オーディオの想像力の欠如が生むもの(その64)
オーディオの想像力の欠如のままでは、
いつまでたっても自己模倣から逃れられないだけでなく、
自己模倣に陥っていることにすら気づかない。
オーディオの想像力の欠如のままでは、
いつまでたっても自己模倣から逃れられないだけでなく、
自己模倣に陥っていることにすら気づかない。
オーディオの想像力の欠如のままでいて、
「古人の求めたる所を求め」ることのできない人が、「老害」を口にする。
オーディオの想像力の欠如のままでは、
「古人の求めたる所を求め」ることはとうていできない。
編集者も人の子であるから、好き嫌いはあって当然。
しかもオーディオという趣味の世界の編集者なのだから、
すべてのブランド、すべてのモデルに公平な意識をもっていられる人は、いるのだろうか。
もちろん試聴においては、公平に扱う。
これはオーディオ雑誌の編集者として、絶対なことだ。
たとえばアンプの試聴で、
好きなブランド、好きなモデルの場合は、ACの極性を合せ、接点もきちんとクリーニングする。
嫌いなブランド、モデルの場合には、ACの極性をわざと反対にする、接点もクリーニングしない。
そんなことは、絶対にしない。
どちらであっても、ACの極性は合せ、接点もクリーニングしておく。
試聴条件は公平でなければならない。
ステレオサウンド 87号のスピーカーシステムの総テストは、
その意味で公平であったのだろうか。
マッキントッシュのXRT18のヴォイシングのことはすでに書いている。
ここでのヴォイシングは、編集見習いのKHさん立会いのもと、
エレクトリのスタッフの方に来てもらい、午前中じっくりと時間をかけてやってもらった。
このヴォイシング、そのことを公平でない、と考えない。
XRTシリーズのスピーカーの形態上、必要なことである。
けれど、もう少し突っ込んで考えると、
KHさんは、マッキントッシュへの思い入れが、そうとうに強い。
それは別にかまわないのだが、
KHさんの心の中には、XRT18だけが特別にうまく鳴ってくれればいい──、
という気持があったのかもしれない。
それは、ほかのスピーカーシステムに対しての間接的な悪意といえる。
そう考えることもできるし、そうでないとしても、
その時点で、KHさんの心の中では公平のバランスが大きく崩れてしまったようにも思う。
ほかのスピーカーシステムを悪く鳴らそうとは、KHさんも考えていなかったはずだ。
けれど、XRT18だけが特別に鳴ってくれれば、という気持は多少なりともあった、と私はみている。
(その2)を書くつもりはなかったけれど、
facebookでのコメントを読んで書くことにした。
コメントには、総集編はブームの終りに出しやすいですね、とあった。
自転車ブームが終りを迎えているのかどうかは、いまのところなんともいえないが、
少なくともピークは過ぎてしまったようには感じている。
私が「自転車道 総集編 vol.01」を高く評価するのは、
オーディオ雑誌というよりも、
ステレオサウンドが出す総集編、選集とは根本的なところで違うからである。
「自転車道 総集編 vol.01」の序文に、こうある。
*
安井 僕は自転車道の連載の中で、ことあるごとに、しつこいくらいに書いているんです。「この記事を読んでも速くなったり楽になったりペダリングが上達したりはしないぞ」って。今までの自転車雑誌はそういう記事ばっかりでしたよね。「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか。そういうシンプルでイージーな記事ばっかりだった。もちろんそういう記事も必要なんですけど、「自転車という乗り物を深く理解してみよう」という記事はなかった。だから、「速くもラクにもなれないけど、読めばもしかしたら自転車乗りとして内面から進歩できるかもしれない」という記事をずっと作りたいとも思ってました。
吉本 自分はいち自転車好きとして「こういう記事が読みたい」と思ってたんですが、編集者として、雑誌屋として、「こういう記事を作りたい」という想いも強かったですね。ありがちなインプレとかノウハウ記事とは違う、エンターテイメントとして成立する読み物があるべきだとずっと思ってました。
安井 でも最初は怖かったですよ、ホントに。「フレームにかかる力を知る」なんて企画をバーンとやったはいいものの、全員から「そんなことどうだっていいんだよ」っていわれたらどうしようって。
*
