岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(現在よりも……)
表面的な意味ではなく、
それに単に製品の数の多さや価格のレンジの広さとか、そういったことでもなくて、
まったく違う意味での「豊かさ」が、
「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」のオーディオの世界にはあったように思えてならない。
表面的な意味ではなく、
それに単に製品の数の多さや価格のレンジの広さとか、そういったことでもなくて、
まったく違う意味での「豊かさ」が、
「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」のオーディオの世界にはあったように思えてならない。
瀬川先生の著作集が出ないことがはっきりした。
よく遺稿集という言い方をする。私もこれまで何度も使ってきた。
けれど遺稿とは、未発表のまま、その筆者が亡くなったあとに残された原稿であって、
すでに発表された文章を一冊の本をまとめたものは遺稿集とは呼ばない──、
ということを、私もつい先日知ったばかりである。
私の手もとには瀬川先生の未発表の原稿(ただし未完成)がひとつだけある。
いずれ電子書籍の形で公開する予定だけれど、それでも一本だけだから、遺稿集とはならない。
あくまでも著作集ということになる。
ステレオサウンドの決まり、
そんなことがあるものか、と思われる方も少なくないと思う。
けれどふりかえってみていただきたい。
瀬川先生の著作集は出なかった。
黒田先生の著作集も出なかった。
黒田先生の本は、すでに「聴こえるものの彼方へ」が出ていたから。
岡先生の本も出ていない。
岡先生の本は、すでに「レコードと音楽とオーディオと」というムックが出ていたから。
山中先生の本も出ていない。
山中先生の本は、すでに「ブリティッシュ・サウンド」というムックが出ていたから。
「ブリティッシュ・サウンド」は山中先生ひとりだけではないものの、
メインは山中先生ということになる。
長島先生の本も出ていない。
長島先生の本は、すでに「HIGH-TECHNIC SERIES2 図説・MC型カートリッジの研究」が出ていたから。
I先輩の言われた「決まり」、
そういうものがあることをあとになって「やっぱりそうなのか」と、
ステレオサウンドをやめたあと、岡先生、長島先生、山中先生が亡くなり、そう思っていた。
だからこそ瀬川先生が亡くなられて32年目の今年、著作集がステレオサウンドから出る、ということは、
嬉しいとともに、意外でもあった。
正直、遅すぎる、とは思う。
そう思うとともに、なぜ、いまになって、とも考えている。
5月31日に岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊され、
瀬川先生の著作集が出るのだから、このことは書いてもいいと判断したことがある。
私がステレオサウンドで働くようになったのは、1982年1月。
瀬川先生が亡くなって二ヵ月後のこと。
ステレオサウンド試聴室隣の倉庫には、
瀬川先生が愛用されていたKEF・LS5/1A、スチューダーA68、マークレビンソンLNP2があった。
そういうときに私はステレオサウンドで働きはじめた。
入ってしばらくして訊ねたことは「瀬川先生の遺稿集はいつ出るんですか」だった。
編集部のI先輩にきいた。
どうみても、その編集作業にとりかかっている様子はどこにもなかったし、
そんな話も出てきていなかったから、不思議に思いきいたのだった。
I先輩の返事は、当時の私にはたいへんショックなものだった。
「出ないんだよ。ステレオサウンドのルールとして筆者一人一冊と決っているから。
瀬川先生はすでに『コンポーネントステレオのすすめ』がもう出ているから……」
確かに「コンポーネントステレオのすすめ」は出ている。
しかも改訂版も出て、「続・コンポーネントステレオのすすめ」も出ている。
だからといって、なぜ出さないのか。
そんなことを誰が決めたの? そんな決まり(これが決まりと呼べるのだろうか)は破ればいいじゃないか、
ステレオサウンドにとって瀬川冬樹とは、そんな存在だった?──、
とにかくそんなことが次々と頭に浮んだものの、何も言わなかった(言えなかった)。
スイングジャーナル 1978年5月号に「岩崎千明を偲ぶ会開かれる」という記事が載っている。
一関ベイシーの菅原昭二氏が、岩崎先生との想い出について書かれている。
そこにこうある。
*
背筋を伸ばしたままの状態でそっと腰をおろすとパラゴンがうなった。圧倒的な音量。私だって音量では人後におちない部類に入ると思うのだが、岩崎さんのそれはまたひとつ、ケタが違うのだ。見るとSG520のボリュームつまみはこれ以上、上に昇れないところに行っている。プリ・アンプのボリュームをオープンにしちゃうとどうもスカッとふんぎりがつくようなのだ。これができるかできないかで、岩崎さんになれるかなれないかが別れるのだ。
