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Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その14)

スピーカーユニット、それもコーン型ユニットの測定はスピーカーユニットだけでは行なえない。
なんらかの平面バッフルもしくはエンクロージュアにとりつけての測定となる。

IECでは平面バッフルを推奨していた(1970年代のことで現在については調べていない)。
縦1650mm、横1350mmでそれぞれの中心線の交点から横に150mm、上に225mm移動したところを中心として、
スピーカーユニットを取りつけるように指定されている。

日本ではJIS箱と呼ばれている密閉型エンクロージュアが用いられる。
このJIS箱は厚さ20mmのベニア板を用い、縦1240mm、横940mm、奥行540mm、
内容積600リットルのかなり大型のものである。

ステレオサウンド別冊HIGH-TRCHNIC SERIES 4で、後者のJIS箱にて測定されている。
IEC標準バッフルにしても、JIS箱にしても、
測定上理想とされている無限大バッフルと比較すると、
バッフル効果の、低域の十分に低いところまで作用しない点、
エンクロージュアやバッフルが有限であるために、ディフラクション(回折)による影響で、
周波数(振幅)特性にわずかとはいえ乱れ(うねり)が生じる。

無限大バッフルに取りつけた状態の理想的な特性、
つまりフラットな特性と比べると、JIS箱では200Hzあたりにゆるやかな山ができ、
500Hzあたりにこんどはゆるやかで小さな谷がてきる。
この山と谷は、範囲が小さくなり振幅も小さくなり、周期も短くなっていく。

IEC標準バッフルでは100Hzあたりにゆるやかな山ができ、400Hzあたりにごくちいさな谷と、
JIS箱にくらべると周期がやや長いのは、バッフルの面積が大きいためであろう。

どんなに大きくても有限のバッフルなりエンクロージュアにとりつけるかぎりは、
特性にもバッフル、エンクロージュアの影響が多少とはいえ出てくることになる。

ゆえに実測データの読み方として、複数の実測データに共通して出てくる傾向は、
いま述べたことに関係している可能性が高い、ということになる。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その13)

D130は厳密にはJBLの出発点とは呼びにくい。
実質的にはD130が出発点ともいえるわけだが、事実としてはD101が先にあるのだから、
D130はJBLの特異点なのかもしれない。

そのD130の実測データは、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に出ている。
無響室での周波数特性(0度、30度、60度の指向特性を併せて)と、
残響室でのピンクノイズとアナライザーによるトータルエネルギー・レスポンスがある。

このどちらの特性もお世辞にもワイドレンジとはいえない。
D130はアルミ製のセンターキャップの鳴りを利用しているため、
無響室での周波数特性では0度では1kHz以上ではそれ以下の帯域よりも数dB高い音圧となっている。
といってもそれほど高い周波数まで伸びているわけではなく、3kHzでディップがあり、その直後にピークがあり、
5kHz以上では急激にレスポンスが低下していく。
これは共振を利用して高域のレスポンスを伸ばしていることを表している。
周波数特性的には0度の特性よりも30度の特性のほうが、まだフラットと呼べるし、グラフの形も素直だ。

低域の特性も、38cm口径だがそれほど低いところまで伸びているわけではない。
100dBという高い音圧を実現しているのは200Hzあたりまでで、そこから下はゆるやかに減衰していく。
100Hzでは200Hzにくらべて約-4dB落ち、50Hzでの音圧は91dB程度になっている。
トータルエネルギー・レスポンスでも5kHz以上では急激にレスポンスが低下し、
フラットな帯域はごくわずかなことがわかる。

周波数特性的にはD130よりもずっと優秀なフルレンジユニットが、HIGH-TECHNIC SERIES 4には載っている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するフルレンジユニットの中には、
アルテックの604-8GやタンノイのHPDシリーズのように、
同軸型2ウェイ(ウーファーとトゥイーターの2ボイスコイル)のものも含まれている。
それらを除くと、ボイスコイルがひとつだけのフルレンジユニットとしてはD130は非常に高価もモノである。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するボイスコイルひとつのユニットで最も高価なのは、
平面振動板の朋、SKW200の72000円であり、D130はそれに次ぐ45000円。このときLE8Tは30000円だった。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その12)

