オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その4)
情報がBGM化していく時代のような気がしてならない。
情報はinformationだから、background informationでBGIか。
でも情報というよりメディアがBGM化していると捉えるならば、
background mediaだから、BGMとなる。
音楽の聴き方も、ある意味BGM(background media)的になりつつあるような気もする。
こう書いておきながら、こじつけようとしているのではないか、という自問もある。
それでもウィルソン・ブライアン・キイの「メディア・レイプ」とは、
こういうことを指しているのではないか、ともやっぱり思えてしまう。
(その2)で書いているように、
ウィルソン・ブライアン・キイの「メディア・セックス」と「メディア・レイプ」は、
30年近く前に読んではいるけれど、タイトルだけが印象として残っているだけである。
ウィルソン・ブライアン・キイがどういう糸で「メディア・レイプ」と使ったのか。
不思議なくらいに思い出せない。
だから、ここでの「メディア・レイプ」は、
ウィルソン・ブライアン・キイのそれとは違う意味で使っている可能性がある。
それでもBGM(background media)とメディア・レイプはいまつながりつつある、
もしくは融合しつつある──、と考えるのは根本から間違っていることなのだろうか。
REPLY))
多くの配信サイトで、ハイレゾ音源が1曲500円で買えて、ラジオならradikoがあります。ネット環境があれば、ある程度の質を持った音源をBGM的にたくさん聴くことも、当たり前な時代になってきました。1万円越えのイヤホンもたくさんあって、それはそれで良いことなのですが・・・
これから、「道具(オーディオ)のことを知り、スピーカーで集中して音楽を聴く」ことが、ますます軽んじられるようにならないかと、心配になることがあります。
この記事は、それに疑問と警鐘を鳴らしているように感じました。