*
岩崎先生のパラゴンはLE15Aが入っているものだから、カタログに載っている出力音圧レベルは95dB。
菅原氏が聴かれたのは引越しの途中であって、新居にはすでにハーツフィールドやパトリシアンがおさまっていて、
ステレオサウンド 38号にも載っているパラゴンが置かれている、いわば旧宅での音である。
菅原氏の文章ではパワーアンプがなにかははっきりしないけれど、
ステレオサウンド 38号ではクワドエイトLM6200RとパイオニアExclusive M4だったが、
これらのアンプはすでに新居に運ばれていたのだろう。
だからコントロールアンプはSG520だったと思う。
ということはパワーアンプもM4ではなく、JBLのSE400なのかもしれない。
出力はM4もSE400もほぼ同じ。だから、どのパワーアンプなのかはっきりしなくても、
そんなことは些細なことでしかない。
岩崎先生の旧宅のリスニングルームは、写真でみるかぎり、ものすごく広い空間ではない。
そこでSG520のボリュウムが全開ということは、正直想像つかない。
菅原氏が「またひとつ、ケタが違うのだ」と書かれている。
そうとうに大きなことだけははっきりしている。
でも、それがほんとうのところ、どれだけのレベルなのかは、いまの私にはまだ想像つかない。
しかも音圧計で、ピークで何dB出ていました、といったことで表せる領域でもない。
ただ音がでかいだけではないのだから。
それでも、その領域に少しでも近づきたい、という気持が芽生えている。
一ヵ月ほど前に、詳細については省かざるをえなかったけれど、
今日やっと情報解禁になったので、ここでもきちんと書ける。
岩崎先生の遺稿集「オーディオ彷徨」が、5月31日にステレオサウンドから二度目の復刊である。
ステレオサウンドのfacabookページにて告知されている。
岩崎綾さん(岩崎先生の娘さん)が先月中旬にフライングでfacebook、twitterに書かれていたから、
目にされていた方も少なからずおられただろう。
でも、ステレオサウンドの正式な告知まで黙っていてほしい、ということだったので、
これまで書きたくても我慢していた。
今日やっと、曖昧にすることなく書ける。
audio sharingで「オーディオ彷徨」を公開してから13年。
やっと復刊された、という気持が強い。
「オーディオ彷徨」はaudio sharingでの公開のほかに、
ePUBにまとめたものをダウンロードできるようにしている。
ePUB(原子書籍)に関しては5月30日には削除する。
ステレオサウンドからオーディオ彷徨」が復刊されるわけだし、
一人でも多くのひとに「オーディオ彷徨」を購入してほしい、とおもうからだ。
とはいえ、またいつの日か「オーディオ彷徨」は絶版になる。
それに岩崎先生が書かれたものは、「オーディオ彷徨」に収められているものばかりではない。
昨年は岩崎先生の文章の入力を、けっこう量こなしてきた。
記事だけではなく、広告に書かれた文章もいくつかある。
私のMacのハードディスクには、かなりの文量のテキストがはいっている。
先日も多摩図書館に行き、いくつかの文章をコピーしてきた。
もちろん、これらの文章は「オーディオ彷徨」の増強版(タイトルはすでに考えている)として、
ひとつにまとめて電子書籍としてダウンロードできるようにする。
ただし、これまでは一般的なePUB形式にしていたが、
この増強版に関してはiBooks Authorでつくるため、iPadをプラットホームとした電子書籍にする予定である。
東京では桜が散りはじめている。
今日は4月1日。
五味先生の「花の乱舞」から引用しておきたいところがある。
*
花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
*
1972年発行の「ミセス」に載せられた文章だ。
「花の乱舞」はつぎのように締めくくられている。
*
音楽は、どのように受けとろうと究極のところは〝慰藉〟と〝啓示〟を享受すれば足りるものだから、受け入れやすいもの必ずしも低俗に過ぎるとはかぎるまい、というのが私の持論である。時にはバッハやハインリッヒ・シュッツの受難曲を聴いたあとなど、気分をほぐすつもりでロシア五人組の音楽に耳を傾けることがある。そして五人組ではないが、ハチャトゥリアンの『ガヤーネ』を聴くと、吉野山の桜を想い出す。これ迄、花びらのその龍巻を私は一度しか見ていないが。
*
五味先生は、もう一度、吉野山の花びらの龍巻を見られたのかどうかは、わからない。
今日4月1日は、五味先生の命日である。
長島先生による「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」、
どちらもCD登場以前に書かれている。
