Archive for category 人

Date: 4月 1st, 2013
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(「花の乱舞」)

東京では桜が散りはじめている。
今日は4月1日。

五味先生の「花の乱舞」から引用しておきたいところがある。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
1972年発行の「ミセス」に載せられた文章だ。
「花の乱舞」はつぎのように締めくくられている。
     *
音楽は、どのように受けとろうと究極のところは〝慰藉〟と〝啓示〟を享受すれば足りるものだから、受け入れやすいもの必ずしも低俗に過ぎるとはかぎるまい、というのが私の持論である。時にはバッハやハインリッヒ・シュッツの受難曲を聴いたあとなど、気分をほぐすつもりでロシア五人組の音楽に耳を傾けることがある。そして五人組ではないが、ハチャトゥリアンの『ガヤーネ』を聴くと、吉野山の桜を想い出す。これ迄、花びらのその龍巻を私は一度しか見ていないが。
     *
五味先生は、もう一度、吉野山の花びらの龍巻を見られたのかどうかは、わからない。
今日4月1日は、五味先生の命日である。

Date: 3月 20th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その9)

長島先生による「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」、
どちらもCD登場以前に書かれている。

「2016年オーディオの旅」が掲載されているステレオサウンド 50号には、
岡先生による、オーディオのこれまでの歩みと、これからの歩み的な記事があり、
そこでDAD(Digital Audio Disc)のことにふれられている。

アナログディスク全盛の時代はしばらく続いていくものだというふうに、
私は勝手に思っていたし、デジタル化されたディスクが登場するのは、
なにかまだ先のことのようにも思っていた。

これは私だけではなかった、とおもう。
ステレオサウンドの読者の多くが、デジタル化されたディスク(CD)が登場して、
プログラムソースのメインとなっていくのは、もう少し先、
短くても5年、もしかすると10年くらいかかるものだと漠然と思われていたのではないだろうか。

実際には、そんな根拠のない予想よりもずっとはやかった。
ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ているから、
3年半後にCDは世に出てきた。
このはやさも、CD登場に対して、
ある種のアレルギー的な反応を示された方が少なくなかったことにも関係しているのではないだろうか。
単に音だけのことではなかったようにも、いまは思う。

まだまだそんな時代だったときに、長島先生はCDによるデジタル化の先を書かれている。
当然、長島先生も、あと数年でCDが登場することはわかっていたうえで、
CDの次を予測されていたことになる。

その予測が固体メモリーであり、光ファイバーによる配信は、さらにその次の段階ともいえよう。

そして、電子書籍についても書かれている。

Date: 3月 2nd, 2013
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(最終講義)

東京へ向かう新幹線の中で書いている。
大阪大学へ、川崎先生の最終講義を聴きに行った帰りだ。

1994年、草月ホールで聴いたのが、最初だった。
それからは東京での川崎先生の講演は、できるかぎり聴きに行くようにしていた。

東京以外での講演も、何度か行っている。
京都、金沢、兵庫にも行った。

行くたびに、ほとんど毎回のように残念に思っていたのは、
オーディオ関係者が聴きに来ていないことだった。

今日は大阪なのだから、
オーディオ関係者は誰もいない、と思っていた。

最終講義のあとの懇親会で、
よく似た人がいるもんだな、と思っていたら、その人本人だった。

誰なのかは書かないけれど、
オーディオ関係者が、ふたり来られていた。

他の人にとっては、どうでもいいことにすぎないだろうが、
私には、とても嬉しいことだった。

Date: 2月 23rd, 2013
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その2)

ステレオサウンドを読み始めたばかりのころ、
つまりまだGASのアンプもマークレビンソンのアンプも、実際に音を聴く前のころ、
ステレオサウンドの記事をくり返し読みながら、その音を想像していたわけだが、
ボンジョルノのGASのアンプは、いわゆる男性的、
レヴィンソンのマークレビンソンのアンプは、反対に女性的なところを、
その音の性格にもっている──、そんなふうに受けとめてもいた。

