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Date: 6月 10th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その27)

ビッグバンド系のレコードではそれほど大きな音量にしない、と発言されている岩崎先生も、
以前は、かなりの大音量でビッグバンドのレコードも聴いていた、とある。

油井正一氏がこんなことを発言されている。
     *
大きな音量で聴くカウント・ベイシーがまた、なんともいえずよかった。それでぼくは、実際に聴いたらどんなに大きなボリュームでやるんだろうと思って出かけたら、意外にも想像してた音量の三分の一ぐらい。そのときぼくは2階のうしろのほうの席で聴いていたんだけど、これはいけないと思って1階におりて前のほうに行ったら、だいたい自分の部屋で聴いているくらいのボリュームになったんです。これにはびっくりしましたね。
     *
1960年代はじめのころの話である。
これを受けて岩崎先生はデューク・エリントン楽団で感じた、と言われている。
     *
実際のコンサートで聴いてみると、きわめてさわやかで、スカッとしていて、音量感なんてないんですね。一生懸命にやっていても、とても静かなんですよ。それでぼくは、同じジャズといっても、バンド・サウンドというものは、全体の音としては決してそんなに大きくないんだということを知ったわけです。
だからジャズというものは、ある程度音を大きくして聴く必要があるとは思いますが、楽団や演奏スタイルの性格によって、そこに時国漢の差があるということですね。
     *
この発言の数ヵ月後にパラゴンを手に入れられているわけだから、
ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオといった小編成はかなりの音量で聴かれていたのだろうが、
ビッグバンドとなると、意外にも大きな音量ではなかったようにも考えられる。

岩崎先生もパラゴンの反射板をスクリーンとして捉えられていたのだろうか。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その26)

私の偏見かもしれないが、日本のオーディオマニアには、
パラゴンは大音量で聴いてこそ映えるスピーカーだ、と思っている人が少なくない、と思う。

それも仕方ないことかもしれない。
1970年代、無線と実験には見開き2ページで、毎号、全国のジャズ喫茶を紹介するページがあった。
私が無線と実験を読みはじめたのは、1977年ごろだから、この記事をそれほど多く見ていたわけではないが、
それでもパラゴンを使っていることは多い、という印象は持っていた。

そして日本では岩崎先生がパラゴンの使い手・鳴らし手として知られていた。
岩崎先生は大音量ということで知られていた。
パラゴンは、岩崎先生のメインスピーカーのひとつだから、
誰もがパラゴンは大音量で鳴らされていた、と思っていても不思議ではない。

私もそう思っていたひとりだった。

だが「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載された、
岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏による「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岩崎先生の、こんな発言がある。
     *
ジャズの場合でも、ビッグ・バンド系のものはクラシックと同じようなことがいえると思いますね。だからぼくは、おかしな話しなんだけど人数が多いときはそれほど音量を大きくしなくて、人数が少なくなければなるほど音量は大きくなるんです(笑い)。
     *
岩崎先生がパラゴンを導入されたのは1975年夏のはずだから、
この鼎談の時は、まだである。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その25)

パラゴン中央のゆるやかに湾曲した反射板。
ここに両端に位置する中音域を受け持つ375ドライバー+H5038Pホーンが向けられている。
375が受け持つ帯域は、パラゴンのクロスオーバー周波数は500Hzと7kHzだから約4オクターヴ。

これらのことからいえるのは、この反射板はスクリーンに相当している、ということ。
つまり375+H5038Pはプロジェクターともいえる。

このスクリーンの横幅は湾曲した状態で約160cm、高さは約70cm。
それほど大きなスクリーンではない。
むしろ寸法だけみていると、小さなスクリーンでもある。

この木製の音響的スクリーンに、両脇の375+H5038Pから映写(放射)される音により音像が結ぶ──。
と考えていくと、パラゴンというスピーカーシステムは、
確かに大型だし、搭載されているユニットもかなりの音圧が確保できるものではあるけれど、
実のところ、それほど大きな音量で聴くスピーカーなのだろうか、と思えてくる。

パラゴンの反射板(スクリーン)はさほど大きくない。
ここにオーケストラを映し出す。
それは意外にも小さな(つまり縮小した)オーケストラである。

しかもパラゴンは前述したように、椅子に坐って聴く場合の耳の位置はどこにあるのか。
パラゴンのスクリーンの大きさ(横幅と高さ)、それが位置するところ、そして聴き手の耳の位置、
これらの関係をみていくと、ガリバーが小人のオーケストラを聴いているイメージが浮んでくる。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その24)

そして「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭「いま、いい音のアンプがほしい」だ。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
     *
いま、ここに思い至ったとき、
これまで読んできた瀬川先生の書かれたものとそれに関する記憶が、
D44000 Paragonとそのイメージとにしっかりと結びついていく。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その23)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談は、かなり長い。そして読みごたえがある。
ただ長いだけではないからだ。

