Archive for category ジャーナリズム

Date: 5月 3rd, 2011
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(資本主義においてこそ)

「持ちつ持たれつ」は、こういう資本主義(むしろ、悪い意味での商業主義)の世の中においては、
もたれ合い的な意味あいで、ネガティヴな印象のほうが強くなっている気もする。

オーディオ雑誌も、資本主義の中で出版されている。
クライアント(国内メーカー、輸入商社)が広告を出稿することで、
いまの雑誌出版というシステムは成り立っているわけで、
それはなにも広告に関してだけでなく、取材のために製品を調達するのにも、
クライアントの存在は不可欠である。

すべてのオーディオ機器を購入して取材すべきだ、ということを言う人がいる。
けれど実際にそんなことをやっていたら、どうなるか。
すこし頭を働かせればわかることである。

購入するにも資金は要る。購入した器材を保管するスペースも要る。
それに購入した器材は資産と見なされるし、調整・修理などの維持に手間がかかる。

だからクライアントから製品を借りることになる。
広告も出してもらっている。

そこで、いわゆる「制約」が生じる。
この制約を一切無視して、文章を書いている人は、いない。
書き手だけでなく、編集者も、その制約の中にいる。

「持ちつ持たれつ」である。
この「持ちつ持たれつ」こそ諸悪の根源だと見なす人がいる。
はたしてそうだろうか。

「持ちつ持たれつ」は、いわば人間関係である。
この関係を無視して、文章を書く人が仮にいたとして、
そんな人の書いたものを読みたいとは思わない。

それに制約があるからこそ、主張が生れてくる、とも思っている。
もちろん制約の中には、取り除かなければならない制約がある。
それらのすべての制約は取り除けるのか、取り除いていいものだろうか。

オーディオは、つくづく「人」だと思うようになった。
持ちつ持たれつが生みだしていくものは、きっとある。

悪しきもたれ合いは、たしかにいらない。
悪しきもたれ合いは、批判的な表現を隠していこうとする。
クライアントに対して、その取扱い製品に対して、批判的なことは表に出せない。
それもわからぬわけではないが、そのことがすでに行き過ぎてしまっているために、
賞讃の表現のもつ輝き・力をも、同時に殺してしまっている。

このことになぜ気がつかないのか。
言葉も「持ちつ持たれつ」という関係の中で生きてきて、輝きをもつものだということを。

Date: 3月 25th, 2011
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その37)

スピーカーシステムの特集号、アンプの特集号で、
それぞれスピーカーシステム、アンプがある数以上集められて、
複数の筆者による試聴記が掲載されることによって誌面で語られるのは、個々のオーディオ機器の「性能性」である。

ここで「機能性」が語られることはほとんどない。
これは試聴テストという企画の性格上、しかたのないことである。

それでも、いちどコントロールアンプの特集号で、
それぞれのコントロールアンプの機能(フィルター、トーンコントロール、ヘッドアンプなど)のテストを、
柳沢功力氏にやってもらったことがある。

とはいうものの、当時は「機能性、性能性、効能性」ということを考えたうえでの機能テストではなくて、
せっかくコントロールアンプについている機能だから、一度は全部試してみたいし、試してもらおう、という、
どちらかといえば興味本位からお願いしたわけだ。

インプットセレクターとボリュウムぐらいしか機能のついていないコントロールアンプだと楽だが、
トーンコントロールにターンオーバー周波数の切替えがついていたり、
ヘッドアンプも入力インピーダンス、ゲインの切替えがあったりしていくと、
意外に時間を必要とする試聴になっていく。
地味な割には、めんどうな試聴ということになる。

けれど、いまは、この「機能性」についてきちんと誌面で語っていくことは、
「性能性」と同じぐらいに扱っていくべきことだと思う。

Date: 3月 14th, 2011
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(3月11日以降のこと)

3月11日は、奇しくもステレオサウンド 178号の発売日でもあった。
編集長が変って新体制になっての最初の号である。

このことをどう捉えるのか、単なる偶然としてさっと流してしまうのか、
それともそこに何かの意味を考えるのか……。

オーディオ雑誌(はっきりいえばステレオサウンド)は、
3月11日以降のオーディオのあり方について、どう考えているのか、
そしてそのことをどう編集方針へと転換して誌面へ展開していくのか。
それとも6月に発売予定の179号では、お見舞いの言葉を述べるだけなのか。

