Archive for category 戻っていく感覚

Date: 7月 10th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とM6000のこと・その2)

国産300Wパワーアンプ、アキュフェーズのM60、ラックスのM6000、サンスイのBA5000、
このなかで、完全な自然空冷はM6000である。

BA5000は空冷ファンを搭載している。
M60はファン無しだが、使用状況に応じて、リアパネルにファンが後付けできる。

M6000は、これら二機種とは比較にならないほど物量投入型のヒートシンクをもつ。
リアパネル全体を占めるM6000のヒートシンクは、チムニー型である。

取り外してみたわけではないが、このヒートシンク単体でもけっこうな重量があるはずだ。
この重量級のヒートシンクが、二基リアパネルに取り付けられているため、
入出力端子が、M6000の場合、別のところに設けられている。

M4000もM6000と同様、チムニー型のヒートシンクで、リアパネルにM6000と同じに配置されている。
けれど、出力が少ないこともあって、ヒートシンクのサイズも小さい。
そのおかげで、左右のヒートシンクの間の隙間が多少ある。

ここに入出力端子がある。
けれど、写真をみるかぎり、太めのスピーカーケーブルは使えない。

この時代の平均的な太さの平行二芯ケーブルぐらいだろう。
それであっても、スピーカー端子に挿し込むのは、指の太い人だと苦労するかもしれない。

M6000の入出力端子はどこに設けられているかというと、アンプ上部である。
M6000のウッドケースは上1/3ほどが取り外せるようになっている。

アンプ上部の中央のフロントパネル裏側に入力端子、その後方にスピーカー端子が並ぶ。
M6000も太いケーブルの使用は難しいはずだ。

M6000の取り外せるウッドケースの裏側も、表面と同じに仕上げられている。

300W+300Wの出力で自然空冷を実現するための大型のチムニー型ヒートシンク。
そのために、横幅が57cmもあるアンプなのに、
リアパネルに入出力端子を設ける余地がない。

JBLのプリメインアンプSA600の入力端子は、
リアパネルではなく底部に設けられている。

SA600は軽いアンプだから、ケーブルを接続して元の状態に戻すのもたやすい。
けれど、M6000は50kgを超える大型アンプだから、
もし底部に入出力端子があったら、たいへんな作業になる。

リアパネルもダメ、底部もダメとなると、アンプ上部しかない。

Date: 7月 9th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とM6000のこと・その1)

SAEのMark 2500と同時期に、300W出力のパワーアンプは、
日本のメーカーからも出ていた。

よく知られるところではアキュフェーズのM60がある。
それからラックスのM6000、サンスイのBA5000である。

M60はモノーラル仕様で、ステレオ仕様のMark 2500とはもともとからして規模が違う。
ステレオ仕様として、Mark 2500と比較したいのはM6000である。

BA5000に関しては知っているというぐらいで、実機をみたこともない。
まわりに聴いたことがあるという人もいない。

M6000もその点に関しては、BA5000と似たような感じではある。
実機はみたことがある。
オーディオ店で見ている。

といっても、音は聴いているのかといえば、
まったく聴いていないわけではないが、じっくり聴いたわけでもないから、
聴いていないのと同じじゃないか、といわれれば反論しようがない。

それでもM6000の印象は、BA5000よりもはるかに強い。
M6000は300W+300Wで、弟分としてM4000(180W+180W)、M2000(120W+120W)がある。

1976年当時の価格は、M2000が225,000円、M4000が350,000円に対し、
M6000は650,000円とランク的にも一段上であった。

価格だけではない。
外形寸法/重量においてもだ。
M2000はW48.3×H17.5×D29.5cm/18.0kg、M4000はW48.3×H17.5×D39.0cm/30.0kg。
Mark 2500は規模的にはM4000と同じといえる。

M6000はW57.0×H22.0×D42.5cm/52.0kgと、
マッキントッシュのMC2300と同等であり、サンスイのBA5000もこれに近い。

M6000は、19インチのラックに収まらない規模である。
けれど、写真でみるかぎり、うまくまとめられているおかげもあって、
さほど大きくは感じられない。
写真で見るだけならば、M4000もM6000も横幅は同じだと思ってしまう。

でも実機をみると、
それもオーディオ店で、比較対象となるパワーアンプがあったりすると、
家庭用のアンプとしての枠を超えていることを実感することになる。

Date: 7月 8th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その14)

