Archive for category オーディオ入門

Date: 4月 27th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その13)

マッキントッシュ(パソコンの方)を使いはじめて一年くらい、
プログラミングに挑戦しようと思った。
まだ漢字Talk7がOSだった時代である。

プログラミングに必要なアプリケーションを買った。
書店に行き、プログラミングを勉強するための本も買った。

意気込みだけはあったけれど、すぐに挫折した。
それから数年後、また挑戦しようとした。
またアプリケーションを買った、そのための本も買った。

この時も挫折した。
それからはプログラミングの本も手にすることはなくなった。
最近のプログラミングの本が、どういう内容なのかは知らない。

20年ほど前のプログラミングの本は、
まずウィンドウに”Hello”の文字を表示させるためのプログラムを書くことから始まっていた。
いまはどうなんだろうか。

これは簡単にできる。
できるとはいえ、アプリケーションの構造が、わかるようになったわけではない。

私が、そのころのプログラミングの本に共通して感じていた不満は、ここにある。
私だったら、こういう構成の本はつくらないのに……、と思っていた。

私だったら、まずアプリケーションの大まかな構造をわかりやすく説明することから入る。
実際のワープロのアプリケーション、グラフィックのアプリケーションがどうなっているのか。
つまり、まず全体像を把握したうえで、それを分解しながら、
全体を構成する個々のパーツ(ディテール)を理解する──、
というやり方もあっていいのではないだろうか。

人にはやり方の向き不向きはある。
プログラミングを仕事としている人にとっては、
従来通りの本のつくり方が合っているのかもしれない。

けれど、いわゆる日曜プログラマーぐらいを目指している者にとっては、
そうではないやり方の方が合っている場合だってあろう。

Date: 3月 13th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(たまのテレビで感じること・その1)

テレビは持っていない。
テレビなしの生活のほうが、テレビありの生活よりも倍ほど長くなった──、
と書くとテレビ嫌いのように思われるだろうが、
むしろ逆でテレビがあると、一日見ているからテレビを持たない生活にしているだけである。

友人宅に遊びに行った時にテレビがあって、何かの放送が流れていると、
かなり真剣に見ているようである。本人にその気はないのだが、
数人の友人から「なに、そんなに真剣にテレビを見てるんだ」といわれたこともある。

ほんとうにたまにしか見ないから、そんなふうに見えるのかもしれないし、
たまにしか見ないから、ついていけないことがある。

お笑い番組は、私にとってそうである。
30年以上テレビなしの生活を続けていると、まったく笑えない。

お笑い番組が好きな知人が大笑いしているのを見ても、こちらはクスッとも笑えない。
私がテレビを見る時間はわずかだし、その中でお笑い番組はさらに少ないのだから、
どの番組なのかは書かないし、どの芸人がそうなのかとも書かない。
他のお笑い番組ならば、笑えるのかもしれない、と思いつつも、
私がテレビを見なくなっているあいだに、
お笑い番組はテレビ(お笑い番組)を見続けていないと笑えないようになってしまったのかと思った。

一見さん、おことわり的なものを感じる。
芸人が笑いを追求して、マニアックな方向に行ってしまったようには感じない。

先日、茂木健一郎氏が、日本のお笑い芸人に対して否定的な発言をして話題になった。
その指摘が正しいのかどうかは、テレビを見ていない私にはなんともいえないが、
私がたまに見るお笑い番組に感じてしまうことと無関係でもないようだ。

オーディオにも、そういうところがないと言い切れるだろうか。

Date: 2月 12th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ブームなのだろうか・その1)

モノ・マガジンの2017年2月16日号は、
レコードとハイレゾの仲間たち」がメインの特集となっている。

2月10日のKK適塾でも、川崎先生がモノ・マガジンについて話された。

こういうのを目にすると、オーディオは少しブームになりつつあるのだろうか、と考える。
その一方で、オーディオ雑誌の書店での取り扱いは、それほどいいといえないも感じている。

オーディオ雑誌が雑誌コーナーになくて、書籍コーナーに置いてあるところもある。
雑誌コーナーに置いているところでも、
すべてのオーディオ雑誌が置いてあるわけでなく、
いくつかのオーディオ雑誌は書籍コーナーにのみ置いてある。

