどうしても趣味性のようなものを感じとることはない。
フィル・ジョーンズが開発している──、そのことにも特に趣味性は感じない。

40年前ならば、リボントゥイーターというだけで、
ある意味、趣味性を感じさせるところはあった。
当時、リボントゥイーターといえば、パイオニアのPT-R7、それにデッカの製品、
純然たるリボン型とはいえないがテクニクスの10TH1000くらいで、
そのあとにピラミッドのT1が登場したくらいだ。

当時リボン型トゥイーターは、高価で扱いもデリケートなところがあったし、
その独得の繊細さゆえに、趣味性が高い、と感じた人は少なからずいた。

けれど、いまはずいぶん違ってきた。
ドーム型と同じくらい、とまではいわないけれど、リボン型の種類、製品数は増えてきた。
安価にもなってきた。

当時、特別なトゥイーターという印象をもっていたけれど、いまはそんなことはない。
そんなこともあって、A80に、私は趣味性を感じない。

Date: 7月 18th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その1)

カラヤンと4343と日本人(その10)」で触れたタイトルとはまったく違うところでのタイトルだ。

菅野先生が、
ステレオサウンド 55号「タンノイ・オートグラフ研究」の冒頭で書かれている。
     *
 タンノイと私のふれ合いは、不思議なことに、あの熱烈なタンノイ信奉者の故・五味康祐氏、そして、古くからのオーディオ仲間である瀬川冬樹氏のそれと一致する。本誌別冊の「タンノイ」号巻頭に、両氏のタンノイ論が掲載されているのをお読みになった読者もおいでになると思うが、両氏がはじめてタンノイの音に接して感激したのが、昭和27〜29年頃のS氏邸に於てであることが述べられている。私もその頃、同氏邸においてタンノイ・サウンドを初めて体験したのであった。両氏共に何故かS氏と書かれているが、新潮社の齋藤十一氏のことであると思う。もし違うS氏なら、私の思い違いということになるのだが……。当時、私が大変親しくしていて、後に、私の義弟となった菅原国隆という男が新潮社の編集者(現在も同社に勤務している)であったため、編集長であった齋藤十一氏邸に私を連れて行ってくれたのであった。明けても暮れても、音、また音の生活をしていた私であったが、その時、齋藤邸で聴かせていただいたタンノイの音の感動はいまだに忘れ得ないものである。正直いって、どんな音が鳴っていたかは覚えていないのであるが、受けた感動は忘れられるものではない。もう、27〜28年も前のことになる。以来、私の頭の中にはタンノイという名前は、まるで、雲の上の存在のような畏敬のイメージとして定着してしまった。五味氏によれば、当時タンノイのユニットは日本で17万円したそうだが、そんな金額は私にとって非現実的なもののはずだ。しかし、実をいうと、当時はタンノイがいくらするかなどということすら考えてもみなかったのである。それは初めて見たポルシェの365の値段を知ろうとしなかった経験と似ている。つまり、値段を聞くまでもなく、自分とは無縁の存在だということを嗅ぎわけていたから、そんな質問や調査をすることすら恐ろしかったのだと思う。なにしろ、神田の「レコード社」に注文して取り寄せた、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」(ペトレ・ムンテアーヌの歌で伴奏がフランツ・ホレチェック)を受け取りに行くのに5百円不足して四苦八苦したような頃だったから、推して知るべしである。おまけに、このレコードを受取りにいったレコード社で、ばったり、齋藤十一氏に会ったのはいいが、後日、先に書いた私の義弟を通して「美しき水車小屋の娘」を買うなんて彼は若いね……というような意味のことを齋藤氏がいっていたと聞き、えらく馬鹿にされたような気になった程度の青二才だったのだ。幸か不幸か、タンノイは、こうして私の頭の中に定着し、自分とは無縁の、しかし凄いスピーカーだということになってしまった。正直なところ、このコンプレックスめいた心理状態は、その後、私が、一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係を作ったように思うのである。若い頃の体験とは、まことに恐ろしいのである。
     *
タイトルのS氏は、新潮社の齋藤十一氏のことである。
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の「私とタンノイ」の冒頭で、
やはりS氏のタンノイのことを書かれている。
     *
 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     *
五味先生が、タンノイをはじめて聴かれたのは、昭和27年秋のころだ。

Date: 7月 18th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(実際の購入・その9)

(その8)で書いたエアパルスのA80。
(その8)を公開したあとで、もう一度、その価格を確認したほどである。

ペアで、私がコーネッタを買った金額と同じくらいと書いたけれど、
実は一本の価格だったのではないか、間違ってしまったのではないか、と思うほどに、
キャリアのながいオーディオマニアほど、A80の価格はにわかに信じられない安さである。

音を聴いていないのだから、聴いてしまうと、
やっぱり、この価格の音だな、と思う可能性もあるだろうが、
なんとなくでしかないが、そんなことはないようにも思っている。

A80の価格と仕様であれば、
これまでヘッドフォン・イヤフォンのみで音楽を聴いてきた人が、
スピーカーでも聴いてみようと考えた場合に、候補の上位になるだろう。

ヘッドフォンで聴いている人ならば、D/Aコンバーターをもっているだろうし、
いわゆるハイレゾ再生環境があるだろう。

A80ならば、そのシステムに接続するだけでいい。
パワーアンプを別途用意する必要はない。

これから新たにシステムを組もうとしている人であっても、
USBのデジタル入力もそなえているから、パソコンとの接続だけでいい。

いままで、この価格(もっと安価な価格)で、こういう仕様の製品がなかったわけではない。
それらの製品のすべてを把握しているわけではないが、聴いてみたいと思うモノはまずなかった。

A80が40年前に登場していたら、いくらだっただろうか。
テクニクスのSE-C01は65,000円だった。
このころLS3/5Aは一本75,000円だった。

この組合せだと、ペアで280,000円である。

この40年間のインフレ率はどのていどなのだろうか。
当時のステレオサウンドは1,600円だった。