Archive for category 「ネットワーク」

Date: 5月 9th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その5)

ボリュウムは、いつもの「THE DIALOGUE」の音量よりも絞っていた。
といってもほんのわずかなのだが、それでも絞っていたのだから、
わずかとはいえ、スピーカーからの音量は厳密には下っているのに、
聴感上はむしろ少し大きく聴こえてきた。

直列型の場合、並列型とは違い、
配線上、ウーファーとトゥイーター、どちらを上にするのか下にするのか、でも、
音は違ってくる。

スピーカーの教科書的な書籍で、直列型ネットワークの回路図を載せている例でも、
ウーファーが上の例もあれば、トゥイーターが上の例もある。

何度か試して結果からいえば、ウーファーを下側にしたほうがいい。
さらに今回試した配線方法では、それまでの配線とは違ってきて、
ある一点で三本の配線を集中させるようにしている。

本来ならば従来の配線での直列型ネットワークの音を聴いた後で、
新しい配線での直列型ネットワークにすべきなのだが、
並列型ネットワークの音を聴いていて、それがひとつの比較の基準になっているともいえ、
時間も都合も考えて、やってはいない。

このへんによる音の違いは、直列型ネットワークに興味を持った人が、
実際に自身で試して、自身の耳で確認したらいいことでもある。

三本の配線を集中させた一点は、もう一箇所、別のところでも動作する。
試していないが、音は変ってくるはずだ。
これに関しては、audio wednesdayで、黙って実験してみようと思っている。

ここまで読まれた方の中には、直列型の方がいいのか、と思われるかもしれない。
確かに6dBスロープで、2ウェイという限られた枠内では、好結果が得られた。

これが3ウェイ、4ウェイ、
さらには12dBスロープとなってくるとどうなるのかは、試してないのでなんともいえない。
それに並列型だから、やれることもある。

だから決めつけはしない。
それでも、自作スピーカーで自作ネットワークで鳴らされている方は、
一度直列型ネットワークに興味をもってほしい、と思う。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その4)

同じコンデンサーとコイルを使って並列型から直列型へと変更する。
二年前に試したときよりも、直列型の音の印象がいい。

それに音量がわずかとはいえ増したよう聴こえる。
二年前の直列型とは、配線の仕方を変更している。
スピーカーケーブルは同じカナレのスターカッド型を使っている。

音量が増したように聴こえるのは、音のピントが以前よりも合っているからかもしれない。
二年前の音だし、アンプも二年前とは違っているし、CDプレーヤーも違う。
それでも並列型と直列型の比較をして、直列型の音を私はとる。

厳密な意味では、並列型と直列型の正しい比較試聴とはいえない面もある。
本来ならば並列型であっても直列型であっても、
微調整をしていき最適化していったうえで比較試聴であるべき、とは思っている。

とはいえ、それだけの時間をかけてやれるのは自分のシステムにおいてであって、
こういう場での実験としての音出しでは、そこまでは無理である。

なので細部の比較ではなく、素姓の比較といえる聴き方だ。

ただ最初から今回の直列型がうまく鳴ったわけではない。
試したことのない配線ということもあって、こちらの頭がすこしこんがらがった。
そのため手間どった。
そのあいだアンプの電源は落したままである。

その影響が、直列型ネットワークにした際にモロに音に出てきた。
音場があまり拡がらないのだ。
常連のHさんは不思議がって、珍しく席を移動して音を確認されていた。

私は待つしかないことがわかっていたので、アンプが目覚めてくれるのを待っていた。
それまで鳴らしていたわけだから、それほど時間は必要としない。
数分経ったころから、音は拡がりはじめた。

アンプがきちんと目覚めたな、と思えたところで、「THE DIALOGUE」を鳴らす。
黙っていたけれど、実はいつもよりほんの少しだけボリュウムは絞っていた。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その3)

直列型ネットワークは、2016年に数回試している。
並列型6dBスロープと直列型6dBスロープの比較も行っている。

なのでコイズミ無線の12dBスロープネットワークから、
いきなり直列型6dBスロープにしてみてもよかったし、その方が手間も省けるが、
やはり確認の意味をこめて並列型6dBスロープの音も出すことにした。

私の中にある6dBスロープのネットワークらしい音がしてくる。
この音は、ひとつの標準になりうる音だと思っている。

自作スピーカーであれば、なんらかの形でネットワークも自作しなければならない。
計算通りに作って、それでうまくいくという保証はどこにもない。

カットアンドトライをくり返しやっていくしかない。
その場合、泥沼にハマってしまわぬように、リファレンスとなるネットワークをひとつ作っておいたほうがいい。
なにも最高のモノである必要はない。

