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Date: 1月 10th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その18)

ステレオサウンド 44号は、41号から読みはじめた私にはやっと1年が経った号。
いまと違い、3ヵ月かけてじっくりステレオサウンドをすみずみ(それこそ広告を含めて)読んでいた。
実測データも、もっと大きな写真にしてくれれば細部までよく見えるのに……、
と思いながらも、じーっと眺めていた。

同じスピーカーシステムの周波数特性なのに、サインウェーヴで無響室での特性と、
ピンクノイズで残響室でスペクトラムアナライザーで測定した特性では、
こんな違うのか、と思うものがいくつかあった。
どちらも特性も似ているスピーカーシステムもあるが、それでも細部を比較すると違う傾向が見えてくる。

とはいうものも、このころはまだオーディオの知識もデータの読み方も未熟で、
データの違いは見ることで気がつくものの、それが意味するところを、どれほど読み取れていたのか……。
それでも、このトータルエネルギー・レスポンスは面白い測定だ、とは感じていた。

このトータルエネルギー・レスポンスについては、
瀬川先生もステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES-3(トゥイーター特集号)で触れられている。
     *
(トゥイーターの指向周波数特性についてふれながら)残響室を使ってトゥイーターのトータルの周波数対音響出力(パワーエナージィ・レスポンス)が測定できれば、トゥイーターの性格をいっそう細かく読みとることもできる。だが今回はいろいろな事情で、パワーエナージィは測定することができなかったのは少々残念だった。
ただし、指向周波数特性の30度のカーブは、パワーエナージィ・レスポンスに近似することが多いといわれる。
     *
サインウェーヴ・無響室での周波数特性よりも、
私がトータルエネルギー・レスポンスのほうをさらに重視するきっかけとなった実測データが、
ステレオサウンド 52号、53号で行われたアンプの測定データのなかにある。

Date: 1月 10th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その17)

ステレオサウンドは44号で、サインウェーヴではなくピンクノイズを使い、
無響室ではなく残響室での周波数特性を測定している。

44号での測定に関する長島先生の「測定の方法とその見方・読み方」によると、
36号、37号でもピンクノイズとスペクトラムアナライザーによる測定を行なっている、とある。
ただし36号、37号では無響室での測定である。
それを44号から残響室に変えている。
その理由について、長島先生が触れられている
     *
(残響室内での能率、リアル・エフィシェンシーについて)今回はなぜ残響室で測ったのか、そのことを少し説明しておきましょう。スピーカーシステムの音はユニットからだけ出ていると思われがちですが、実はそれだけではないのです。ユニットが振動すれば当然エンクロージュアも振動して、エンクロージュア全体から音が出ているわけです。そして実際にリスナーが聴いているスピーカーシステムの音は、スピーカーからダイレクトに放射された音、エンクロージュアから放射された音、場合によっては部屋の壁などが振動して、その壁から反射された音を聴いているわけです。
ところが一般的に能率というと、スピーカー正面、つまりフロントバッフルから放射される音しか測っていないわけです。これは無響室の性質からいっても当然のことなのですが、能率というからには、本来はスピーカーがだしているトータルエナジー──全体のエネルギーを測定した方が実情に近いだろうという考え方から、今回は残響室内で能率を測定して、リアル・エフィシェンシーとして表示しました。
(残響室内での周波数特性、トータルエネルギー・レスポンスについて)今回のように残響室内で周波数特性を測定したのは本誌では初めての試みです。従来の無響室内でのサインウェーブを音源にした周波数特性よりも、実際にスピーカーをリスニングルーム内で聴いたのに近い特性が得られるため、スピーカー本来の性格を知る上で非常に参考になると思います。
(中略)この項目も先ほどの能率と同様に残響室を使っているため、スピーカーシステムの持っているトータルエナジーがどのようなレスポンスになっているかが読み取れます。
     *
ステレオサウンドでの測定に使われた残響室は日本ビクター音響研究所のもので、
当時国内最大規模の残響室で、内容積280㎥、表面積198㎡、残響時間・約10秒というもので、
壁同士はだけでなく床と天井も平行面とならない形状をもっている。
ただ、これだけの広さをもっていても、波長の長い200hz以下の周波数では部屋の影響が出はじめ、
測定精度が低下してしまうため、
掲載されているデータ(スペクトラムアナライザーの画面を撮った写真)は、200Hz以下にはアミがかけられている。

Date: 1月 10th, 2012
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹(1935年1月10日 – 1981年11月7日)

