オーディオの想像力の欠如が生むもの(その6)
オーディオの想像力の欠如が生むのは、「耳」の想像力の欠如であろう。
「耳の」の想像力の欠如が生むものは……。
オーディオの想像力の欠如が生むのは、「耳」の想像力の欠如であろう。
「耳の」の想像力の欠如が生むものは……。
情報がBGM化していく時代のような気がしてならない。
情報はinformationだから、background informationでBGIか。
でも情報というよりメディアがBGM化していると捉えるならば、
background mediaだから、BGMとなる。
音楽の聴き方も、ある意味BGM(background media)的になりつつあるような気もする。
こう書いておきながら、こじつけようとしているのではないか、という自問もある。
それでもウィルソン・ブライアン・キイの「メディア・レイプ」とは、
こういうことを指しているのではないか、ともやっぱり思えてしまう。
(その2)で書いているように、
ウィルソン・ブライアン・キイの「メディア・セックス」と「メディア・レイプ」は、
30年近く前に読んではいるけれど、タイトルだけが印象として残っているだけである。
ウィルソン・ブライアン・キイがどういう糸で「メディア・レイプ」と使ったのか。
不思議なくらいに思い出せない。
だから、ここでの「メディア・レイプ」は、
ウィルソン・ブライアン・キイのそれとは違う意味で使っている可能性がある。
それでもBGM(background media)とメディア・レイプはいまつながりつつある、
もしくは融合しつつある──、と考えるのは根本から間違っていることなのだろうか。
ステレオサウンド 42号についていたアンケートハガキ(ベストバイ・コンポーネントの投票)、
この記入は考え方次第で、楽にもなるし、考え込むことにもなる。
知っている範囲で、欲しいと思うコンポーネントのブランドと型番を、
各ジャンルで書いていくのであれば、楽である。
自分で買えるかどうかはこの際考えない。
とにかく「欲しい」と思うモノを記入していく。
その結果、どういう組合せになるだろうか。
ひとりの人間が「欲しい」と思うモノだから、
スピーカーにしてもアンプにしても、カートリッジにしても、
音の傾向がまるで違うモノが並ぶことは、原則としてはあり得ないはずだ。
けれど実際は違う。
編集部にとってアンケートハガキは、興味深いものである。
編集部に戻ってくるハガキの数は、読者のすべてではないことはわかっている。
送ってくる人よりも送らない人のほうが圧倒的に多い。
それでも最新号が書店に並んで数日後、
ぽつぼつとアンケートハガキが戻ってくるのに目を通すのは、楽しかった。
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの集計は、私が担当していた。
だからよくわかっている。
アンケートハガキには、投票機種の記入だけでなく、
現用機種の記入欄もあったから、そこから読みとれることはいくつもあるといえる。
感じたのは、意外にも組合せとしてちぐはぐに感じられるモノが並んでいるハガキがあること。
それも少なくなかった、ということ。
42号でのアンケートハガキでの記入で、
私がいちばん考えたのは、組合せとしてどういう音を聴かせてくれるのか、だった。
まず、これをお読みいただきたい。
*
八百長、提灯持ち的記事 レコード、電蓄などに関する記事で時々八百長的、提灯持ち的印象を与えるのがある。原稿料は雑誌社が出すのか、メーカー側が受け持つのかと疑いたくなるものさえある。優秀品をよしとするのは一向に差し支えないが、度を過すと逆効果だ。質問欄なども公平で的確なのがある一方、雑誌によつて紐付き的解答もなしとしない。筆者と会社のコネを知つている者にはすく察しがつくが、一般読者はだまされる。商品のカタログ・データをそのまま持ち出しての推薦は無価値同然、これは店員のすることだ。読者もこれはホンモノか、これはヒモツキかと見抜く力が必要である。
*
藝術新潮に載っていた。
1964年1月号であるから、52年前の文章だ。
誰が書いたのかはわからない。
載っているのは「日本版LP 1月新譜抄」の隣に、コラムとして、である。
「日本版LP 1月新譜抄」のところにも筆者の名前はない。
ただこれは西条卓夫氏が書かれたものであることはわかっているし、
そのことを知らなくとも読んでいれば、すぐに察しがつく。
コラムには「メーカー、レコード界への注文」とつけられている。
上に引用したのは、その一部でしかない。
電蓄をオーディオと、
よつて、知つている、を、よって、知っているに書き換えれば、
ほとんどの人が52年前に書かれたものだとは思わないはずだ。
ステレオサウンドがオーディオの雑誌なのか、オーディオの本だったのかは、
