Archive for category ジャーナリズム

Date: 1月 4th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その40)

オーディオの想像力の欠如は、「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いが理解できない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その39)

オーディオの想像力の欠如とは、甘えそのものだ。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その38)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音を聴くために、
聴く音楽があることにも気づかない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その37)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その36)

オーディオの想像力の欠如を放っていては、音楽の追体験にとどまる。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その18)

編集者は、つねに読者の代弁者であるべき──、とは考えていない。
ただ必要な時は、強く代弁者であるべきだ、と思う。
そして書き手に対して、代弁者として伝えることがある、と考えている。

このことは反省を含めて書いている。

オーディオ雑誌の編集は、オーディオ好きの者にとっては、
これ以上ない職場といえよう。

けれど、そのことが錯覚を生み出していないだろうか。

本人たちは熱っぽくやっている、と思っている。
そのことは否定しない。

けれど、その熱っぽさが、誌面から伝わる熱量へと変換されていなければ、
それは編集者の、というより、オーディオ好きの自己満足でしかない。

読み手は、雑誌の作り手の事情なんて知らないし、関係ない。
ただただ誌面からの熱量こそが、雑誌をおもしろく感じさせるものであり、
読み手のオーディオを刺戟していくはずだ。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その17)

誌面から伝わってくる熱量の減少は、
オーディオ雑誌だけの現象ではなく、他の雑誌でも感じることがある。

書き手が高齢化すればするほど、
43号のようなやりかたのベストバイ特集は、ますます無理になってくる。

43号は1977年夏に出ている。
菅野先生、山中先生は44歳、瀬川先生は42歳と、
岡先生以外は40代(上杉先生は30代)だった。

いま、ステレオサウンドのベストバイの筆者の年齢は……、というと、
はっきりと高齢化している。

そのことと熱量の減少は、無関係ではない。
書き手の「少しは楽をさせてくれよ」という声がきこえてきそうである。

しかも昔はベストバイは夏の号だった。
それを12月発売の号に変更したのは、
夏のボーナスよりも冬のボーナス、ということも関係している。

しかも賞も同じ時期に行う。
オーディオショウも同じである。

そんなことが関係しての熱量の減少ともいえる。

こうやって書いていて思うのは、編集者は読者の代弁者なのか、である。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その1)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかってくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その35)

オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その34)

オーディオの想像力の欠如した人は、前に進めない。
貫けないからだ。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その33)

オーディオの想像力の欠如した人は、貫くことができない。

Date: 10月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その32)

オーディオの想像力の欠如した人ほど、変ろうとする。

Date: 10月 11th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その31)

オーディオの想像力の欠如した耳には、スピーカーの音は聞こえても、
スピーカーの「声」は聴こえないのかもしれない。

Date: 9月 23rd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その30)

オーディオの想像力の欠如のままでは、空洞ゆえの重さを感じることはないのだろう。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その29)

オーディオの想像力の欠如がしているから、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。