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その16)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4で、菅野先生は2115Aについて、こう語られている。
     *
オーケストラのトゥッティの分解能とか弦のしなやかさという点では、LE8Tに一歩譲らざるを得ないという感じです。ところがジャズを聴きますと、LE8Tのところでいった不満は解消されて、むしろコクのある脂の乗った、たくましいテナーサックスの響きが出てきます。ベースも少し重いけれど積極的によくうなる。そういう点で、この2115はLE8Tの美しさというものを少し殺しても、音のバイタリティに富んだ音を指向しているような感じです。
     *
瀬川先生は、こんなふうに、2115AとLE8Tの違いについて語られている。
     *
2115の方がいろいろな意味でダンピングがかかっていないので、それだけ能率も高くなり、いま菅野さんがいわれたような音の違いが出てきているんだと思うんです確かに。2115は緻密さは後退していますが、そのかわり無理に抑え込まない明るさ、あるいはきわどさすれすれのような音がしますね。どちらが好きかといわれれば、ぼくはやはりLE8Tの方が好ましいと思います。
(中略)そもそもJBLのLEシリーズというのは、能率はある程度抑えても特性をフラットにコントロールしようという発想から出てきたわけですから、よくいえば理知的ですがやや冷たい音なんです。ですからあまりエキサイトしないんですね。
     *
LE8Tは優秀なフルレンジユニットだということは実測データからも読みとれるし、試聴記からも伝わってくる。
D130はマキシマム・エフィシェンシー・シリーズで、LE8Tはリニア・エフィシェンシー・シリーズを、
それぞれ代表する存在である。
だからD130はとにかく変換効率の高さ、高感度ぶりを誇る。そのためその他の特性はやや犠牲にされている──、
おそらくこんな印象でD130はずっとみてこられたにちがいない。

たしかにそれを裏付けるかのようなHIGH-TECHNIC SERIES 4での実測データではあるが、
私が注目してほしいと思い、これから書こうとしているのは、
周波数・指向特性、高調波歪率ではなくトータルエネルギー・レスポンスである。

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その15)

HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場しているJBLのユニットは、
LE8T(30000円)、D123-3(32000円)、2115A(36000円)、
D130(45000円)、2145(65000円)の5機種で、
2145は30cmコーン型ウーファーと5cmコーン型トゥイーターの組合せによる同軸型ユニットで、
いわゆる純粋なシングルボイスコイルのフルレンジユニットはLE8T、D123-3、2115A、D130であり、
これらすべてセンターキャップにアルミドームを採用している(価格はいずれも1979年当時のもの)。

LE8Tは20cm口径の白いコーン紙、D123-3は30cm口径でコルゲーション入りのコーン紙、
2115Aは20cm口径で黒いコーン紙、D130は38cm口径。
2115AはLE8Tのプロフェッショナル・ヴァージョンと呼べるもので、
コーン紙の色こそ異るものの、磁気回路、フレームの形状、それにカタログ上のスペックのいくつかなど、
共通点がいくつもある中で、能率はLE8Tが89dB/W/mなのに対し2115Aは92dB/W/mと、3dB高くなっている。
この3dBの違いの理由はコーン紙の色、
つまりLE8Tのコーン氏に塗布されているダンピング材によるものといって間違いない。

LE8Tはこのことが表しているように、全体に適度にダンピングを効かしている。
このことはHIGH-TECHNIC SERIES 4に掲載されている周波数・指向特性、第2次・第3次高調波歪率からも伺える。
周波数・指向特性もLE8Tのほうがあきらかにうねりが少ないし、
高調波歪率もLE8Tはかなり優秀なユニットといえる。
高調波歪率のグラフをみていると、基本的な設計が同じスピーカーユニットとは思えないほど、
LE8Tと2115Aは、その分布が大きく異っている。

2115AにもD130と同じように5kHzあたりにアルミドームの共振によるピークががある。
D123-3にもやはり、そのピークは見られる。
さらにこのピークとともに、第2次高調波歪が急激に増しているところも、D130と共通している。
ところがLE8Tこの高調波歪も見事に抑えられている。

LE8Tのこういう特徴は、試聴記にもはっきりと出ている。

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その14)

スピーカーユニット、それもコーン型ユニットの測定はスピーカーユニットだけでは行なえない。
なんらかの平面バッフルもしくはエンクロージュアにとりつけての測定となる。

IECでは平面バッフルを推奨していた(1970年代のことで現在については調べていない)。
縦1650mm、横1350mmでそれぞれの中心線の交点から横に150mm、上に225mm移動したところを中心として、
スピーカーユニットを取りつけるように指定されている。

日本ではJIS箱と呼ばれている密閉型エンクロージュアが用いられる。
このJIS箱は厚さ20mmのベニア板を用い、縦1240mm、横940mm、奥行540mm、
内容積600リットルのかなり大型のものである。

