オーディオにおけるジャーナリズム(藝術新潮より)
まず、これをお読みいただきたい。
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八百長、提灯持ち的記事 レコード、電蓄などに関する記事で時々八百長的、提灯持ち的印象を与えるのがある。原稿料は雑誌社が出すのか、メーカー側が受け持つのかと疑いたくなるものさえある。優秀品をよしとするのは一向に差し支えないが、度を過すと逆効果だ。質問欄なども公平で的確なのがある一方、雑誌によつて紐付き的解答もなしとしない。筆者と会社のコネを知つている者にはすく察しがつくが、一般読者はだまされる。商品のカタログ・データをそのまま持ち出しての推薦は無価値同然、これは店員のすることだ。読者もこれはホンモノか、これはヒモツキかと見抜く力が必要である。
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藝術新潮に載っていた。
1964年1月号であるから、52年前の文章だ。
誰が書いたのかはわからない。
載っているのは「日本版LP 1月新譜抄」の隣に、コラムとして、である。
「日本版LP 1月新譜抄」のところにも筆者の名前はない。
ただこれは西条卓夫氏が書かれたものであることはわかっているし、
そのことを知らなくとも読んでいれば、すぐに察しがつく。
コラムには「メーカー、レコード界への注文」とつけられている。
上に引用したのは、その一部でしかない。
電蓄をオーディオと、
よつて、知つている、を、よって、知っているに書き換えれば、
ほとんどの人が52年前に書かれたものだとは思わないはずだ。