別項で書いている「オーディスト」のことにも深く関係している、と私は感じている。
ステレオサウンドは2011年6月発売の号の特集で、オーディストという言葉を使っている。
大見出しにも使っている。
その後、姉妹誌のHiViでも、何度か使っている。
「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」。
その意味を調べなかった(知らなかった)まま使ったことを、
おそらく現ステレオサウンド編集長は、何ら問題とは思っていないようだ。
当の編集長が問題と思っていないことを、
こうやって書き続けることを不快と思っている人もいるけれど、
この人たちは、ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えている人としか、
私には映らない。
オーディオ評論の本としてのステレオサウンド。
そう受けとめ、そう読んできた人たちを「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」と呼んで、
そのことを特に問題だとは感じていないのは、
もうそういうことだとしか私には思えない。
いまステレオサウンドに執筆している人たちも、誰一人として、
「オーディスト(audist = 聴覚障害者差別主義者)」が使われたことを問題にしようとはしない。
つまりは、問題にしていない執筆者も、
ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えているわけで、
オーディオ評論の本とは思っていない──、そういえよう。
これは断言しておくが、
いまのステレオサウンド編集部は、ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えている。
というよりも、オーディオ評論の本とは捉えていないはずだ。
でも、それは致し方ない、とも一応の理解を示しておく。
私もステレオサウンド編集部にいたころは、そのことに気づかなかった。
なぜ気づかなかったのか。
理由はいくつかあると思っているが、
もっとも大きな理由は、オーディオマニアにとってステレオサウンド編集部は、
とても楽しい職場であることが挙げられる。
もちろん大変なことも少なくないけれど、
オーディオマニアにとって、あれだけ楽しい職場というのは、
他のオーディオ関係の雑誌編集部を含めても、ないといえよう。
このことが、ステレオサウンドは、以前オーディオ評論の本であったこと、
いまはオーディオの雑誌であるということに気づかせないのではないか。
そうはいってもステレオサウンドが、真にオーディオ評論の本であった時代はそう長くはない。
おそらくいまの編集部の人たちはみな、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であった時代を同時代に体験していないはずだ。
そういう人たちに向って、いまのステレオサウンドは……、ということは、
酷なことである、というよりも、理解できないことなのかもしれない。
ステレオサウンド編集部が私のブログを読んでいたとしても、
私がステレオサウンドに対して書いていることは、
「何をいっているだ、こいつは」ぐらいにしか受けとめられていないであろう。
編集部だけではない、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であったことを感じてなかった読者もまた、
「何をいっているだ、こいつは」と感じていることだろう。
ならば書くだけ無駄なのか、といえば、決してそうではない。
私と同じように、
ステレオサウンドが以前はオーディオ評論の本であったことを感じていた人はいるからだ。
ステレオサウンド 26号からある連載が始まった。
わずか四回で、それも毎号載っていたわけではない、
しかも地味な、といえる企画ともいえた。
タイトルは「オーディオ評論のあり方を考える」である。
26号の一回目は岡先生、28号の二回目は菅野先生、30号三回目は上杉先生、
31号が最後の四回目で岩崎先生が書かれている。
瀬川先生、長島先生、山中先生が書かれていないのが残念だが、
この記事(企画)は、どこかで常に読めるようにしてほしいと、ステレオサウンドに希望したい。
そしてできるならば、200号で、
ステレオサウンドに執筆されている方全員の「オーディオ評論のあり方を考える」を載せてほしい。
難しいテーマである。
書けそうで書けないテーマでもあるからこそ、
その書き手のバックグラウンド・バックボーンの厚さ(薄さ)が顕在化してくるはずだ。
華々しい企画で200号の誌面を埋め尽くそうと考えているのならば、
こういう企画は無視させるであろう。
だから問いたいことがある。