私なら、しっかり巻かれた空芯コイルとASCのコンデンサーの、
並列型6dBスロープを基準(リファレンス)とする。

ネットワークをいじっているといろいろと思いつくことが出てくるだろう。
あれをやってみたら、あれに交換してみたら、といろいろと出てくるはずだ。
試していくのは実におもしろい。

目的の音に近づいたかと思うと、遠ざかっていることもある。
判断に迷うことだってある。
そういうときに基準となるネットワークがあれば、
その音と常に比較することで、方向の修正ができよう。

6dBスロープで2ウェイなら、片チャンネルあたりコンデンサーとコイルがひとつずつで済む。
実際にはコンデンサーの容量を調整するために、
いくつかのコンデンサーを並列接続することになるが、
12dBや、それ以上の高次のスロープとは違い、部品は最低限でいいということは、
部品配置に特に頭を悩ます必要もない。

いろいろ試したあとで6dBスロープに戻ってきてしまうことだってある。
そのときでも、クロスオーバー周波数のカットアンドトライをすることになる。
基準があれば、その判断もしやすくなるし、しっかりしたものになる。

今回も並列型6dBスロープの音を聴いた後に、
直列型、それも以前試したのとは違う配線による直列型ネットワークに移って、
ひとつ確認できたことがあった。

Date: 5月 6th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その2)

私がこれまで読んできたオーディオ関係の本で、
並列型と直列型ネットワークの音について記述してあったのは、ほんの数例で、
ラジオ技術での石塚峻氏、それから無線と実験の金田明彦氏くらいである。

石塚峻氏は並列型よりも直列型を評価されていたと記憶している。
金田明彦氏は、6dBスロープのネットワークにおいて、
直列型よりも並列型のほうが音質的に優っている、と書かれている。

私がこれまで試してきた並列型と直列型の比較、
それも6dBスロープにおいてのみの結果では、直列型を、いまのところとる。

今回のaudio wednesdayでは、
喫茶茶会記の標準仕様であるコイズミ無線の12dBネットワークから、
6dB並列型、それから6dB直列型へと変えていった。

とはいっても、厳密な意味での比較試聴ではない。
コイズミ無線のネットワークは、コア入りのコイルであり、
コンデンサーも私がよく使うASCのものではない。

6dBのネットワークでは、ASCのコンデンサーに空芯コイルを使っている。
この時点で、音が違ってくるわけで、
厳密な比較試聴ということでは、6dBスロープにおける並列型と直列型ということになる。

それに来られた方にも黙っていたが、
6dBスロープでは、ウーファーとドライバーのカットオフ周波数が、
コイズミ無線のネットワークとは違っている。
クロスオーバー周波数も、だから800Hzではなく、少し上の方へ移動している。

それでもコイズミ無線(12dBスロープ)から6dBスロープ並列型に変えると、
私の耳には6dBスロープのネットワークが、やはり好ましく聴こえる。

Date: 5月 3rd, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その1)

3月のaudio wednesdayのテーマであった「ネットワークの試み」。
3月はアルテックのドライバーのダイアフラムの交換、
4月はアンプのトラブルで二回連続で先延ばしになってしまった。

5月2日のaudio wednesdayでやっとの「ネットワークの試み」。
フルレンジのスピーカー以外、
どんなスピーカーであれ、マルチウェイならばディヴァイディングネットワークが必要となる。

スピーカー側にあるLC型ネットワークもあれば、
マルチアンプでのネットワークもある。

スピーカー自作のおもしろさは、ネットワークにある、といっても過言ではない。
もちろんユニットの選定、エンクロージュアの製作などもそうだけれども、
ある程度ユニットが決り、エンクロージュアが完成したあと、
時間をじっくりとかけて調整していくのはネットワークである。

クロスオーバー周波数をどのあたりに設定するのか、
スロープ特性はどうするのか、
ネットワークの方式は、
パーツの選択、その配置と取付方法……等々、
ちょっとした変更で、そうとうに音が変化することだってある。

そのネットワークだが、たいていの場合、並列型といわれる方式が使われる。
メーカー製のスピーカーシステムでも、直列型ネットワークを採用しているのはわずかだし、
スピーカーの自作記事、スピーカーの教科書的書籍でも、
直列型に関しては、取り上げられていないか、簡単な紹介程度であったりする。