以前は平積みされることの多かったステレオサウンドも、
最近では平積みしている書店は減ってきている。
管球王国に関しては、取り扱いをやめた書店が増えている。

この平積みに関しては、こっちが平積みで、これは違うのか、と思うことはあるが、
書店にとって平積みにする本は、私の基準とは違うところにあるのだから。

これは出版不況だけが理由でなく、
オーディオ雑誌は、書店にとって売れ筋ではなくなってきているからなのか。
雑誌コーナーの広さは決っているから、必然的にそこから追い出される本はあるわけだ。

こんな現状が続いているのを見ているだけに、
オーディオがブームとは思えない。
けれど今回のモノ・マガジンもそうだし、昨年もいくつかの雑誌でオーディオが取り上げられてもいた。

出版不況がいわれている時代に、
売れない企画を出版社はやらないだろうから、
オーディオを特集するということは、それなりの部数が捌けるということだろう。
となれば、オーディオはブームになりつつあるのか、とまた思う。

モノ・マガジンを手にする人は、
ステレオサウンドやオーディオアクセサリーなどのオーディオ雑誌を手にする人よりも、
そうとうに多いはずだ。

けれどそこからステレオサウンドやオーディオアクセサリーを読みはじめる人は、
どのくらいいるだろうか、を考えると、
ヘッドフォン、イヤフォンの世界から、
スピーカーの世界に来ない人がいるのと同じなのかもしれない。そんな気もする。

Date: 10月 10th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その3)

瀬川先生の新しいリスニングルームが完成して、
しばらくしたころFM fanに傅信幸氏のオーディオ評論家訪問記事が二回に渡って載った。

長岡鉄男氏、上杉佳郎氏が一回目、
二回目が菅野沖彦氏、瀬川冬樹氏だった。

その記事だったと記憶しているが、
家を建てるのにお金がかかりすぎて、リスニングルーム内の家具が買えなかった。
最初のうちは床に直に坐っていた。
見兼ねた友人たちが新築祝いとして買ってくれたのが、この椅子(ニーチェア)、とあった。

ニーチェアはあのころ一万五千円ほどだった。
東京で独り暮しをするようになって、最初に買った椅子がニーチェアだった。
瀬川先生と同じ椅子ということが、いちばんの理由だった。

瀬川先生の新しいリスニングルームにあった数少ない家具で、
目を引いたのはテーブルだった。
ガラスの天板の、そのテーブルの脚部はEMT・930stの専用インシュレーター930-900だった。

ステレオサウンド 53号での、オール・レビンソンによる4343のバイアンプ駆動の記事。
ここでアナログプレーヤー、コントロールアンプなどの置き台になっているのは、
モノクロの、あまり鮮明でない写真なので断定できないが、
どうもブックシェルフ・サイズのスピーカーのようである。

あのころは、家を建てるのはほんとうにたいへんなことなんだぁ、
しかもあれだけの造りのリスニングルームなのだから、さらに大変なことだったんだなぁ、
とは思っていた。

これから、家具を揃えられるのだろう……、
どんな感じのリスニングルームになっていくのだろう……、
と思い、楽しみにしていた。

いまは、瀬川先生の大変さがわかる、実感としてわかる。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その2)

(その2)を書くつもりはなかった。
Casa BRUTUSの紹介だけをしたかった。
できれば多くの人にCasa BRUTUS 200号を手にとってもらいたかっただけである。

なのに、こうやって(その2)を書き始めているのは、
facebookにもらったコメントを読んだからである。

読みながら思い出していたのは、瀬川先生のリスニングルームのことだった。
いま別項で「ステレオサウンドについて」を書いている。
53号について書き始めたところだ。
このころのステレオサウンドには「ひろがり溶け合う響きを求めて」の連載が載っている。
瀬川先生の新しいリスニングルームについての詳細である。

それまでの部屋とは大きく違う。
広さが違う。天井の高さも違う。
床の材質とつくり、壁は本漆喰と、
それまでのリスニングルームと、いわば箱の状態で比較すれば、
それは圧倒的に新しいリスニングルームが優っている。

ふたつの部屋のどちらを選ぶかと言われれば、誰だって新しいリスニングルームを選ぶ。
それでも新しいリスニングルームは、最後まで仕事場としての雰囲気が残っていた。
残っていた、というよりも、仕事場の雰囲気が支配していた。

ここがそれまでのリスニングルームと大きく違う。
それまでのリスニングルームも、仕事場を兼ねていたはずなのに、
そこは瀬川先生の、もっといえば大村一郎氏のプライベートな空間であり、
その雰囲気が色濃かった。