JBLのD130の息の長いスピーカーユニットだったから、
初期のD130と後期のD130とでは、
いくつかのこまかな変更が加えられ、音の変っていることは岩崎先生自身も語られている。
とはいえ、基本的な性格はおそらくずっと同じのはず。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4(1979年)で試聴対象となったD130は、
いわば後期モデルと呼んでもいいだけの時間が、D130の登場から経っているものの、
試聴記を読めば、D130はD130のままであることは伝わってくる。

同程度のコンディションの、製造時期が大きく異るD130を直接比較試聴したら、
おそらくこれが同じD130なのかという違いは聴きとれるのかもしれない。
でも、D130を他のメーカーのスピーカーユニット、もしくはスピーカーシステムと比較試聴してしまえば、
D130の個性は強烈なものであり、いかなるほかのスピーカーユニット、スピーカーシステムとは違うこと、
そして同じJBLの他のコーン型ユニットと比較しても、D130はD130であることはいうまでもない。

そのD130は何度か書いているようにランシングがJBLを興したときの最初のスピーカーユニットではない。
D101という、アルテックのウーファー、515のフルレンジ版といえるのが最初であり、
これに対するアルテックにクレームがあったからこそ、D130は生れている。

ということは、もしD101にアルテックのクレームがなかったら、
D130は登場してこなかったはず。
となれば、その後のJBLの歴史は、いまとはかなり異っていた可能性が大きい。
かりにそうなっていたら、つまりD130がこの世に存在してなかったら、
岩崎先生のオーディオ人生はどうなっていたのか、
いったいD130のかわり、どのスピーカーユニット、スピーカーシステムを選択されていたのか、
そしてスイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告で書かれた次の文章──、
この項の(その11)で引用した文章をもう一度引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
この文章(表現)は生れてきただろうか──、そんなことを考えてしまう。

おそらくD101では、D130のようにコーヒーカップのスプーンのように音は立てない、はずだからだ。
そう考えたとき、ランシングのD101へのアルテックのクレームがD130を生み、
そのD130との出逢いが……、ここから先は書かなくてもいいはず。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その9)

ステレオサウンド 38号の特集は、オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ、である。
インタヴュアーとして、井上先生、黒田先生、坂氏の三人が、
岩崎千明、瀬川冬樹、菅野沖彦、柳沢功力、上杉佳郎、長島達夫、山中敬三、井上卓也、
八氏のリスニングルームを訪ね、「音」を聴く、という内容である。

ステレオサウンドのなかで、どれがいちばん面白いかは、人によって違って当然。
同じ人にとっても、時代によって面白い、と感じるステレオサウンドは変ってくることだってある。
こんなことを書きながらも、それでもいちばん面白いステレオサウンドは、やはり38号だ、と私は言いたい。

いま私の手もとにあるステレオサウンド 38号は、私が購入した38号ではない。
この38号は、岩崎先生のご家族からいただいた38号であり、岩崎先生が読まれていた38号である。
いただいたステレオサウンドは38号だけではなく、他に数冊ある。
けれど、この38号だけはかなりくたびれていた。
おそらく、岩崎先生もステレオサウンド 38号は、くり返しに手にとり読まれてきたから、
こんなふうにくたびれているのだろう、と思われる。
ほかのステレオサウンドは、かなりきれいな状態なのだから。

ステレオサウンド 38号の特集は、
オーディオ評論家八氏のインタヴューがまとめられていて、これがメインの記事となっている。
それに井上先生による、八氏の再生装置についての文章があり、
八人に宛てた黒田先生の手紙がある。

