Archive for category 黒田恭一

Date: 6月 30th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その9)

Acoustat Xに搭載されている専用アンプは、電圧増幅部がトランジスターで構成され、
出力段のみ真空管というハイブリッド型で、
ステレオサウンド 43号に載っている小さな写真をみるかぎり、トランスはひとつだけである。
電源トランスだけだ。真空管アンプにつきものの出力トランスはない。
コンデンサー型スピーカーに必要なステップアップトランスもない。
信号経路からトランスが取りのぞかれている。

なんてステキなスピーカーなんだろう──、そう思っていた。
でも聴く機会は訪れなかった。

ステレオサウンドの誌面でも、その後、ほとんど取りあげられなかったと記憶している。
それだけにアクースタットのスピーカーへの秘かな想い入れはつのっていた。
だからModel 3と、ステレオサウンドの試聴室で対面したときは、お気に入りの女性ヴォーカルを、
なんとしてでも聴く、そのことだけを考えていた、といってもいいぐらいの精神状態だった。

Date: 6月 30th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その8)

コンデンサー型スピーカーには、ダイアフラムに成極電圧をかけるために、
アンプからの信号は、スピーカー内部に設けられているステップアップトランスを通ることになる。

真空管のパワーアンプも、出力にトランスが必要で、ここではステップダウンされている。
真空管アンプ内でステップダウンされた信号が、コンデンサー型スピーカー内でステップアップされる。
こんな無駄なことはないだろう、と中学3年の知識でもわかる。

コンデンサー型スピーカー専用の真空管式パワーアンプなら、出力トランスもスピーカー内部のトランスも、
ふたつともなくすことが可能であるはずだ。

そんなことを考えていたからこそ、ステレオサウンド 43号で紹介されていたAcoustat Xは、
このときの私にとって、ひとつの理想的なスピーカーといえた。

Acoustat Xは、フルレンジ型パネルを3枚組みこんだもので、
のちのModel 3と、スピーカー部分の構成は同じといっていい。
ただAcoustat Xは専用アンプを内蔵している。

Date: 6月 30th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その7)

サウンドコニサーの取材時のアクースタットの輸入元は、神戸のファンガティだったが、
その前に取り扱っていたのはバブコ(いまのエレクトリ)で、Model 3登場の5年前、
Acoustat Xが、ステレオサウンド 43号の新製品紹介の記事中で取りあげられている。

43号のころ(1977年)は、中学生。クラシックばかり聴いていたわけではなく、
やはり「女性ヴォーカル」に夢中になっていた時期でもある。

となると、43号に岡先生はQUADのESLを「弦とヴォーカルのよさは類のないものである」と紹介されている。
やっぱり、女性ヴォーカルを最良の音で聴くには、コンデンサー型なんだなぁ、
と中学3年だった私は、そう思い込むのが、また楽しかった。

さらに「30〜50WのAクラス・アンプでドライヴしたときはとくに素晴らしい」とも書かれている。
ということはパワーアンプはパイオニアのエクスクルーシヴM4になるのか、と妄想組合せをつくっていた。
でも、30Wぐらいの出力でもよければ、真空管アンプという選択肢もある。

やはり43号に、瀬川先生は、ラックスのSQ38FD/IIについて
「弦やヴォーカルのいかにも息づくような暖かさ、血の通った滑らかさ」と紹介されている。

QUADのESLをSQ38FD/IIで鳴らしたら、いったいどんなに素晴らしい女性ヴォーカルが聴けるんだろう……、
まだ、どちらも音も聴いたことがなかったからこそ、実際に出てくるであろう音を、
少ない経験、少ない知識しか持っていなかった、
だから自由に(勝手に)に想像でき、それが楽しかった。

Date: 6月 29th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その6)

試聴・取材が終了したあとは、次の日の試聴の準備でとりかかる。
まだ編集部で働きはじめて4ヵ月目ぐらいだったころだから、
片付ける前に「これを聴かせてください」とはなかなか言いにくい。