ステレオサウンドは何の雑誌なのか、である。
オーディオの雑誌、と即答されるはずだが、
ほんとうにステレオサウンドはオーディオの雑誌なのか、と思う。
私も10代のころ、まだ読者だった頃はそう思っていた。
けれどステレオサウンドで働くようになり、
それも瀬川先生不在の時代になって働くようになってわかってきたのは、
それもステレオサウンドを離れてからはっきりとわかってきたのは、
ステレオサウンドはオーディオ評論の本であった、ということだった。
こういう捉えかたをする人がどれだけおられるのかはわからない。
でも、同じようにステレオサウンドをオーディオ評論の本として捉えていた人、
ステレオサウンドにははっきりとオーディオ評論の本と呼べる時代があった、と感じている人は、
絶対にいるはずだ。
長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたことを憶い出す。
*
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
*
私はそういう瀬川先生が始められた「オーディオ評論」を読んできた。
菅野先生もステレオサウンド 61号に書かれている。
*
この彼の純粋な発言とひたむきな姿勢が、どれほどオーディオの本質を多くの人に知らしめたことか。彼は常にオーディオを文化として捉え、音を人間性との結びつきで考え続けてきた。鋭い感受性と、説得力の強い流麗な文体で綴られる彼のオーディオ評論は、この分野では飛び抜けた光り輝く存在であった。
*
少なくとも、ある時期のステレオサウンドに載っていたオーディオ評論は、
「オーディオは文化」という共通認識の上に成り立っていた。
けれど、どうもいまは違ってきているようだ。
「オーディオは文化」と捉えていない人が、オーディオ評論家と呼ばれ、
オーディオ評論と呼ばれるものを書いている。
それがステレオサウンドに載っている……、そう見ることもできる。
それはそれでもいいだろう。
長島先生がいわれるところの、瀬川先生が始められたオーディオ評論とは違うものだからだ。
別のところから始まったオーディオ評論があってもいいとは思う。
だが、「オーディオは文化」と捉えていない人が、
瀬川先生について書いているのを読むのと、一言いいたくなる衝動が涌いてくる。
約一年前に別項「輸入商社なのか輸入代理店なのか(その10)」で、
「オーディオは文化」と捉える人とそうでない人がいることについて書いた。
「オーディオは文化」なのか。
私はこれまでずっとそう思ってきたし信じてきている。
けれど、世の中にはいろんな人がいるわけで、
オーディオマニアであっても「オーディオは文化」とは捉えない人がいるし、いてもいい。
あくまでも文化といえるのは音楽であって、
それを再生するオーディオ機器は文明とはいえても、文化とは認められない。
そういう考えはあってもいい。
たとえばコンピューターにおけるソフトウェアとハードウェアについて、
コンピューターに詳しくない人に対して、
ある人は「ソフトウェアは文化、ハードウェアは文明」と答えた話を読んだことがある。
同じことはオーディオにもあてはめようと思えば可能である。
だから「ソフトウェア(録音物)は文化、オーディオ機器(ハードウェア)は文明」
という捉えかたを全否定する気はない。
ただ「オーディオは文化」となると、そこには自ずとソフトウェアも含まれると考えられる。
そうなるとどうだろうか。
コンピューターにしてもソフトウェアだけでも、ハードウェアだけでも役に立たない。
両方揃って、はじめて道具として機能することを考えれば、オーディオもまた同じことである。
ならば「オーディオは文化」と捉えるのが道理としか私には思えないのだが、人はさまざまだ。
ステレオサウンドはどうだろうか。
私がいたときは「オーディオは文化」として捉えていた。
ステレオサウンド 49号で当時の編集長であった原田勲氏が、
《オーディオ機器の飛躍は、オーディオ文化の昇華につながる》と書かれている。
「オーディオは文化」としての編集方針があったのは明白である。
いまはどうなのかわからないが、少なくとも以前はそうだった。
ということは、そのころ熱心にステレオサウンドを読んできた人たち(私もその一人)は、
「オーディオは文化」と捉えてきた人たちであるはずだ。
「天の聲」に収録されている「マタイ受難曲」。
五味先生は、こう結ばれている。
*