瀬川先生への手紙「アダージョ・ドルチェ」、
岩崎先生への手紙「アレグロ・コン・ブリオ」には、
「さわやか」という黒田先生による表現が共通している。

Date: 1月 2nd, 2012
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その8)

岩崎先生の書かれたものをステレオサウンドなりスイングジャーナルに掲載されたときに読んできたわけではない、
ということは以前にも書いたとおりである。
そのことが、岩崎先生とライバル関係にあったのは、ジャズという共通項目だけで、
菅野先生がライバルだと思い込んできたことに、いま思うと関係している。

それこそ10年はやく生れていて、岩崎先生の文章が掲載されるオーディオ雑誌の発売を楽しみに待って読む、
という体験があったなら、岩崎先生とライバル関係にあったのは菅野先生だけではない、ということに、
もっとはやくに気がついていたはずだ。

菅野先生と瀬川先生はライバル、
岩崎先生と菅野先生はライバル、
瀬川先生と岩崎先生もライバル。
このライバル関係は三角形を形成する。

なんとおもしろい時代だったのか、と思う。
そして羨ましくも思う……。

Date: 1月 1st, 2012
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと

黒田恭一(1938年1月1日 – 2009年5月29日)

Date: 12月 31st, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その7)

私がステレオサウンドを読みはじめたころにはっきりと存在していたものが、いまはいくつもなくなっている。
そのひとつであり、これがオーディオ評論をつまんないものにしていることに連がっていると思うのは、
オーディオ評論家同士の「関係」である。

このことは別項の、『オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」』でもこれから先書いていくが、
私が夢中になってステレオサウンド(だけではない、ほかのオーディオ雑誌)を読んでいたころは、
それぞれのオーディオ評論家が、オーディオ評論家としての役目とともに、それぞれの役割をきちんと果していた。
表現をかえれば、ステレオサウンドに執筆していたオーディオ評論家のあいだにはライバル関係が成り立っていた。

このことはステレオサウンドを数号読んでいれば、すぐに気がつくことであった。
中学生の私でも、すぐに気がついたことであり、それゆえにひとりひとりの「言葉」が鮮明になっていた。
いまは、どうだろう……(これに関しては上記の別項で書いていくので、このへんにしておく)。

瀬川先生と菅野先生がライバルであること、は、中学生の私にもすぐにわかった。
菅野先生自身、ステレオサウンド 61号に
「僕にとって瀬川冬樹という男の存在は、後輩どころか、最も手強いライバルであると同時に、
相互理解のもてる仲間同士であったと思う。」
と書かれている。

ほんとうにそのとおりだと思う。
だが後になって気づくのは──それもずいぶん後になってなのだが──、
瀬川先生と岩崎先生も、
菅野先生が瀬川先生について語られたのと同じ意味でのライバル同士であった、ということだ。

相互理解のもてる仲間同士であり、最も手強いライバル──、
岩崎千明にとって瀬川冬樹がそうであった、瀬川冬樹にとって岩崎千明がそうであった、
と、いまは強く確信している。

Date: 12月 25th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その6)

ステレオサウンド 43号に載っている岡先生の文章は、最初に読んだとき以上にいま読み返すと胸にほんとうに響く。
     *
岩崎千明さんとふかいおつき合いできるという機会にはついに恵まれなかった。彼が、どんなにものすごい大音量で鳴らすかということも伝聞でしか知らない。しかし、どこで会っても、いつもにこにこしているけれど口数がすくない岩崎さんと大音量ということが、ぼくのイメージでは最後までむすびつかなかった。オーディオ仲間の撮影会でも二、三度一緒になったことがある。彼のとった写真は、そういう角度と構図の発想がよくもできるものだとおもわせるような雰囲気をもった抒情がただよっていて、びっくりするとともに、これも大音量とむすびつかないものだった。だから、ぼくの知っている限りの岩崎さんは、とてもセンシティブで心優しい感じだった。いつか彼のジープに乗せてもらったことがある。寒い冬の曇り日に吹きっさらしのジープで風を切ってぶっとばされて心身ともに凍りついてしまったのだけれど、そのとき運転している彼の表情をみていると、大音量で鳴らしているときもそんな顔をしているのだろうとおもった。岩崎さんの生甲斐をそこにかい間みた感じだった。岩崎さんとオーディオは心優しいひとが生甲斐のありたけを噴出させたような執念と壮烈さがあったとおもう。
     *
今日は、二度、岡先生の文章を読んだ。
読んだあとで書き写すときにもう一度読み、最後の数行、ほんとうにじーんと胸を打つものがあった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その5)