それが新しいリスニングルームからは、
そこに住まわれたのが三年ほどと短いことも関係してだとはわかっていても、
何か欠けている雰囲気が、払拭されずだった。

Date: 10月 9th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その1)

いま書店にCasa BRUTUSが並んでいる。書店だけでなくコンビニエンスストアにもある。

Casa BRUTUSもステレオサウンドも、いま売られているのは創刊200号である。
Casa BRUTUS 200号の特集は「ライフスタイルの天才たちに学ぶ! 住まいの教科書」。

この特集の後半(117ページから)に、
「A ROOM WITH SOUND 音のいい部屋」という記事がある。

「心地いい音が部屋のアクセント。
オーディオが作り出すとっておきのクリエイターの空間を集めました。」
とも書いてある。

実は先ほど友人が、
「オーディオオーディオしていない、でも調和のきいた、オーナーの世界観が反映された見本のよう」
と教えてくれたばかり。

友人がいいたいことがわかる。
意外にも言っては登場されている方に失礼になるが、
そうはいっても大きくてもブックシェルフ型スピーカー、
多くは小型スピーカーなんたろうな、と高を括っていた。

Casa BRUTUS 200号を手にすれば、おっ、と思う人の方が多いはず。
JBLのパラゴンも登場している。
アルテックのA5とA7もあった。
もちろんブックシェルフ型、小型のモノも登場しているが、見ていて楽しい。

確かにオーディオオーディオしていない。
とてつもなく高価なオーディオ機器はないが、
だからこそというべきか、ステレオサウンドに登場するリスニングルームとは趣が異る。

オーディオマニアとして、どちらが参考になるかといえば、
見ていて楽しいかといえば、Casa BRUTUSである。

好きな音楽をいい音で聴きたいと思っている、
まだオーディオの世界に足を踏み入れていない人にとっては、どうだろうか。

そういう人が、ステレオサウンドに登場する(紹介されている)リスニングルームに、
どう反応するだろうか。
Casa BRUTUSの「音のいい部屋」には、どう反応するだろうか。

どちらがオーディオの世界に足を踏み入れるきっかけとなるだろうか。

Date: 5月 6th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その12)

オーディオの入門用として最適の組合せとは、どういうことなのか。

BBCモニター、復権か(その15)」で書いたことを、ここでも考えている。

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことである。
特集・Components of the yearの座談会で、ダイヤトーンのDS1000について発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

スピーカーをオーディオコンポーネント(組合せ)と置き換えてみる。
《組合せというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

音の入口から出口まで、ひとつのブランドで統一することはできても、
オーディオマニアは、いわゆるワンブランドシステムに、どこかお仕着せ的なものを感じてしまうのかもしれない。

出てくる音が大事なのだから、誰かとまったく同じになるワンブランドシステムでも、
他の人には出せない音を出せれば、それが求める音であればけっこうなことのはずなのに、
そうは思えない人種がオーディオマニアだとすれば、私はまさにそうである。

ワンブランドシステムと、他社製品を組み合わせたシステムとであれば、
前者のほうが完成度は高い、といえることがある。
音だけでなく、アピアランスも揃うだけに視覚的なまとまりという点でも、
ワンブランドシステムには、そこにしかない良さを持っている。

この項で書いている瀬川先生が、ステレオサウンド 56号で提案された組合せ。
KEFのModel 303(スピーカーシステム)に、サンスイのAU-D607(プリメインアンプ)、
パイオニアのアナログプレーヤーにデンオンのカートリッジ。

組合せの価格は約30万円。
このクラスは、力のあるメーカーがワンブランドシステムをつくりあげれば、有利な価格帯のような気がする。
にもかかわらず、瀬川先生の組合せに感じた(いまも感じている)魅力は難しい、と思ってしまう。

《組合せというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

瀬川先生の組合せは、まさにそうだと思う。

Date: 1月 14th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(続・レコードと音楽とオーディオと)

岡先生は、「レコードと音楽とオーディオと」のあとがきに、こうも書かれている。
     *
 ぼくの根本的なテーマは、まえにもいったように、レコードの音楽の正体というものがどういうところにあるか、それがオーディオ機器をとおして再生されたときにどんな風になるのかということである。しかし、音というものを言葉で表現するくらいむずかしいことはない。しかし、できるだけ具体化したいというところに、誰もやらなかったこと、という意図とむすびつく。
     *
「レコードと音楽とオーディオと」には、
岡先生の、そういう根本的なテーマがきちんとある。