そしてスピーカーのブランドにたとえるなら、
GASはアルテック、マークレビンソンはJBL、
そうたとえることができそうな感じも受けていた。

1977年にステレオサウンド別冊として「世界のオーディオ」のALTEC号が出た。
その巻頭に、山中先生が「アルテック論 特徴あるアルテック・サウンドと、その背景への考察」を書かれていて、
その中に、こうある。
     *
一つの興味深い例として、アルテックの非常によく似た構造のプレッシャー・ユニットを使うJBLのスピーカーシステムと比べた場合、JBLがどちらかといえばシャープで切れ込み本位の、また言葉をかえれば、各ユニットを強力に束縛して自由を抑えた設計をとっているのに対し、アルテックは同じようなユニットを自由に余裕をもって働かせている印象が強い。
これが実は、アルテック・サウンドを分析する場合の重要なファクターで、独特のあたたかみ、そして一種の開放感を生むもととなっている。
     *
ここに出てくるアルテックをGASに、JBLをマークレビンソンにおきかえてみる。
この、山中先生の文章を読んだことも、
私のなかでのGAS≒アルテック、マークレビンソン≒JBLへとつながっていく。

Date: 2月 21st, 2013
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その1)

私がステレオサウンドを読み始めたとき、
すでにジェームズ・ボンジョルノとマーク・レヴィンソンは、アンプに関して才能ある人として知られていた。
このころまではレヴィンソンもアンプ・エンジニアとして日本には紹介されていた。

他にも才能あるアンプ・エンジニアは何人もいた。
でも知名度の高さでは、このふたりが飛び抜けていたように、当時の私は感じていたし、
いま振り返ってみても、
ボンジョルノとレヴィンソン、このふたりのネームヴァリューに匹敵する人となるとジョン・カールくらいである。
とはいうものの、やはりボンジョルノとレヴィンソンはダントツだった。

ボンジョルノとレヴィンソンについて書いていこうと思っているわけだが、
レヴィンソンはアンプ・エンジニアではなかったことは、のちのちはっきりした。
それでも1970年代、マーク・レヴィンソンの存在は大きかった。

オーディオ界においてもそうだったし、私にとっても大きな存在だった。
そして私にとって、その大きな存在であるマークレビンソンのアンプといえば、
JC2、LNP2、ML2であり、これらのアンプのエンジニアはジョン・カールであり、
だからといってジョン・カールひとりでは、これらのアンプが、ここまで魅力的にはならなかったとも考えている。

音質的、性能的には同レベルのアンプをジョン・カールひとりでつくれても、
そのアンプがJC2、LNP2、ML2のようなアンプに仕上ったとは、私には思えない。

だからJC2、LNP2、ML2はジョン・カールとマーク・レヴィンソンとの協同作と受けとめている。
そして私にとって、いまも心惹かれるマークレビンソン・ブランドのアンプは、
この時代のアンプであるから、
「ボンジョルノとレヴィンソン」とはしているものの、
正確には「ボンジョルノとレヴィンソン(+ジョン・カール)」ということになる。

Date: 2月 18th, 2013
Cate: James Bongiorno, 訃報

James Bongiorno (1943 – 2013)

いましがたfacebookを見ていたら、ジェームズ・ボンジョルノ逝去、とあった。

人はいつか死ぬ。
ボンジョルノは一時期肝臓をひどくやられていたときいている。
しかもキャリアのながい人だから、いつの生れなのかは知らなかったけれど、
けっこうな歳なんだろうな、とは漠然と思っていた。

そういう人であったボンジョルノが、亡くなった。
人は死ぬ、ということは絶対なのだから、それが突然のことであっても、あまり驚くことはない。
そんな私でも、ボンジョルノの死は、ショックに近い。

ぽっかり穴が、またひとつあいたような感じを受けている。

私がステレオサウンドにいた時期、
ボンジョルノはリタイア状態だった。
だから会える機会はなかった。
もっとも会いたい人だった……。

Date: 2月 7th, 2013
Cate: オリジナル, 瀬川冬樹

オリジナルとは(余談・チャートウェルのLS3/5A)

LS3/5Aは、日本ではロジャースの製品が最初に入ってきて、知られることになったことから、
私も最初に聴いたLS3/5Aはロジャースの15Ω型だった。
購入したのも、そうだった。

1970年代の終りごろになって、イギリスのスピーカーメーカー数社からLS3/5Aが登場した。
チャートウェルからも出てきた。

このチャートウェル製のLS3/5Aは数が少ないこともあって、
これをいくつもあるLS3/5Aのなかで、高く評価される人もいる。
私は聴く機会がなかったから、そのことについてはなにもいえない。

実際、どうなのだろうか。
LS3/5Aは、いまでも人気のあるスピーカーシステムだから、
各社LS3/5Aの比較試聴は、オーディオ雑誌の記事にもなったりするが、
試聴している人に関心が個人的にないため、本文を読もうという気にはなれなかった。

