Archive for category ジャーナリズム

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その7)

五味先生がオーディオマニアの五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを挙げられている。

ハイドンの交響曲第四十九番について書かれている。
こう結ばれている。
     *
少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
     *
金のない口惜しさは、それまでも何度か痛感している。
それでも、このときほど、痛感したことはなかった。
いままでの痛感は、痛感といえるほどではなかった、と思うほど、
この日、Design Talkを読みながら、金のない口惜しさを痛感していた。

同時に、五味先生が書かれていた「金のない口惜しさを痛感していること」は、
こういうことなのかもしれない、ともおもっていた。

そういえば、あの日も雨が降っていたな、と思い出していた。

名古屋市立大学に行きたい……、けれど無理である。
また遠く感じた日だった。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その6)

何をしてきたのか。
ある日からしてきたことは、Design Talkを読みつづけることだった。

読んでいくうちに、オーディオマニアだということがわかった。
草月ホールでの講演をきいたとき、もしかしてオーディオマニアなのだろうか、とおもいはしたけれど、
確信は持てなかった。

Design Talkには、真空管アンプのことも書かれていた。
モノーラルで一台のみ、とあった。
少しずつわかってきた。
JBLの4343を鳴らされていることもわかった。

オーディオという共通項がある。
そのことで会えるようになるのかどうかはわからなかったけど、わかっただけで嬉しかった。

それでもDesign Talkを読むしかなかった。
1996年、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授に着任されることをDesign Talkに書かれていた。
この号のMAC POWERを読んだ日のことも、はっきりと憶えている。

雨が降っていた。
車の助手席で読んでいた。

この日ほど、金のない口惜しさを痛感した日はない。

Date: 10月 4th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その5)

この日、感じていた「遠さ」は、
「プラトンのオルゴール」展の直後に、講演をきいたということもある。

ステレオサウンドを辞めてから五年以上が経っていた。
この日だけは、ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、
と正直にいえば、そうおもった。

デザインを勉強してこなかった私に、壇上にいる人に会える日はくるのだろうか。
そう思うと、ますます遠く感じていた。

ステレオサウンドにいれば、記事を依頼するという形で、すぐにでも会えたであろう。
それでも、「ステレオサウンドの」という看板なしに会いたい気持が強かった。

人は生れた時代、生れた場所によって、会えない人がいる。
これはどうすることもできないことである。
私は、五味康祐、岩崎千明のふたりに会うことは出来なかった。
1977年は中学生だったし、1980年は高校生だった。東京ははるか遠いところであった。

この「遠さ」はどうすることもできなかった。
受け入れるしかない。

けれど、この日感じた「遠さ」は、自分でなんとかしなければならない遠さであることはわかっていた。
だからといって、その日から、何かを始めたわけではなかった。

Date: 9月 22nd, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その4)

Design Talkを読んで、そこに書かれていることをすべて理解できていたわけではなかった。
MAC POWERの次号が出るまでの一ヵ月、何度か読みなおしていた。

次号が出る。Design Talkを読む。
一度読んだだけではすべてを理解できないから、また次の号が出るまでの一ヵ月、何度か読むことになる。

これをくり返していた。
そうやって一年、二年がすぎ、1994年に「デジタルなパサージュ」がやっと出た。
これで読み逃していた数回分のDesign Talkが読める。

1994年はそれだけではなかった。
乃木坂にあるギャラリー間で、川崎先生の個展「プラトンのオルゴール」展が開催された。
そして赤坂の草月ホールで講演会もあった。

「プラトンのオルゴール」展に行った後で、草月ホールに行った。
この日の、私の受けた衝撃は大きかった。

衝撃が大きかったから、遠い……、と感じていた。
ほんとうに遠い、と。

この人に会いたい(この人の前に立ちたい)と思っていたから、遠いと感じていた。

Date: 9月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その3)

Design Talkというタイトルの下に、こう書いてあった。

ドリームデザイナー
川崎和男

ドリームデザイナーは初めてきく言葉だった。
どういう職業なのか。
言葉通りならば、夢をデザインする人、夢を形にする人になる。

川崎和男、どういう人なのかまったく知らなかった。

いまならば、インターネットで検索して、どういう人なのか知ることができる。
1991年か1992年当時は、そんなことはできなかった。
ただそこに見知らぬ名前があるだけだった。