「2016年オーディオの旅」が掲載されているステレオサウンド 50号には、
岡先生による、オーディオのこれまでの歩みと、これからの歩み的な記事があり、
そこでDAD(Digital Audio Disc)のことにふれられている。
アナログディスク全盛の時代はしばらく続いていくものだというふうに、
私は勝手に思っていたし、デジタル化されたディスクが登場するのは、
なにかまだ先のことのようにも思っていた。
これは私だけではなかった、とおもう。
ステレオサウンドの読者の多くが、デジタル化されたディスク(CD)が登場して、
プログラムソースのメインとなっていくのは、もう少し先、
短くても5年、もしかすると10年くらいかかるものだと漠然と思われていたのではないだろうか。
実際には、そんな根拠のない予想よりもずっとはやかった。
ステレオサウンド 50号は1979年3月に出ているから、
3年半後にCDは世に出てきた。
このはやさも、CD登場に対して、
ある種のアレルギー的な反応を示された方が少なくなかったことにも関係しているのではないだろうか。
単に音だけのことではなかったようにも、いまは思う。
まだまだそんな時代だったときに、長島先生はCDによるデジタル化の先を書かれている。
当然、長島先生も、あと数年でCDが登場することはわかっていたうえで、
CDの次を予測されていたことになる。
その予測が固体メモリーであり、光ファイバーによる配信は、さらにその次の段階ともいえよう。
そして、電子書籍についても書かれている。
東京へ向かう新幹線の中で書いている。
大阪大学へ、川崎先生の最終講義を聴きに行った帰りだ。
1994年、草月ホールで聴いたのが、最初だった。
それからは東京での川崎先生の講演は、できるかぎり聴きに行くようにしていた。
東京以外での講演も、何度か行っている。
京都、金沢、兵庫にも行った。
行くたびに、ほとんど毎回のように残念に思っていたのは、
オーディオ関係者が聴きに来ていないことだった。
今日は大阪なのだから、
オーディオ関係者は誰もいない、と思っていた。
最終講義のあとの懇親会で、
よく似た人がいるもんだな、と思っていたら、その人本人だった。
誰なのかは書かないけれど、
オーディオ関係者が、ふたり来られていた。
他の人にとっては、どうでもいいことにすぎないだろうが、
私には、とても嬉しいことだった。
ステレオサウンドを読み始めたばかりのころ、
つまりまだGASのアンプもマークレビンソンのアンプも、実際に音を聴く前のころ、
ステレオサウンドの記事をくり返し読みながら、その音を想像していたわけだが、
ボンジョルノのGASのアンプは、いわゆる男性的、
レヴィンソンのマークレビンソンのアンプは、反対に女性的なところを、
その音の性格にもっている──、そんなふうに受けとめてもいた。
そしてスピーカーのブランドにたとえるなら、
GASはアルテック、マークレビンソンはJBL、
そうたとえることができそうな感じも受けていた。
1977年にステレオサウンド別冊として「世界のオーディオ」のALTEC号が出た。
その巻頭に、山中先生が「アルテック論 特徴あるアルテック・サウンドと、その背景への考察」を書かれていて、
その中に、こうある。
*
一つの興味深い例として、アルテックの非常によく似た構造のプレッシャー・ユニットを使うJBLのスピーカーシステムと比べた場合、JBLがどちらかといえばシャープで切れ込み本位の、また言葉をかえれば、各ユニットを強力に束縛して自由を抑えた設計をとっているのに対し、アルテックは同じようなユニットを自由に余裕をもって働かせている印象が強い。
これが実は、アルテック・サウンドを分析する場合の重要なファクターで、独特のあたたかみ、そして一種の開放感を生むもととなっている。
*
ここに出てくるアルテックをGASに、JBLをマークレビンソンにおきかえてみる。
この、山中先生の文章を読んだことも、
私のなかでのGAS≒アルテック、マークレビンソン≒JBLへとつながっていく。
私がステレオサウンドを読み始めたとき、
すでにジェームズ・ボンジョルノとマーク・レヴィンソンは、アンプに関して才能ある人として知られていた。
このころまではレヴィンソンもアンプ・エンジニアとして日本には紹介されていた。
他にも才能あるアンプ・エンジニアは何人もいた。
でも知名度の高さでは、このふたりが飛び抜けていたように、当時の私は感じていたし、
いま振り返ってみても、
ボンジョルノとレヴィンソン、このふたりのネームヴァリューに匹敵する人となるとジョン・カールくらいである。
とはいうものの、やはりボンジョルノとレヴィンソンはダントツだった。
ボンジョルノとレヴィンソンについて書いていこうと思っているわけだが、
レヴィンソンはアンプ・エンジニアではなかったことは、のちのちはっきりした。
それでも1970年代、マーク・レヴィンソンの存在は大きかった。