まったく違うタイプのスピーカーシステムを集めての試聴であればまだしも、
同じ規格のもとでつくられているLS3/5Aの、製造メーカーによる音の違いは微妙なものであるだけに、
ほんとうに信頼できる人が試聴をしているのであれば、興味深く読むのだが、
そうでない場合には、読む気はおきない。

瀬川先生はチャートウェルのLS3/5Aについて、どういわれているのか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、わずかではあるがふれられている。
     *
このふたつのLS3/5Aについて、30万円の予算の組合せのところでは、その違いをあまり細かくふれないで、どちらでもいいといったようないいかたをしたけれど、アンプがこのぐらいのクラスになると聴きこむにつれて違いがはっきりしてくるんです。で、ひとことでいえば、チャートウェルのほうが、全体の音の暖かさ、豊かさというものが、ほんのわずかですけれどもまさっているように思えるので、ぼくはチャートウェルのほうをもってきたわけです。もっともやせ型が好きなひとのなかには、ロジャースのほうが好ましいとお感じになる方もいらっしゃるかもしれませんね。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’79」は1978年12月にでている。
つまり瀬川先生は、この時点で暖かさ、豊かさを、自分の音に求めはじめられていることがわかる。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続×七・Electro-Voice Ariesのこと)

スピーカーとしては、声というものの性格から、中域とか高域が金属製の音がするものは避ける。つまりJBLとかアルテックとかタンノイのように、金属の振動板を使ったスピーカーは、音色的に合わないと思うのです。ほかの例でいうと、ピアノにいいスピーカーあるいは弦にいいスピーカーということでも、やはり振動板の材質の音色が必ずかかわってくるんですね。そうすると、ここでは、高分子化合物のもの、マイラーとかフェノールとかそういうタイプの振動板を使ったスピーカーがいいだろう、ということになります。
     *
ステレオサウンド 41号とともに「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
はじめて買ったオーディオ雑誌でもあるから、それこそ一字一句噛みしめるように読んでいた。

しかも、まだ13歳。
ここに書かれていることに素直にのみこんでいた。

となると、しっとりとした、情感あふれる女性ヴォーカルを、
聴くもののこころにひっそりと語りかけてくるように鳴らしたいのであれば、
中高域のダイアフラムは金属よりもフェノール系がいい。

しかも井上先生は、ヴォーカルの定位感をシャープに出すためには、
場合によってはホーン型のほうがいい、ともいわれている。
キャバスのBrigantinはスコーカー、トゥイーターはドーム型ではあるものの、
スコーカーの前面にはメガホン状のホーンがとりつけられている。
しかも、いわゆるリニアフェイズ配置のスピーカーシステムである。

このことはずっと頭の中にあった。
だから41号、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の1年後のステレオサウンド 45号で、
エレクトロボイスのPatrician800について知ったとき、
このスピーカーこそが、理想にもっとも近いスピーカーシステムである、とみえてしまった。

ダイアフラムはフェノール系で、しかも本格的なホーン型。
さらにいえば4ウェイでもある。

Patrician800のアピアランスは、中学生の若造にはさほどいいものには感じられなかったけど、
でも、その内容については、これ以上のものはない、
このPatrician800をベースにリニアフェイズにすることはできないものだろうか……、
そんなことを夢想していたことがある。

Date: 1月 28th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(余談)

スイングジャーナルの「オーディオ真夏の夜の夢」は長島先生だけでなく、及川公生氏も書かれている。
長島先生の文章だけを読んで、ほかの方の書かれたものに関しては、今日読んだところ。

及川氏が書かれている──、
「オーディオ評論はちっとも進歩しないであい変らず試聴というのをくり返している」と。

もっとも及川氏は、この先がいまの試聴とは異っている未来を予測されている。
自宅のマイコン(この記事が載った1981年はパソコンではなくマイコンという言葉が一般的だった)の子機を使う。
いわば自宅にMacがあって、iPadを試聴室で取り出して使うようなものだ。
それでマイコンの子機に試聴するオーディオ機器の特性を入力、
さらに試聴室のアクースティック特性も入力後、その日の自分の体調も要素として加えて……、というふうに続く。

そういえば長島先生がステレオサウンド 50号に書かれた「2016年オーディオの旅」で、
未来の本についての記述はあったものの、2016年のオーディオの本がどうなっているかについては、
なにも書かれていなかった。

長島先生も、おそらくいつの時代になってもオーディオ機器の試聴は、
人が試聴室まで出向き、そこで鳴っている音を聴いて判断する、という昔からのやり方はまったく変らない、
と思われていたのだろう。