はっきりと書けば、ステレオサウンドはすでに役目を終えた雑誌だと思っている。
菅野先生が不在のいま、ほんとうに終った、と思う。

それでも179号以降で、今後のオーディオのあり方について、
模索しながらでもいい、なにかをはっきりと提示していくことができれば、
ステレオサウンドは復活できるとも思っているし、
こういうことを書きながらでも、心のどこかには復活を望んでいるところは、やはりある。

でも何も提示できない、どころか、それ以前に、これからのオーディオのあり方について何も考えていなければ、
ステレオサウンドにはジャーナリズムはまったく存在しない、ともいおう。

これは編集部に対してのみ言いたいことではない。
ステレオサウンドに書いている筆者に対しても、だ。

これまでと同じようなことしか書けないのであれば、考えつかないのであれば、
「役目」を果しているとはいえない。

ステレオサウンド編集部と筆者とで、いますぐにでも、3月11日以降のオーディオのあり方について、
真剣に議論しあい、すでに役目を終えた形ではない、これからの「かたち」を生み出してほしい、と思う。

Date: 1月 27th, 2011
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(グラモフォン誌について)

つい最近のことらしいが、英グラモフォン誌のサイトで、
1923年の創刊号からすべてのバックナンバーを読めるようになった。

それも、ただページをスキャンした画像をそのまま載せるだけでなく、
当然のことだが、検索もできる。
素晴らしいことだ。

1923年といえば約90年前。
そういう時代にグラモフォン誌に記事・評論を書いていた人たちは、
まさかこういう時代がくるとは、まったく想像できなかったことだろう。

イギリス国内だけで読まれるのではなく、インターネットに接続できる国・環境であれば、
どこからでも読むことができる。

グラモフォン誌の創刊号がどれだけ発売されていたのかは知らない。
発行部数はそれほど多くはなかったはず。
そのころグラモフォン誌を読んでいた人たちの数と、
いまインターネットを通して読んでいる人の数は、いったいどれだけ違うのか。

1923年の創刊号からいままで発行されてきたグラモフォン誌を集めると、どれだけの量になるのか。
いまではiPadとネット環境があれば、手で持てるサイズ・重さに、収まってしまう、ともいえる。

探したい記事も、記憶に頼ることなく、検索機能で簡単に、確実に見つかる。

当時の筆者・編集者の人たちにとっては非日常であり、夢のような時代に、
われわれは生きている、手にしている。

グラモフォン誌が素晴らしいのは、ここにあると思う。
当時の夢物語・非日常を、きちんと日常にしてくれたことだ。

そして、なぜ日本では……と思ってしまう。

Date: 6月 24th, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹
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オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その9)

1981年に菅野先生との対談で語られていることがある。

「ぼくはいま辻説法をしたいような、なんかすごいそういう気持でいっぱいなんです。」

なにを、なのか。
なぜ、なのか。

「実際の音を聴かないで、活字のほうで観念的にものごとを理解するというような現状があるでしょう。これは問題だと思うんですよ。ぼくはほんとうに近ごろ自分でもいらいらしているのは、地方のユーザーの集まりなどに招かれていって、話をしたり、音を鳴らしたりしてきたんだけれども、オーディオってね、やっぱりその場で音を出していかないとわかり合えないものじゃないかという気がするんですよ。オーディオの再生音というのは、おんなじ機械を組み合わせたって、鳴らす人間のちょっとしたコントロールでいかに音が変わるかなんていうのは、もはや活字で説明は不可能なわけ、その場でやってみせると、端的にわかるわけですよ。」

いらいらされていたのは、文章で音を表現することの「もどかしさ」だけからなのだろうか。

辻説法は、瀬川先生の決意だったように思えてならない。

Date: 1月 17th, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その8)

ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。
(中略)そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
瀬川先生が、ステレオサウンド 50号の特集記事
「ステレオサウンド誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる」のなかで、語られている言葉だ。

50号は、1979年3月に出ている。
オーディオ誌の企画書といえるメモを書かれて、2年後の発言である。

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その7)

試聴リファレンス

Speaker  ○4343──────(メイン)
○BC-II/KEF 104AB(イギリスの新しいモニター系のSP)
○ARDEN、ALTEC 19、(やや旧タイプのフロアー型)

Amp ○LNP-2L/SAE 2500(or 510M)
Cartridge ○MC-20/JC-1AC、VMS-20E、SPU-GT/E、455E、4000D/III、4500Q、V15/III、EPC-100C

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その6)