だから午前中の試聴が終り、午後の、アクースタットの試聴を準備をしてすぐに食事に行き、
これまたすぐに試聴室に戻ってきて、
「黒田先生たちが戻ってこられるのは、もう少しかかるだろう……」、
ならば聴きたいレコードを一枚だけなら聴くだけの時間は十分にある……、
そう判断して、アクースタット(というよりもフルレンジユニットのコンデンサー型スピーカー)で、
そのころ、とにかくいちどは聴いてみたかったシルビア・シャシュのレコードをかけたのだった。

Date: 6月 28th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その7)

一方、バーンスタインのベートーヴェン全集だが、ライヴ録音だから、といって、
1テークのみの録音ということではなく、
すべて曲が2回ないしは3回コンサートで演奏され、録音されているなかで、最終的な編集が行なわれている。
さらにコンサートの直後に、聴衆がまだいる状況での追加録音も行なっているとのことだから、
一発勝負、ぶっつけ本番こそライヴレコーディングだと言われる方からすれば、
バーンスタインのそれは純粋なライヴ録音ではないということになるだろう。

それでも聴衆が同じ空間、同じ時間にいるということで、バーンスタインの演奏がかわってくると、
ドイツ・グラモフォンのA&Rのチーフ(つまり制作部門の最高責任者)のギャンター・ブレーストが、
黒田先生のインタビューに答えている。
     *
(バーンスタインと契約をかわしたときに)──CBSに録音したレコードを聴き直してみたときに、そこには、私が称賛するバーンスタインがいない。これらのレコードを聴くと、そこにはバーンスタインの音楽が持っているあの非常にエキサイティングな要素が失われている。(中略)そういったことがあって、バーンスタインという人の持っている非常にエキサイティングなものを出すためには、どうしても聴衆が必要だ──それにはライヴの方がいいという判断があって、私たちA&Rが彼に、ぜひライヴ・レコーディングするよう頼んだわけです。(中略)
 録音の基本は、実際の演奏会で行なわれたもの、何千人という聴衆の非常に熱いエキサイティングな雰囲気を背景に行なわれた実際の演奏会の録音で、それにいくつかの部分を別録音したもので補う、というやり方をしているのです。こういうやり方をすることよって、バーンスタインの特質、創造の秘密ともいうべき感情の昂揚をテープに記録するごとができたと思います。(ポリドール・季刊GRC 46号)

Date: 6月 27th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その5)

サウンドコニサーの試聴は、午前中からはじまり、昼食をはさんで夕方遅くまで数日間つづいた。

試聴レコードは3枚。
アバド指揮シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第1番の第1楽章。
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第4番、これも第1楽章。
カラヤン指揮ベルリン・フィル、リッチャレルリ、カレーラスらによるプッチーニのトスカから、
「テ・デウム」の合唱にスカルピアが加わり盛り上がる、第1幕の最後。

少ないかと思われるかもしれないが、この3枚を、スピーカーの場合には、アンプを3種類ほど用意して、
アンプの試聴の時には、スピーカーを複数用意して、それぞれの組合せにおいて、
この3枚のレコードをくり返し鳴らされる。

試聴時間は十分にあるように思われるかもしれないが、
実際には、かなりてきぱきと進めていかなければならないほど、時間的余裕はほとんどなかったように記憶している。

だから試聴レコードにないものを聴きたければ、昼休みの時間を利用するしかなかったわけだ。

Date: 6月 27th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その4)

1982年夏、ステレオサウンドの別冊として「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」が出ている。
アクースタットのコンデンサー型スピーカー、Model 3がはじめて登場した記事が載っている。
黒田恭一先生と草野次郎さんの対談によって、Model 3の音が語られている。