並列型と直列型の回路図を見ると、並列型の方がよさそうに思える。
直列型は、その名のとおり、ユニットを直列に接続する。

高校のときに、直列型ネットワークがあるのを知った。
けれどユニットを直列接続している図を見て、
いい音がしそうには思えなかった。

Date: 5月 1st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その5)

情報量の多い音というのは、いわば鮮明な音である。
不鮮明な音を、情報量が多い音ということはない。

鮮明であって、細部まで聴きとれるからこそ、情報量が多いわけだ。
物理的なS/N比が優れているだけでなく、
聴感上のS/N比の優れた音は、ここでいう鮮明な音であり、
情報量の多い音である。

けれど、昔からいわれているのは、不鮮明な音ほど、
聴き手の想像力は、鮮明な音を聴いているよりも働かせている、ということだ。

鮮明な音は、音を待って聴きがちになる、とは黒田先生がよくいわれていたことだ。
耳をそばだてることなく、容易に細部まで聴こえてくるのだから、
スピーカー(音)に対しての意識を、一歩前に向わせる必要はない、ともいえる。

けれど一方で、情報量が多いからこその想像力がある、という意見もある。
不鮮明な音、情報量の少ない音での想像力は、
聴こえない音を補おうとしての想像力であり、
情報量が多い音での想像力は、そこから先の想像力である、と。

そうかもしれないが、
それはあくまでも不鮮明な音に対しても、鮮明な音に対しても、
積極的な聴き手であるからこそだ。

音楽(音)の聴き手として、つねにそうありたいと思っていても、
つねにそうである、といえるだろうか。

情報量は増す傾向にある。
情報量が増えれば増えるほど、
聴き手は、増えた情報量の対処でいっぱいいっぱいになることだって考えられる。

人によって処理できる情報量には違いがある。
同じ聴き手であっても、つねに同じとはいえない。

Date: 11月 7th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その4)

知人が間違ったことをサイトで公開していることに気づいて、
すぐに電話した私に「いちばん信頼できそうなサイトにそう書いてあった」といって、
すぐには間違いであることを認めようとはしなかった。

結局、角速度、線速度について説明することから始めた。
知人は、サイトに角速度一定とか線速度一定と書いていながら、
線速度一定がどういうことなのか、角速度とはどんなことなのかを知らなかった。

線速度、角速度についての基本的な知識もないままに、
間違ったサイトに書いてあることを、そのまま自分のサイトに書き写したわけである。

つまり知人は角速度、線速度について知らないだけでなく、
角速度とは、線速度とは、ということをインターネットで検索すらしなかった。

角速度、線速度のどちらかにについて検索さえしていれば、
知人が参照したサイトが間違っていることに、彼自身で気づいたはずである。

知人は、よく私に言っていた。
「できるかぎり調べて書いている」と。

コワイな、とここでもくり返したい。
知人の「できるかぎり調べる」とは、その程度のことであったのだ。

Date: 11月 6th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その3)

それにしても知人は、
CDが角速度一定、LPは線速度一定は間違ったことを書いているサイトを信じたのか。

CDの方が線速度一定なのだから、
検索すれば、正しいことを書いてあるサイトの方が圧倒的に多い。
なのに、ごく少数の間違った、正反対のことを書いているサイトを信用するのか。

知人は、そのサイトがいちばん信用できそうだったから……、と言っていた。
私を含めて、ほとんどの人が、
CDは角速度一定とあるサイトに書いてある技術的なことは疑ってかかるだろう。

知人は、反対だったわけだが、
なぜ、そういう選択をしたのかまでは、本人もよくわかっていないようだった。

サイトの見た目なのだろうか。
それはありそうなのだ。

パッと見た目のサイトの印象。
あとは、そのサイトにある文章だろう。

技術的に正しいことを書いているサイトの文章が、
いわゆるうまい文章とは限らないし、
間違ったことを堂々と書いている文章のほうがうまかったりもする。

これも見た目といえば、そういえる。
知人は見た目だけで、そのサイトを信用してしまったのか。

「人は見た目が9割」(新潮新書)という本も出ているし、
「人は見た目が100パーセント」というマンガと、
これを原作としたドラマもあったくらいだから、
ウェブサイトも見た目が100パーセントなのかもしれないし、
知人のように見た目で、ほぼ判断してしまう人もいよう。

しかも知人は、検証を怠っている。

Date: 10月 24th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(伊藤喜多男氏のことば)