没個性な量産品に対するユーザーの反動、に対して
A.キットをふくめて自作、改造の記事をどう扱うか。
B.使いこなしで、いかに自分を表現するか!
 a.リスニングルーム探訪のような形で、個性的なユーザーを探す。
 b.使いこなしのちょっとしたヒントを常設記事にする。
 c.改造や自作というほど大げさでなく、既製品にほんの少し何かを加えて個性化するヒント等……。
読みもの をどう扱うか
A.随筆風の……(わりあいまじめな)
B. 具体的な製品や具体的な風潮などを例示しての論壇風の……
C.リラックスした……(やや冗談ふう、やぶにらみ風、etc.)
D.読者との意見交換、発表。(新人を発掘する場にできれば)
E.オーディオ関係者(メーカー、販売店 等)の意見……
入門記事、解説記事
◎オーディオが一般化するにつれて、ほんとうのちょっとした基礎のところのわからない人が大半を占めるようになっている。
◎見開き完結の読切連載のような形にするか……
◎常設とせず、随時、ページ数もその時に応じて、にするか……
◎オーディオをハード的に扱わず、音楽愛好家の側から、メカや電気に全く弱い人にでも理解できるような解説が必要。
製品以外の話題、ニュース、情報
催し(メーカーのショールーム)、ディスカウントセール、録音会等……
地方での催しでも、中央のメーカーの後援又は主催であれば紹介できる(講師、内容、日時、問合せ先)

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その5)

新製品紹介を2本立てで考える。
その1は、本誌選定の形で十分にスペースをとり、解説/分析/使用感の3部からなる詳細なレポートとする。一製品あたり6〜10ページ又はそれ以上、毎月2ないし3点を扱う。(既刊のあらゆる専門誌が、スペースをせまく考えすぎる。充分な時間をかけた分析、試聴と、その結果の中味の凄い紹介、読み終って嘆能するような)
その2は、記事のニュース的な扱いで、その月の製品(アクセサリーまで含めて)すべてを網羅する。

上の2つのいずれも、その製品の位置づけを明確にするために、ライバル製品との対比(グラフ、一覧表などで整理する)、及びそのメーカーの系列の中での地位、その他の事から、十分にその意味あいを明らかにする。

選定 新製品紹介の方法
①解説、紹介/メーカーの開発意図も(受け売りでなく、スタッフが十分に消化した形で)紹介する。製品そのものを、それをみたことのない人にも十分に想像のつく程度に簡潔に具体的に解説すると共に、その製品の出現した必然性、選定した意味を明確にする。技術的な(例えば回路方式などの)解説は最小限を、細心の注意をもって扱い、電気や音響、物理、科学の基礎のない愛好家にも、よくわかるようにする。

発売時期(全国)を明記する。

②分析、測定/ありきたりの測定でなく、実用にもとづいたデーターをとる。メーカーの盲点をつく測定を常に考える。ただし、例えばアンプの出力等、量的に明確でしかも変?項目については、メーカーの発表値に偏りがないかどうかをえならずチェックする(グラフとして発表しない場合でも)。
測定データーは、その製品が製造中止になるまで保管し、ヒットした製品については、適当な時期に追跡測定をして、初期ロット品との比較を随時掲載する。
シャシー構造、エンクロージュア等、その構造、構成が性能に影響のある部分については十分に分析し、評価を加える。

③使ってみて(又は聴いてみて)/ヒアリングテスト、及びデザインや操作性、ことに実際のユーザーの部屋で、何らかの不つごうを生じないかどうか、をよく検討する。
ヒアリングテストには、組合せをいくつか変える。ライバル機(別項カコミで一覧表)との比較、位置づけ、CPを考慮した場合しない場合、等 多角的な検討を忘れぬこと。
●具体的な使いこなしについて十分にスペースをさく(ユーザー側から熱心な要望がある)
●組合せについてのヒントも加える(ユーザー側から熱心な要望がある)
●音を聴いたことのない人にも、音が聴こえるような表現に心がける

④以上の3点を、できるだけ簡潔に、しかし充分に分析の加えられた表現になるよう意を盡すこと。
○なお、冒頭に、メーカー紹介(簡潔に、メーカーの来歴と体質、オーディオ界での地位等)(カコミでも可)
○また、「(例えば)今月の用語」として、その製品で話題になった技術用語、専門用語を簡明に解説するカコミを設ける。
○文体は簡明、即物的、ベタベタした感情を入れず、客観的であるかのような印象を与えることを心がける。指摘すべき弱点を素直に指摘し、良い点は十分に(しかし表現を抑えて)ほめる。
○アサヒカメラ診断室のように、複数のテスターの意見を編集部がまとめる形(?)
   ↓
ただし、それよりも内容の豊かで簡明な
⑤上記②の測定について
○たとえばアンプの場合、いままで測定されなかったトーンコントロールの各ポジションでのf特を入れたい。
○TC、EQのf特について、その偏差やうねりを見せるだけでなく、添い身について(CP等考慮しながら)十分な解説を加える。