黒田先生を語りを引用する。
     ※
弱りましたね。「ステレオサウンド」編集部の素晴らしいところと怖いところは、どこに落とし穴があるかわからないところなんだ(笑)。編集部の方々もどの人が味方でどの人が敵なのかわからない。
というのも、昼食を食べて試聴室に戻ってきたら、あれはシルビア・シャシュだと思うけれど、彼女の歌っているノルマの「カスタディーバ」が聴こえてきた。昼休みを利用して試聴レコードにないシャシュがかかっていたわけなんですが、この選曲が、このアクースタットのモデル3にとっては抜群の出来だったと思うのです。(中略)
 もし瀬川さんが入らしたら〝空気感〟というふうなことをおそらくおっしゃったと思うのですが、つまり音を出していない楽器にも、ちゃんとプレイヤーがいるという感じがわかるんです。
     ※
シルビア・シャシュのレコードをかけて聴いていたのは、私である。
別に味方でも敵でもないし、記事をおもしろくしようとか、そんな考えは微塵もなくて、
ただ、このアクースタットで、いちばん聴きたいと思ったレコードを、昼休みに鳴らしていただけだった。

Date: 6月 26th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その6)

カラヤンのベートーヴェン全集の録音は、もしいまカラヤンが生きていたとしても、
同じことはやらせてもらえないだろうと誰もが思うくらいに、綿密な計画性による贅沢なものである。

第六番は1976年10月のたった一日の録音で終了しているが、
のこりの8曲は、2回もしくは3回の録音が行なわれている。
第一番、二番から録音はスタートしたようで、1975年1月に第一回のテークを行ない、
75年中に六番以外の録音を行なっている。
これらは、全集を完成させるための検討用の録音であり、レコードにするための録音ではない。

これらの録音を終えたあとで、約3ヶ月の冷却期間をおき、
リハーサルをやり直すとともに全9曲を見通しながら、細部にわたる検討を重ね、
いわゆるオリジナル版と呼ばれるレコードに仕上げるための録音を開始している。

第一番、二番は、その後、76年10月から翌77年1月にかけてオリジナル版の録音、
77年3月に部分的な録音がさらに行なわれているとのことだ。

一番から九番までを、ひとつの大曲として捉えるための検討用録音なのだろう。

カラヤンは、ドイツの音楽評論家ヨアヒム・カイザーのインタビューで、以下のようなことを語っている。
     ※
今度の交響曲録音に対し、全く新しいやり方を選んだのです。普通の場合、いくつかのセッション(2時間程度の録音)を積み重ねて録音し、すぐ同時にすべての悪い細部をなおしていきます。今回は全く別の過程がとられました。3ヶ月のうち、この未加工版ともいうべき第1回録音を、細部に注意しながら聴きました。演奏の行なわれている時にはすべての細かいところまで注意することは不可能です。指導者はいつも先行して考え、感ずる必要があるからです。今、正確に聴き直してみると、まだ充分彫琢されていないと思われる箇所が出てきました。この聴取ののち、我々はまずこの録音について原則的なことを討論しました。この新録音について、ここで響いてくるような具合からして、音響空間はこれでいいのかどうか? 何を改良すべきか? 多くの点において、我々はずっと良くすることができたと思うのです。

Date: 6月 25th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その5)

音楽通信の取材で、ベートーヴェンの交響曲を一番から九番まで順番に聴くということは、
カラヤンによる全集なのかと思っていたら、バーンスタンのものだという。
この取材がおこなわれた1983年9月25日、と記事にはある。

バーンスタインのベートーヴェンの全集が出たのが1980年前半、
カラヤンのは、ベートーヴェンの没後150年にあたる1977年の発売。
バーンスタインのほうが新しいとはいえ、出たばかりの新譜でもない。
黒田先生はカラヤンを好まれて聴かれていたから、てっきりカラヤンだとばかり思っていた次第だ。

カラヤンのベートーヴェンとバーンスタインのベートーヴェン。
どちらも一流のオーケストラを率いての録音だが、
カラヤンは手兵ベリルン・フィル、バーンスタインは自発性に富むウィーン・フィル。