五味先生の「ピアニスト」に、コーネッタのことは出てくる。
もう何度か引用している。
     *
 JBLのうしろに、タンノイIIILZをステレオ・サウンド社特製の箱におさめたエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器である──の再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たく即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめタンノイのスピーカーから出る人の声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳に快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を持たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ。しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
     *
このとき、4343を鳴らしていたのは、
コントロールアンプがGASのThaedra、パワーアンプがマランツのModel 510Mである。
カートリッジはエンパイアの4000とあるから、4000D/IIIだろう。

この組合せの状態で、スピーカーだけを4343からコーネッタに替えられている。
そしてショルティの「パルジファル」を聴かれて、
《恍惚とも称すべき精神状態》に五味先生はなられた。

私は、この文章を読みながら、
瀬川先生が鳴らされていた──、とついおもってしまった。

瀬川先生ならば、アンプはLNP2とMark 2500だっただろうし、
カートリッジもクラシックを鳴らすのであれば、4000D/IIIは絶対に選ばれない。
ヨーロッパ製のカートリッジを組み合わされていたはずだ。

この瀬川先生の組合せで、
4343からコーネッタに替えられた音を聴かれたのであれば──、
そんなことを当時読みながらおもっていた。

そのことを今回おもい出した。

Date: 7月 8th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その13)

瀬川先生は、SAEのMark 2500で、JBLの4341、4343を鳴らされていた。
私は、Mark 2500で何を鳴らすかといえば、タンノイのコーネッタである。

コーネッタにMark 2500?
そう思う人がいるだろうし、私も自分のことでなければ、そう思うだろう。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」での瀬川先生の組合せ。

室内楽を静謐な、しかも求心的な音で聴きたい、というレコード愛好家のための組合せで、
スピーカーはタンノイのアーデン、
これを鳴らすためにスチューダーのA68、マークレビンソンのLNP2を選ばれている。

このころの瀬川先生はLNP2にはMark2500を組み合わせることが常だった。
だから、この組合せの記事でも、なぜMark2500ではなくA68なのか、について語られている。
     *
マーク・レビンソンのLNP2に組合せるパワーアンプとして、ぼくが好きなSAEのマーク2500をあえて使わなかった理由は、次の二点です。
第一は、鳴らす音そのものの質の問題ですが、音の表現力の深さとか幅という点ではSAEのほうがやや優れているとおもうけれど、弦楽器がA68とくらべると僅かに無機質な感じになる。たとえばヴァイオリンに、楽器が鳴っているというよりも人間が歌っているといった感じを求めたり、チェロやヴァイオリンに、しっとりした味わいの、情感のただようといった感じの音を求めたりすると、スチューダーのA68のほうが、SAEよりも、そうした音をよく出してくれるんですね。
      *
《ヴァイオリンに、楽器が鳴っているというよりも人間が歌っているといった感じ》、
レコード音楽が、こんなふうに鳴ってくれれば、これほど嬉しいことはない。

ここでの組合せのスピーカーは、アーデンである。
私が鳴らすのはコーネッタ。

アーデン搭載のユニットよりも、コーネッタのユニットは二まわり口径が小さい。
ならば、A68で充分すぎるのではないか。

だからA68を探していたわけだが、
今回、Mark 2500がやって来た。

コーネッタと組み合わせて、ということは、ほとんど考えずにヤフオク!で落札した。
コーネッタにはミスマッチなのかもしれないと思いながらも、
やって来たのだから、コーネッタをMark 2500で鳴らすことになるわけだが、
《弦楽器がA68とくらべると僅かに無機質な感じ》、
これさえ払拭できれば、わりといい組合せになるんじゃないか──、
そう思い込もうともしている。

すると、五味先生の文章を思い出した。

Date: 7月 4th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とA68のこと)

SAEのMark 2500と同時期に、
瀬川先生が愛用されていたパワーアンプに、スチューダーのA68がある。

A68はプロ用のパワーアンプのため、
コンシューマー用とは、かなり違う構成となっている。

ブロックダイアグラムをみると、
まずAFフィルター(コイルとコンデンサーで構成)がある。
そのあとに、1:1のトランス、レベルコントロール、
それからゲイン14dBのプリアンプ部、カットオフ周波数50kHzのローパスフィルター、
これらの回路が、いわゆる通常のパワーアンプ部の前段にある。