もう30年以上前の別冊だから持っていない人も少なくない。
私も、ステレオサウンド 61号の岡先生の書かれたものを読むまでは、この鼎談のことをくわしくは知らなかった。

いまは約一年前にでた「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読める。

今回引用したいのは、鼎談の最後のほう、
瀬川先生の発言だ。
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》

これに対し、岡先生は「そういうことは夢にも思わなかった」と答えられ、
そこから岡先生との議論が続く。

瀬川先生はステレオサウンド 51号で、このことに少し触れられている。
前号から始まった連載「ひろがり溶けあう響きを求めて」の中に出てくる。
     *
 かつて岡俊雄、黒田恭一両氏とわたくしとの鼎談「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」(本誌別冊〝コンポーネントの世界〟’75)の中で、自分がガリバーになって小人の国のオーケストラを聴く感じが音の再生の方法の中にある、というわたくしの発言に対して、岡、黒田両氏が、そんな発想は思いもよらなかった、と驚かれるシーンがある(同誌P106~107)。ここでの発言の真意はその前後の話の筋道を知って頂かないと誤解を招きやすいが、少なくともわたくし自身、たとえば夜更けて音量を落して聴くときのオーケストラの音楽を、小人の演奏を聴くガリバーの心境で、あるいは精密な箱庭を眺める気持で受けとめていたことは確かだった。
     *
できればこの鼎談は全部読んでほしい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その22)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談とは、
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたもの。

岡、黒田、瀬川の三氏はクラシックに関して、で、
同じテーマでジャズについての鼎談も載っている。
こちらは岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏。

この鼎談について、岡先生が後年書かれている。
ステレオサウンド 61号に、それは載っている。
     *
 白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
 瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
     *
この文章を引用するためにステレオサウンド 61号をひっぱりだしてきた。
引用する前に、読みなおしていた……。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その21)

パラゴンは背の高いスピーカーシステムではなく、
独特のユニット配置からしてもいえるのは、むしろ背の低いスピーカーシステムであるということだ。

ウーファー、スコーカー、トゥイーター、これらのうち二つのユニットの中心は同じ高さに位置していて、
トゥイーターのみがやや高いところに取り付けてある。
このことから連想するのは、LS3/5Aのことであり、
瀬川先生のLS3/5Aの聴き方のことである。

ステレオサウンド 43号で、
《左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。》
と書かれている。

この「薄気味悪いほどシャープに定位する」のは、ミニチュアライズされたものである。
《あたかも眼前に精巧なミニチュアのステージが展開するかのように、音の定位やひろがりや奥行きが、すばらしく自然に正確に、しかも美しい響きをともなって聴こえる》(ステレオサウンド 45号)
《このスピーカーの特徴は、総体にミニチュアライズされた音の響きの美しさにある》(ステレオサウンド 46号)

瀬川先生がLS3/5Aについて書かれたことと、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載されている鼎談で述べられていること、
このふたつは切り離せないことであり、
それらのこととパラゴンを瀬川先生が59号で「欲しいなあ」と結ばれていること、
さらにステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭
「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出し、
私の中では、すべてつながっている。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その20)

JBLのD4400 Paragonは、実に堂々とした美しさにをもつ。
重量は316kg。
(時期によっては318.4kgと記載されている。それにJBLのスピーカーユニットと同じように、
コンシューマー用スピーカーだから梱包時の重量のはずである。)

通常のスピーカーシステムが左右チャンネルで独立したエンクロージュアを持つのに対し、
パラゴンは一体化されたエンクロージュアにしても、約300kgの重量は、
このスピーカーの「スケール」を十分に伝えてくれる。

パラゴンの横幅は263cm。かなりの大きさではあるが、
通常のスピーカーシステムを十分な間隔をあけて設置すれば、このくらいの幅は必要となる。

パラゴンの奥行きは74cm。低音部のホーン構造を考えるとこの奥行きは奥に長い、とはいえない。
74cmほどの奥行きのスピーカーシステムは、他にもある。

小さいとはいわないけれど、パラゴンは六畳間におさめようと思えば収まらないサイズではない。

しかもパラゴンの高さは、脚を含めて90cmと、わりと低い。
つまり椅子に坐って聴けば、パラゴンは聴き手の耳よりも低い。

パラゴンの湾曲したウッドパネルを聴き手の真正面にもってくるには、
パラゴンをぐっと持ち上げるか、聴き手が床に直に坐って聴くことになる。

Date: 4月 13th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その8)

「コンポーネントステレオの世界」以外にもまだある。
HIGH-TECNIC SERIES-1、マルチアンプを取り扱ったこの別冊で、井上先生はパラゴンの組合せをつくられている。

