オーディオの想像力の欠如が生むもの(その37)
オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。
オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。
オーディオの想像力の欠如を放っていては、音楽の追体験にとどまる。
編集者は、つねに読者の代弁者であるべき──、とは考えていない。
ただ必要な時は、強く代弁者であるべきだ、と思う。
そして書き手に対して、代弁者として伝えることがある、と考えている。
このことは反省を含めて書いている。
オーディオ雑誌の編集は、オーディオ好きの者にとっては、
これ以上ない職場といえよう。
けれど、そのことが錯覚を生み出していないだろうか。
本人たちは熱っぽくやっている、と思っている。
そのことは否定しない。
けれど、その熱っぽさが、誌面から伝わる熱量へと変換されていなければ、
それは編集者の、というより、オーディオ好きの自己満足でしかない。
読み手は、雑誌の作り手の事情なんて知らないし、関係ない。
ただただ誌面からの熱量こそが、雑誌をおもしろく感じさせるものであり、
読み手のオーディオを刺戟していくはずだ。
誌面から伝わってくる熱量の減少は、
オーディオ雑誌だけの現象ではなく、他の雑誌でも感じることがある。
書き手が高齢化すればするほど、
43号のようなやりかたのベストバイ特集は、ますます無理になってくる。
43号は1977年夏に出ている。
菅野先生、山中先生は44歳、瀬川先生は42歳と、
岡先生以外は40代(上杉先生は30代)だった。
いま、ステレオサウンドのベストバイの筆者の年齢は……、というと、
はっきりと高齢化している。
そのことと熱量の減少は、無関係ではない。
書き手の「少しは楽をさせてくれよ」という声がきこえてきそうである。
しかも昔はベストバイは夏の号だった。
それを12月発売の号に変更したのは、
夏のボーナスよりも冬のボーナス、ということも関係している。
しかも賞も同じ時期に行う。
オーディオショウも同じである。
そんなことが関係しての熱量の減少ともいえる。
こうやって書いていて思うのは、編集者は読者の代弁者なのか、である。
前々から感じていたこと。
オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。
こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。
けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。
私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。
断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。
だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかってくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。
オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。
オーディオの想像力の欠如した人は、前に進めない。
貫けないからだ。
オーディオの想像力の欠如した人は、貫くことができない。
オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。
オーディオの想像力の欠如した耳には、スピーカーの音は聞こえても、
スピーカーの「声」は聴こえないのかもしれない。
オーディオの想像力の欠如のままでは、空洞ゆえの重さを感じることはないのだろう。
オーディオの想像力の欠如がしているから、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。
オーディオの想像力の欠如のままでは、わがままになることはできない。
わがままを貫き通すこともできない。
昔のステレオサウンドにはあったアンケートハガキ。
ベストバイ特集号の前号には、
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの投票用紙といえるハガキだった。
アナログプレーヤー、カートリッジ、トーンアームから
アンプ、チューナー、デッキ、スピーカーにいたるまで、
現用機種とともに記入されていた。
(その8)で書いているように、
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの集計をやっていると、
ほんとうにそこに記入されている機種を組み合わせて音を出したら……、と思うものが少なくなかった。
意外性でおもしろいかも、と思う組合せ的ハガキもあった。
読者みなが組合せを意識して記入しているとはかぎらないのはわかっている。
それでも集計をする者からすれば、それぞれの項目だけを見て集計していても、
ハガキのすべての項目をまず見ることを忘れているわけではない。
返ってきたハガキを見ていると、
それまでのステレオサウンドの特集(総テスト)で評価の高かった機種が、
それぞれのジャンルで並んでいる、というものも少なくなかった。
(その3)で書いた受動的試聴と能動的試聴。
組合せを考慮していないと感じるハガキからは、
受動的試聴での評価の高いモノが並んでいるだけの印象を感じていた。
実際のところはわからない。
私がそう感じたハガキであっても、記入した人は、組合せを考慮しての記入だったのかもしれない。
私がそのハガキから、そこのところを読みとれていなかった、という見方もできる。
それにすべての読者が、ステレオサウンドで取り上げた機種すべてを聴いているわけでもない。
どこに住んでいるのか、東京に住んでいても積極的に出掛ける人もいればそうでない人もいる。
オーディオ店での試聴は、単に聴いた、という程度と受け止めている人もいる。
ハガキを書いた人が、どの機種を聴いていて、それもどういう環境で、どの程度しっかり聴いているのか、
また聴いていない機種はどれなのか、
そういったことはまったくわからない。
聴ける機種よりも聴けない機種の方が多い人が多かったのではないか。
ならば受動的試聴の結果(試聴記)を参考にハガキを記入する。
オーディオの想像力の欠如をそのままにしていたら、冒険はできない。