パワーアンプ部の電圧増幅部のゲインは21dB、
出力段はトランジスターの3パラレル・プッシュプルとなっている。

A68もまた、FETを使っていない。
プリアンプ部もパワーアンプ部も能動素子はトランジスターのみで、
定電圧電源も、その点は同じである。

EMTのプレーヤー搭載のイコライザーアンプの155stも、
すでに書いているように、FETは使っていない。
Mark 2500もそうであり、A68もである。

FETを使っていないアンプを愛用されていたことは、単なる偶然であろう。
FETを使っていないアンプを探しての選択ではないことはわかっている。

それでも、このことは素通りできない事実であるように感じている。

Date: 7月 3rd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とAMPZiLLAシリーズのこと)

SAEのmark 2500とMark 2600の回路図を比較すると、
抵抗やコンデンサー、電圧などの値が回路図に入ってなければ、
まったく同じである。

これまで書いてきたように、2500と2600の基本回路の設計は、
ジェームズ・ボンジョルノであり、
Mark 2500と同時期に、GASを設立し、AMPZiLLAを出している。

AMPZiLLAは、いうまでもなくボンジョルノの設計である。
基本設計とことわることなく、彼のアンプである。

兄弟といっていいほど、Mark 2500とAMPZiLLAシリーズは似ているし、
違うところもいくつかある。

入力コンデンサーに関してもそうである。
どちらのアンプも、入力には電解コンデンサーが入っている。

Mark 2500では100μFの電解コンデンサーが使われている。
電圧増幅回路は、いわゆる上下対称回路と呼ばれているもので、
入力信号は、プラス側のトランジスターとマイナス側のトランジスターの入力へと、
分岐している。

それぞれの入力に電解コンデンサーが入るわけだが、
電解コンデンサーの向きが、プラス側とマイナス側とでは違う。

プラス側のコンデンサーは+端子が入力側で、
マイナス側のコンデンサーの+端子はトランジスター側となっている。

AMPZiLLAでは、ここに関しては同じなのだが、
AMPZiLLA IIからは変ってきている。

220μFの電解コンデンサーを二つ直列接続している。
そしてこのコンデンサーの出力から分岐して、
プラス側とマイナス側のトランジスターへと接続されている。

SUMOのThe Power、The Goldでも電解コンデンサーがあって、
AMPZiLLA IIと同じ使い方がされている。

ちなみにSAEのXシリーズでも、この電解コンデンサーはある。
使い方はMark 2500、AMPZiLLAと同じなのだが、容量が47μFと約半分になっている。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と2600の関係・その3)

Mark 2500の出力段にかかる電圧は95V、
Mark 2600は105Vである。

パワートランジスターとヒートシンクは、振動源と音叉の関係に近い。
トランジスターを流れる電流で振動を発生する。
この振動がヒートシンクのフィンに伝わっていく。

だからパワーアンプ(ヒートシンクのつくり、取り付け方)によっては、
パワーアンプの出力に抵抗負荷を接ぐ、入力信号をいれ、ヒートシンクに耳を近づければ、
音楽が、かなり盛大に聞こえてくることもある。

その聞こえ方も、アンプの構造によって違ってくる。
それゆえにヒートシンクの扱いは、パワーアンプの音質を大きく左右するともいえる。

このことを、高校生の私は知らなかった。
このことを知ったうえで、2500と2600を比較すると、
トランジスターにかかる電圧が若干高くなったことでトランジスターの振動は、
多少ではあるだろうが、2500の95Vのときよりも増えているはずだ。

振動源であるパワートランジスター。
その振動が変化するということは、ヒートシンク(音叉)との関係にも変化がある。

2500と2600の筐体構造は共通である。
ヒートシンクも写真でみるかぎりは共通している。

パワートランジスターとヒートシンクの振動源と音叉の関係を理解したうえで、
2500と2600の音の違いを考えれば、このへんが影響してのことのはず、といえる。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と2600の関係・その2)

SAEのMark 2500とMark 2600の違いは、
回路図で比較する限りでは、電源電圧の違いと、
それと関係して電解コンデンサーの耐圧が増え、容量が少し減ったことぐらいである。

インターケットで検索して見ることができる写真を比較しても、
少なくともRFエンタープライゼス輸入の2500と2600に関しては、
これといった違いが見つけられない。

もっとも実物を手に入れてじっくりと比較すれば、いくつか違いはあるのだろうが、
ほとんどないに等しい、といってもいい。

この時代の海外製のオーディオ機器は、
ロットによって使用されている部品に違いがあることは、
けっこうざらにあって、ある特定のロットで比較して違いがあったからといっても、
違うロットではどうなっているのかは、なんともいえない。

