Archive for category ジャーナリズム

Date: 4月 27th, 2018
Cate: ジャーナリズム, 組合せ

組合せという試聴(その11)

別項で、「音は人なり」は、思考の可視化と書いた。

思考の可視化ということでいえば、
組合せはまさに、思考の可視化である。

思考は(しこう)であり、
(しこう)は、志向、指向、嗜好でもある。

まさに組合せは、志向、指向、嗜好の可視化ともいえる。

このことに気づけば、組合せの記事こそがオーディオ雑誌の記事で、
もっとも興味深く面白い、といえる。

けれど実際は、編集者も組合せを考えるオーディオ評論家(商売屋)も、
組合せを思考の可視化とは、おそらく考えていない、はずだ。

スピーカーを決めて、それに合いそうなアンプを数機種見繕って、順に聴いていく。
その中から一機種選ぶ。
次はCDプレーヤーを数機種選んで……、
そんな試聴(受動的試聴)をやっていても、
オーディオ評論家にやらせても、
思考の可視化になるはずがない。

おもしろくなるはずがない。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その11)

株式会社ファーストリテイリングの単独スポンサーによって「考える人」は、
新潮社から出ていた。

単独スポンサーゆえに、その会社が降りてしまえば、
そして次のスポンサーが見つからなければ、それで終りとなる面ももつが、
「考える人」のオーディオ版は、やはり無理なのか、とずっと思っていた。

「考える人」だから単独スポンサーがついた、ともいえる。
オーディオ雑誌に、単独スポンサーがつくだろうか。

オーディオメーカーが単独スポンサーについたのでは、意味がない。
オーディオと関係のない会社で、オーディオ雑誌の単独スポンサーになるところ、
そんな会社、あるわけがない──、と思い込んでいた。

先月のKK適塾が終って、数日後、ふと思いついた。
もう完全に妄想の領域であるし、可能性としてはゼロではないだろうが、
限りなく近いこともわかっている。

わかったうえで書いている。
川崎先生が編集人・発行人としてのオーディオとデザインの雑誌ならば、
DNPが単独スポンサーになることだって、可能性としてはまったくゼロではないはずだ。

Date: 4月 3rd, 2018
Cate: ジャーナリズム

ステレオ時代 vol.11

ステレオ時代というオーディオ雑誌がある。
1970年代、1980年代にオーディオに夢中になっていた世代をターゲットにしている、といえる。
だから、私もターゲットのひとりなのだが、
私は、ステレオ時代を面白いとは思っていなかったし、
記事の内容についても、なにかいいたくなることのほうが多い。

もう書店でみかけても手にとることもなくなっていた。
でも今日は違った。
いま書店に並んでいるステレオ時代 vol.11の表紙に「ありがとう中島平太郎先生」とあったからだ。

雑誌も人も、すべてが変っていく──、
そのことはわかっていても、
どうもそれはネガティヴな方向へ変っていくことが多過ぎるためか、
なかなかポジティヴな方向へ変っていくとは思いにくい──、
そうおもっているのは私だけなのか。

「ありがとう中島平太郎先生」という記事のタイトルは、ストレートすぎるな、と感じる。
でも、妙に凝りすぎたタイトルよりは、好感がもてる。

他のオーディオ雑誌は、どこもやらなかった。
ステレオ時代だけが「ありがとう中島平太郎先生」をやった。
広告にはまったく結びつかない内容の記事をつくっている。

「ありがとう中島平太郎先生」で、私はステレオ時代への認識を少し改めた。

Date: 2月 25th, 2018
Cate: ジャーナリズム, 組合せ

組合せという試聴(その10)

オーディオの面白さは、組合せにある。
システム全体という組合せ、
スピーカーシステムという組合せもある。

そう捉えているから「スピーカーシステムという組合せ」も同時に書いている。
別項「オーディオの楽しみ方(つくる)」での自作スピーカーもまた組合せ、
それゆえに音をつめて作業に求められるのは、
この項で何度が書いているように、受動的聴き方ではなく、能動的聴き方である。

受動的聴き方が求められていないわけではないが、
受動的聴き方だけでは無難なスピーカーシステムにしか仕上がらないのではないか。

能動的聴き方をして、「いいスピーカー」へと近づいていくのではないだろうか。

組合せ(component)は、いわば組織である。
スピーカーシステムという組織、システム全体という組織にしても、
受動的聴き方によってまとめられた組織というものは、どこかが弱いとでもいおうか、
構造的強さをもっていない、とでもいおうか、そんな印象がある。

組織という意味では編集部もそうだ。
組織は入社試験、面接によって人を選ぶ。
その選び方が受動的なのか能動的なのか。

受動的な視点で集められた組織というものの弱さを感じる。

Date: 1月 5th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その41)

オーディオの想像力の欠如は、音で遊ぶことしかできず、アクセサリーに拘泥する。

Date: 1月 4th, 2018
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その40)

オーディオの想像力の欠如は、「音で遊ぶ」と「音と遊ぶ」の違いが理解できない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その39)

オーディオの想像力の欠如とは、甘えそのものだ。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その38)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音を聴くために、
聴く音楽があることにも気づかない。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その37)

オーディオの想像力の欠如は、聴かなければならない音があることに気づかない。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その36)

オーディオの想像力の欠如を放っていては、音楽の追体験にとどまる。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その18)

編集者は、つねに読者の代弁者であるべき──、とは考えていない。
ただ必要な時は、強く代弁者であるべきだ、と思う。
そして書き手に対して、代弁者として伝えることがある、と考えている。

このことは反省を含めて書いている。

オーディオ雑誌の編集は、オーディオ好きの者にとっては、
これ以上ない職場といえよう。

けれど、そのことが錯覚を生み出していないだろうか。

本人たちは熱っぽくやっている、と思っている。
そのことは否定しない。

けれど、その熱っぽさが、誌面から伝わる熱量へと変換されていなければ、
それは編集者の、というより、オーディオ好きの自己満足でしかない。

読み手は、雑誌の作り手の事情なんて知らないし、関係ない。
ただただ誌面からの熱量こそが、雑誌をおもしろく感じさせるものであり、
読み手のオーディオを刺戟していくはずだ。

Date: 11月 27th, 2017
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その17)

誌面から伝わってくる熱量の減少は、
オーディオ雑誌だけの現象ではなく、他の雑誌でも感じることがある。

書き手が高齢化すればするほど、
43号のようなやりかたのベストバイ特集は、ますます無理になってくる。

43号は1977年夏に出ている。
菅野先生、山中先生は44歳、瀬川先生は42歳と、
岡先生以外は40代(上杉先生は30代)だった。

いま、ステレオサウンドのベストバイの筆者の年齢は……、というと、
はっきりと高齢化している。

そのことと熱量の減少は、無関係ではない。
書き手の「少しは楽をさせてくれよ」という声がきこえてきそうである。

しかも昔はベストバイは夏の号だった。
それを12月発売の号に変更したのは、
夏のボーナスよりも冬のボーナス、ということも関係している。

しかも賞も同じ時期に行う。
オーディオショウも同じである。

そんなことが関係しての熱量の減少ともいえる。

こうやって書いていて思うのは、編集者は読者の代弁者なのか、である。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その1)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかってくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その35)

オーディオの想像力の欠如した人は、「変る」は時として「留まる」と同義語であることに気づかない。

Date: 10月 30th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その34)

オーディオの想像力の欠如した人は、前に進めない。
貫けないからだ。