マランツのModel 7のパネルデザインに言及していた人が、もうひとりいたのを知ったのが、
ほんの2年ほどの前のことである。
書かれていたのは岩崎先生だった。
シンメトリーをほんの少し、絶妙といえるバランスでくずしているからこその美しさ、と書かれていた。
正直驚いた。瀬川先生よりもずっと前に、同じことを書かれていた。
岩崎先生はデザインの専門家ではなかったはず。
(いまのところ瀬川先生がマランツModel 7のパネルデザインについて書かれた、古いものはまだ見つけていない。)

岩崎先生の文章を見つけたとき、驚きだけでなく、なぜ? もあった。
そして、そういえば、と思い返すことがあった。
岩崎先生は大音量というイメージがあるため、そのためのスピーカーとしてJBLのD130、パラゴン、
ハーツフィールド、ハークネス、エレクトロボイスのパトリシアンなどが結びついているけれど、
D130の前に使われていたのは、グッドマンのAXIOM80である。

ここから、岩崎先生と瀬川先生の共通点が、じつはあることに気づいたわけである。

瀬川先生といえば、リスニングルームを横長に使われる。
つまり長辺の壁側にスピーカーシステムを設置される。
私も、ずっとこのやり方をとおしている。
実は岩崎先生も、この設置方法の良さを古くから説かれている。

また、えっ、と思う。

そして、ステレオサウンド 43号の岡先生が書かれた追悼文にもどる。
そこには、こうある。
「とてもセンシティブで心優しい感じだった」と。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その4)

マランツのModel 7のパネルデザインについて語るとき、
多くの人が、シンメトリーのバランスをほんのちょっとくずしているところに、絶妙さがある、という。
こう語る人は、私も含めて、おそらくステレオサウンドから1981年夏に出た
「別冊セパレートアンプ ’81」の巻頭に載っていた
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」を読まれた方のはず。

こう書かれている。
     *
そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
これを読んだとき、なんと見事な表現だろう、と感心していた。
そして工業デザイナーだった瀬川先生だから指摘できる、
マランツModel 7のパネルデザインのことだな、とも思っていた。
ずーっとそう思っていた。ほんの2年ほど前まで、こういう指摘ができるのは瀬川先生だけだな、と思っていた……。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その3)

「オーディオ彷徨」を読んだときは、ステレオサウンドで働いていた。
試聴のあいまに、ときどきではあったが、岩崎先生のことが話題になることもあった。
「オーディオ彷徨」を読んでもわかるが、
とにかく強烈な印象の人であったことが、少しずつではあるが実感できてきた。
それでもジャズをあまり熱心な聴かないことがあってか、
「オーディオ彷徨」の面白さにのめり込むには、もう少し時間を必要とした。
いわば「遅れてきた読者」であった。

だから2000年にaudio sharingをつくったときに、「オーディオ彷徨」を公開した。
じつはこのとき、岩崎先生のご家族と連絡がとれずに、無断公開だった。
でも、しばらくしてご家族の方からメールをいただいた。許諾を得られた。

audio sharingを公開したとき、私の手もとにあった本で、岩崎先生の文章が載っているのは、
ステレオサウンド 41号と「オーディオ彷徨」だけだった。
もっともっと岩崎先生の文章を公開したいと思っていても、すぐにはどうすることもできなかった。