サウンドボーイ 1981年2月号で、小林貢氏が、
アルテックの755Eを使ったスピーカーシステムの製作記事を担当されている。

755Eというユニットについて、
調べれば調べるほどわからないことだらけになる、と、
とけない謎を解くために伊藤先生が登場されている。
     *
小林 今日は身の上相談にうかがったのではなく、スピーカーの正しい鳴らし方を教えていただきにまいりました。
 アルテックの755E、W・E時代は755Aですが、このオリジナルのエンクロージュアはあったのでしょうか。
伊藤 W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ(笑い)。
 ただ、私はW・Eで職工していただけだから、どんな思想でどんな開発の仕方をしていたかなどという点については判りません。ただ、どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました。私にいわせればそれだけで十分で、それ以上のことは知る必要もないし、W・Eで教えてくれるわけでもない。だから、私の知っている範囲内でよければすべてお教えできると思います。
     *
W·Eとは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックのこと。
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーや部品などについて、
ことこまかなことを知っている人は、伊藤先生のいわれるように当時からいた。

いまではインターネットが普及しているから、もっともっと多くいるだろうし、
知識の量も、当時よりも増えていることだろう。
ますます《W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ》となっていっている。

これは何もウェスターン・エレクトリックのことだけに限らない。
知識量が多いのは、決して悪いことではない。
けれど知識量だけが多い人が増えているようにも感じられるし、
その知識の多さが、まるで脂肪の多さのように感じさせる人もいる。

それよりも大事なのは、伊藤先生がいわれている。
《どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました》と。

Date: 9月 5th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続々・明白なことでさえ……)

三年前に書いたことと同じことをまた書くのか、と私も思う。
思うけれど、三年前よりもいまのほうが良くなっていると感じるのであれば、
くり返し書きはしない。良くなっていると感じないどころか、むしろひどくなっているように感じる。

だから、また書いている。

三年前は個人のサイトやブログで、明白な間違いが書かれてあっても、
それがある程度のオーディオのキャリアのある人が書いてたりすると、
その間違いが広まってしまうことがある。

アマチュアといえど、不特定多数の人が読むインターネットで、
間違ったことを思い込みで書いてしまうことを、
書いた本人は、なんとも思っていないのかもしれないのが、問題だと思う。

今回、くり返し書いているのは、
そうやって間違ったことを思い込みで書いてしまっているブログやサイトを、
SNS(facebook)でシェアして、「いいね!」をクリックしている人が少なくないからだ。

明白な間違いとは、発売時期の順序とか、そういったことである。
少し調べればすぐにわかることを、思い込みだけで書いているブログを、
facebookを通じて知った。

誰も、その人の思い込み(間違い)を指摘しないのか、と思う。
むしろ、「いいね!」をして間違いの拡散に手を貸している人たちがいる。

そうやって間違いが定着していく……

Date: 9月 4th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(価格表示について)

オーディオ機器の価格。
このアンプの価格はいくらだったかな、と調べようとして、
そのメーカーのサイトにアクセスする。

製品情報はある。
けれどいちばん知りたかった価格がどこにも表示されていない。
数年前までは表示されていたはずなのに、いまはなくなっている。

ある輸入元のサイトでは、製品を紹介しているページには価格は、ない。
価格一覧表が別に用意されていて、それを見ろ、というわけだ。

それからオープンプライスというものを増えてきている。

なぜ価格を表示しないのか。
もしくはわかりにくくするのか。
その必要性はあるのだろうか。

価格を表示しなくなったのは、ドイツでも人気の高いアンプメーカーだ。
ドイツのオーディオマニアが、そのメーカーのサイトにアクセスする。
日本での販売価格がわかる。

日本では、この値段なのに、ドイツでは……、というクレームが、
ドイツの輸入元へ来た、ときいている。
日本とドイツでは販売価格に差が生じて、当然である。

でも、これに納得してないマニアが、どうにも少なくないようなのだ。
ドイツの輸入元から、
そのメーカーに、サイトに価格を表示しないでくれ、という要望があった、らしい。

わからなくはない理由だが、
それでも日本での価格は、調べようとすれば、キーワードを追加すればすぐにわかることだ。
どれだけの意味があるだろうか、と疑問に思うのだが、
日本のオーディオマニアに不便を感じさせても、そのメーカーは価格表示をしない。

些細なことといえば、そうである。
けれど、その価格に自信をもって決めたのであれば、堂々としてればいいはずだ。
むしろ堂々としているべきである。

高い価格であっても、それに見合うだけの内容を備えたモノであれば、
わかりやすいところに、きちんと価格は表示しておくべき情報である。

Date: 8月 9th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その2)