「レコードと音楽とオーディオと」の実際の編集作業がどのように行われたのかはわからない。
けれど、岡先生が本全体の構成を考えられての一冊だと思って間違いないはず。

編集部主導の入門書がすべてダメだとはいわないけれど、
そういいたくなるオーディオ入門書が少なくないと感じるのも、偽らざる気持である。

良質のオーディオ入門書は、いつの時代でも必要である。

Date: 1月 13th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(レコードと音楽とオーディオと)

1974年冬にステレオサウンドから、「レコードと音楽とオーディオと」というムックが出た。
岡先生の書き下ろしによる本である。

この本のあとがきに、こう書いてある。
     *
《ステレオサウンド》とは創刊号からの長いおつきあいである。そのステレオサウンドの原田勲さんから、以前から、レコード愛好家のためのオーディオ入門みたいなものを一冊書け、といわれていた。《ステレオサウンド》のおかげで、ぼくはずいぶんオーディオの勉強をさせてもらったし、多分この雑誌のための仕事がなかったらそんな機会はなかったと思われるほど、たくさんのよいオーディオ機器をきく機会があったので、ぼくの体験はひじょうに広まったことも事実である。しかし、ぼくは依然としてオーディオの素人である。素人がもっともらしくオーディオ入門めいたことを書いたってろくなものができるわけはない。そんな考えで原田さんの注文にまるで自信がなかった。しかし、原田さんは一向にあきらめる気配がなく、時々そんなことをいう。そういうことが度重なると、なんだか自分にもそんな本ができそうな気がしてきて、ふとレコードとオーディオをむすびつけたテーマでならなにかやれそうに思ったのである。
     *
「レコードと音楽とオーディオと」は序章と十章からなる。
 序章:二枚のボレロ カラヤンとオーマンディ
 第一章:ハイ・ファイからオーディオへ
     レコードと音楽のかかわりあい
 第二章:エディスンから電気録音へ
     レコードその技術の歴史
 第三章:電気録音以後──ステレオまで
     レコードとその技術の歴史
 第四章:レコード再生のためのテクニック1
     プレイヤー・システム
 第五章:レコード再生のためのテクニック2
     アンプリファイヤー
 第六章:レコード再生のためのテクニック3
     スピーカー・システム
 間章:デシベル(dB)についての知識
 第七章:レコード再生のためのテクニック4
     音響再生の環境とリスニング・ルーム
 第八章:現代のレコード録音
 第九章:カッティング──プレス
     レコードができるまで
 第十章:再びレコードと音楽とオーディオと

「レコードと音楽とオーディオと」は岡先生でなければ書けない一冊である。
誰が書いたのかわからないような、
つまり誰が書いても同じような内容になってしまっているオーディオ入門書ではない。

Date: 12月 30th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その11)

瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれている組合せ。
KEFのスピーカーModel 303に、アンプはサンスイのAU-D607、
パイオニアのアナログプレーヤーにデンオンのカートリッジ。

バランスのとれた組合せであり、いい組合せである。
けれど、この良さが、オーディオのオーディオの入門用として最適の組合せかと思うか、
と問われれば、少し考え込む。

その10)にも書いたように、
なまじグレードアップをはかるよりも、この組合せのまま聴き続けたほうがいいようにも思う。
このことが、オーディオの入門用として最適といえるのか、となる。

オーディオの入門用とは、そこが開始点であり、
そこから先が延々と続くわけである。

オーディオの入門用として最適の組合せは、
その先にある道を歩んでいくための開始点であり、そこで満足してしまい、
先に行くことを思い直させるものであっては、最適な組合せとはいえない。

だからこそ瀬川先生は書かれている。
《こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ》と。

オーディオ入門用の組合せは、使い手を、聴き手をそこに安住させてはいけないのではないか。

もちろん音楽を聴くのが苦痛になるようなひどい組合せは論外だ。
こんなのはオーディオの入門用とは呼べない。

かといってうまくまとまりすぎていても……、と思う。

こんなことを考えながら、
やはり瀬川先生のステレオサウンド 56号の組合せはオーディオの入門用として最適の組合せなのかも、と思う。

つまり56号の組合せで安住できる人は、音楽をいい音で聴きたいという気持をもっていても、
決してオーディオマニアではないと思うからだ。

オーディオマニアは安住することができずに、そこを離れていく。

安住できるか、できないのか。
この大事なことを使い手に教えてくれるという意味で、オーディオの入門用として最適の組合せといえる。

Date: 7月 17th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その10)