優秀なマイクロフォンが登場し、高速のデータ通信網があって、
試聴室で鳴っている音をマイクロフォンでピックアップして、
試聴する人たちのリスニングルームへ伝搬し、それぞれのシステムの特性も補正して試聴してもらう、
こんなことは技術的には決して不可能ではないけれど、
これからも先も試聴風景は変っていかない、とおもう。

変っていかないのであれば、あえて未来の予測に書くこともない。
長島先生が「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」で、
未来のオーディオ雑誌についてふれられなかったのは、だから当然のことといえよう。

Date: 1月 27th, 2013
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(続×六・Electro-Voice Ariesのこと)

ステレオサウンド 45号掲載の「クラフツマンシップの粋」で、
エレクトロボイスにかつてPatricianと呼ばれる、規模の大きなスピーカーシステムがあったことを知る。

特にPatrician800には魅かれるものがあった。
こんなスピーカーシステムを、エレクトロボイスはつくっていたのか──、
いま(1977年)のラインナップとは大きく異るPatricianシリーズは、
まだ10代なかばの若造でも、堂々とした風格を備えていることは写真から感じとれていた。

Patrician800は他のPatricianシリーズと同様に4ウェイ構成である。
まずこのことにも魅かれた。
JBLの4343が4ウェイであったということ、
すでにステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-1」で瀬川先生の4ウェイ構想の記事も読んでいたこと、
これらのことがPatrician800に魅かれたベースにはある。

それだけではない。
エレクトロボイスがフェノール系のダイアフラムを採用していることも大きかった。

ここでも「コンポーネントステレオの世界 ’77」が関係している。
この別冊のなかで、井上先生が、女性ヴォーカルを聴くための組合せをつくられている。

ジャニス・イアン、山崎ハコの歌を
「聴くもののこころにひっそりと語りかけてくる」ように聴きたいという読者のために、
井上先生が選ばれたスピーカーシステムはフランスのキャバスのフロアー型、Brigantinだった。

Date: 1月 19th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その8)

「オーディオ真夏の夜の夢」もステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」同様、
未来の世界にタイムスリップした現代のオーディオマニアの視線から描かれている。

こんな書き出しではじまっている。
     *
あるオーディオ・ファイルという人の家に行き、そこで一番驚いたのは、オーディオ・システムらしきものはあるものの、レコードが1枚も無いことでした。多少スタイルが違っているとは思っていたのですが、1枚も無いとは。そこでその彼に聞くと次のように言うのです。「君達はレコードを買っていただろうけど、それはレコードの中味、つまり音楽を買っていたはずだ。だから聴きたいときに聴きたい音楽が聴ければ何も生活空間を犠牲にしてまで膨大なレコードを持ち込む必要はない。
     *
長島先生が書かれている、このことがどういうことなのかは、
続きを書かなくても、いま(2013年)のオーディオマニアならば容易に想像がつくことだ。

長島先生はレコード会社がマスターとなるソースを所有していて、
それを聴き手のリクエストに応じて、
光ファイバーの利用して提供するというシステムを、1981年の時点ですでに予測されている。
そのためには家庭にコンピューターが当然のモノとしてある、ということもについても、同じである。

「2016年オーディオの旅」では、レコードはLPやCDのようなディスクではなく、
固体メモリーを利用したレコードパックと呼ばれるものを、
タイプライター状のプレーヤーにセットするというものだった。
これが2年後には、光ファイバーによるインターネットという予測の変更をされている。

これに、私は驚いたわけである。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その7)

「2016年オーディオの旅」的な文章を、長島先生が書かれたのは、
他にはない、とずっと思っていた。
すくなくともステレオサウンドには載っていなかった。
だから、ないものと思い込んでいた。

けれどスイングジャーナルの1981年9月号にも載っていたことを、つい先日知った。
なにもスイングジャーナル1981年9月号を手に入れたのが、つい先日というわけでもない。
1年以上前から手もとにはあった。
あったけれど、読み返していたのは岩崎先生、瀬川先生の文章が読めるスイングジャーナルであって、
そうでないスイングジャーナルは積んだままになっていた。

いま、もうひとつのブログ、the Review (in the past)の作業を行っている最中で、
数ヵ月先に大きく更新する予定なのだが、
そのための作業中に1981年9月号を手にして、ぱらぱらとめくっていて気がついたわけである。