「自転車道」は2014年から始まった記事である。
そのころに、こういう記事をはじめたところが、オーディオ雑誌とは違う。
そして自転車ブームのピークが過ぎ去ったといえるころに、
「自転車道 総集編 vol.01」を出してきた。
「どのホイールが速いのか」とか「こうすれば速くなる」とか「これでラクに走れるようになる」とか、
そういった記事の総集編ではない。
オーディオ好きには自転車好きも多い、と聞いている。
どのくらいいるのかは知らない。
だから昨日(7月30日)に発売になった「自転車道」を手にしている人もいることだろう。
自転車の雑誌といえば、私が読み始めたころから、
いまもそうなのだが、サイクルスポーツとバイシクルクラブがよく知られている。
ほかの自転車関係の雑誌を置いていない書店でも、
この二冊は、ほぼ置いてあるほどに自転車の雑誌といえば、この二冊である。
どちらがおもしろいかは、年代によって違っていた。
ここ数年はサイクルスポーツのほうが断然おもしろく感じていた。
その理由の一つが、2014年から始まった「自転車道」という企画である。
残念なことに、2019年8月号で終ってしまったけれど、この記事を読みながら、
一冊の本にまとめてほしい、と思っていたし、
きっとまとめてくれるだろうな、とも期待していた。
連載終了から約一年、総集編 vol.01である。
この総集編のムックの冒頭には、序文がある。
この序文は、このムックでしか読めない。
「自転車道」では、安井行生と吉本司という二人の自転車ライターによる記事だ。
この二人の、連載をふりかえっての短い対談が、序文になっていて、
そこの見出しには、こうある。
《自転車選びが短絡的になってしまった弦駄句へのアンチテーゼとして》
この序文は、自転車をオーディオに置き換えてもそのまま読める内容だ。
自転車は、つい最近までブームだった。
いまでもブームが続いているとみえるかもしれないが、
都内の自転車店は減少している、ともきいている。
自転車の雑誌、ムックも、以前ほどにはみかけなくなってきている。
そういう時期をむかえているときに、「自転車道」が始まって、総集編が出た。
それにしても、いまのオーディオ雑誌は、こういう記事をどうしてつくれなくなったのだろうか。
つくれるさ、という編集者もいるかもしれない。
続けて、その編集者は、こういうのかもしれない。
「つくれるさ、でも、そんな記事を読者は望んでいない」と。
はたしてそうだろうか。
組合せのための試聴は、
アンプやスピーカーの試聴が受動的試聴とすれば、能動的試聴だと、
これまで書いてきた。
それから組合せという試聴は、思考の可視化とも書いた。
ここまで書いてきて、別項「正しいもの」のなかで、
「ベートーヴェンの音」について書き始めたところである。
だから思うのは、いまオーディオ評論家を名乗っている人たちに、
ぜひとも「ベートーヴェンの音」というテーマで組合せをつくってもらいたい、ということだ。
そこで使うディスクも、編集部から指定されたものではなく、
自身で「ベートーヴェンの音」が録音されているものと感じるディスクを数枚選んでもらうところから始める。
もちろん、ここでの録音とは、つねに演奏と切り離せないものであることはいうまでもない。
そしてスピーカーを選び、アンプを選び……、というふうに組合せをつくりあげてゆく。
いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの、さまざまなことが顕になるはずだ。
新型コロナの影響で、自動車の売行きが悪い、ときいている。
友人から教えてもらったのだが、日本自動車販売協会連合会のサイトで、
ブランド別新車販売台数確報が公開されているのを知った。
2020年4月の販売台数をみていくと、確かに前年比はよくない。
乗用車だけをみても、ホンダが60.1%、三菱が35.2%、日産が42.9%、トヨタが66.8%で、
海外ブランドをみても、売行きはよくないことがわかる。
それでもフェラーリは126.8%、ランボルギーニは133.8%、ポルシェは164.1%と、
コロナ禍の影響はみられないといえる売行きである。
海外ブランドだからなのか、と思うと、メルセデス・ベンツは62.8%、
マクラーレンは37.5%、マセラッティは43.1%、ジャガーは37.8%、アストン・マーチンは56.0%だ。
自動車の専門家ではないから、これらの数字について専門的なことは何もいえないが、
フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの売行きの伸びはすごいと思うし、
このことをどう捉えたらいいのだろうか。
高級外車は景気に左右されないわけではないだろう。
売行きが鈍っている海外ブランドもあるのだから。
ハイエンドオーディオと呼ばれるモノのなかには、
フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ並の価格が珍しくなかったりする。
それらのオーディオ機器の売行きも、これらのクルマ同様に売行きは前年比で伸びているのか。
自動車業界と違い、オーディオ業界では、
ブランド別販売台数が、こんなふうに発表されているわけではない。
ウワサをきくことはあるけれど、実態はわからない。
かなり高額のオーディオ機器が、オーディオマニアのリスニングルームにある。
Aさんのところにあり、Bさんのところにもある……。
こんなにも高価なオーディオ機器が、けっこう売れているのか。
そう思いがちになるのだが、
意外にもAさんが使っていて手放したモノがBさんのところに行き、
Bさんもしばらく使って、次はCさんのところに……、という例があるともきいている。
Aさんのところにあった、Bさんのところにもあった、Cさんのところにもあった、
と書くのがより正しいわけで、実際に売れたのはごくわずかな台数であっても、
一年二年というスパンでみると、いろんな人のリスニングルームにあるというふうになる。
サプリーム No.144(瀬川冬樹追悼号)の巻末に、
弔詞が載っている。
ジャーナリズム代表としては原田勲氏、
友人代表として柳沢功力氏、
メーカー代表として中野雄氏、
三氏の弔詞が載っている。
柳沢功力氏の弔詞の最後に、こうある。
*
君にしても志半ば その無念さを想う時 言葉がありません しかし音楽とオーディオに托した君の志は津々浦々に根付き 萠芽は幹となり花を付けて実を結びつつあります
残された私達は必ずこれを大樹に育み 大地に大きな根をはらせます 疲れた者はその木陰に休み 渇いた者はその果実で潤い 繁茂する枝に小鳥達が宿る日も遠からずおとずれるでしょう
*
瀬川先生の志は大樹になったといえるだろうか。
そういう人も、オーディオ業界には大勢いるような気がする。
見た目は大樹かもしれない。
でも、何度か書いているように、一見すると大樹のような、その木は、
実のところ「陽だまりの樹」なのではないか。
「陽だまりの樹」は、陽だまりという、恵まれた環境でぬくぬくと大きく茂っていくうちに、
幹は白蟻によって蝕まれ、堂々とした見た目とは対照的に、中は、すでにぼろぼろの木のことである。
真に大樹であるならば、コロナ禍の影響ははね返せるだろう。
「陽だまりの樹」だったならば……。
あまり目にすることも耳にすることもなくなってきている「青雲の志」。
オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)をわけるのは、
青雲の志をもっているかどうかだろうし、
オーディオ評論家(商売屋)にしかみえない人も、
以前は青雲の志をもっていたのかもしれない。
オーディオアクセサリーの最新号が書店に並んでいる。
176号のページによれば、《編集部入魂の1冊》だそうだ。
この号で興味を惹くのは、巻頭企画②「新春座談会2020年 これからのオーディオを語る」である。
記事の紹介文を引用しておく。
*
2020年最初の刊行となる176号では、本誌で健筆をふるう評論家陣が大集合。福田雅光氏がオーディオ界でいまもっとも勢いのあるオピニオンリーダー達を自宅の新試聴室に招集。もともとは福田氏が単に新年会を企画していただけのことだったのですが、この錚々たるメンバーが一堂に会する機会などめったにない。そこで編集部はこの機会を逃すまいと、この新年会に潜入。新春座談会という形で、しばしの間(!?)、オーディオの未来や、アナログ再生の現状、オーディオ雑誌の問題点等々のお話をしていただいた。編集部からの要望はひとつだけ。「立派な話はしないでくださいね」。これを受けて“正論”無しのバトルが火を噴いた。掲載できるギリギリの内容までつめた、評論家陣のぶっちゃけトークをぜひともお楽しみください。
*
福田雅光氏監修とある。
これだけを読んでいると、期待できそうな感じもしないでもない。
とはいってもオーディオアクセサリーだから……、
それほど期待はしていなかったが本音でもある。