オーディオ界においてもそうだったし、私にとっても大きな存在だった。
そして私にとって、その大きな存在であるマークレビンソンのアンプといえば、
JC2、LNP2、ML2であり、これらのアンプのエンジニアはジョン・カールであり、
だからといってジョン・カールひとりでは、これらのアンプが、ここまで魅力的にはならなかったとも考えている。
音質的、性能的には同レベルのアンプをジョン・カールひとりでつくれても、
そのアンプがJC2、LNP2、ML2のようなアンプに仕上ったとは、私には思えない。
だからJC2、LNP2、ML2はジョン・カールとマーク・レヴィンソンとの協同作と受けとめている。
そして私にとって、いまも心惹かれるマークレビンソン・ブランドのアンプは、
この時代のアンプであるから、
「ボンジョルノとレヴィンソン」とはしているものの、
正確には「ボンジョルノとレヴィンソン(+ジョン・カール)」ということになる。
いましがたfacebookを見ていたら、ジェームズ・ボンジョルノ逝去、とあった。
人はいつか死ぬ。
ボンジョルノは一時期肝臓をひどくやられていたときいている。
しかもキャリアのながい人だから、いつの生れなのかは知らなかったけれど、
けっこうな歳なんだろうな、とは漠然と思っていた。
そういう人であったボンジョルノが、亡くなった。
人は死ぬ、ということは絶対なのだから、それが突然のことであっても、あまり驚くことはない。
そんな私でも、ボンジョルノの死は、ショックに近い。
ぽっかり穴が、またひとつあいたような感じを受けている。
私がステレオサウンドにいた時期、
ボンジョルノはリタイア状態だった。
だから会える機会はなかった。
もっとも会いたい人だった……。
LS3/5Aは、日本ではロジャースの製品が最初に入ってきて、知られることになったことから、
私も最初に聴いたLS3/5Aはロジャースの15Ω型だった。
購入したのも、そうだった。
1970年代の終りごろになって、イギリスのスピーカーメーカー数社からLS3/5Aが登場した。
チャートウェルからも出てきた。
このチャートウェル製のLS3/5Aは数が少ないこともあって、
これをいくつもあるLS3/5Aのなかで、高く評価される人もいる。
私は聴く機会がなかったから、そのことについてはなにもいえない。
実際、どうなのだろうか。
LS3/5Aは、いまでも人気のあるスピーカーシステムだから、
各社LS3/5Aの比較試聴は、オーディオ雑誌の記事にもなったりするが、
試聴している人に関心が個人的にないため、本文を読もうという気にはなれなかった。
まったく違うタイプのスピーカーシステムを集めての試聴であればまだしも、
同じ規格のもとでつくられているLS3/5Aの、製造メーカーによる音の違いは微妙なものであるだけに、
ほんとうに信頼できる人が試聴をしているのであれば、興味深く読むのだが、
そうでない場合には、読む気はおきない。
瀬川先生はチャートウェルのLS3/5Aについて、どういわれているのか。
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、わずかではあるがふれられている。
*
このふたつのLS3/5Aについて、30万円の予算の組合せのところでは、その違いをあまり細かくふれないで、どちらでもいいといったようないいかたをしたけれど、アンプがこのぐらいのクラスになると聴きこむにつれて違いがはっきりしてくるんです。で、ひとことでいえば、チャートウェルのほうが、全体の音の暖かさ、豊かさというものが、ほんのわずかですけれどもまさっているように思えるので、ぼくはチャートウェルのほうをもってきたわけです。もっともやせ型が好きなひとのなかには、ロジャースのほうが好ましいとお感じになる方もいらっしゃるかもしれませんね。
*
「コンポーネントステレオの世界 ’79」は1978年12月にでている。
つまり瀬川先生は、この時点で暖かさ、豊かさを、自分の音に求めはじめられていることがわかる。
スピーカーとしては、声というものの性格から、中域とか高域が金属製の音がするものは避ける。つまりJBLとかアルテックとかタンノイのように、金属の振動板を使ったスピーカーは、音色的に合わないと思うのです。ほかの例でいうと、ピアノにいいスピーカーあるいは弦にいいスピーカーということでも、やはり振動板の材質の音色が必ずかかわってくるんですね。そうすると、ここでは、高分子化合物のもの、マイラーとかフェノールとかそういうタイプの振動板を使ったスピーカーがいいだろう、ということになります。
*
ステレオサウンド 41号とともに「コンポーネントステレオの世界 ’77」は、
はじめて買ったオーディオ雑誌でもあるから、それこそ一字一句噛みしめるように読んでいた。
しかも、まだ13歳。
ここに書かれていることに素直にのみこんでいた。