知人はインターネットに何を求めていたのか。
おそらく答なのだろう。

コワイな、とも、この件について考えるとそう思う。
インターネットに限らず、世の中にはさまざまな情報が流れている。
その情報は答ではない。

答を自分で見つけていくためのきっかけ、手がかりである。

けれど知人は答が得られると思い込んでいたのかもしれない。
けれど、知人は間違ったことを答と信じた。

コワイな、と思うのは、間違った選択をしたことよりも、
知人が安易に答を求めようとしていることである。

こういう人が、一時期とはいえオーディオ雑誌に寄稿していた。
インターネットの情報に答を求めようとする人は、
読み手にも答を与えようとするのではないか。
そのことがコワイ、と思う。

オーディオ雑誌の作り手も、またそうなのかもしれない。
だから、そういう書き手を選択してしまう、ともいえよう。

よく、あのオーディオ評論家は信用できない、という。
私も、いまのオーディオ雑誌に書いているオーディオ評論家と呼ばれている人たちを、
信用しているかといえば、誰も信用していない。

同じ信用していないでも、理由まで同じわけではない。
「あのオーディオ評論家は信用できない」という人の中には、
答を求めてオーディオ雑誌を読んでいる人がいる。

どのスピーカーがいちばんいいのか、
どのアンプが自分が使っているスピーカーに合うのか、
そういった答(便宜的に答としているが、ほんとうの意味での答ではない)、
それしか求めてない人は、自分の好みと反対の人の書くものは役に立たない、
そんなことを書く人は信用できない、となるようだが、
私は読み手に考えることを放棄させるようなことしか書けない人を、
私は信用していない。

Date: 8月 8th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その1)

facebookを眺めていたら、
「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。
というタイトルがあった。

リンク先のコラムを読んでいて思い出したことがある。
十年近く前のことだ。
知人が、自身のサイトにCDとLPの比較について書いていた。
そこに知人は、CDは角速度一定、LPは線速度一定と書いていた。

知人が、その記事を公開してすぐに、私が見て気づいて連絡をとった。
なのですぐに、CDは線速度一定、LPは角速度一定と訂正された。

知人にきいてみると、この記事を書くにあたってインターネットであれこれ調べたそうだ。
いくつかのサイトの中で信頼できると判断したところに、そう書いてあった、という。

他のサイトでは、CDは線速度一定、LPは角速度一定と正しいことが書いてあるのに、
あえて間違っていることを書いているサイトを、知人は選んで信じてしまっていた。

まさに「知識を手に入れるための知識」が知人にはなかったわけだ。
事実、知人は線速度と角速度がどういことなのかも知らなかった。

この知人を責めたいわけではない。
少なくとも知人は知らないことが自分にはあるとわかっていて、
インターネットで調べようとした。
ただ間違った選択をしてしまった。

このことは、知人だけのことではないように思う。
私が知らないだけで、オーディオの世界でも、オーディオの世界以外でも、
かなり頻繁に起っているのかもしれない。

Googleの検索結果からの選択。
そこで少なからぬ人が間違った選択をしてしまっているのか。

Date: 7月 26th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その2)

分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)だ、
と一年ほど前に書いたことを、実感する。

ある音をいま聴いている、とする。
スピーカーから出てくる音すべてを受け止めているわけではない。

もちろん耳には入ってきている。
けれどそこから先のこととなると、人によって違ってくる。

聴く能力の違いがあろう。
訓練してきた耳もあればそうでない耳もある。

音を受け止めるということは、音を判断することでもある。
判断には、それまでの記憶が深く関わってくるはずだ。

その記憶とは、ある種のフィルターともいえる。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その5)

数日前のDeNAのキュレーションサイトの全面閉鎖。
このニュースを見て、(その3)に書いたような人は、
また「インターネットはくずだね」と声高に言うんだろうな、と思っていた。

閉鎖になったDeNAのキュレーションは、どれも見たことがなかったので、
そこで公開されていた記事について触れないが、
今回の問題はインターネットだけの問題なのだろうか。

DeNAのキュレーションサイトについて言及しているサイトのいくつかには、
編集者不在の問題が書かれてあった。
編集者がいないから……、はあまりにも短絡的すぎる。

ならば編集者がいたら、今回の問題は発生しないと断言できるのだろうか。

インターネットの記事は、コピー&ペーストでできるから、こんなことになるわけではない。
いまや雑誌もDTPによってつくられている。
コピー&ペーストの問題は、インターネットにも紙の雑誌にも、
つまり編集者がいることになっている雑誌にもある。

今回の問題で考えなければならないのは、編集者の存在・不在ではなく、
情報の単一性のはずだ。