「オーディオ真夏の夜の夢」という記事で、
長島先生のほかにも石田善之、及川公生、斎藤広嗣、落合萠の四氏も書かれている。

ページ数はひとりあたり見開き2ページ。
ステレオサウンド 50号の「2016年オーディオの旅」は扉をふくめて16ページ。
読みごたえということでは、ステレオサウンドのほうが上である。
でも、スイングジャーナル1981年9月号の「オーディオ真夏の夜の夢」に書かれていることは、
いまのオーディオ、これからのオーディオをかなり正確に描かれているだけに、驚きは大きい。

もっとも「2016年オーディオの旅」を読んだときと「オーディオ真夏の夢」を読むまでには、
30年以上が経っている。だから感じ方も違って当然なのだが、
それでも「オーディオ真夏の夜の夢」は、じつにおもしろい。

Date: 1月 17th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その6)

ステレオサウンド 50号は、創刊50号記念特集号だった。

巻頭特別座談会として「ステレオサウンド誌50年の歩みからオーディオの世界をふりかえる」と題して、
井上卓也、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の五氏による座談会を筆頭に、
旧製品のState of the Art賞など、いくつもの記念特集が載っている。

そのなかに「オーディオファンタジー 2016年オーディオの旅」という記事がある。
副題には、本誌創刊200号、とついている。
長島先生が書かれている。

小説仕立てのこの記事は、長島先生による未来のオーディオの予測でもあり、
長島先生によるオーディオへの、こうあってほしいという希望でもある、この記事では、
主人公がある朝目覚めると2016年にタイムスリップしているところから始まる。

ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ている。
37年後の世界を描かれている。
いまは2013年、もう3年後に迫っている。

ここに書かれたことで、現実のほうが進んでいることもあるし、
そうでないこと、まったくそうでないことがある。

当時高校生だった私は、2016年は遠い未来のことにおもえていた。
だから2016年に自分がいくつになっているかなんて、想像もしなかった。
けれど長島先生の「2016年オーディオの旅」は何度か読み返した。
おもしろかったし、あれこれ刺戟されるものも多かった。

ステレオサウンドにはいり実感したのは、
「2016年オーディオの旅」を書けるのは、長島先生だからこそ、ということだった。
長島先生の「豊富で貴重な雑学」があればこその記事である。

Date: 1月 15th, 2013
Cate: 菅野沖彦

嬉しい知らせ

月に一二度はステレオサウンドのサイトにアクセスしている。
今年になって、今日最初のアクセスだった。
HEADLINEを溯ってみていると、「ステレオサウンド編集部より新年のご挨拶」というページがある。

ここに嬉しい知らせがある。
「3月1日発売の186号では、いよいよ待望のあの方が誌面に戻ってくる予定です。」

これ以上の情報はなにもないけれど、
待望のあの方は、やはり、ひとりだけである。
そう思って3月1日の発売日を待っていて、いいと思う。

Date: 1月 13th, 2013
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(その5)

長島先生は1998年6月5日に心不全で亡くなられている。
その約1週間後にステレオサウンド 127号で出ている。
この127号に掲載されている菅野先生の「レコード演奏家訪問」に、長島先生は登場されている。

128号に「長島達夫先生の悼む」が載っている。
菅野先生と柳沢氏が書かれている。

読み返していた。
いろんなことをおもいだしていた。
おふたりの追悼文は、当時読んだ時いじょうに胸に沁みる。

柳沢氏が長島先生の人柄を示すエピソードとして、このようなことを書かれている。
     *
長島さんとの付き合いは長い。ぼくがまだデザイン学生だったころ、グループ制作で小型の魚群探知機をテーマにしたとき、学校にはあまり来なかったがまだ籍だけあった、故・瀬川冬樹氏が「エレキとメカの雑学に強い奴がいる」と言って紹介してくれたのが長島さんだった。その付き合いから山中敬三さんとも知り合うことになるのだが、みな他界されてしまった。
 瀬川さんが「エレキとメカに強い奴」と言わず「……の雑学に」と言ったのは当を得ていて、結局、魚群探知機でも長島さんから具体的な知識は得られなかったが、やたら何でも知っているおもしろい人だと感心した。
     *
ほんとうにそのとおりであって、柳沢氏はさらに
「何事にも旺盛な興味を示す人」
「長島さんの豊富で貴重な雑学が、試聴方法や測定方法に斬新なアイデアを生み、本誌のアイデンティティの確立をバックアップした」
「長島さんの貴重な雑学が、急成長期の日本のオーディオにさまざまな形で貢献してきた」
とも書かれている。

長島先生と付き合いのあった方ならば、誰しも頷かれることである。