ステレオサウンド別冊HIGH-TRCHNIC SERIES 4で、後者のJIS箱にて測定されている。
IEC標準バッフルにしても、JIS箱にしても、
測定上理想とされている無限大バッフルと比較すると、
バッフル効果の、低域の十分に低いところまで作用しない点、
エンクロージュアやバッフルが有限であるために、ディフラクション(回折)による影響で、
周波数(振幅)特性にわずかとはいえ乱れ(うねり)が生じる。

無限大バッフルに取りつけた状態の理想的な特性、
つまりフラットな特性と比べると、JIS箱では200Hzあたりにゆるやかな山ができ、
500Hzあたりにこんどはゆるやかで小さな谷がてきる。
この山と谷は、範囲が小さくなり振幅も小さくなり、周期も短くなっていく。

IEC標準バッフルでは100Hzあたりにゆるやかな山ができ、400Hzあたりにごくちいさな谷と、
JIS箱にくらべると周期がやや長いのは、バッフルの面積が大きいためであろう。

どんなに大きくても有限のバッフルなりエンクロージュアにとりつけるかぎりは、
特性にもバッフル、エンクロージュアの影響が多少とはいえ出てくることになる。

ゆえに実測データの読み方として、複数の実測データに共通して出てくる傾向は、
いま述べたことに関係している可能性が高い、ということになる。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その13)

D130は厳密にはJBLの出発点とは呼びにくい。
実質的にはD130が出発点ともいえるわけだが、事実としてはD101が先にあるのだから、
D130はJBLの特異点なのかもしれない。

そのD130の実測データは、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に出ている。
無響室での周波数特性(0度、30度、60度の指向特性を併せて)と、
残響室でのピンクノイズとアナライザーによるトータルエネルギー・レスポンスがある。

このどちらの特性もお世辞にもワイドレンジとはいえない。
D130はアルミ製のセンターキャップの鳴りを利用しているため、
無響室での周波数特性では0度では1kHz以上ではそれ以下の帯域よりも数dB高い音圧となっている。
といってもそれほど高い周波数まで伸びているわけではなく、3kHzでディップがあり、その直後にピークがあり、
5kHz以上では急激にレスポンスが低下していく。
これは共振を利用して高域のレスポンスを伸ばしていることを表している。
周波数特性的には0度の特性よりも30度の特性のほうが、まだフラットと呼べるし、グラフの形も素直だ。

低域の特性も、38cm口径だがそれほど低いところまで伸びているわけではない。
100dBという高い音圧を実現しているのは200Hzあたりまでで、そこから下はゆるやかに減衰していく。
100Hzでは200Hzにくらべて約-4dB落ち、50Hzでの音圧は91dB程度になっている。
トータルエネルギー・レスポンスでも5kHz以上では急激にレスポンスが低下し、
フラットな帯域はごくわずかなことがわかる。

周波数特性的にはD130よりもずっと優秀なフルレンジユニットが、HIGH-TECHNIC SERIES 4には載っている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するフルレンジユニットの中には、
アルテックの604-8GやタンノイのHPDシリーズのように、
同軸型2ウェイ(ウーファーとトゥイーターの2ボイスコイル)のものも含まれている。
それらを除くと、ボイスコイルがひとつだけのフルレンジユニットとしてはD130は非常に高価もモノである。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するボイスコイルひとつのユニットで最も高価なのは、
平面振動板の朋、SKW200の72000円であり、D130はそれに次ぐ45000円。このときLE8Tは30000円だった。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その12)

JBLのD130の息の長いスピーカーユニットだったから、
初期のD130と後期のD130とでは、
いくつかのこまかな変更が加えられ、音の変っていることは岩崎先生自身も語られている。
とはいえ、基本的な性格はおそらくずっと同じのはず。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4(1979年)で試聴対象となったD130は、
いわば後期モデルと呼んでもいいだけの時間が、D130の登場から経っているものの、
試聴記を読めば、D130はD130のままであることは伝わってくる。

同程度のコンディションの、製造時期が大きく異るD130を直接比較試聴したら、
おそらくこれが同じD130なのかという違いは聴きとれるのかもしれない。
でも、D130を他のメーカーのスピーカーユニット、もしくはスピーカーシステムと比較試聴してしまえば、
D130の個性は強烈なものであり、いかなるほかのスピーカーユニット、スピーカーシステムとは違うこと、
そして同じJBLの他のコーン型ユニットと比較しても、D130はD130であることはいうまでもない。