三洋電機貿易になってからのMark 2600は電源トランスがトロイダル型になっているし、
使用トランジスターにも、はっきりとした違いがある。

(その4)で、Mark 2600は、日本に製造を委託した、というコメントがあった。
RFエンタープライゼスは、SAEが拡張路線をとることに反対し、取り扱いをやめている。

なので日本で製造ということもあったのかもしれない。
それでもRFエンタープライゼス扱いのMark 2600はアメリカ製造だと私は思っている。

なので、ここでの2500と2600の違いに関して、
あくまでもRFエンタープライゼス取り扱いのモノについて、である。

瀬川先生は、「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」での試聴記で、
《♯2500にくらべると、低域がややひきしまり、中〜高域の音色がわずかに冷たく硬質な肌ざわりになったところが、多少の相違点といえる》
と書かれている。

このわずかな違いは、なぜなのか。
当時は、その理由がはっきりとはわからなかった。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その12)

そんな妄想の源は、そうやって手を加えたMark 2500を、
瀬川先生に聴いてもらいたい、という気持である。

程度のいいMark 2500を手に入れて、
やれるかぎりの手を、そこに加えていく。

そうやってML2を超える透明感をもつMark 2500に仕上がったとして、
瀬川先生に聴いてもらうことはかなわない。

自己満足でしかない。
それでも、今回、実現しようとおもった。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その11)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」(ステレオサウンド1978年春別冊)、
SAEのMark 2600の瀬川先生の試聴記が載っている。
     *
 音の透明感と表現力のずば抜けて優れたアンプだと思う。透明感という点でこれに勝るのは、マーク・レビンソンのML2Lぐらいのものだから、SAE♯2600はその点でわずかに負けても、どこか凄みのある底力を感じさせるダイナミックなスケール感と音の肉づきのよさで勝る。旧モデルの♯2500も含めて、低音の量感がこれほどよく出るパワーアンプは少ないし、ハイパワーでいながら高域のキメの細かいこと、ことに音量をどこまで絞っても音像がボケず、濁りもないこと、まさに現代の最上級のパワーアンプだろう。♯2500にくらべると、低域がややひきしまり、中〜高域の音色がわずかに冷たく硬質な肌ざわりになったところが、多少の相違点といえる。
     *
この時点で、Mark 2600は、マークレビンソンのML2の半額よりも少し安かった。
ML2も、このころの私にとっては憧れのパワーアンプの一つだったが、
いかんせん高すぎた。

Mark 2500(2600)も手が届かない存在だったのだが、
ML2はさらにその上にいた存在だった。

それでも音は、その実力は、価格ほどの違いはないんだな、と、
瀬川先生の試聴記を何度も読み返して、納得しようとしていた。

Mark 2500(2600)には、ML2よりも優る点があるということ。
これは当時の私にとっても、とても大事なことだった。

ならば、Mark 2500を手に入れたとしよう。
それに手を加えたら、ML2の透明感にそうとう近づけるのではないのか。

そのためにはどうやったらいいのかは、当時の私にわかっていたわけではないが、
それでも、なんとなく手を加えれば、それも適切にやれば、ML2よりもよくなる──、
そんなふうに思い込もうともしていた。

それが、いまもどこかでくすぶっていたように感じている。
十年くらい前から、Mark 2500に手を加えたら、その実力をどこまで発揮できるようになるのか。

インターネットでMark 2500の内部写真が、
かなりのところまで見ることができるようになってから、
よけいにそんなことを妄想するようになっていた。
二年くらい前には、具体的にどこをどうするのか、ほぼ決っていた。

ここのところをこんなふうにしたら、こういう変化が得られるはず──、
そんな妄想を、入浴中、ぼんやりしているときに何度もしていた。

Date: 6月 26th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と他社のアンプのこと)

SAEのMark 2500に入札しているあいだ、ヤフオク!には、
私が興味をもちそうな、お探しの商品からのおすすめが表示される。

そこにいくつかのアメリカのパワーアンプが表示されていた。
Mark 2500と同時代か、少し新しい時代のモノがいくつかあった。

製品としての規模も近いモノがあった。
その中に、動作不良のためジャンク扱いというパワーアンプがあった。

出品者の説明文を読んでも、あきらかに修理が必要なアンプである。
このアンプに入札する気はなかったけれど、
最終的にいくらで落札されるのかは、興味があった。

Mark 2500を落札して数日後、その落札価格を見たら、2500よりも高かった。

私だったら、そのアンプの状態が良くてもMark 2500を選ぶのだが、
世の中には、私の感覚とはずいぶん違う人がいる、ということを改めて実感する。

そのアンプの故障の具合がどの程度なのかははっきりしないが、
いま、そのブランドの輸入元はないし、ブランド自体もなくなっている。

修理に出すか、自分で直すか。
自分で直せる人は、そう多くないと思う。
とすると、修理業者に出すわけだが、そうすればそこそこの費用がかかってしまう。

費用がいくらになるのかは、そのアンプの状態次第なのだからなんともいえないが,
落札価格と修理費用をあわせると──、私はヤフオク!で入札するときは、
そのことを考える。