だがイニシャルがKKだ、と思った。
同じアルファベットがふたつ続く。
グレン・グールドもGG、同じアルファベットがふたつ続く。

Design Talkを読んだ。
私が読んだDesign Talkは一回目ではなかった。
少なくとも数回は連載されていた。
一回目から読まなければ、とも思った。

そして、この人の書くものはすべて読もう、と思っていた。

私にとって五味先生の文章は、オーディオの始まりになった。
いわば第一章のはじまりである。

Design Talkとの出逢いは、第二章の始まりである。

Date: 9月 18th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(その2)

友人は私よりも二、三年はやくMacを仕事に使っていた。
友人は録音スタジオで働いていて、そこに遊びに行くたびにMacをすすめられた。

とはいえ、あのころmacは高かった。
友人が仕事で使っていたIIciと外部ディスプレイ、その他いくつかの周辺機器を揃えるだけで、
かるく100万円はこえていた。それにアプリケーションも買わなければならない。

すぐに買えるわけがなかった。
それならば、と友人はmac関係の雑誌を読めとすすめる。
いつかMacを使うことになるから、そのためにも読んでおけ、と。

友人はMAC POWERをすすめた。
掌田津耶乃氏が書いている、のが理由だった。

MAC POWERが、だから最初に買ったMacの雑誌である。

そうやって買ったMAC POWERを最初から理解して読んでいたわけではない。
Macに関する知識はないに等しかったし、
友人がすすめる掌田氏の記事はhyperCardに関する記事だったから、Macがなければおもしろさは伝わってこない。

それでも伝わってくるものはあった。
特集記事を読み、連載記事を読み、読み進めていった。
巻末に近いところに、2ページ見開きの連載があった。
それがDesign Talkだった。

Date: 9月 14th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(その1)

漢字Talk7が出る一年ほど前からMacを使っている。
私にとって最初のMacはClassic II。OSは漢字Talk6だった。

これより少し前からMac関係の雑誌を読みはじめた。
1991年ごろからだろうか。
当時はMAC POWER、Mac Life、Mac World、Mac Japanがすでにあった。
すべて買っていた。
それから数年後、Mac User、日経Mac、Mac Fanなどが続いた。

MAC POWERの姉妹誌としてMac People、Mac Japanの姉妹誌としてBrosとActiveが出た。
これらすべてを買って読んでいた時期もある。

このころだったと記憶しているが、コンビニエンスストアにMAC POWERが売られていたこともある。

そのころよりもMacを含めてAppleの製品は売れている。
けれどMac関係の雑誌は、Mac PeopleとMac fanの二誌だけに減ってしまった。

20年の変化を読者としてみてきた。

今月末発売の号でMac Peopleが休刊になる。
Mac fanだけになる。

Mac PeopleはMAC POWERが休刊になってから、
いつのまにか誌面をリニューアルしてMAC POWERのようになっていた。
MAC POWERは、Mac関係の雑誌の中で、もっとも長く買いつづけていた。
だからといって、MAC POWERのようになったMac Peopleを買うことはなかった。

Design Talkがないからだった。

Date: 9月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 書く

毎日書くということ(続・実感しているのは……)

自分が属している業界の色に染まってしまったのかどうか、ということは、
なかなか本人にはわからない。
誰かに指摘されたとしても、本人は納得がいかないのではなかろうか。

結局のところ、自分で気づくしかない。
ではどうすれば、気づくのか。

各軸なことは、いまのところなにひとついえない。
ただいえることが、ひとつある。

その人は毎年11月には瀬川先生の墓参に行く。
オーディオ業界に長くいる人であり、きいたところによると身内の墓参にはあまり行かない人らしい。
そういう人が、毎年11月に瀬川先生の墓参には行くという。

墓の前に立てば自然と手を合せて目をつむる。
その時の気持は、その人だけのものである。

なぜ、その人は行くのか。
理由は知らない。あえて聞こうとも思っていない。

私が、だから勝手に思うのは、
瀬川先生の墓参に行くという行為は、自分で気づく行為のはずだ、ということである。

Date: 8月 14th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その41)

ステレオサウンドというオーディオ雑誌に何も求めるのかは、読み手によって違う。
私のように、オーディオの読み物としての読み応えを期待する人もいるだろうし、
オーディオ機器の購入の参考としてステレオサウンドを購入する人もいるだろう。

それが雑誌であると私は思っているし、
同時にすべての読み手を満足させることはまずできない、といえよう。

私が読み応えを感じる内容のステレオサウンドがこれから先出て来たとしても、
オーディオ機器の購入のガイドブック的な読み方をしている人は、
私が読み応えを感じる記事は、ほとんど役に立たない記事ということにだってなる。

