Archive for category pure audio

Date: 7月 5th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(バラストなのか)

アキュフェーズの創業者である春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」、
この本の中に、ピュアオーディオについて書かれているところがある。

「オーディオはバラスト」とつけられた短い文章だ。
     *
 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。

純粋オーディオも、人類にとって大切なオーディオ文化を守る重要なバラストの役目をしているのではないだろうか。
     *
オーディオはバラストといえる、と思う。
けれど、それはオーディオ文化を守るバラストというよりも、音楽文化を守るバラストのように思っている。

「オーディオはバラスト」について、
そして「オーディオのバラスト」についても、いずれ書いていく。

Date: 5月 19th, 2015
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その1)

いまではホームシアターというようになっているが、
以前はAV(エーブイ)、オーディオ・ヴィジュアルと呼んでいた。

VHD、レーザーディスクといったビデオディスクの登場、テレビの大型化、
その他のもろもろのことにより盛り上ってきて、
オーディオ(音だけの世界)に、映像(ヴィジュアル)が加わり、
新しい趣味としてとりあげられるようになっていった1980年代。

ちょうどそのころ私はステレオサウンドにいた。
私が働きはじめたころ、まだサウンドボーイがあった。
これが休刊になり、1983年秋、ステレオサウンド/テープサウンド別冊として、AV ’83が出た。
そして1983年12月号を創刊号とするHiViが登場する。

ピュアオーディオ(pure audio)といわれるようになってきたのは、そのころからである。

これまで音だけのオーディオに親しんできた・取り組んできたオーディオマニアの中には、
AVに対して、ある種の拒否に近い反応を示す人もいた。
AVに熱心な人たちは、そういう人たちに対して、こんなことをいっていた。

本来音楽は音と映像がいっしょであった。
それが技術的な問題で音だけになってしまったわけで、
コンサートに行けば視覚的・聴覚的、その両方で音楽を楽しむ。
だからAVこそが、本来の音楽の楽しみ方であり、
音だけのオーディオは、いわば片輪の楽しみ方でしかない、と。

大輪ねそんなことがいわれていた。

ピュアオーディオは、これに対する反論として生れてきたように、私は認識している。