動作しているモノであっても、メインテナンスは必要になるから、
その費用も見込んで、最大でここまで、という金額を決めての入札をする。

多くの人が、そうしていると思っていた。
でも、どうも違うようである。

人それぞれだから、そこまでしても欲しいアンプだったのだろう。
でも、そのアンプが現役だったころ、ステレオサウンドでまだ働いていたから、
そのアンプの実力、人気のほどは知っていたから、
落札した人は、そこまでの愛着があってのことなのか、
落札したアンプをどうするのか、
そんなことを考えると、疑問符が浮ぶだけだ。

Date: 6月 24th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その10)

ボンジョルノのアンプということとははなれてしまうが、
EMTのアナログプレーヤー内蔵のイコライザーアンプの155st。

このアンプもFETは一切使わずに、トランジスターのみで構成されている。
155stの設計は古いし、プロ用ということで、入力と出力にはトランスが入っているし、
DCアンプなわけでもない。

多くのアンプが初段には差動回路を採用するが、155stは違う。
基本的に真空管アンプの回路に近い、といえる。

もし155stの後継機として157stといったモデルが登場した、としよう。
FETを採用し、初段は差動回路、DCアンプ構成になっていたかもしれない。

157stというモデルは存在しないから、こんなことは妄想でしかないのだが、
155stとはずいぶん違った音になっていたであろう。

私はEMTのアナログプレーヤー(930st、927Dst)に感じているヴィヴィッドな音は、
かなり失われてしまっていたようにも想像できる。

だからといってFETがダメだ、と断言したいわけではない。
私自身、ディネッセンのJC80の初期モデルの音には、ずいぶんしびれたものだった。
ジョン・カール設計のJC80は、全段FETのコントロールアンプである。

AMPZiLLA 2000はどうなのだろうか。
出力段にはFETを採用しているのではないだろうか。
輸入元のエレクトリのサイトをみても、そのへんの記述はない。

なのに、そう思う理由は、
ジェームズ・ボンジョルノが、2004年6月に取得している特許、
“HIGH FIDELITY FLOATING BRIDGE AMPLIFIER”では、FETによる出力段だからだ。

ボンジョルノは1980年10月に、The Goldに採用された回路で特許をとっている。
2004年の特許の回路はAMPZiLLA 2000に採用されているはずだ、と思うからだ。

Date: 6月 23rd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と2400の関係)

Mark 2500の時代、Mark 2400というモデルもあった。
2500が300W+300Wに対し、2400は200W+200W。

パネルフェイスは、2500と2400は基本的に同じで、
2500には入力レベル調整のプッシュボタンがあるのが、2400にはないぐらいだ。

小さな違いなのだが、製品を前にすると、
この違いはけっこう大きくて、2500のほうに、私は魅力を感じる。

外形寸法は2500がW48.3×H17.8×D40.0cm、2400はW48.3×H17.8×D28.0cm。
重量は、2500が26.4kg、2400が19.1kg。

価格は2500が650,000円のときには、420,000円だった。

Mark 2500は、中学生にとっては手の届かない存在だった。
だからといってMark 2400も無理だったのだが、
それでも2500と2400の価格差は小さくない。

2400の音は聴いていない。
Mark 2400はステレオサウンドにもそれほど登場していない。
41号の特集「世界の一流品」で岩崎先生が書かれているくらいだ。
     *
 MK2400も、決してプラックフェイスという外観だけに止まらず、技術的な内容もさらにその音にも、はっきりと感じられる。きわめてスッキリして、透明そのもの、無駄を廃した端正の極地といったような音だ。
     *
同じページで、瀬川先生がMark 2500について書かれている。
どちらもいいパワーアンプなんだ、と思いながら読んでいた。