マルチアンプの本だから、パラゴンをマルチアンプ駆動するという組合せであり、
パワーアンプにはパイオニアのExclusive M4、コントロールアンプはクワドエイトのLM6200R。

このアンプのペア。
岩崎先生がパラゴンを鳴らされていたのとまったく同じである。
だから、井上先生はこう書かれている。
     *
パラゴンを巧みに鳴らすキーポイントは低音にあるが、特にパワーアンプが重要である。ここではかつて故岩崎千明氏が愛用され、とかくホーン型のキャラクターが出がちなパラゴンを見事にコントロールし、素晴らしい低音として響かせていた実例をベースとして、マルチアンプ化のプランとしている。
     *
HIGH-TECNIC SERIES-1は、1977年に読んでいる。
この井上先生の文章は記憶していた。

それでも、このことが「コンポーネントステレオの世界」での井上先生の組合せとつなげることは、
10代の私にはできなかったけれど、いまはできる。
10代のころには見えなかったことが、はっきりと見えている。

いくつものことがいまつながっている。

Date: 3月 31st, 2014
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その5)

ステレオサウンド 3号の瀬川先生のアンプの試聴記は、すべてthe Review (in the past)で公開している。
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の「いま、いい音のアンプがほしい」も公開しているし、
2010年11月7日に公開したePUBにも収めている。

ひとつは試聴記という短い文章の集合体、
もうひとつはエッセイというかたちのながい文章。

この違いも、こじつけといわれようと、
グールドの最初のゴールドベルグ変奏曲と1981年再録のゴールドベルグ変奏曲との違いに近いものを感じる。

ステレオサウンド 3号の試聴記を読んでわかること、
「いま、いい音のアンプがほしい」を読んでわかること、
それは瀬川先生がどういう音のアンプを理想のアンプとして求められているかであり、
実のところ、ここに関しては、
ステレオサウンド 3号の1967年と「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の1981年、
ここには14年の歳月があるけれど、なにも変っていないことがわかる。

変ったのは、1967年の瀬川先生は「私はぜひ自分の手で作ってみたい気がする」と書かれているのが、
1981年の瀬川先生は「そんな音のアンプを、果して今後、いつになったら聴くことができるのだろうか」
と書かれていることだ。

Date: 3月 30th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その7)

「コンポーネントステレオの世界 ’79」で井上先生が、アルテックの604-8を、
25mm厚の三尺×三尺の合板を二枚に切り90cm×90cmの平面バッフルに取り付けた組合せ、
これは1979年の3月に出たステレオサウンド 50号のマイ・ハンディクラフトと関係しているものだと、
その時は思ってしまった。

50号は「コンポーネントステレオの世界 ’79」の約三ヵ月後に出ている。
さらに「コンポーネントステレオの世界 ’79」と50号のあいだには、HIGH-TECNIC SERIES-4も出ている。

ここでは国内外のフルレンジユニットを2m四方の平面バッフルに取り付けての試聴を行っている。
だから、「コンポーネントステレオの世界 ’79」での井上先生の平面バッフルも、
この流れの中のひとつだと捉えてしまったわけだ。

このころは私はスイングジャーナルのバックナンバーを読むことはなかった。
その機会もなかったし、特に読みたいとも思ってもいなかった。

けれどこの二年、スイングジャーナルのバックナンバー、それも70年代のものを集中して読んでみると、
岩崎先生の組合せに、たびたび平面バッフルが登場していることを知った。

岩崎先生自身も、「またか」といわれそうだが、
とことわりながらも平面バッフルにスピーカーユニットを取り付けた組合せを、1976年においてもつくられていた。

そのことをいまは知っている。
知った上で、「コンポーネントステレオの世界」での井上先生の組合せをみていくと、
当時では見えていなかったことに気づく。

気づくと「コンポーネントステレオの世界 ’78」での組合せも、そうなのだ、とおもえるわけだ。

Date: 3月 29th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その6)

これを読まれた方のなかには、それでも実際の読者を使わなかったことに納得がいかない人もいることだろう。
なぜ、架空の読者なんて、安易な手段をとるのか、と。

だが「コンポーネントステレオの世界」の実際の編集作業を、
編集部側にたって考えてみれば、実際の読者を呼び取材を行った方が、手間はかからない。

架空の読者の方が、手間も時間もかかる。
まずどういう読者をつくりあげるのか。
どういう音楽を聴いてきて、どういう環境で聴いているのか。
そのうえで、なぜステレオサウンド編集部に手紙をよこしてまで相談するのか。

