想像つかないこともある、ということ(その6)
これを読まれた方のなかには、それでも実際の読者を使わなかったことに納得がいかない人もいることだろう。
なぜ、架空の読者なんて、安易な手段をとるのか、と。
だが「コンポーネントステレオの世界」の実際の編集作業を、
編集部側にたって考えてみれば、実際の読者を呼び取材を行った方が、手間はかからない。
架空の読者の方が、手間も時間もかかる。
まずどういう読者をつくりあげるのか。
どういう音楽を聴いてきて、どういう環境で聴いているのか。
そのうえで、なぜステレオサウンド編集部に手紙をよこしてまで相談するのか。
まずこれが重要となる。
そのあとに、架空の読者像の年齢、職業、名前、イラストの雰囲気など、
細かなことも決めていかなければならない。
ここで手を抜いてしまうと、すべて嘘っぽくなってしまう。
ステレオサウンドが、架空の読者を登場させるスタイルを二冊でやめてしまったのは、
どういう読者像をつくりあげるかということの大変さがあったのだと思う。
そして架空の読者ででなければ、できあがらない組合せもある。
そのひとつが、井上先生のJBLのK151、2440、2355を使った組合せである。
井上先生は、この組合せの中で、次のことを語られている。
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こういったキャラクターの音はいわゆるオーディオとは無関係だという方が、現在は一般的だと思いますが、ぼくはそう考えません。これもまた立派なオーディオのはずです。
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この組合せだけではない。
「コンポーネントステレオの世界 ’79」では、
アルテックの604-8Gを平面バッフルに取り付けた組合せをつくられている。