そのD130は何度か書いているようにランシングがJBLを興したときの最初のスピーカーユニットではない。
D101という、アルテックのウーファー、515のフルレンジ版といえるのが最初であり、
これに対するアルテックにクレームがあったからこそ、D130は生れている。

ということは、もしD101にアルテックのクレームがなかったら、
D130は登場してこなかったはず。
となれば、その後のJBLの歴史は、いまとはかなり異っていた可能性が大きい。
かりにそうなっていたら、つまりD130がこの世に存在してなかったら、
岩崎先生のオーディオ人生はどうなっていたのか、
いったいD130のかわり、どのスピーカーユニット、スピーカーシステムを選択されていたのか、
そしてスイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告で書かれた次の文章──、
この項の(その11)で引用した文章をもう一度引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
この文章(表現)は生れてきただろうか──、そんなことを考えてしまう。

おそらくD101では、D130のようにコーヒーカップのスプーンのように音は立てない、はずだからだ。
そう考えたとき、ランシングのD101へのアルテックのクレームがD130を生み、
そのD130との出逢いが……、ここから先は書かなくてもいいはず。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その9)

ステレオサウンド 38号の特集は、オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ、である。
インタヴュアーとして、井上先生、黒田先生、坂氏の三人が、
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、柳沢功力、上杉佳郎、長島達夫、山中敬三、井上卓也、
八氏のリスニングルームを訪ね、「音」を聴く、という内容である。

ステレオサウンドのなかで、どれがいちばん面白いかは、人によって違って当然。
同じ人にとっても、時代によって面白い、と感じるステレオサウンドは変ってくることだってある。
こんなことを書きながらも、それでもいちばん面白いステレオサウンドは、やはり38号だ、と私は言いたい。

いま私の手もとにあるステレオサウンド 38号は、私が購入した38号ではない。
この38号は、岩崎先生のご家族からいただいた38号であり、岩崎先生が読まれていた38号である。
いただいたステレオサウンドは38号だけではなく、他に数冊ある。
けれど、この38号だけはかなりくたびれていた。
おそらく、岩崎先生もステレオサウンド 38号は、くり返しに手にとり読まれてきたから、
こんなふうにくたびれているのだろう、と思われる。
ほかのステレオサウンドは、かなりきれいな状態なのだから。

ステレオサウンド 38号の特集は、
オーディオ評論家八氏のインタヴューがまとめられていて、これがメインの記事となっている。
それに井上先生による、八氏の再生装置についての文章があり、
八人に宛てた黒田先生の手紙がある。

瀬川先生への手紙「アダージョ・ドルチェ」、
岩崎先生への手紙「アレグロ・コン・ブリオ」には、
「さわやか」という黒田先生による表現が共通している。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その8)

岩崎先生の書かれたものをステレオサウンドなりスイングジャーナルに掲載されたときに読んできたわけではない、
ということは以前にも書いたとおりである。
そのことが、岩崎先生とライバル関係にあったのは、ジャズという共通項目だけで、
菅野先生がライバルだと思い込んできたことに、いま思うと関係している。

それこそ10年はやく生れていて、岩崎先生の文章が掲載されるオーディオ雑誌の発売を楽しみに待って読む、
という体験があったなら、岩崎先生とライバル関係にあったのは菅野先生だけではない、ということに、
もっとはやくに気がついていたはずだ。

菅野先生と瀬川先生はライバル、
岩崎先生と菅野先生はライバル、
瀬川先生と岩崎先生もライバル。
このライバル関係は三角形を形成する。

なんとおもしろい時代だったのか、と思う。
そして羨ましくも思う……。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと

黒田恭一(1938年1月1日 – 2009年5月29日)

Date: 12月 31st, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その7)

私がステレオサウンドを読みはじめたころにはっきりと存在していたものが、いまはいくつもなくなっている。
そのひとつであり、これがオーディオ評論をつまんないものにしていることに連がっていると思うのは、
オーディオ評論家同士の「関係」である。

このことは別項の、『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』でもこれから先書いていくが、
私が夢中になってステレオサウンド(だけではない、ほかのオーディオ雑誌)を読んでいたころは、
それぞれのオーディオ評論家が、オーディオ評論家としての役目とともに、それぞれの役割をきちんと果していた。
表現をかえれば、ステレオサウンドに執筆していたオーディオ評論家のあいだにはライバル関係が成り立っていた。

このことはステレオサウンドを数号読んでいれば、すぐに気がつくことであった。
中学生の私でも、すぐに気がついたことであり、それゆえにひとりひとりの「言葉」が鮮明になっていた。
いまは、どうだろう……(これに関しては上記の別項で書いていくので、このへんにしておく)。