まずこれが重要となる。
そのあとに、架空の読者像の年齢、職業、名前、イラストの雰囲気など、
細かなことも決めていかなければならない。

ここで手を抜いてしまうと、すべて嘘っぽくなってしまう。

ステレオサウンドが、架空の読者を登場させるスタイルを二冊でやめてしまったのは、
どういう読者像をつくりあげるかということの大変さがあったのだと思う。

そして架空の読者ででなければ、できあがらない組合せもある。
そのひとつが、井上先生のJBLのK151、2440、2355を使った組合せである。

井上先生は、この組合せの中で、次のことを語られている。
     *
こういったキャラクターの音はいわゆるオーディオとは無関係だという方が、現在は一般的だと思いますが、ぼくはそう考えません。これもまた立派なオーディオのはずです。
     *
この組合せだけではない。
「コンポーネントステレオの世界 ’79」では、
アルテックの604-8Gを平面バッフルに取り付けた組合せをつくられている。

Date: 3月 27th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その5)

そう言われてみると、「コンポーネントステレオの世界」’77年度版に試聴風景の写真があるが、
そこには読者は写っていない。

読者の手紙を見開きで紹介しているわけだが、
そこには名前と年齢と職業、それにイラストがあるだけだ。

「読者はいないんだよ」といわれてみて、
たしかに読者が存在していないことは、
見る人がみれば、もしかすると……とわかることだったのかもしれない。

でも当時の私はそんなことはまったく想像していなかった。
そんな私が「読者はいなかったんだよ」をきいて思ったのは、
騙されていた、ではなかった。すごいな、だった。

実在の読者ではなく架空の読者だったことを知った上で読み返してみても、
「コンポーネントステレオの世界」の’77年度版と’78年度版は、
いいスタイルの本に仕上っている、と感じた。

ここに書いたことを読み実在の読者ではなかったことを知り、
騙された、と思う人は、見事に騙されたことに、
騙し方のうまさと、そのために編集部がどれだけのことを考え用意したのかについて考えてもらいたい。

実在の読者が登場して、つまらない記事になるよりも、
架空の読者が登場しておもしろい記事になることを、私だったら望む。

架空の読者を登場されることは、読者を欺いたことにならないのか。
ならない、と私は考える。

実在の読者か架空の読者かといったことは私にとっては、この場合はさほど重要ではない。
重要なのは、架空の読者を登場させてそこでつくられた組合せそのものが、
読者を欺いていないかということだ。

Date: 3月 26th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その4)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は1977年12月にでたステレオサウンドの別冊である。
つまりはこの別冊の取材は9月下旬ごろから10月にかけて行われていたはずだ。

岩崎先生が亡くなられて半年ほど経った時期にあたる。

ああ、だから井上先生はコントロールアンプにクワドエイトのLM6200Rを選ばれたんだな、とやっと気がついた。

これから書くことはずっと黙っておくか、
書くとしてもずいぶん先にするつもりでいた。
けれど、ここで書きたいことのためには、書かざるを得ない。
なので書く。

「コンポーネントステレオの世界」は’77年度版と’78年度版が、
読者からの手紙をまず紹介して、読者本人にステレオサウンド試聴室まで来てもらい、
組合せがつくられていく過程を聴いてもらう、というスタイルをとっている。

いまでも、このスタイルはいいと思う。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は41号とともにはじめて買ったステレオサウンドでもあったし、
この企画にいつの日か出てみたい、とも思いながらくり返し読んでいた。

’79年度版以降、このスタイルはなくなった。
ステレオサウンドで働くようになって、いくつものことを編集部の先輩にきいた。
そのうちのひとつが、このことだった。

なぜ、読者が登場するスタイルをやめたんですか。
返ってきた答には、正直びっくりした。
そうだったのか、と思った。

「読者はいないんだよ」だったからだ。

Date: 3月 25th, 2014
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その4)

グレン・グールドはゴールドベルグ変奏曲の録音でデビューしている。
テンポのはやい、反復を省略したゴールドベルグ変奏曲だった。

グールドはゴールドベルグ変奏曲を1981年にふたたび録音している。
テンポはゆったりとなっている。

1981年のゴールドベルグ変奏曲が、グールドの最後の録音ではないけれど、
最晩年の録音のひとつである。

つまりはグールドの録音は、ゴールドベルグ変奏曲のアリアからはじまり、
1981年のゴールドベルグ変奏曲のアリアが終りをつげている、といえなくもない。

ゴールドベルグ変奏曲のアリアは、録音では始まりのアリアの録音をそのまま終りのアリアに使うこともできる。
こんなことは演奏会ではできない、録音だけが可能にしていることであるわけだが、
聴けばすぐにわかることだが、グールドはそういうことはしていない。

最初のアリアは最後のアリアは、まったく同じではない。
これは1981年の録音でもそうである。

グールドの最初のゴールドベルグ変奏曲のはじまりのアリアと、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の終りのアリアが、瀬川先生の書かれたものと重なってくる。

ステレオサウンド 3号でのアンプの試聴記が最初のゴールドベルグ変奏曲のアリアと、
「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」での「いま、いい音のアンプがほしい」が、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の終りのアリアと。