そういう人にとって、いまのステレオサウンドのベストバイは、
購入ガイドとしては役に立つ記事になるのかもしれない。

ここでもう一度考えたいのは、いまのステレオサウンドは、
ベストバイという企画をどう考えているのか、ということだ。

ベストバイが始まった35号は1975年に出ている。
すでに40年近く続いているだけに、オーディオというシステムの存在も、
時代に時代によって変化していっている面もあり、ベストバイということばの意味、
ベストバイという企画の意味も変化していっている。

Date: 8月 9th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その40)

そう思ってしまうのは私だけだろうか。
もちろん私と正反対に、またこの人が書いている、よかった、と思う人もいることはわかる。
それでも、なんのために何人もの筆者がいるのか、ともいいたくなる。

人は勝手なものだから、私などは、書いている人が瀬川先生だったら、
まったくそういうことは思わないわけで、
また同じ人が書いている……、と思ってしまうのは、書き手として信用できない人であるからだ。
(これも私にとって信用できない人であって、逆に信用できるという読み手がいることはわかっている)

すべての読み手を満足させることは、一冊のステレオサウンドではできない、ともいえる。
だからこそ、毎年12月に発売になる号での特集、
ステレオサウンド・グランプリとベストバイがあるといえるし、私はそう受けとっている。

新製品紹介で、あるブランドについてほぼ毎回同じ人が書いている。
それを喜ぶ人もいれば、私のように感じる人もいる。
それでもベストバイで、そのオーディオ機器について他の人が書いていたらどうだろうか。

ベストバイで、43号、47号のやり方と同じように、
その機種をベストバイに選んだ人のコメントすべて読めるようになっていたら。
あるスピーカーシステムを五人の人が選んでいたら、五人のコメントが載っている。

だが残念ながら、いまのステレオサウンドのベストバイは59号でのやり方と基本的に同じで、
選んだ人全員が書いているわけではない。
一人ということはないが、何人かだけであり、ここでも前述した不満が残ることもある。

新製品紹介を担当していた人が、ベストバイのコメントも担当していたりする。
他に選んだいる人がいて、その人は書いていないにも関わらずだ。

読みたい人のコメントが載っていない。
私にとって、読み応えのある内容とは到底言えない。

Date: 8月 8th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その39)

ベストバイの記事として、ステレオサウンド 51号のやり方は、私はまったく評価しない。
けれど、ひとつだけ評価する、というか、
51号によって気づいたことがある、という意味で、51号のベストバイを完全否定するわけではない。

ステレオサウンドは雑誌である。
雑誌は、ひとりの筆者だけで成り立つものではない。
何人もの筆者がいるからこそ、雑誌は雑誌としての輝きを得ることができる。

何人もの筆者(書き手)がいるのは、だから理解できる。
これはいまだから理解できることではなく、高校生、中学生であってもわかることだ。
それでも、読み手の勝手な心情としては、私の場合は、できるだけ瀬川先生に書いてほしかったわけで、
それが望めないと頭ではわかっていても、どうしてもそう思ってしまう。

いまのステレオサウンドの筆者で、この人の書くものは読みたい、と思う人はいなくなった。
そんなステレオサウンドの読み手であっても、ステレオサウンドを手に取るたびに思うことがある。

なぜ、この人に書かせるのか、だ。

あるブランドから新製品が出る。
いまのステレオサウンドだと、本を手に取らなくとも、
このブランドのこの価格帯の新製品ならば、この人が担当して新製品紹介の記事を書いているだろう、と思うし、
たいていそれは外れることはない。

そういう時に、またか……、と思ってしまう。
また、この人が書いているのか……、と。

なぜ、この人に書かせるのか、は、そういう意味である。

Date: 8月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その38)

私がステレオサウンド 51号、55号のベストバイのやり方に不満をもっているのか、
その理由はもうわかっていただけたと思う。

51号、55号でのやり方では、誰がどの機種を選んだのか、点数は何点だったのかがわからないし、
選ばれた機種に関しても、前述したようにひとりの筆者によるものだった。

私にとってベストバイは、その一年間、瀬川先生が聴かれたオーディオ機器で、何を良いと思われたのか、
それはどう良いのかを読みたかった。

51号、55号のやり方では、どれひとつわからないし読めない。

43号、47号では、知りたいことがきちんと誌面に提示されていた。
59号では一機種についてのコメントは、誰か一人というやり方に変っていた。
誰がど機種にいれたのかはわかるようになっていた。