けれどaudio sharingを公開していると、本を提供して下さる方がいらっしゃる。
その方たちのおかげで、岩崎先生の書かれた文章をここ数年まとめて読むことができた。
そして気づくのは、意外にも瀬川先生と共通するところが多い、ということだった。

ジャズを大音量で聴く岩崎先生と、
クラシックを小音量で聴かれていた瀬川先生。
以前ならば、ふたりに共通性をみつけることは、ほとんどできなかった。
というよりも、できる、とは思っていなかった。

共通するところといえば、JBLのスピーカーを愛用されていたこと、であっても、
岩崎先生のJBLといえばD130でありパラゴンである。
瀬川先生は4341、4343、4345といった4ウェイのスタジオ・モニターだし、
レコードの扱いもふたりは対照的だった、ときいていた。

でも、それは、私が岩崎先生の書かれたものをほとんど読んでいなかったから、であった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その2)

私が初めて手にした(買った)ステレオサウンドは、1976年12月に出た41号と、
ほぼ同時に出ていた「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
つまり、私が岩崎先生が書かれたものを同時代に読むことができたのは、
ステレオサウンド 41号に掲載されたものだけである。

41号には、JBLのパラゴン、アルテックの620A、クリプシュのK-B-W、SAEのMKIBとMark2400、
アキュフェーズのT100とM60、アムクロンのDC300A、オーディオリサーチのD76A、ダイナコのMKVI、
ダイヤトーンDA-A100、デンオンPOA1001とDH710F、ラックスCL32、マランツの150、
デュアルCS721Sと1249、トーレンスTD125IIAB、マイクロのDDX1000について書かれている。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」には書き原稿はない。

1977年3月のステレオサウンド 42号には岩崎先生の文章は載ってなかった。
そして6月発売のステレオサウンド 43号には、岩崎先生への追悼文が載っていた。

このころはまだ中学生だったから、新しく出るステレオサウンドやその他のオーディオ雑誌、
それにレコードを買うのがせいいっぱいで、ステレオサウンドのバックナンバーを購入する余裕はなかった。
だから、岩崎先生の文章をまとめて読むことになるのは、もうすこし先のことになる。

そうであっても、ステレオサウンド 43号に載っていた「故岩崎千明氏を偲んで」は何度か読み返しては、
井上先生、岡先生、菅野先生、瀬川先生、長島先生、山中先生による追悼文と、
パラゴンの前で椅子の上で胡座を組んで坐っている岩崎先生の写真をみて、なにか強烈なものを感じていた。

岩崎千明という人がどういう人であったのかは、亡くなられたときにはほとんど何も知らなかった。
ジャズを大音量で聴く人、というぐらいでしかなかった。
そのせいか、遺稿集「オーディオ彷徨」が出てもすぐには買わなかったし、買えなかった。
私が「オーディオ彷徨」を手にしたのは、復刊されてからである。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その1)