となると、しっとりとした、情感あふれる女性ヴォーカルを、
聴くもののこころにひっそりと語りかけてくるように鳴らしたいのであれば、
中高域のダイアフラムは金属よりもフェノール系がいい。
しかも井上先生は、ヴォーカルの定位感をシャープに出すためには、
場合によってはホーン型のほうがいい、ともいわれている。
キャバスのBrigantinはスコーカー、トゥイーターはドーム型ではあるものの、
スコーカーの前面にはメガホン状のホーンがとりつけられている。
しかも、いわゆるリニアフェイズ配置のスピーカーシステムである。
このことはずっと頭の中にあった。
だから41号、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の1年後のステレオサウンド 45号で、
エレクトロボイスのPatrician800について知ったとき、
このスピーカーこそが、理想にもっとも近いスピーカーシステムである、とみえてしまった。
ダイアフラムはフェノール系で、しかも本格的なホーン型。
さらにいえば4ウェイでもある。
Patrician800のアピアランスは、中学生の若造にはさほどいいものには感じられなかったけど、
でも、その内容については、これ以上のものはない、
このPatrician800をベースにリニアフェイズにすることはできないものだろうか……、
そんなことを夢想していたことがある。
スイングジャーナルの「オーディオ真夏の夜の夢」は長島先生だけでなく、及川公生氏も書かれている。
長島先生の文章だけを読んで、ほかの方の書かれたものに関しては、今日読んだところ。
及川氏が書かれている──、
「オーディオ評論はちっとも進歩しないであい変らず試聴というのをくり返している」と。
もっとも及川氏は、この先がいまの試聴とは異っている未来を予測されている。
自宅のマイコン(この記事が載った1981年はパソコンではなくマイコンという言葉が一般的だった)の子機を使う。
いわば自宅にMacがあって、iPadを試聴室で取り出して使うようなものだ。
それでマイコンの子機に試聴するオーディオ機器の特性を入力、
さらに試聴室のアクースティック特性も入力後、その日の自分の体調も要素として加えて……、というふうに続く。
そういえば長島先生がステレオサウンド 50号に書かれた「2016年オーディオの旅」で、
未来の本についての記述はあったものの、2016年のオーディオの本がどうなっているかについては、
なにも書かれていなかった。
長島先生も、おそらくいつの時代になってもオーディオ機器の試聴は、
人が試聴室まで出向き、そこで鳴っている音を聴いて判断する、という昔からのやり方はまったく変らない、
と思われていたのだろう。
優秀なマイクロフォンが登場し、高速のデータ通信網があって、
試聴室で鳴っている音をマイクロフォンでピックアップして、
試聴する人たちのリスニングルームへ伝搬し、それぞれのシステムの特性も補正して試聴してもらう、
こんなことは技術的には決して不可能ではないけれど、
これからも先も試聴風景は変っていかない、とおもう。
変っていかないのであれば、あえて未来の予測に書くこともない。
長島先生が「2016年オーディオの旅」「オーディオ真夏の夜の夢」で、
未来のオーディオ雑誌についてふれられなかったのは、だから当然のことといえよう。
ステレオサウンド 45号掲載の「クラフツマンシップの粋」で、
エレクトロボイスにかつてPatricianと呼ばれる、規模の大きなスピーカーシステムがあったことを知る。
特にPatrician800には魅かれるものがあった。
こんなスピーカーシステムを、エレクトロボイスはつくっていたのか──、
いま(1977年)のラインナップとは大きく異るPatricianシリーズは、
まだ10代なかばの若造でも、堂々とした風格を備えていることは写真から感じとれていた。
Patrician800は他のPatricianシリーズと同様に4ウェイ構成である。
まずこのことにも魅かれた。
JBLの4343が4ウェイであったということ、
すでにステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-1」で瀬川先生の4ウェイ構想の記事も読んでいたこと、
これらのことがPatrician800に魅かれたベースにはある。
それだけではない。
エレクトロボイスがフェノール系のダイアフラムを採用していることも大きかった。
ここでも「コンポーネントステレオの世界 ’77」が関係している。
この別冊のなかで、井上先生が、女性ヴォーカルを聴くための組合せをつくられている。
ジャニス・イアン、山崎ハコの歌を
「聴くもののこころにひっそりと語りかけてくる」ように聴きたいという読者のために、
井上先生が選ばれたスピーカーシステムはフランスのキャバスのフロアー型、Brigantinだった。