おもしろければ、つまりほんとうに紹介文通りの内容であれば買うつもりだった。
これだけ、いわば煽っているのだから、
ボリュウム的にも最低でも8ページくらいあるんだろうな、とも勝手に想像していた。
書店に手にとって、がっかりした。
わずか4ページしかない。
《掲載できるギリギリの内容までつめた、評論家陣のぶっちゃけトーク》が、
ほんとうに読めるのであれば、それでもかまわない。
でもページをめくって4ページ目にある見出しを見て、
もう期待できない、と確信した。
福田雅光氏の発言が見出しになっていた。
買わなかったので、正確な引用ではないが、こんなことだった。
書き方を変えた、
持論を加えるようになった
そんなことだった。
これをどう受け止めるのだろうか。
ほとんどの人が、それではいままで持論を語ってこなかったのか、と驚くのではないのか。
スピーカーシステムの試聴、
それも数十機種集めての試聴ともなると、難しい面が出てくる。
スピーカーシステムが一本(一組)であれば、
じっくりと時間をかけて、スピーカーの設置位置、設置方法をあれこれ試してみて、
さらにアンプやスピーカーケーブルも交換して、という聴き方が可能だ。
だがスピーカーの数が増えていけば、そんなことをやる時間的余裕は、
スピーカーの数に比例して削られていく。
結局、ステレオサウンドにおけるスピーカーシステムの総テストでは、
リファレンススピーカーの設置位置が、すべてのスピーカーの設置場所になる。
スピーカーによって、もう少し後の壁に近づけたり、逆に離したりした方が、
それから左右との壁との距離も変えてみたほうが、いい結果が得られるのは十分考えられる。
それでも時間が問題となり、
その試聴室において、これまで、さまざまな試聴をしているオーディオ評論家の、
それまでの経験の積み重ねを信じての、スピーカーの設置位置となる。
ステレオサウンド 54号のスピーカーシステムの総テストでは、
黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏による試聴が行われている。
しかも合同試聴ではなく、三人別々の試聴であり、
さらに瀬川先生はスピーカーのセッティングをそうとう試されているのが、
試聴の方法、試聴後記、試聴記からもわかる。
以前のステレオサウンドがやれていたことを、なぜできないのか。
このことは、また別項で考えていきたい。
87号のスピーカーシステムの総テストでは、
マッキントッシュのXRT18を、そういうセッティングで聴くことをやってしまったら、
試聴の方法そのものが間違っている、ということになる。
けれど、一方では、XRT18だけ特別扱いになるのか、という意見もある。
ただXRT20、XRT18にしても、マッキントッシュ側から、
こういうふうに設置しろ、という条件が最初からある。
それに従ったまで、という考えもある。
他社製のスピーカーシステムにも、そんなふうにセッティングについて条件が出されていたら、
それに従っての試聴となるはずだ。
なので87号において、XRT18を特別扱いしたのかどうかは、微妙なところでもあるし、
特別扱いをしたということになるならば、
それは編集見習いのKHさんに、ヴォイシングに立ち合ってもらったところにある。
くり返しになるが、KHさんはXRT20ユーザーであり、
マッキントッシュにつよい思い入れをもっている人であり、
KHさんには、XRT18をよく鳴らしたい、という善意の気持があったのではないのか。
この善意の気持が強いほど、それに見合う実力が伴わなければ、
結果として悪意となってしまうことだってあるではないのか。
音元出版のPHILE WEBが、
ハイファイオーディオ 総合ランキングを毎月公開していたのは知っていた。
知っているだけで、パッと見るだけに終っていた。
でも今回、2019年12月のランキングに、見出しを見て最後まで読んだ。
そこには、『アキュフェーズ創立50周年記念超弩級機「E-800」が堂々首位 』とあったからだ。
これまで眺めていただけであったが、それでもなんとなくの傾向は掴んでいた。
だからこそアキュフェーズのE800が、
セパレートアンプ、プリメインアンプの部門で首位というのは意外だった。
E800は980,000円で、税込みだと1,000,000円をこえる。
ランキングに入ってくる機種のほとんどは中級機クラスが多い。
そこにポツンとE800が、初登場で首位である。