まず、この文章をお読みいただきたい。
     *
 8月のまだ暑さの厳しい、ある日の昼下り、SJ試聴室にふと立寄った時、見なれぬブランドのパワー・アンプが眼に入った。〝Stax〟と小さく、しかし、鮮やかな文字がパイロット・ランプ以外に何もない、そのスッキリとしたパネルにあった。知る人ぞ知る個性派ナンバー・ワンのメーカー、スタックス・ブランドのアンプということで、大いにそそられ、聴きたくなったのも当然だろう。
 SJ試聴室の標準スピーカーJBLスタジオ・モニター4341が接続され、音溝に針を落してボリュームが上がると、響きが空間を満たした。その時のスリリングな興奮は、ちょっと口では言えないし、まして、こうして文字で表わすことなどできない。なんと言ったらよいのだろうか、まず4341が、JBLがこういう音で鳴ったことは今までに聴いたことがない。それは、やわらかな肌触わりの、しなやかな物腰の、品の良いサウンドであった。いわゆるJBLというイメージの、くっきりした鮮明度の高い強烈さといった、いままでの表現とまったく逆のものといえよう。だからといって、JBLらしさがなくなってしまった、というわけでは決してない。そうした、いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ。まったく逆な方向からのアプローチであっても、それが極点に達すれば、反対側からの極点と一致するのではないだろうか。ちょっと地球の極点のように、南へ向っても北へ向っても、ひとまわりすれば極点で一致するのと同じ考え方で理解されようか。
 スタックスのアンプのサウンド・クォリティーを説明するのは、むづかしい。本当は今までになく素晴しい、といい切っても少しも誇張ではないが.それならば、どんなふうにいいのか。少なくとも、音溝のスクラッチ音が極端に静かになる。JBLのシステムで聴くと、レコードのスクラッチはきわめてはっきりと出てくるが、その同じスピーカーでありながら、スタックスのアンプでは、驚くほど耳障りにならなくなってしまう。さらに演奏者の音が、そのまわりの空間もろとも再現されるという感じで鳴ってくれる。ステージでの録音ならばそれは、良い音としての必要条件ともなるが、スタジオでのオンマイク録音においてでさえも、こうした演奏現場の音場空間がスピーカーを通して聴き手の前にリアルに表現される。優れた再生というものの重要なるファクターであるこうした音場再現性が、スタックスのこのパワーアンプDA80でははっきりと感じられる。もし聴きくらべることができる状態ならば、おそらくそうした事実は、誰もが非常にはっきりと感じとることができるのではないだろうか。それは、ちょっときざっぼい、言い方をすれば、再生音楽の限界の壁を越え得たといえる。または、生(なま)へ大きく一歩前進したともいえよう。
 さて、こうした、かってない未知の再生効果の衝撃的体験をしたときから、このアンプDA80は、私に新たなる可能性を提示し拡大してくれたのである。その製品の、オリジナリティーおよびクォリティーの高さは、スタックス・ブランドの最も誇りとするところであり、これはごく高いレベルのマニアの間でこそ常識となっているとはいうものの、「スタックス」というブランドは必らずしもよく知られているわけではない。だからSJ読者の中にも、このページの登場で初めて意識される方も多いことと思われる。スタックスは、国内オーディオ・メーカーの中でも、もっとも永いキャリアーと他に例のないユニークな技術とで知られる、今や世界にもまれになったコンデンサー・カートリッジとコンデンサー・スピーカーからそのスタートを切り、アーム、さらにヘッドフォン、そのためのアダプター・アンプと順次に作ってきて分野を序々に、しかし確実に拡げてきたのち、1年前に、パワー・アンプDA300を発表した。150/150ワットのA級アンプは、ごく一部のマニアの間で、話題になったが商品としては、高価格のため必らずしも大成功とまではいかなかったようだ。今回、このDA300を実用型として登場したのが、このDA80だ。しかし、DA80は、兄貴分たるDA300を、性能的にも再生品位の上でも一歩前進したといって差支えないようだ。AクラスDC構成アンプというその回路的な特長による技術的な優秀性だけが、決してそのすばらしさのすべてではないのだ。おそらくオーディオも商品としてもまた兄貴分DA300は、一歩を譲るに違いあるまい。
     *
今日、もうひとつのブログ、the Review (in the past)で公開した、
岩崎先生が、スイングジャーナルの1976年10月号に書かれた、スタックスのパワーアンプDA80の製品評だ。
最初は、リンクするだけにしておこうと思ったが、確実に読んでほしい、と思ったので、
まるごと、こちらでも公開した。

私は、この岩崎先生の文章を読んで、やっぱりそうだったんだ、という感を深くした。
そして、ひとりで、うんうん、と首肯いていた。

Date: 12月 20th, 2011
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと

五味康祐(1921年12月20日 – 1980年4月1日)

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと

岩﨑千明(1928年12月2日 – 1977年3月24日)