その数年後、熊本のオーディオ店に定期的に来られていた瀬川先生が、
「SAEのアンプでいいのは、2500だけ」、そんなことをいわれていた。

そうなのか、2500と2400は、けっこう違いがあるのか……。
よく似ているモデルなのに。

そんなことを思いながら、瀬川先生の話をきいていた。

Mark 2400の音を聴いていない。
実際のところ、2500と2400の音の違いがどれだけなのかは確認できないでいる。

回路図を比較すると、2500も2400もほほ同じといっていい。
出力段の規模が、2500は2パラレルなのに対して2400はパラレルではないことぐらいだ。

回路図だけでみれば、2500と2400の音の違いは小さいはずなのだが、
2500と2400はコンストラクションが大きく違う。

この違いはそうとうに大きく音にあらわれるであろう。
それだけに、いま程度のいい状態の2400があれば、2500と比較試聴してみたい。

Date: 6月 22nd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その9)

SAEのMark 2500とGASのAMPZiLLAの回路図はGoogleで検索すれば、
すぐに見つかるから、この二つのパワーアンプの回路図を見較べてみるといい。

回路のこまかなことについて書いていくと、どんどん長くなるので、
いつかは別項で書くつもりだが、今回は割愛する。

一つだけ挙げると、
Mark 2500もAMPZiLLAも、FETを一石も使っていないことだ。

この時代のアンプはDCアンプ化が一般的になっていた。
そのこともあって初段はトランジスターではなくFETが使われることがほとんどだった。

二段目以降はすべてトランジスターで構成されたアンプでも、
初段だけはFETというのが当然だったし、
それはメーカー製のアンプだけではなく、
無線と実験、ラジオ技術に発表されていた自作アンプもそうだったし、
OPアンプにおいても初段はFETというのが増え始めてきていた。

そういう時代にあっても、Mark 2500とAMPZiLLAは全段トランジスターである。

ボンジョルノはFETを嫌っていたのだろうか。
SUMOのThe Gold、The Powerでも増幅系はすべてトランジスターである。
FETがまったく使われていないわけではなく、
初段(もちろんトランジスター)の前に、スイッチとしてのFETが使われているくらいだ。

SUMOのアンプは、いわゆるリレーによる保護回路をもたない。
けれど出力などに異状を感知したら、入力信号をカットするようになっていて、
そのためのFETスイッチである。

もっともそのため入力にはコンデンサーが直列に挿入されている。
1970年代から、ICL、OCLという単語がアンプのカタログ、広告に登場するようになった。

ICLは、Input Condenser Lessの略である。
そういう時代になっていても、ボンジョルノはFETを、初段の採用まで拒否して、
コンデンサーを使っている。
そのことによるメリットが大きいとの判断なのだろう。

Date: 6月 20th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その8)

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号で、Mark 2500について、
こう書かれている。
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 一年前自家用に購入して以後も、目ぼしい製品とは常に比較してきたが、今日まで、音のダイナミックな表現力の深さ、低音の豊かさ、独得の色っぽい艶と滑らかさなど、いまだこれに勝るアンプはないと思う。日頃鳴らす音量は0・3W以下だが、そういうレベルでも音に歪っぽさが少しもなく、危なげない充実した音で楽しませてくれる。こういうパワーなら、換気に留意すればファンはOFFにして使っても大丈夫のようだ。
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最初に読んだときには気づかなかったのだが、
その後、Mark 2500の基本設計がジェームズ・ボンジョルノだということを知ってから、
そしてボンジョルノのアンプ(GASのThaedraとSUMOのThe Gold)を使うようになってから、
《音のダイナミックな表現力の深さ》は、ボンジョルノのアンプに共通している特質である。

43号のころ(1977年)は、ボンジョルノのアンプ(音)の洗礼を受けていなかった。
なので、当時のパワーアンプのなかでは、Mark 2500もいいアンプなのだろうけど、
スレッショルドの800Aはもっといいパワーアンプのはず、という思い込みがあった。

Mark 2500も800Aも、中学二年の私に、手の届かない存在だったけれど、
800AのほうがMark 2500よりも高価だった(百万円超えだった)。

しかもA級動作という謳い文句に、より惹かれていた。
同じ43号で、セクエラのModel 1について、こう書かれていたことも、
800Aにより惹かれた理由のひとつになっている。
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 スピーカーならJBLの4350A、アンプならマークレビンソンのLNP2LやSAE2500、あるいはスレッショールド800A、そしてプレーヤーはEMT950等々、現代の最先端をゆく最高クラスの製品には、どこか狂気をはらんだ物凄さが感じられる。チューナーではむろんセクエラだ。
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この時の私には、Mark 2500よりも800Aのほうが、
より《現代の最先端をゆく最高クラスの製品》に見えていた。
The Goldの音を聴くまでは。