売れている、という話はまだきいてなかったけれど、
かなり注目されている、とはきいていた。
別項でE800のプロポーションに関しては、ボロクソに書いている私でも、
E800の音は、かなりの実力だ、と、
じっくり聴いたわけではないが、感じている。
E800の首位を見て、そういえば──、と思い出して、過去のランキングを見てみた。
探していたのは、
デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONとDCD-SX1 LIMITED EDITIONである。
垂れ流し状態のタイアップ記事の、この二機種はどうなのか。
入っていなかった。
E800が首位になっても、デノンはそうではなかった。
音元出版のハイファイオーディオ 総合ランキングは、
全国すべてのオーディオ店の集計ではないし、
《各商品ジャンルにおける台数別の売れ筋ランキングのデータを、1位5ポイント、2位4ポイント、以下、5位1ポイントの要領で得点化》したものでもある。
これだけですべてを語れるわけではないにしても、参考にはなる。
私はデノンの、この二機種は聴いていない。
どの程度の実力なのかは、まったく知らない。
それに、タイアップ記事垂れ流しの音を聴きたいとも思っていない。
デノンのPMA-SX1 LIMITED EDITIONは、780,000円(税抜き)である。
E800よりも少し安い価格だが、プリメインアンプのなかでは、同クラスといえる。
E800の購入を考えている(いた)人は、デノンとの比較も行っているような気がする。
売れているほうが音がいい──、
そう単純なことではないのだが、E800は首位であり、
PMA-SX1 LIMITED EDITIONは五位までに入っていないことだけは事実であり。
この事実をどう受け止めるかは人それぞれのところもあるだろうが、そうでないところもある。
別項「オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その3)」で書いたことをもう一度くり返す。
十数年前にインターナショナルオーディオショウの会場で聞いたことだ。
人を待っていたので、国際フォーラムのB1Fにある喫茶店にいた。
近くのテーブルから、はっきりと聞き取れる声で、
ショウに出展していたオーディオ関係者の会話が聞こえてきた。
誰なのかは、どこのブースの人なのかは書かない。
この二人は、インターネットはクズだね、ということを話していた。
オーディオ雑誌には志があるけれど、インターネットのオーディオ関係のサイトには志がない、
そんな趣旨の会話だった。
ここでのインターネットのオーディオ関係のサイトとは、
個人サイトのことを指している。
オーディオ雑誌社のウェブサイトは、少なかった時代であり、
ステレオサウンドも、まだウェブサイトを持っていなかった時代である。
確かにインターネットの世界には、クズだとしか思えない部分がある。
このことはいまも昔も変っていない、といえる。
だからといってインターネット全体を十把一絡げに捉えてしまうのには、異を唱えたくなる。
それにオーディオ雑誌に志があった、という過去形の表現ならまだ同意できるけど、
志がある、にも異を唱えたくなる。
過去に戻れるのならば、いまのオーディオ雑誌のウェブサイトを見てご覧なさい、と、
この時の二人にいいたくなる。
デノンのタイアップ記事が、オーディオ雑誌だけでなく、
ウェブサイトにおいて垂れ流し状態になっているのを、
この時の二人は、なんというだろうか。
オーディオ雑誌には志がある、と、まだいうのだろうか。
(その8)へのfacebookへのコメントには、後日、補足があった。
崩壊についての補足だった。
そのコメントについてはこれからふれる予定だが、
読んでいて、これまで思っていたことをふりかえって浮んできたのは、
「陽だまりの樹」である。
「陽だまりの樹」については、
別項「オーディオにおけるジャーナリズム」の(その25)と(その26)で書いている。
「陽だまりの樹」とは手塚治虫自身のルーツをさぐる作品のタイトルであり、
徳川幕府のことを比喩する言葉でもある。
「陽だまりの樹」は、陽だまりという、恵まれた環境でぬくぬくと大きく茂っていくうちに、
幹は白蟻によって蝕まれ、堂々とした見た目とは対照的に、中は、すでにぼろぼろの木のことである。
オーディオの世界において、なにが「陽だまりの樹」なのか、
その幹を蝕んだ白蟻とはなんなのか。