ステレオサウンド 56号の特集で、瀬川先生が書かれていたことを思い出す。
     *
 いまもしも、ふつうに音楽が好きで、レコードが好きで、好きなレコードが、程々の良い音で鳴ってくれればいい。というのであれば、ちょっと注意深くパーツを選び、組合わせれば、せいぜい二~三十万円で、十二分に美しい音が聴ける。最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる。たとえば、プレーヤーにパイオニアPL30L、カートリッジは(一例として)デンオンDL103D、アンプはサンスイAU-D607(Fのほうではない)、スピーカーはKEF303。これで、定価で計算しても288600円。この組合せで、きちんとセッティング・調整してごらんなさい。最近のオーディオ製品が、手頃な価格でいかに本格的な音を鳴らすかがわかる。
 なまじ中途半端に投資するよりも、こういうシンプルな組合せのほうが、よっぽど、音楽の本質をとらえた本筋の音がする。こういう装置で、レコードを聴き、心から満足感を味わうことのできる人は、何と幸福な人だろう。私自身が、ときたま、こういう簡素な装置で音楽を聴いて、何となくホッとすることがある。ただ、こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ。この音で毎日心安らかにレコードを聴き続けるのは、ほんの少しものたりない。もう少し、音のひろがりや、オーケストラのスケール感が欲しい。あとほんの少し、キメ細かい音が聴こえて欲しい。それに、ピアノや打楽器の音に、もうちょっと鋭い切れ味があったらなおいいのに……。
     *
KEFのModel 303に、サンスイのAU-D607、
パイオニアのアナログプレーヤーにデンオンのカートリッジ。

56号は1980年の秋に出ている。
これを読んで、いい組合せだな、と思い、
これらの製品がもう少し早く市場に登場していれば、このままの通りのシステムにしただろうな……、と思っていた。

《音楽の本質をとらえた本筋の音》、
いいなぁ、と心底思ったことを、いまも憶えている。

このシステムならば、故障しない限りずいぶんと長く使い続けられただろう。
これにチューナーを買い足し、カセットデッキも揃える。
この組合せの二年後にはCDプレーヤーが登場した。

すぐさま、このシステムにぴったりくるようなCDプレーヤーはなかったけれど、
さらに二年ほど待てば、手頃なCDプレーヤーもあらわれてきた。

なまじグレードアップをはかるよりも、この組合せのまま聴き続けたほうがいいようにも思うし、
それが幸せな、家庭での音楽鑑賞だろう、とも思う。

この組合せは、音楽を聴くのは好きだけれども、
オーディオには凝りたくないという人に、まさにぴったりである。

ならば、この組合せは、オーディオの入門用として最適の組合せともいえるだろうか。

Date: 7月 10th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その9)

その1)で書いた《オーディオに興味を持ち始めたばかりの人に薦められるオーディオ機器の条件とは? 》。
ふと思い出したのは、1982年に登場したサウンドハウスというブランドのことだ。

いくつかのオーディオ販売店が協力してつくりあげたブランドだった。
旗振り役はダイナミックオーディオだったと記憶している。

プリメインアンプのSH-A20(¥208,000)、ペアとなるチューナーのSH-T10(¥100,000)、
アナログプレーヤーのSH-B19(¥190,000)が出ていた。

軌道にのればスピーカーシステムやカートリッジなども出していったのかもしれないが、
短命でいつの間にか消えていた、という感じだった。

販売店の人たちが、直接オーディオマニア(ユーザー)と接している。
その彼らが自分たちが売りたいモノをメーカーに開発製造してもらい、自分たちで売っていく。

サウンドハウスの広告を見て、うまくいったらおもしろそうだと思った。
けれどうまくいかなかったようだ。

もしサウンドハウスの製品が、他社製のアンプやアナログプレーヤーよりも売れてしまったら、
メーカーとしてはおもしろいわけがない。
サウンドハウスのアンプやアナログプレーヤーを製造しているメーカーであっても、
自分たちが企画し開発した製品よりも、
販売店の人たちが企画した製品が売れるということは、痛しかゆしだったのか。