どちらもドイツ・グラモフォンの録音だが、カラヤンは徹底したスタジオ録音、バーンスタインはライヴ録音である。
カラヤンの録音は、1975年1月から始まり77年3月に終っている。
バーンスタインはというと、1978年11月から79年9月までの、1年足らずで終らせている。

Date: 6月 23rd, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その3)

モーストリークラシックの連載は、私の知るかぎり、2度休載されている。
2度目の再開の6月号を手にしたとき、「よかった、また始まって」と思い読んだ。

ストレートな書き方だと感じた。
7月号は、よりストレートに感じた(だから、すこし不安をおぼえていた……)。

「情報」について書かれていた。

いま、情報ではなく、情報擬きが蔓延りはじめている。
釣りで云うところの撒餌のような情報擬きについて、きびしいことを書かれている。

情報とはなんなのか、いま価値ある情報は、残念なことにテレビや雑誌からではなく、
知人・友人からの口伝えによる、と書かれ、
情報を発信する側の人間の心がまえとして、より真剣に、より慎重なる態度が必要であり、
そうでなければ信頼は得られない、と。

読んでいて、なにか強いものを感じていた。
背筋をのばして読むべき文章だった。

いまはテレビや出版関係の人間でなくても、ウェブで簡単に情報を発信できる。
「お金は貰っていないから……」、こんないいわけは、情報を発信している以上、
プロだろうがアマチュアだろうが、決して口にしてはならない言葉だ。

親しい、大事な友人に、そんなことをいいながら、何かを伝えるというのか。

本の編集者、筆者、そしてブログやウェブに書いている人、
とにかく情報を不特定多数の人に向って発信している人は、
モーストリークラシックの7月号の黒田先生の文章は、読むべきである。

何も感じない人はいないと、信じたい。

Date: 6月 22nd, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その2)

「今日は20日だ」とわかっていても、土曜日は、仕事の終了が9時過ぎで、
最寄りの駅についたのが10時半ごろだった。
近くの書店は閉店している。
途中下車すれば、まだ開いているところはあったのだが、食事もまだだったため、そういう気も起きなかったが、
この日は、モーストリークラシックの8月号の発売日だった。

モーストリークラシックの巻頭は、黒田先生の「黒恭の感動道場」だった。
今年の分は、6月号と7月号の掲載だけだった。

もしかしたら、と思い、今日書店で手にしたが、やはり載っていなかった。

おそらくモーストリークラシックの7月号掲載分が、黒田先生の最後の文章となるのか。

黒田先生の文章は、おだやかでやさしい口調で語られていることが多い。
だから、文章だけで黒田先生に接してきた人は、モーストリークラシック6月号と7月号の文章に、
それまでの黒田先生のイメージとは違うものを感じとられた人も少なくないかもしれない。

黒田先生の音楽への愛情は真剣だった。
それだけに、愛を感じられない、やっつけ仕事でなされた演奏やレコードに対しては、
ひじょうに辛辣できびしい言葉で語られることもあった。

Date: 6月 16th, 2009
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 黒田恭一

オーディオにおけるジャーナリズム(その19)

ステレオサウンド 38号で、黒田先生が、岩崎先生のリスニングルームを訪ねられたあと、
岩崎先生宛の手紙という形で、感想を書かれている。

タイトルは、アレグロ・コン・ブリオ。
そこに書かれている。
「大きな音で、しかも親しい方と一緒にきくことが多いといわれるのをきいて、岩崎さんのさびしがりやとしての横顔を見たように思いました。しかし、さびしがりやというと、どうしてもジメジメしがちですが、そうはならずに、人恋しさをさわやかに表明しているところが、岩崎さんのすてきなところです。きかせていただいた音に、そういう岩崎さんが、感じられました。さあ、ぼくと一緒に音楽をきこうよ──と、岩崎さんがならしてくださった音は、よびかけているように、きこえました。むろんそれは、さびしがりやの音といっただけでは不充分な、さびしさや人恋しさを知らん顔して背負った、大変に男らしい音と、ぼくには思えました。」