ずいぶん人の道に私は背いて生きた。ろくなことはしなかった。妻を幾度も裏切った。その度に、おのれの才能をも裏切ることしか私はしなかったようにおもう。仕方があるまい。女に惚れたから妻を男は裏切るものでもない。決断がにぶったから結果的にそうなることだってある。むろんこんな愚行は涜神にもなるまいし、あくまで愚行だが、そのために女が自殺したら、これはもう神との問題にならないか。自分と神との。「神は死んだ」と言われだして何年たつか知らないが、もともと、キリスト教的神観念などわれわれは持たないのだから、死にようもない。だが神はいる。「神話に見放されたおかしな神々」を本気で楽劇に登場させた音楽家だっているのだ。夏の盛りに、わざわざバイロイトまでその神を観に往く人がいるあいだは、神は存在する。シュヴァイツァー博士の弾くバッハをむかし、レコードで聴いたとき僭越ながらこいつは偽善者の演奏だと私は思い、以来、シュヴァイツァーを私は信用しないが、でも、神はいるのである。
この正月、NHKのFMで『マタイ受難曲』の放送があった。それを機に、カール・リヒターのアルヒーヴ盤と、クレンペラーのを聴きなおし、丸二日かかった。ことしのお正月は何もせず『マタイ受難曲』と対合って過ごしたようなしだいになるが、聴いていて、今の日本のソリストたちで果して『マタイ』が演奏できるのだろうか、と考えた。出来やしない。これほどの曲を碌に演奏もできず、アップライトのピアノばかりが家庭に売りこまれてゆくとは、何と奇妙な国にぼくらはいるんだろう。指揮者だってそうだ、洟たれ小僧がアメリカで常任指揮者になったといってピアノを買う手合いは、大騒ぎしているらしいが『マタイ受難曲』は彼には振れまい。心ある人は欧米にだっているに違いないので、そういう人に受難曲やミサ曲を振れようのない指揮者は何とうつるだろう。悲しいことだ。でも背伸びしてどうなるものでもない。さいわい、われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる——神を異にする——民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い——それこそ至高の——音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。
*
ずいぶん前に読んだ。
それから何度も読み返した。
このところは何度か引用した。
ぼんやりとだが、教会と信仰は別である、と最初に感じた。
読み返し、何度か引用し、少しずつそうだと確信できるようになってきた。
オーディスト(audist)という言葉ではなく、
オーディスト(聴覚障害者差別主義者)を生み出したのは、教会という、人が作ったシステムである。
五味先生の、この文章を読んでも何も感じない輩は、オーディストと名乗ればいいし、使えばいい。
Google 翻訳で audist を日本語にすると、聴覚障害者差別主義者と出る。
私はこれまでオーディスト(audist)を、聴覚障碍者を差別する人、団体、と書いてきた。
意味は同じであるからで、あえて聴覚障害者差別主義者とは書かなかった。
「聴覚障碍者を差別する人、団体」と「聴覚障害者差別主義者」とでは、
目にしたときの印象が違うからである。
意味を知っていても、Google 翻訳で聴覚障害者差別主義者と表示されると、どきっとする。
そして考えたいのは、どうしてオーディスト(audist)という言葉が出てきて、使われるようになったかだ。
「ステレオサウンドについて(その20)」で書いたことを読み返して思ったのは、
瀬川先生がステレオサウンド 44号、Lo-DのHS350の試聴記の冒頭に書かれたこと、
こういうことを書く人はいなくなっている、ということだ。
私は《編集部によって削られることなく》と書いたが、
いまステレオサウンドに書いている人のほとんどは、
ステレオサウンド編集部によって削られる可能性のあることは書かない──、
といっていいだろう。
筆者が編集部の意向をくんで……、ということなのだろうか。
編集部からすれば、そういう文章を書いてくる人のほうが原稿を依頼しやすい、ということになる。
そんなことを思っていたら、
いまのステレオサウンドにおいて、編集部と筆者の関係は、どちらが主で従なのか、と考える。
昔はどうだったのだろうか、とも考える。
なぜ編集部は削るのか。
編集部が削ってしまうのは、クライアントが主であり、編集部が従であるから、といえなくもない。
そうだとしよう。
これは正しいありかたと、削る側の人たちは思っているのか……、ということも考える。
ここで忘れてはならないのは、読者の存在だ。
読者は主なのか、従なのか。
マガジンハウス発行の雑誌ku:nel(クウネル) が全面刷新している。
そのことでamazonのレヴュー欄がたいへんなことになっているというニュースをインターネットの記事でみかけた。
創刊号から2010年までの編集長は岡戸絹枝氏。
岡戸絹枝氏は現在「つるとはな」をつくられている。
ku:nel(クウネル) の記事を読みながら、新潮社の「考える人」のメールマガジンのことを思い出した。
五年前のことだ。
冒頭に、こう書いてある。