記憶違いでなければプリメインアンプはマランツだった。
実際SH-A20のフロントパネルは、マランツ製であることがすぐにわかる。
SH-B19はマイクロだったはず。
チューナーはどこだったか……、忘れてしまった。

サウンドハウスが狙っていたユーザー層は、
いちばん厚い客層であったと思われる。
自分たちのブランドで出す以上に売れるモノにしたい。
よく売れれば利益も大きくなる。

そうであれば1982年当時、
プリメインアンプは20万円、アナログプレーヤーも20万円の価格帯ということになるのか。
この価格のプリメインアンプ、アナログプレーヤーを買う人たちは、
すでにオーディオマニアであり、マニアになって数年は経っている。

ここで、もし……と考える。
サウンドハウスが入門機としてのモノを真剣に考えていたら……、である。
どんなモノが登場してきたであろうか。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その8)

2010年1月にtwitterを始めたばかりのころ、
友人・知人数人に、やろうよ、とすすめたことがある。

その中のひとりはすぐにアカウントをつくったものの、ほとんどやらなかった。
おもしろそうだ、と言っていたから、なぜ? と聞くと、意外な答が返ってきた。

twitterの本が出たらやる、だった。
書店のパソコン関係のコーナーには、さまざまな種類の書籍が並んでいる。
その多くはマニュアル本といえるもので、彼が望んでいたのもtwitterのマニュアル本だった。

マニュアル世代という言葉がある。
だが彼は私よりも年上で、マニュアル世代ではない。
その彼がマニュアル本が出たらきちんとやる、という。

私もtwitterの機能をすべて理解して始めたわけではなかった。
最初はリツィートもよくわかっていなかった。
それでも使っていくうちにおぼえる(なれてくる)だろう、ということでやっていた。

彼は結局ほとんどやらずにやめてしまった。

入門書とはマニュアル本ではない。
思うのは、彼はマニュアル本を入門書として捉えていたのかだ。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その7)

つくづく、いいときにオーディオに関心をもったと実感している。
「五味オーディオ教室」のすぐあとに、ステレオサウンドと出逢った。
そこで黒田先生の文章と出逢えた。

別項「戻っていく感覚」で書いている黒田先生の文章だ。
岡先生が以前指摘されているように、黒田先生の文章には、
自問自答の意識が貫かれている。
だから読み手も自問自答を強いられる。

「風見鶏の示す道を」を読み、
ステレオサウンドに連載されている「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」「さらに聴きとるものとの対話を」を読めば、
何もわからずにオーディオに関心をもった中学生であっても、自問自答をしていっていた。

五味先生の文章もそうだった、黒田先生の文章もそうだ。
ふたりの文章から音楽の聴き方を学んだ、というより、
音楽に対する姿勢を学んだ、といえる。

だからこそ入門書は、自問自答を強いるものであってほしい。
残念なことに、書店に並んでいる「入門」とタイトルのつく本はそうではない。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その6)

どんなことであっても、最初は何もわからない、知らないところから始める。
入門書は、そんな初心者、入門者が知りたいこと、疑問に感じていることについての答を提示する。
それを読み、初心者、入門者は基本となる知識を身につける。

入門書をこう定義すれば、「五味オーディオ教室」は優れた入門書とはいえない。

「五味オーディオ教室」に書かれてあることも、ある種の答とはいえる。
けれど、その「答」は読み手に、問い掛けをうながすものである。
だから、私は「五味オーディオ教室」をひじょうにすぐれた入門書だと思っている。
少なくとも私にとって、これ以上のオーディオの入門書はない、と断言できる。

これはひとつの運の良さともいえる。
どんなに「五味オーディオ教室」がすぐれた入門書であっても、
この本が出たのは1976年、それ以前にオーディオに関心をもった人には遅すぎた、ということになるし、
「五味オーディオ教室」はいつまで売っていたのだろうか。

CDが登場した1982年には手に入ったのだろうか。
1980年代後半にはみかけなくなっていたから、それ以降オーディオに関心をもった人も読めなかった。

いつ読んでも素晴らしい本は素晴らしい。
けれど入門書としての性格をおびた本であれば、
できれば初心者、入門者のうちに読んでおきたい。

「五味オーディオ教室」との出逢いがなかったら、
こうやってブログを書くようなことはしていなかったかもしれないし、
書いていたとしても、ずいぶん違うことを書いていたであろう。