さびしさや人恋しさを知らん顔して背負った、大変に男らしい音──、
ここにも孤独があり、孤独を、岩崎先生は、ある意味、楽しまれていたのでは、と思えてくる。

そう思うのは、私のひとりよがりなのかもしれないが、
それでも、私の中では、一条の光とアレグロ・コン・ブリオ(輝きをもって速く)が、結びつく。

Date: 6月 10th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その4)

ひとつ訂正しておく。
音楽通信の奥付には、1984年1月20日発行とある。つまり創刊号の発売は、1983年12月のことだ。

黒田先生は1938年1月1日生まれだから、このとき、ぎりぎり45歳。私はというと、ぎりぎり20(ハタチ)だった。

表紙には「主題 三十五歳も音楽をきいている」とある。
黒田先生は10年前にそこを通りすぎておられ、私にはまだ15年先のことだった。

26年経ち、音楽通信を創刊された頃の黒田先生と、ほぼ同じ歳になったいま、
創刊号を読むと、黒田先生が創刊号に込められたものが、
26年前よりもはっきりと感じとれるようになっている(そうでなくは困るのだが)。

そして、なぜベートーヴェン全集は、カラヤンではなくバーンスタインだったのかも、
はっきりと言葉にすることはまだできないけれど、そういうことだったのかな、とぼんやりと感じてはいる。

Date: 6月 9th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その3)

一度だけ、音楽通信編集部に、そのとき、サウンドボーイの編集者だったNさんにつれられて、
夜うかがったことがある。
もう寒くなりはじめた季節だったように思う。

黒田先生をはじめ、編集部のスタッフの方々は、大きなテーブルを囲み、アルコールを飲みながら、
熱っぽく語られていた。音楽を、本のあり方を、真摯に語られていた。

わかるところもあれば、まだすんなりとは、私の未熟さゆえに、のみ込めないこともあった。
それでも、新しい雑誌を創刊することの熱さは、きちんと感じとってきた。
大変なことだろうけど、羨ましくもあった、その熱さであった。

音楽通信・創刊号の目次には、こんなことがさりげなく書かれている。

私たちは
音楽を芸術だ芸術だとはいわない。
音楽を「わからないと言う人をばかにしない
(「わかる」人がエライと思わない)。
結局悪口を言わなければならない人や
物は取り上げない。
ただし敬愛もできず応援もしたくない人や
物の提灯持ちはしない。
公平、正義、不偏不党をうたわない、
着実な私見だけのべる。
音楽のたのしみを、
自分たちの生活と人生から考える。

きっと、音楽通信・編集部の人たちは、このことにもとづくことを話し合われていたのだろう。

Date: 6月 5th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その2)

音楽通信の創刊号は、記憶違いでなければ、1984年1月だったはず。

編集部は、ステレオサウンドがはいっていたビルではなく、外苑東通りを東京タワー方面に歩いて10分ほどのところ、
ソ連大使館(当時)近くのマンションにあった。
かなり広いワンルームマンションに、これまた大きなテーブルが置いてあり、
そこに編集長の黒田恭一先生をはじめ、音楽通信・編集部の人たちが集まり、
創刊号の準備を、とても地道な作業のくり返しを、それはたいへんなことだけど、
なにか独得の活気に満ちていた空気のなかでやられていた。

いまならMacの画面上で、使用するフォントの属性、行間の設定をあれこれ変えて、
その結果を印刷して見比べるという、それほどたいへんでもない作業を、
当時、MacでDTPなんて、まだ影も形も存在していない時代
──マッキントッシュの128Kが登場したのが1984年、その前年の話だ──、
音楽通信の編集部の人たちは、本文の書体、サイズ、行間、一行あたりの文字数を決定する作業を、
実際に、いろいろな本のページをコピーしては、それらを切り貼りして見本を作っては、
検討、手直しをしたり、という根気が求められる作業を、決しておろそかにすることなくこなされていた。