オーディオにおけるジャーナリズム(3月11日以降のこと)
3月11日は、奇しくもステレオサウンド 178号の発売日でもあった。
編集長が変って新体制になっての最初の号である。
このことをどう捉えるのか、単なる偶然としてさっと流してしまうのか、
それともそこに何かの意味を考えるのか……。
オーディオ雑誌(はっきりいえばステレオサウンド)は、
3月11日以降のオーディオのあり方について、どう考えているのか、
そしてそのことをどう編集方針へと転換して誌面へ展開していくのか。
それとも6月に発売予定の179号では、お見舞いの言葉を述べるだけなのか。
はっきりと書けば、ステレオサウンドはすでに役目を終えた雑誌だと思っている。
菅野先生が不在のいま、ほんとうに終った、と思う。
それでも179号以降で、今後のオーディオのあり方について、
模索しながらでもいい、なにかをはっきりと提示していくことができれば、
ステレオサウンドは復活できるとも思っているし、
こういうことを書きながらでも、心のどこかには復活を望んでいるところは、やはりある。
でも何も提示できない、どころか、それ以前に、これからのオーディオのあり方について何も考えていなければ、
ステレオサウンドにはジャーナリズムはまったく存在しない、ともいおう。
これは編集部に対してのみ言いたいことではない。
ステレオサウンドに書いている筆者に対しても、だ。
これまでと同じようなことしか書けないのであれば、考えつかないのであれば、
「役目」を果しているとはいえない。
ステレオサウンド編集部と筆者とで、いますぐにでも、3月11日以降のオーディオのあり方について、
真剣に議論しあい、すでに役目を終えた形ではない、これからの「かたち」を生み出してほしい、と思う。