*
他の出版社の雑誌を見ていて、これは絶対に自分ではできないと、これはもうほとんどすべての雑誌についてそう思うのですが、どういう人がこの雑誌を考え出して、何を譲らぬようにしながらこれをつくっているんだろう、と想像したくなるものは数えるほどしかありません。私にとってそのような雑誌の筆頭にあがるのが、マガジンハウスの「クウネル」でした。
「クウネル」があみだした新しい編集スタイルは、その後いろいろな雑誌がとりこんでいったので、ひょっとすると「他の雑誌も同じようなことやってるじゃないですか?」と言い出す人が出て来かねないのですが、とんでもございません。
(全文は新潮社のサイトで読める。)
*
「考える人」の編集長が、こう言っているのだ。
ただ残念なことは、
このメールマガジンの時点で《それぐらいオリジナルな雑誌でした。》と過去形で書かれていたことだ。
このメールマガジンは2010年のものだから、
岡戸絹枝氏がku:nel(クウネル) を離れられたあとだったのかもしれない。
「考える人」のメールマガジンを読んでいて羨ましいと感じたのは、このところだ。
*
「クウネル」のアートディレクターは有山達也さんです。有山さんの果たした役割もはかり知れぬほどおおきい。「考える人」のアートディレクターは創刊以来、ずっとひとりで(!)全ページを(!)デザインしてくださっている島田隆さんなのですが、私も島田さんには頭があがりません。必ず原稿をきちんとすみずみ読んでくださった上で、しかるべくデザインをする。もはや「考える人」に欠かせない編集部員のひとりといっていい存在です。余談になりますが、「クウネル」の有山さんと「考える人」の島田さんは、若い頃、中垣信夫デザイン事務所で机を並べていた仲でした。
*
私が羨ましいと思ったのは、
《必ず原稿をきちんとすみずみ読んでくださった上で、しかるべくデザインをする》、ここである。
facebookを通じて、あるページを知った。
一関ベイシーの菅原正二氏のインタヴュー記事である。
聞き手は一関きらり氏。
この記事にこうある。
*
一関 いやいや。一関市のアピール不足ですよね。実は私が住んでいる東京の日野市に国宝の高幡不動尊がありまして、新選組の土方歳三の菩提寺なんですが、その土方歳三を讃える石碑の選文が大槻三賢人の一人、大槻磐渓なんですよ。こういった事も、一関市がもっとアピールしていけば、面白いと思うんですがね。
菅原 ううん、日野市・・・。
一関 誰かお知り合いでも?
菅原 日野市に山口孝というオーディオ評論家をやってた強者がいたんですよ。ここにも、しょっちゅう来てたんです。本も結構、出してますよ。ただ、介護していたおふくろさんが亡くなって、断筆したんですよ。
一関 それほど、ショックだったんですかねえ。
菅原 すごい、とんがった妥協のない男だったからねえ。なあなあという部分が一切ない男だったから、折れやすいんだよね。たぶん・・・。
一関 何か、お仕事はされてるんですよね。
菅原 ううん、一人で座禅でも組んで音楽でも聴いてるんじゃないかなあ。
一関 いやあ、すごいですね。
菅原 聞き方が半端じゃないのよ。音楽と面と向かって、座禅でも組むような感じで聴いてますからね。
*
もとのページでは色によって発言者を区別してあったけれど、
それではわかりにくいので、発言の頭にそれぞれの名前を入れているだけで、
あとはそのまま引用した。
これを読んで、どう感じ、何を思い、何を考えたかは、あえて書かない。
読まれた方がそれぞれに感じ、思い、考えれば、いいことである。
まだまだ書きたいことはある。
書くほどに書いておきたいことが出てくる。
でも、いったんこのへんにしておく。
(その16)に書いているように、山口孝氏がどう思われているのか、感じられているのかを知った上で、
書きたいからだ。
なので、町田秀夫氏には再度お願いしたい。
山口孝氏がどう思われているのかを確認していただきたい。
でも、これだけは書いておく。
町田秀夫氏は、こう書かれている。
*
宮﨑氏が編集部に連絡した時点で、すべてが終わってしまったのだ。ステレオサウンド誌からは山口氏の記事が消え、また別の出版社は山口氏の新刊本の準備を終えていたにも関わらず、この騒動を契機に出版を取り止めている。
*
私が原田勲氏に連絡したのは、すでに書いたように2012年8月である。
私の見落しでなければ、山口孝氏は179号(2011年6月発売)に書かれた後は、
183号(2012年6月発売)まで、なにひとつ記事は書かれていなかった。
私がオーディストの件で連絡したから、山口孝氏の記事が消えてしまったわけではない可能性もある。
それとも184号から連載がはじまる予定があったのだろうか。
それが、私が連絡したために消えてしまったのだろうか。
そのへんのはっきりしたことは、私にはわからない。