瀬川先生と菅野先生がライバルであること、は、中学生の私にもすぐにわかった。
菅野先生自身、ステレオサウンド 61号に
「僕にとって瀬川冬樹という男の存在は、後輩どころか、最も手強いライバルであると同時に、
相互理解のもてる仲間同士であったと思う。」
と書かれている。

ほんとうにそのとおりだと思う。
だが後になって気づくのは──それもずいぶん後になってなのだが──、
瀬川先生と岩崎先生も、
菅野先生が瀬川先生について語られたのと同じ意味でのライバル同士であった、ということだ。

相互理解のもてる仲間同士であり、最も手強いライバル──、
岩崎千明にとって瀬川冬樹がそうであった、瀬川冬樹にとって岩崎千明がそうであった、
と、いまは強く確信している。

Date: 12月 25th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その6)

ステレオサウンド 43号に載っている岡先生の文章は、最初に読んだとき以上にいま読み返すと胸にほんとうに響く。
     *
岩崎千明さんとふかいおつき合いできるという機会にはついに恵まれなかった。彼が、どんなにものすごい大音量で鳴らすかということも伝聞でしか知らない。しかし、どこで会っても、いつもにこにこしているけれど口数がすくない岩崎さんと大音量ということが、ぼくのイメージでは最後までむすびつかなかった。オーディオ仲間の撮影会でも二、三度一緒になったことがある。彼のとった写真は、そういう角度と構図の発想がよくもできるものだとおもわせるような雰囲気をもった抒情がただよっていて、びっくりするとともに、これも大音量とむすびつかないものだった。だから、ぼくの知っている限りの岩崎さんは、とてもセンシティブで心優しい感じだった。いつか彼のジープに乗せてもらったことがある。寒い冬の曇り日に吹きっさらしのジープで風を切ってぶっとばされて心身ともに凍りついてしまったのだけれど、そのとき運転している彼の表情をみていると、大音量で鳴らしているときもそんな顔をしているのだろうとおもった。岩崎さんの生甲斐をそこにかい間みた感じだった。岩崎さんとオーディオは心優しいひとが生甲斐のありたけを噴出させたような執念と壮烈さがあったとおもう。
     *
今日は、二度、岡先生の文章を読んだ。
読んだあとで書き写すときにもう一度読み、最後の数行、ほんとうにじーんと胸を打つものがあった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その5)

マランツのModel 7のパネルデザインに言及していた人が、もうひとりいたのを知ったのが、
ほんの2年ほどの前のことである。
書かれていたのは岩崎先生だった。
シンメトリーをほんの少し、絶妙といえるバランスでくずしているからこその美しさ、と書かれていた。
正直驚いた。瀬川先生よりもずっと前に、同じことを書かれていた。
岩崎先生はデザインの専門家ではなかったはず。
(いまのところ瀬川先生がマランツModel 7のパネルデザインについて書かれた、古いものはまだ見つけていない。)

岩崎先生の文章を見つけたとき、驚きだけでなく、なぜ? もあった。
そして、そういえば、と思い返すことがあった。
岩崎先生は大音量というイメージがあるため、そのためのスピーカーとしてJBLのD130、パラゴン、
ハーツフィールド、ハークネス、エレクトロボイスのパトリシアンなどが結びついているけれど、
D130の前に使われていたのは、グッドマンのAXIOM80である。

ここから、岩崎先生と瀬川先生の共通点が、じつはあることに気づいたわけである。

瀬川先生といえば、リスニングルームを横長に使われる。
つまり長辺の壁側にスピーカーシステムを設置される。
私も、ずっとこのやり方をとおしている。
実は岩崎先生も、この設置方法の良さを古くから説かれている。

また、えっ、と思う。

そして、ステレオサウンド 43号の岡先生が書かれた追悼文にもどる。
そこには、こうある。
「とてもセンシティブで心優しい感じだった」と。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その4)

マランツのModel 7のパネルデザインについて語るとき、
多くの人が、シンメトリーのバランスをほんのちょっとくずしているところに、絶妙さがある、という。
こう語る人は、私も含めて、おそらくステレオサウンドから1981年夏に出た
「別冊セパレートアンプ ’81」の巻頭に載っていた
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」を読まれた方のはず。

こう書かれている。
     *
そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
これを読んだとき、なんと見事な表現だろう、と感心していた。
そして工業デザイナーだった瀬川先生だから指摘できる、
マランツModel 7のパネルデザインのことだな、とも思っていた。
ずーっとそう思っていた。ほんの2年ほど前まで、こういう指摘ができるのは瀬川先生だけだな、と思っていた……。