○③の試聴について
 ●リファレンスの製品との比較(価格を無視した評価尺度として)、国による音の傾向を掴む(例JBL、BC-II……)
 ●ライバル製品との比較(CP、その時点時点でのレヴェルを考えて)
 ●平均音量レヴェルを3〜4段階の等級に分けて試聴(パワー、耐入力等の性格を分析する手段)
 ●聴きどころの基準を最初は明確にしておき、必ず同じ基準での評価を書く。

新製品紹介 B欄
ニュース性/網羅すること/製品の性格・位置づけを重視した簡明な解説/情報の早さ、正確さ(A欄からの性格上、製品が市販された後でとりあげることが往々にしてありうるのに対して、B欄はとにかく情報を早く流すことを生命とする)

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その4)

内容とはべつに
A.目次を見やすく。(表紙2の次に必ず置く)

B.広告に対する考えを新たにして、広告も情報記事のひとつと考え、インフォメーション欄として、一括し(記事中に分散させず)目次中に作品をとりこむ等。できれば本誌向きの広告のパターン,スタイルをスポンサー側に一考してもらう。あくまでも、広告をまま子扱いするのではなく、逆に、積極的にユーザーの目にふれやすい情報欄として扱うのが本意(たとえばこの欄に独立のトビラをつける等)であると共に、本文記事のレイアウトも含めて簡明な印象を与えるような配慮。(スポンサーの大半がこの点を誤解しているが、多くの読者の意見を聞いてみれば、むしろ広告欄を一括して集めてある方が、積極的に歓迎される)

C.上のことも含め、月刊誌であっても、SS本誌同様、いつまでも保存しておきたくなるような、上品で美しい本にしなくてはならない。

D.音楽、レコード欄をどう扱うか
オーディオ誌であることに徹するなら、レコードは新譜一覧表の形だけ扱う(但し表の作り方に工夫を加え、もっと見やすいものにする。現在各誌の表組みはひどく見にくく、実用的でない)
但し例えば「朝日新聞」の試聴室や「暮しの手帖」のレコード欄のように、毎月のテーマをきめて、新譜であると否とにこだわらず、評論家の選んだレコードを楽しく紹介する欄は欲しい(例「今月はモーツァルトの室内楽を聴いてみよう」、「今月はジャズ・バラードの素敵なムードを味ってみよう」……式に)

E.オーディオ記事の扱い方全般に、かつての熱っぽい雰囲気の凍えらせて、冷たくつき放したような印象が支配していることを、多くの読者が強い不満をもって指摘している。この点はライター、エディターともに猛反省をしなくてはならない最重要点。
活き活きとした澄んだやさしい目で、しかも熱烈に愛情をこめてオーディオに対するという姿勢を、永続させること。少なくとも、そういう感じが、毎号の誌面にヴァイタリティを持って表現されること。その姿勢をバックボーンにしたときに(結果的に、例えば)新製品A欄での、おさえた表現が輝くような。

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その3)

◎多くの項目を満載するよりも、最小限の記事の一点一点に、十分のスペースと時間をさいて、総ページは少なくとも重量感(読みごたえ)のある本をつくるべきではないか。

◎すべての点で、既刊の専門誌の裏をかくような料理のしかた。簡明でありながら堪能させる味わいの凄さ。

◎毎月、洪水のように生れる製品、アクセサリー類、レコードのすべてを(ほとんど一覧表に近い形で整理しておいて、その中からある主張をもってセレクトしたものについて、十二分の機材と解説を加えて紹介する、という形。

◎つき放した評価ではなく、オーディオファン、音楽ファンが、その製品、そのレコードにのめり込んだ軌跡を、あとからクールにリポートしたというような形。

◎評価、批評したり紹介したりするライターも、それを扱う雑誌社も、製品やレコードの扱いにあまりにも小利巧になりすぎて、一般ユーザーの本当に期待している対象へののめり込みが全くなくなってしまった点が、こんにちのオーディオ、レコード専門誌の弱み。