51号、55号からすれば、ずっと良くなったけれど、
この機種に瀬川先生に点数を入れられているけど……、というのが、いくつも出てくる。

ステレオサウンド 43号で瀬川先生は188機種について書かれている。
47号では、151機種について書かれている。
51号、55号は0である。
59号では21機種である。

私が読み応えがなくなっていった、と感じているのは、ここてある。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その37)

それだけではない。
確かに瀬川先生は多くの総テストに参加されていた。
けれど、一年を俯瞰していくと、1977年はプリメインアンプとスピーカーシステムの総テスト、
1978年はモニタースピーカーとアナログプレーヤーである。

1977年のプリメインアンプとスピーカーシステムの、めぼしい製品についての瀬川先生の評価はわかる。
だがセパレートアンプ、アナログプレーヤーに関してはそうではない。

つまり一年を総括する特集として、ベストバイはあった。

43号と47号のベストバイの特集のあいだには、スピーカーシステムとモニタースピーカーの総テストがある。
アンプに関しても、アナログプレーヤー関してもテストは行なわれていない。

その一年のあいだに、アンプ、アナログプレーヤーの新製品が出ていないのであれば何もいうことはないのだが、
実際はそんなことは絶対になく、多くのプリメインアンプの新製品、コントロールアンプの新製品、
パワーアンプの新製品、アナログプレーヤー、カートリッジなどの新製品が登場している。

これらについての瀬川先生の評価を知るためにもベストバイの意味は、当時は大きかった。
その大きさは、私がまだ読者だったからこそ、そう感じていたともいえる。

私は瀬川先生の熱心な読者であったから、特に瀬川先生の評価を読みたかった、
できればすべての機種についての評価を書いてほしかったわけだが、
人は違えば、瀬川冬樹ではなく井上卓也だったり岡俊雄だったり菅野沖彦だったりすることだろう。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その36)

41号からステレオサウンドを買いはじめた。
そんな私にとってはじめてのベストバイの号は、三冊目の43号。
このときはまだ、読者にとってのベストバイ特集号の意味がわかっていなかった。

仮に43号で51号のやり方でベストバイの特集が組まれていたら、
それはそれで面白いとよんだかもしれない。

けれど51号を手にする時には、ステレオサウンドを読みはじめて二年半、10冊を読んでいたわけだから、
43号を手にした時とは違っていて当然である。

読者とは勝手である。
少なくとも私はそういう読者だった。

41号から51号までのステレオサウンドの総テスト、
42号でプリメインアンプ、44号と45号でスピーカーシステム、46号でモニタースピーカー、
48号でアナログプレーヤーの総テストを行っている。
瀬川先生はいずれにも参加されている(48号は冒頭のブラインドフォールドテストのみだったけど)。

こうやって何冊ものステレオサウンドを読んでいくうちに、
ここはこうあってほしい、そうなてくれればもっと面白くなるのに……、と思うようになってくる。

私の場合、総テストすべてに瀬川先生が参加されればいいのに……、と思うようになっていた。
かなりの総テストの試聴メンバーであった瀬川先生だけれど、52号と53号のアンプのテストはそうではなかった。

それに新製品紹介のページに扱われた製品が、総テストに必ずしも出てくるとは限らなかった。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その35)

私がつまらないベストバイ特集号と感じていた51号、55号が売り切れて、
ベストバイということについて51号、55号よりも真剣に考え捉えていた47号が、
58号が出た時点で売れ残っている、ということにも少々驚いていた。

ちなみに51号の表紙はアルテックの604-8H、
55号はJBLのウーファーLE14Aである。

604-8Hは黒いコーン紙だが、LE14Aは白いコーン紙。
いまふり返ってみると、特集としてのベストバイの出来よりも、
表紙が何かのほうが売行きに大きく関係していたようにも思えてしまう。

それほど51号と55号のベストバイは、編集という仕事をまったく理解していなかった、
その頃私には手抜きのようにも感じられた。

59号もこのままいくのか、と思っていたら、また変った。
43号、47号には及ばないものの、51号、55号よりも良くなった、と感じたけれど、
59号のやり方を51号でやっていたら、おそらくがっかりしたであろう。

51号、55号のベストバイは、私以外の人も不満に感じていたのかもしれない。
だから59号で軌道修正した、とも考えられる。
そして、この59号でのやり方が、基本的にいまも続いているベストバイの始まりでもある。