◎しかし対象にのめり込んだ姿勢が、そのまま評価に出たのでは、ベタついた、客観的評価を欠くかの印象の、あるいはメーカー等からつけ込まれる記事になりやすい。のめり込むというのはあくまでもライターやエディターのバックボーンであって、その表現は、現代流にあくまでも緻密に、クールに、簡潔かつ直截的に……であることが重要。

◎昨今のオーディオライターが、多忙にかまけて、本当の使命である「書く」ことの重要性を忘れかけている。談話筆記、討論、座談会は、その必然性のある最小限の範囲にとどめること。原則として、「書く」ことを重視する。「読ませ」そして「考えさせる」本にする。ただし、それが四角四面の、固くるしい、もってまわった難解さ、であってはならず、常に簡潔であること。ひとつの主張、姿勢を簡潔に読者に伝え、説得する真のオピニオンリーダーであること。

◎しかしライターもまた、読者、ユーザーと共に喜び、悩み、考えるナマ身の人間であること。小利巧な傍観者に堕落しないこと。冷悧かつ熱烈なアジティターであること。

◎気取りのなさ。本ものの大衆料理の味。

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その2)

◎目次を必ず表2の次につける。< ◎広告ページを「情報ページ(又はインフォメーションセンター など......)」と呼び、分散させず1ヶ所に集中。索引は目次中に載せる。 ◎新製品の扱いを2本立てにする。 A.今月活躍の製品(S−J選定に相当するような、本誌スタッフが選定した製品)について十分にページをとる。  a.解説(解説)──ライバル機種との対比、又、そのメーカーの製品系列の中での位置づけを十分に解説。製品についても、技術的解説よりもその意味合いに重点。メーカーの意図も紹介。  b.テストリポート(分析)──おもに測定及びコンストラクション、デザイン等からの公正な評価。ライバル製品、及びそのメーカーの中での位置づけ。  c.音質評価(使ってみて)──CPを考慮した場合、しない場合、ライバル機種との、そのメーカーの中での、使いこなしについて十分に解説。組合せ然り。音楽への向き不向き。 ページ数は最低6、ないしは12。 多角的に、その製品の性格を十分に浮彫りにする。 B.新製品紹介欄  いわゆるニュース的扱い、ただし、その記述は、簡明、直裁を心がける。  ライバル機種との比較表など考慮 ◎製品以外の情報欄  催し、メーカー主催又は後援の地方での催し ◎内外の話題 ◎論説、随筆、etc. 読みもの ◎読者との交流をどうするか。訪問(個人、グループ)  読者の夢をきく。 ◎販売店──

Date: 1月 1st, 2010
Cate: ジャーナリズム, 瀬川冬樹

オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その1)

スケッチ」のところで書いたように、瀬川先生が書かれたメモとスケッチが、いま手もとにある。

そのひとつ、オーディオ誌の企画書の下書きといえるメモを公開していく。

はしり書きであること、瀬川先生の書かれた文字を見るのははじめてなので、
何箇所か読み取れないところもあるが、極力、書かれたとおりのまま入力している。
おそらく1977年に書かれたメモであるが、そのままこの時代にあてはまることが書かれている。

Date: 12月 18th, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その36)

いま、そしてこれから語るべきこと」のなかで、川崎先生のことば「機能性、性能性、効能性」をかりて、
オーディオの効能性についてすこしばかり書いた。

この「機能性、性能性、効能性」は、オーディオそのものについてもあてはまるし、
個々のオーディオ機器について語る時にも「機能性、性能性、効能性」をどこかで意識していく必要があるだろう。

新製品紹介の記事は、どのオーディオ雑誌にもある。
そこでもっぱら語られるのは、音について、である。

読者がもっとも知りたいことも、新製品のスピーカーなりアンプが、
どういう音を聴かせてくれるのかに興味があることだろうし、
そこに重点がおかれるのも理解できないわけではない。

それでも、「音のよさ」とは、いわゆるそのオーディオ機器の「性能性」の部分でしかないともいえる。

性能性は、物理特性のことのみではない。音のよさも、ここには含まれるとすべきである。

Date: 12月 15th, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その35)

オーディオの「現場」として、意見を率直に語り合う討論の場が、なぜ設けられないのか。

オーディオ雑誌の企画として、
オーディオ評論家(なかには、そう呼ばれているだけのひともいるが)が集まっての座談会ではなく、
メーカーの開発者、営業の人たち、輸入代理店の人たち、オーディオ販売店の人たち、
そしてユーザーの人たち、をも含めての討論の場の必要性を感じはじめている人はいるはずだ。